女性歌手・アイドル > 1980年代

─ 主な歌手一覧 (順不同) ─

松田聖子

1980年4月「裸足の季節」で歌手デビュー。キュートなルックスと甘い歌声で一世を風靡し、「青い珊瑚礁」「赤いスイートピー」などヒット曲を連発。髪型「聖子ちゃんカット」や衣装も社会現象に。ぶりっ子キャラでアイドル像を一新し、従来の“清純派”に自己演出の強さを加味。’80年代を代表するトップアイドルとして同世代女性のライフスタイルやファッションに大きな影響を与えた。’90年代以降も、作詞作曲や海外活動を行い、アイドルからアーティストへと進化。結婚・出産・離婚などを経ても第一線に立ち続ける、まさに“永遠のアイドル”と称される存在。

中森明菜

1981年、3度目の挑戦となった『スター誕生!』で合格し、’82年5月「スローモーション」でデビュー。翌年「少女A」でブレイクし、「飾りじゃないのよ涙は」「DESIRE」などで圧倒的な歌唱力と表現力を示す。松田聖子と対照的なクールで影のあるキャラクターを打ち出し、“アンチ・聖子”として人気を二分。歌に込められた情念とビジュアルの完成度が支持を集め、演歌やニューミュージックの要素も取り込んだ独自の世界観を築いた。私生活では波乱も多く、特に’89年の自殺未遂事件は世間に衝撃を与えたが、その脆さも彼女の魅力とされた。2020年代も復帰が待望される“孤高の歌姫”。

ザ・ベストテン

1978年から’89年までTBSで放送された音楽番組。視聴者のハガキや売上、リクエストなどを独自集計し、毎週ベストテン形式で発表。黒柳徹子と久米宏の名コンビ司会が名物で、生放送ならではの臨場感とハプニングが魅力だった。ランクインした歌手の中継出演も多く、空港・駅・学校などからの生中継パフォーマンスは番組の名物に。沢田研二、松田聖子、中森明菜、近藤真彦、チェッカーズなど’80年代アイドルが多数ランクイン。中森明菜の「禁区」5週1位や、松田聖子の年間1位連発など記録も多い。アーティストと視聴者の距離が近い、テレビ黄金期の象徴的音楽番組だった。

小泉今日子

1981年テレビ番組「スター誕生!」でグランプリを獲得し、’82年3月「私の16才」で歌手デビュー。その後「学園天国」「渚のはいから人魚」「なんてったってアイドル」「木枯しに抱かれて」「あなたに会えてよかった」「優しい雨」など’80年代を代表するヒット曲を多数発表し、アイドル人気を確立。出演ドラマ・映画も多く、「あまちゃん」などNHK連続テレビ小説を含め女優としても高い評価を得た。2015年に自身の会社「明後日」を設立し、プロデューサーとして舞台・映像・音楽・出版に携わるほか、エッセイや書評など執筆活動も行う。

酒井法子

1986年「’86ミスヘアコロン・イメージガールコンテスト」で “BOMB!賞” を受賞し芸能界入り。’87年2月、シングル「男のコになりたい」で歌手デビュー。以後、アイドル歌手として代表曲に「夢冒険」「碧いうさぎ」など多数のヒットを放つ。歌手活動と並行して女優業でも活動し、ドラマ「ひとつ屋根の下」「星の金貨」などに出演。「星の金貨」の主題歌「碧いうさぎ」は大ヒットした。一時期薬物問題で表舞台から遠ざかるも、近年はデビュー35周年を記念したベストアルバムのリリースなど、変化する活動形態で芸能活動を継続している。

柏原芳恵

1979年『スター誕生!』(日本テレビ系)に出場し「お元気ですか」を歌って合格、グランドチャンピオン(最優秀賞)を獲得。’80年6月、フィリップス・レコードより「No.1」で“柏原よしえ”の芸名で歌手デビュー。’81年、「ハロー・グッバイ」(讃岐裕子のカバー)でヒット。これによりトップアイドルの地位を確立し、日本レコード大賞ゴールデン・アイドル賞を受賞。’82年10月、シングル「花梨」の発売と同時に表記を“柏原芳恵”へ改名。以降、中島みゆきなど作詞・作曲家との協力で「春なのに」「最愛」など深みのある楽曲も多数ヒットさせ、オリコンチャートでトップ10入りを繰り返した。

