グループ
近田春夫のバックバンド「BEEF」から派生し、1980年にデビューしたロックバンド。ボーカル・奥野敦子(イリア)のファルセットと、テクノ風アレンジを取り入れた「ジェニーはご機嫌ななめ」が37万枚のヒットとなり注目を集めた。初期は近田のプロデュースでアルバムも成功し、テクノ歌謡として紹介されることが多かったが、本来はギター主体のロックバンドである。’84年に解散後、2009年に活動を再開し、2013年に事実上の再結成となった。
正式名を“THE CRAZY RIDER 横浜銀蝿 ROLLING SPECIAL”とするロックンロールバンドで、翔・Johnny・TAKU・嵐の4人で構成される。出入りの店の店主に「銀蝿みたいにうるさい」と言われたことから名が付いた。ポンパドールに革ジャン、白いドカンという不良スタイルで登場し、ツッパリ・暴走族文化の波に乗って1980年代前半に若者から圧倒的な支持を得た。弟分を含む「銀蝿一家」も展開し、シンプルなロックンロールからコミックソングまで幅広い楽曲を発表。代表曲は’81年の「ツッパリHigh School Rock’n Roll (登校編)」。
1979年に「アレレのレ」としてポプコンで優秀曲賞を受賞したことを起点に結成され、多様な音楽性を“レビュー”形式で届けたいという意図から現名に改名。’81年に「シュガーはお年頃」でデビューし、ジャズ・ポップ・ロックを自在に融合した洗練されたサウンドと高度なコーラスワークで支持を広げた。’84年「夢伝説」がルピスのCM曲としてヒットし知名度が上昇。’80年代後半には「Stay My Blue」「Be My Lady」「夏のシルエット」などCMタイアップが続き、安定した人気を獲得した。
J-WALK(後のTHE JAYWALK)は1980年結成、1981年にデビューした。横断禁止無視を意味する“Jaywalking”に由来する名の通り、都会的で洒落たポップロックを特色とし、CMタイアップを多く手がけて時代感に合った楽曲を提供した。代表曲「何も言えなくて…夏」(’91年)は発売後じわじわと人気が上昇し、’93年に初の紅白出場を果たす大ヒットとなった。レナウン、黄桜、シチズン、三菱電機、リゲインなど企業広告の音楽も多く担当し、’90年代初頭のシティポップ的情緒と大人の哀愁を漂わせるサウンドで幅広い支持を得た。
1981年、バラエティ番組『欽ドン!良い子悪い子普通の子』のレギュラー出演者、山口良一・西山浩司・長江健次の3人で結成されたユニット。番組発の企画ユニットの先駆けで、アイドル的要素を持つ異色の存在。デビュー曲「ハイスクールララバイ」は細野晴臣によるテクノポップ歌謡でミリオンセラーを記録し、『ザ・ベストテン』で8週連続1位を獲得するなど大ヒット。楽曲は長江がメインボーカル、山口と西山がコミカルなコーラス・振付で’80年代初期の歌謡界にインパクトを与えた。
名古屋商科大学フォークソング研究会のメンバーを中心に結成された。バンド名は部室にあった石油ストーブ「アラジンブルーフレームヒーター」に由来する。学内ではフュージョンやバラード、ラテンなど多ジャンルに挑戦し、卒業間際に制作した「完全無欠のロックンローラー」でポプコングランプリを獲得。1981年末にデビューし、’82年に「ザ・ベストテン」にランクインしたが、目立ったヒットはなく、一発屋的な存在として知られる。
1973年、北海道旭川市で玉置浩二と武沢豊を中心に結成された。バンド名は道路交通法の「安全地帯」に由来する。’82年に「萠黄色のスナップ」でメジャーデビューし、’83年の「ワインレッドの心」が71.4万枚の大ヒットとなる。以降も「恋の予感」「熱視線」「悲しみにさよなら」など数々のヒット曲を発表し、’85年のアルバム『安全地帯IV』はオリコン週間・年間1位を獲得。’88年以降、活動休止と再開を繰り返しながらも、各メンバーのソロ活動と並行して現在も定期的に活動している。