薬師丸ひろ子

1978年、14歳の時に映画『野性の証明』で女優デビューし一躍注目される。’81年、主演映画『セーラー服と機関銃』で映画主演を務め、その主題歌を歌って歌手デビュー。以後「探偵物語」「メインテーマ」「Woman “Wの悲劇”より」など、主演映画と主題歌でヒットを連発する。’90年代以降は映画・テレビドラマでの女優としての地位を確立し、シリアスな役柄から母親役まで演技の幅を広げる。代表作に『木更津キャッツアイ』『ALWAYS 三丁目の夕日』、『あまちゃん』『アンナチュラル』『エール』などがある。

中山美穂

1985年、テレビドラマ『毎度おさわがせします』(TBS)で女優デビュー。その後主演ドラマ『夏・体験物語』の主題歌「C」で歌手デビューし、同年の第27回日本レコード大賞で最優秀新人賞などを受賞。 以降は「ビー・バップ・ハイスクール」や「ただ泣きたくなるの」「世界中の誰よりきっと」(中山美穂 & WANDS)などのヒットで“トップアイドル”の地位を確立した。女優としてドラマや映画にも多数出演し、『Love Letter』でブルーリボン賞主演女優賞、『東京日和』で日本アカデミー賞優秀主演女優賞を獲得。2024年の逝去まで約40年にわたり、歌手・女優の両面で幅広い活躍を続けた。

工藤静香

1984年、14歳で「第3回ミス・セブンティーンコンテスト」の特別賞を受賞。セブンティーン・クラブの一員として’85年「ス・キ・ふたりとも!」で歌手デビュー。’86年、テレビ番組『夕やけニャンニャン』のオーディションを経ておニャン子クラブ会員番号38番として加入。’87年8月、シングル「禁断のテレパシー」でソロデビュー。これがオリコン1位を獲得し、その後「抱いてくれたらいいのに」「FU-JI-TSU」「MUGO・ん…色っぽい」などヒットを連発。’80年代後半には中山美穂・南野陽子・浅香唯とともに“アイドル四天王”の一人とされる。 2000年、木村拓哉と結婚後も歌手活動を継続。

荻野目洋子

1984年、シングル「未来航海」でデビュー。姉は女優の荻野目慶子。翌’85年にはユーロビート風のカバー曲「ダンシング・ヒーロー(Eat You Up)」で大ヒットを記録した。その後も「六本木純情派」「ギャラリー」などのヒット曲を生み出し、アイドル歌手として活躍。特に「ダンシング・ヒーロー」は、2017年に大阪府立登美丘高校ダンス部の「バブリーダンス」によって再注目され、オリコンデジタルシングルランキングで2位を記録するなど、再ブームを巻き起こした。

南野陽子

1985年6月、シングル「恥ずかしすぎて」で歌手デビュー。その後、テレビドラマ『スケバン刑事II 少女鉄仮面伝説』で主演し、アイドル歌手としての地位を確立する。’87年にはシングル「楽園のDoor」がオリコンで1位を獲得し、シングル8作連続1位を記録するなど、80年代後半のトップアイドルの一人として活躍した。’92年からは女優業に専念し、映画『寒椿』で日本アカデミー賞優秀主演女優賞を受賞するなど、女優としても高い評価を受けた。

浅香唯

1985年、シングル「夏少女」で歌手デビュー。その後、テレビドラマ『スケバン刑事III 少女忍法帖伝奇』で主演し、アイドル歌手としての地位を確立。’87年にはシングル「瞳にStorm」がオリコンで4位を記録し、シングル「虹のDreamer」では1位を獲得するなどヒットを連発した。’90年代には音楽性の幅を広げ、作詞・作曲を手がけるなど、アーティストとしての側面も強調した。’93年には芸名の使用を巡るトラブルから一時的に芸能活動を休止したが、’97年に「Yui」として活動を再開。その後、再び「浅香唯」として活動を再開し、音楽活動や女優業を続けている。

斉藤由貴

1984年、「ミスマガジン」でグランプリを受賞し芸能界入り。’85年2月にシングル「卒業」で歌手デビューし、オリコンで最高6位を記録。同年4月にはテレビドラマ『スケバン刑事』で主演を務め、アイドル歌手としての地位を確立した。’86年にはNHK連続テレビ小説『はね駒』のヒロインを演じ、平均視聴率40%を記録するヒット作となり、全国的な人気を得た。’90年代以降は女優業に専念し、映画『優駿 ORACIÓN』で日本アカデミー賞優秀主演女優賞を受賞。近年では、2025年にデビュー40周年を迎え、シングル「Light a Shine~月はずっと見ている」をリリースし、音楽配信サービスでの楽曲公開も行った。

堀ちえみ

1981年、ホリプロスカウトキャラバンでグランプリを受賞し、’82年にシングル「潮風の少女」で歌手デビュー。その後、’83年のテレビドラマ『スチュワーデス物語』で主演を務め、アイドル歌手としての地位を確立した。’85年にはシングル「Ri・Bo・N」がオリコンで2位を記録し、同年のNHK紅白歌合戦に初出場を果たした。また、’87年には映画『潮騒』に出演し、女優としても活動の幅を広げた。2019年に舌がんと食道がんを公表し、手術とリハビリを経て、2024年には舌がんの完治を報告。デビュー41周年ライブツアーを開催し、ファンとの交流を深めた。

岩崎良美

1980年2月「赤と黒」で歌手デビュー。姉の岩崎宏美も著名な歌手であり、姉妹での活動が注目を集めた。’85年にはシングル「TOUCH」がテレビアニメ『タッチ』のオープニングテーマに起用され大ヒットを記録。これにより、再び注目を浴び、アイドル歌手としての地位を確立した。’90年代以降は女優業にも進出し、テレビドラマや映画などで幅広く活動。2008年にはファンタジーバンド「Sound Horizon」の6th Story CD『Moira』に参加し、音楽活動の幅を広げたが、コンサートには出演せず、後に井上あずみが代役を務めた。

松本典子

1984年第、5回「ミス・セブンティーンコンテスト」でグランプリを獲得し芸能界入り。’85年3月にシングル『春色のエアメール』でアイドル歌手としてデビューを果たす。同期には浅香唯・斉藤由貴・中山美穂・本田美奈子・南野陽子らがいた。甘いルックスと骨太な歌声で注目され、1stアルバム『Straw Hat』収録曲「いっぱいのかすみ草」は名曲と評価される。テレビドラマやバラエティ番組でも活躍し、正統派アイドルとして’80年代の新人賞レースで数々の賞を受賞した。

高見知佳

中学時代にテレビ愛媛のど自慢番組でスカウトされ芸能界入り。1978年にコロムビアからシングルでアイドル歌手としてデビューした。’84年には「くちびるヌード」が資生堂春のキャンペーンCMソングに起用され、フジテレビ『夜のヒットスタジオ』やTBS『ザ・ベストテン』、日本テレビ『ザ・トップテン』など音楽番組で披露され注目を集めた。アイドル歌手として活動する傍ら、映画『蒲田行進曲』やテレビドラマ、舞台にも出演し、バラエティ番組でも人気を博した。2022年、がん性腹膜炎により60歳で死去した。

河合奈保子

1979年、西城秀樹の「HIDEKIの弟・妹募集オーディション」で優勝し、’80年6月にシングル『大きな森の小さなお家』でアイドル歌手としてデビューした。当時のキャッチフレーズは「ほほえみさわやか カナリー・ガール」で、2枚目のシングル『ヤング・ボーイ』がヒットし、複数の音楽祭で新人賞を受賞した。’81年にはNHKホールでのリハーサル中に転落事故で腰椎圧迫骨折の重傷を負ったが、約2か月後に復帰。同年の第32回NHK紅白歌合戦に『スマイル・フォー・ミー』で初出場し、事故現場であるNHKホールでトップバッターを務めた。

森高千里

1986年、「第1回ポカリスエット・イメージガールコンテスト」でグランプリを受賞し、同年冬に上京。’87年5月、映画『あいつに恋して』の主題歌「NEW SEASON」で歌手デビューし、女優活動と並行して芸能活動を開始。’88年、アルバム『ミーハー』収録曲「ミーハー」で初めて作詞を手掛け、入院経験をもとに書いた「ザ・ストレス」で個性的な歌詞が注目され、以降ほぼ全曲を自ら作詞。’89年に「17才」がヒットし、’92年の「私がオバさんになっても」や『ROCK ALIVE』ツアーで全国を巡り、生音主体の演奏とコスプレを取り入れた独自のステージを展開した。