群馬県出身の氷室京介、布袋寅泰、松井恒松を中心に東京で結成され、高橋まことが加入して4人編成で活動。’82年に「MORAL」でメジャーデビュー。8ビートを基調としたロックサウンドと斬新なビジュアルで支持を集め、アルバム『BEAT EMOTION』『PSYCHOPATH』はミリオンセラーを記録。シングル「MARIONETTE」で初登場1位を獲得し、’87年の渋谷公会堂ライブで解散を宣言。翌年の東京ドーム『LAST GIGS』で活動に終止符を打った。音楽性、ビジュアル、強気の姿勢で日本のロックシーンに大きな影響を与えた伝説的バンド。
岡村孝子と加藤晴子による女性デュオで、主旋律を岡村、ハーモニーを加藤が担う繊細なコーラスワークが特徴。1982年に「待つわ」でレコードデビューし、同曲は109万枚のミリオンセラーとなり『NHK紅白歌合戦』にも出場した。ポプコン出身の実力派で、オリジナル曲へのこだわりから1stアルバムも自作中心に制作された。しかし加藤の学業優先と芸能界への不適合感から’83年に活動休止。以後、岡村はソロへ、加藤は一般生活へ進むが交流は継続。2002年に一夜限りで共演し、2007年に正式に活動再開した。
黒沢年雄の実弟・黒沢博と元OLのキーボーによる男女デュオ。1982年に「3年目の浮気」でデビューし、同曲はオリコン3週連続1位・130万枚の大ヒットを記録、日本有線大賞などで最優秀新人賞を受賞した。続けて「5年目の破局」などユニークな恋愛路線の楽曲を発表したが、’84年にコンビを解消。解散後も代表曲は替え歌・パロディで親しまれ、本人たちもラジオ企画で過激な替え歌に応じるなど話題を呼んだ。なお、歌詞内容が理由でNHK紅白歌合戦には出場できなかったとされる。
プロデューサー藤田浩一を中心に結成された1980年代のプロジェクト型バンドで、林哲司ら制作陣が主導し、杉山清貴のボーカルで’83年にデビューした。夏・海・リゾートをテーマにした都会的サウンドで人気を博し、サザンやTUBEと並ぶ“夏バンド”として定着した。レコーディングはプロのスタジオミュージシャンが担当し、メンバーは提供曲を演じる形で活動したため、創作への関与が限られていた。やがて葛藤が生まれ、メンバーの総意で’85年に解散。以降はボーカルを交代しながら「オメガトライブ」名義のプロジェクトが続いた。
ココナッツボーイズを前身とする1980年代のポップ・ロックバンドで、明るいカラフルなビジュアルとキャッチーな楽曲で人気を博した。ミニFM局の企画から生まれ、’83年にデビュー。’85年、筒美京平×松本隆による「Romanticが止まらない」がドラマ主題歌として大ヒットし、電子ドラムを叩きながら笠浩二がハイトーンで歌う独特のスタイルも話題となった。その後も「Lucky Chanceをもう一度」「ないものねだりのI Want You」などヒットを連発し、紅白出場や賞歴を重ねた。メンバー変動を経て’89年に解散し、再結成を挟みつつ現在は活動停止している。
1980年代後半、日本のバンドブームを牽引したロックバンドで「フレンズ」の大ヒットで国民的な人気を得た。木暮武彦を中心に結成され、NOKKOの個性的な歌声と存在感、そして土橋安騎夫によるサウンドプロデュースが特徴。’85年以降はシンセポップを導入し、海外女性シンガー的スタイルと少女心理を重ねた世界観で独自性を確立した。アルバム『REBECCA IV』がミリオンを達成し、武道館や東京ドーム公演も成功。’91年に解散したが、数度の再結成を経て2015年より活動を再開している。
劇男一世風靡から派生した7人組の男性パフォーマンスユニットで、路上で培ったダイナミックな動きと集団表現を武器に1980年代の音楽界で注目を集めた。’84年に「今、我に正直に生きてみたい」でデビューし、「前略、道の上より」「汚れっちまった悲しみに…」などのヒットを放つ。個々の個性を混ぜ合わせた“セピア”という名の通り、多彩なキャラクターと力強い群舞が特徴。紅白出演は条件が合わず辞退した。’89年に解散し、哀川翔や柳葉敏郎、小木茂光らは俳優として活躍を広げた。