岡田有希子

1984年4月、シングル『ファースト・デイト』でアイドル歌手としてデビュー。同年の『ザ・ベストテン』や『ザ・トップテン』に出演し、デビュー曲や2枚目シングル『ヤング・ボーイ』で新人賞を総なめにした。’85年から全国コンサート『ハートにキッス』や『ファンタジアン』を開催し、多忙な中でドラマ出演もこなした。’86年1月に発売した『くちびるNetwork』はカネボウ化粧品春のバザールのCMソングに採用されオリコン初登場1位となる。絶頂期であった同年の突然の自死は大きな社会問題となった。

本田美奈子

中学時代に『スター誕生!』に出場し、松田聖子らの曲を歌ったが合格には至らなかった。その後原宿でスカウトされ、1985年「殺意のバカンス」でデビュー。5枚目のシングル「1986年のマリリン」が大ヒットし、アイドルとして人気を集める。その後ロックやミュージカルへと活動を広げ、『ミス・サイゴン』や『レ・ミゼラブル』で高い評価を得た。2003年にはクラシックアルバム『AVE MARIA』を発表し新境地を開いたが、急性骨髄性白血病を発症し、2005年、惜しまれながら38歳で逝去した。

松本伊代

中学3年の時に原宿でスカウトされ、1981年に『たのきん全力投球!』の田原俊彦の妹役で芸能界デビュー。同年「センチメンタル・ジャーニー」で歌手デビューし、一躍人気アイドルとなる。翌’82年には多くの新人賞を受賞し、「花の82年組」の一員として活躍した。’83年「時に愛は」がヒットし、以後もバラエティ番組で幅広く活動。’85年には自身のショップを開き、’93年にお笑いタレントのヒロミと結婚。2000年代以降もタレント活動を続けている。

早見優

1980年に当時住んでいたハワイでスカウトされ、山口百恵に憧れて単身帰国しサンミュージックに所属する。’82年に「急いで!初恋」で歌手デビュー。「花の82年組」の一員として注目を集め、日本レコード大賞新人賞を受賞した。’83年、コカ・コーラのCMソング「夏色のナンシー」がヒットし紅白に初出場、CNNにも紹介された。歌手と学業を両立する才色兼備のアイドして活動し、上智大学を卒業後に国際交流活動にも積極的に参加。’96年に結婚して母となり、2005年には松本伊代・堀ちえみと「キューティー★マミー」を結成した。現在もタレント活動を続ける。

菊池桃子

1984年、映画『パンツの穴』で注目を集め、同年「青春のいじわる」で歌手デビュー。親しみやすい雰囲気で人気を得、デビュー年に「SUMMER EYES」「雪にかいたLOVE LETTER」などがヒット、日本レコードセールス大賞女性新人賞を受賞した。’85年の「卒業-GRADUATION-」「もう逢えないかもしれない」から’87年まで7作連続でオリコン1位を記録し、資生堂や江崎グリコ、日立製作所など大手企業のCMキャラクターにも起用されCMや雑誌でも活躍。武道館公演はビートルズの公演の観客動員数を抜き最年少記録を樹立、トップアイドルの地位を確立した。

 石川秀美

1982年「妖精時代」でデビューし新人賞を受賞、松本伊代や小泉今日子、中森明菜らとともに「花の82年組」の一員として歌番組やドラマなどで活躍した。初期は松本隆作詞によるアイドルポップスを歌ったが、’85年頃からロック寄りの楽曲に挑戦し歌唱力を発揮した。後半はライブやアルバム制作に力を入れ、ドラマ出演でも注目された。’89年に薬丸裕英との交際が報じられ、1990年に婚約・結婚し出産を発表。その後は芸能界に本格復帰せず事実上引退した。

三田寛子

京都市出身で、1980年に雑誌『セブンティーン』のモデルに合格し上京。翌’81年、TBSドラマ『2年B組仙八先生』で俳優デビューした。’82年には酒井政利のプロデュースにより「駈けてきた処女」で歌手デビューし、早見優や松本伊代らとともに「花の82年組」と呼ばれた。その後『笑っていいとも!』で天然キャラクターとして人気を博し、『YOU』の司会や数々のドラマに出演するなど幅広く活躍した。’91年、歌舞伎役者の中村芝翫と結婚し梨園の妻となるが、近年も”元アイドル”としてメディア活動を続ける。

今井美樹

1983年にファッション誌『エムシーシスター』(mc Sister) のモデルとして活動を始め、’84年にドラマ『輝きたいの』で女優デビュー。’86年『黄昏のモノローグ』で歌手デビューし、翌年のアルバム『elfin』でブレイクした。資生堂のCMソング『彼女とTIP ON DUO』などのヒットを重ね、’91年ドラマ『あしたがあるから』の主題歌「PIECE OF MY WISH」で初のミリオンを記録。’92年以降は久石譲や布袋寅泰らと制作を行い、’96年「PRIDE」が最大のヒットとなった。’99年に布袋寅泰と結婚した。

森川由加里

1984年『ポッパーズMTV』のアシスタントとしてテレビ初出演し、’87年「雨のカルメン」で歌手デビュー。同年「SHOW ME」がドラマ『男女7人秋物語』の主題歌となり大ヒットした。以後、ボーイッシュなキャラクターでバラエティやドラマでも活躍し、全国ツアーや学園祭ライブを精力的に行った。’90年からはラジオ番組を通じてコンサートツアーを続け、「夢 元気!?」で賞を受賞。’90年代はライブ活動を中心に音楽を継続し、舞台や海外取材番組にも出演。2013年に布施明と結婚した。

石井明美

アルバイトで六本木のクラブ歌手をしていた際にスカウトされ、1986年に研音へ所属。同年ドラマ『男女7人夏物語』主題歌「CHA-CHA-CHA」でデビューし、80万枚を超える大ヒットを記録した。翌年には選抜高校野球の入場行進曲にも採用され、一躍人気歌手となった。’90年には「ランバダ」がヒットし、写真集出版や結婚・出産など話題も多かった。2000年代以降はユニット活動や再婚を経て、現在もコンサート「夢スター春・秋」に出演し歌手として活動を続けている。

伊藤智恵理

1987年、ドラマ『あぶない刑事』にゲスト出演後、同年『キスより簡単』にレギュラー出演し、挿入歌「パラダイス・ウォーカー」で歌手デビューした。「トキメキがいたくて」「夢かもしれない」などを発表し、’90年「天気になれ」が最後のシングルとなった。並行してバラエティやCMでも活躍。’96年に“Chieri”として音楽活動を再開し、アルバム『SKY SONGS』を発表。2000年以降は女優・タレント活動や記念ライブを行い、2015年に結婚し現在は家庭を中心に暮らしている。

麻倉未稀

中学から歌手を志し上京後、モデル活動を経て1981年「ミスティ・トワイライト」でデビューした。“都会派美人シンガー”として注目され、「黄昏ダンシング」で『ザ・ベストテン』に登場。’83年「フラッシュダンス」、’84年「ヒーロー」が大ヒットし、“洋楽カバーの女王”と呼ばれる存在となった。’90年代以降は写真集や映画で大胆な表現に挑戦する一方、ミュージカル女優としても活動を広げ、『麗しのサブリナ三姉妹物語』『アニー』などに出演した。

森口博子

福岡でスクールメイツに所属しバックダンサーを経験、数多くのオーディションに挑戦した末、1985年『勝ち抜き歌謡天国』で準優勝し、同年「水の星へ愛をこめて」で歌手デビューした。アニメ『Ζガンダム』の主題歌としてオリコン16位を記録したが、その後ヒットに恵まれず苦難を味わう。’88年『鎧伝サムライトルーパー』の「サムライハート」で再び注目を集め、アニメソング歌手として地位を築いた。以降は歌手、女優、バラエティで幅広く活動を続けている。