Bro.TOMとBro.KORNが1983年に結成したデュオで、ブラックミュージックとコメディを融合した「和製ブルース・ブラザーズ」的スタイルが特徴。黒スーツにサングラスの統一衣装でライブハウスから活動を開始し、’85年にデビュー。’90年発売の「WON’T BE LONG」がカラオケを通じて大ヒットし、累計170万枚を超える代表曲となった。
1985年デビューした神奈川県出身のロックバンド。サーフィン用語に由来する名称と夏を意識した楽曲から「湘南サウンド」の代表格とされる。初期は亜蘭知子や織田哲郎ら提供曲で活動し、’89年以降はメンバー自作曲が中心。’80年代から通年活動していたが、次第に夏季に特化し、ライブも夏のスタジアム公演を恒例化。’90〜2004年にシングル連続TOP10入り15年、アルバム連続TOP10入り27年を記録するなど安定した人気を誇る。
1985年にメジャーデビューした日本の女性ハードロックバンドで、’80年代のバンドブームにおける先駆的存在。前身は寺田と中村が所属した「メデューサ」で、’82年にヤマハ主催レディース部門で最優秀グランプリを獲得。デビュー当初はアイドルバンド路線で売り出されたが後にハードロック路線に回帰。’89年のアルバム『Outerlimits』で商業的成功を収め、『限界LOVERS』『私は嵐』などのヒットも生む。’91年にボーカル寺田脱退後、活動は停滞し、’98年に解散した。
おニャン子クラブの高井麻巳子と岩井由紀子による2人組アイドルユニットで、1985年に結成、’87年解散。フジテレビのアニメ『ハイスクール!奇面組』のテーマソング用ユニットとして企画され、「かわいいシュール」をコンセプトに活動。結成直後のシングル『うしろゆびさされ組』を皮切りに、シングル6作・アルバム3作をリリースし、アニメ主題歌として幅広い支持を獲得。高井の卒業に伴い国立代々木競技場でのコンサートで解散。活動期間は約1年半だがグループ派生型ユニットの元祖とされ、後のモーニング娘。やAKB48系ユニットに影響を与えた。
1982年結成の日本の大所帯バンドで、石井竜也(カールスモーキー石井)を中心に、ファンクミュージックを基盤に独自の演出を加えたエンターテインメント性の高い活動で知られる。ダンサーチームやサポートバンドを擁し、ライブでは寸劇や観客参加型のパフォーマンスを重視。’85年にCBSソニーからデビューし、「浪漫飛行」「君がいるだけで」などヒット曲を生む。奇抜な衣装やコント的MCで“イロモノ”扱いも受けたが、幅広い年齢層に人気を博す。’97年に一度解散するも、2006年に期間限定で再結成し、現在もスローペースで作品を発表する。
ジャニーズ事務所から登場した男性アイドルグループで、錦織一清・植草克秀・東山紀之の3人で構成される。1982年に「ジャニーズ少年隊」として結成、バックダンサー経験を経て’85年にシングル「仮面舞踏会」でレコードデビューし、新人賞を総ナメにする人気を獲得。ダンスと歌を融合させたパフォーマンスが特徴で、’86年からはミュージカル『PLAYZONE』を主催し、紅白歌合戦にも8年連続出場。全盛期にはブロマイド売上第1位を記録。長期にわたりコンサート・テレビ・舞台で活躍し、2020年以降は事実上活動休止状態となるが、名前は存続している。