中山忍

姉・中山美穂を見送りに行った空港でスカウトされ、1988年ドラマ『オトコだろッ!』で女優デビュー、同年「小さな決心」で歌手デビューした。アイドルユニットでも活動したが’90年に歌手活動を休止し、以降は女優に専念。『刑事貴族3』などで清純派女優として人気を得た。’95年『ガメラ 大怪獣空中決戦』で鳥類学者役を演じて評価され、日本アカデミー賞優秀助演女優賞ほか多数を受賞。以後ドラマや映画、舞台で幅広く活躍を続けている。

細川直美

1988年「第2回全日本国民的美少女コンテスト」でグランプリを受賞し芸能界入り。アイドル歌手として新人賞レースにも参戦し、田村英里子や島崎和歌子らと同期デビューした。’93年のNHK朝ドラ『かりん』でヒロインを務め人気を獲得し、その後は女優として活躍。2002年に俳優の葛山信吾と結婚し、2女をもうける。結婚発表時には葛山の出演作『真珠夫人』と絡めた報道も話題となり、公私ともに注目を集めた。

マルシア

1985年、ブラジルで『TBS歌謡選手権』で準優勝し、翌年『外国人歌謡大賞』優勝を機に来日。作曲家猪俣公章の内弟子となる。’89年「ふりむけばヨコハマ」でデビューし、多くの新人賞を受賞して注目を集めた。その後はドラマやバラエティでも活躍し、女優・タレントとしても幅を広げる。’94年に大鶴義丹と結婚し、’97年に女児を出産するが2004年に離婚。離婚後も娘のため大鶴姓を名乗り活動を続けている。

秋本奈緒美

ジャズ好きの父の影響で幼少より同ジャンルに親しみ、サラ・ボーンに感銘を受け歌手を志す。長戸大幸にデモを送り続け、1982年にビクターからジャズ歌手としてデビュー。翌年『オールナイトフジ』初代司会を務め広く知られる存在となり、女優としても多彩に活動する。’90年代にはヌード写真集を発表し注目を集め、2019年には22年ぶりのアルバムをキングレコードから発売した。

西田ひかる

幼少期から13歳までを米ロサンゼルスで過ごした。アメリカンスクール・イン・ジャパン在学中にチアリーダーとして活動し、1979年にはスティーヴィー・ワンダーの楽曲「愛の園」でコーラス参加を経験した。’88年、日本エアシステム(JAS)のキャンペーンガールとしてデビューし、同年「フィフティーン」で歌手デビュー。清純派アイドルとして人気を集め、ドラマや映画にも出演。’91年、ドラマ『デパート!夏物語』の主題歌「ときめいて」がヒットし、第42回NHK紅白歌合戦に初出場。以後も「人生変えちゃう夏かもね」などCMソングがヒットした。デビュー直後から続くチャリティバザーを通じ、長年にわたり寄付活動も行っている。

大西結花

中学時代に「ミス・ロックンローラー・コンテスト」で準優勝後、スカウトされ芸能界入り。1984年、テレビドラマ『家族の晩餐』で女優デビューし、翌’85年にシングル『アラベスク・ロマネスク』でアイドル歌手デビューを果たした。第12回横浜音楽祭新人奨励賞を受賞し、デビュー時のキャッチフレーズは「不思議チック少女」。ドラマでは早熟や不良少女役で注目され、’85年公開の相米慎二監督『台風クラブ』で第7回ヨコハマ映画祭最優秀新人賞を受賞した。

伊藤麻衣子

1982年、ミスマガジンコンテスト初代グランプリを受賞し、’83年にシングル『微熱かナ』でアイドル歌手デビュー。デビュー時のキャッチコピーは「1億人のクラスメイト」で、以後シングルやアルバムを多数リリースしたが、同年デビュー組に目立ったヒットは少なく「不作の83年組」とも呼ばれた。’95年に芸名をいとうまい子に変更し、2000年代以降はバラエティ番組に活動の中心を移し、『お昼ですよ!愛・地球博』や『バイキング』などに出演。2016年3月に同番組を卒業するまで幅広く活躍した。

森尾由美

『Seventeen』の読者モデルとしてスカウトされ、1982年にフジテレビドラマ『ねらわれた学園』で女優デビュー。’83年にシングル「お・ね・が・い」でアイドル歌手デビューし、CM出演や『オールナイトフジ』司会、『元気が出るテレビ!!』などバラエティでも活躍した。’90年代にはトレンディドラマやTBS『愛の劇場シリーズ』の五つ子の母役で注目され、同枠の主演最多記録を持つ。声優としても『こちら葛飾区亀有公園前派出所』の秋本・カトリーヌ・麗子役を10年以上演じ、日本在住ながら活動を続けている。