1983年のTDK主催オーディションで結成。デビュー前は「赤坂小町」「JULIAN MAMA」として活動した後、’86年に「PRINCESS PRINCESS」と改名しCBSソニーからミニアルバムで再デビュー。’87年にファーストシングル「恋はバランス」を発売し、’88年以降は「MY WILL」「19 GROWING UP」「GO AWAY BOY」「GET CRAZY!」などのヒットを連発。’89年には日本武道館公演を女性バンドとして初開催し、シングル「Diamonds」でミリオンセラーを達成、トップアーティストとしての地位を確立。ライブ中心の活動と自作楽曲へのこだわりも特徴である。
うしろゆびさされ組解散後の後継ユニットとして1987年に結成された、生稲晃子・工藤静香・斉藤満喜子の3人によるおニャン子系女性アイドルグループ。アニメ『ハイスクール!奇面組』主題歌「時の河を越えて」でデビューし、工藤の人気上昇により「静香のグループ」と評されがちだったが、センターポジションを曲や活動ごとに入れ替えるなどバランスを重視した方針をとった。制作面ではおニャン子と異なり音楽性を重視したプロデュースが行われ、高い楽曲クオリティが特徴で、’88年に活動停止した。
1985年に結成され、’87年「リンダリンダ」でメジャーデビュー。甲本ヒロトと真島昌利を中心に、シンプルで力強いサウンドと、ストレートながら高い文学性を評価された歌詞で支持を集めた。「TRAIN-TRAIN」「青空」「人にやさしく」「情熱の薔薇」などのヒットを放ち、日本のロックに大きな影響を与えた。前期はメッセージ性の強い独自の世界観を確立し、後期は幅広い音楽性を展開。’95年に解散したが、その楽曲は現在もCMや映像作品で使われ続けている。
1987年デビュー、ダークな世界観と先鋭的なポップセンスを融合した独自の音楽性を持つ。デビュー2年で日本武道館・東京ドーム公演を成功させ、3rdアルバム『TABOO』でオリコン1位を獲得。ビジュアル面・サウンド面ともに常に進化を続け、日本のロックシーンに大きな影響を与えた。デビュー以降長期にわたり精力的に活動し、記念映画公開や音楽賞受賞など評価も高い。2023年にボーカル櫻井敦司が逝去するも、残るメンバーで活動継続を表明し、新体制でも作品・ライブを展開している。
大槻ケンヂと内田雄一郎を中心に1982年に結成されたロックバンド。初期は白塗りや包帯を巻く奇抜なパフォーマンスを特徴とし、ナゴムレコードからインディーズデビュー。’88年に『仏陀L』と『釈迦』でメジャー進出し、メンバー入れ替えを経て橘高文彦らが加入し体制が安定する。『日本印度化計画』『元祖高木ブー伝説』などユーモアと過激さを併せ持つ楽曲で注目を集め、コミックバンド的側面も話題となった。’90年には日本武道館で単独公演を行い人気を確立するが、バンドブーム衰退や事務所問題などから’98年に活動を休止した。
高校の同級生であるChageとASKAにより1979年に結成され「ひとり咲き」でデビュー。’80年代から’86年にかけて「万里の河」「モーニングムーン」などヒットを重ね、’91年の「SAY YES」でオリコン13週連続1位・ダブルミリオンを記録。’90年代には「YAH YAH YAH」など複数のミリオンヒットを放ち、海外ツアーやMTVアンプラグド出演など国際的な活動も展開した。2009年に無期限活動休止、2013年再始動を目指すも、ASKAの健康問題や事件で白紙となり、2019年にASKAが脱退した。
1979年に渋谷のディスカウントストア名を由来に結成され、当初は山本翔のバックバンドとして活動。’80年からシングル「ブレイクアウト・ジェネレーション」「ミステリアス・ナイト」やアルバム『NORMAL』『REAL』をリリースし、ニュー・ウェイヴやポップスの要素を取り入れたサウンドで注目された。’82年の「すみれ September Love」はカネボウCMソングとして大ヒットし、オリコン最高3位を記録。リーダー土屋昌巳やメンバーのソロ活動も活発で、海外アーティストのサポートも担当した。





















