甲斐智枝美

1979年、日本テレビ『スター誕生!』で第29代グランドチャンピオンを獲得し芸能界入り。’80年、ホリプロ所属のアイドルとしてシングル「スタア」で歌手デビューし、キャッチフレーズは「KIRARI!瞳が語る」、愛称は「チェミイ」。’81年にはキャンペーン曲「Si! Si! C!」を発売したが、シングルのオリコン最高位は103位とヒットには恵まれず、歌手活動を縮小。その後は女優・タレント業に重心を移し、『GOGO! チアガール』『野々村病院物語』『高校聖夫婦』などドラマに出演。’87年には『見上げればいつも青空』でヒロインを務め、クイズ番組司会など多方面で活動した。

北原佐和子

『mcシスター』の読者モデルを経てオスカープロモーションにスカウトされ、1981年にミス・ヤングジャンプに選ばれグラビアデビュー。同年アイドルユニット「パンジー」を結成し、’82年18歳の誕生日にシングル「マイ・ボーイフレンド」でソロ歌手デビュー、「さわやか恋人一年生」のキャッチフレーズで’85年までにシングル10作、アルバム6作を発表。「花の82年組」の一人として人気を得た後、女優に転身し、時代劇や東海テレビ昼ドラに出演。20代から介護やボランティアに関心を持ち、2007年にホームヘルパー2級、2014年に介護福祉士資格を取得。介護現場の経験を生かし著書執筆や講演活動も行っている。

工藤夕貴

歌手井沢八郎の長女として生まれ、小学6年で渋谷でスカウトされ芸能界入り。TBS「ザ・ヒットステージ」でデビューし、毒舌中学生として注目され、CM「お湯をかける少女」で人気を得た。1984年『逆噴射家族』で映画出演し、挿入歌「野生時代」で歌手デビュー。翌年『台風クラブ』主演で高評価を受け、若手実力派女優として注目された。さらに声優やラジオパーソナリティとしても活動し、’90年『戦争と青春』で日本アカデミー賞優秀主演女優賞、ブルーリボン賞主演女優賞などを受賞した。

伊藤つかさ

子役として活動後、1980年『3年B組金八先生』で注目され、’81年「少女人形」で歌手デビューし人気アイドルとなる。’84年にビクターへ移籍し’86年まで音楽活動を続け、以後は女優業や声優にも進出。2002年に写真集でヌードを披露し話題となり、2006年に20年ぶりに歌手復帰。近年は過去音源の再発売や舞台出演など幅広く活動を続けている。

つちやかおり

1979年『3年B組金八先生』で女優デビューし、’82年「恋と涙の17才」で歌手デビューした。その後はドラマやバラエティ、グラビアなどで活躍したが、’91年に布川敏和と結婚し専業主婦となる。2012年に約20年ぶりに芸能界復帰を発表し、2014年に離婚を公表。近年はSNSや配信企画にも参加し活動を続けている。

石野陽子

高校在学中にスカウトされ芸能界入りし、1985年「テディーボーイ・ブルース」で歌手デビューした。石野真子の妹として当初から注目を浴び、歌唱に苦手意識を持ちながらもアイドルとして人気を得た。女優としてはドラマ『セーラー服通り』主演でブレイクし、志村けんとの掛け合いが光る『志村けんのだいじょうぶだぁ』でお茶の間の人気者となる。以降もテレビ・舞台に活動の場を広げ、2003年『てるてる家族』でスケートコーチ役、2020年『おちょやん』では芝居茶屋の女将役を好演し、幅広い演技力を示した。

中村由真

1985年ホリプロスカウトキャラバンで注目され、翌年「ヤングジャンプ」サマークイーンコンテストで1位となり芸能界入りした。’86年、ドラマ『スケバン刑事III』で風間三姉妹の次女・由真役を演じブレイク。’87年挿入歌「ジレンマ」で歌手デビューし、「シビアー」「パニック」なども発表。浅香唯・大西結花と結成したユニット「風間三姉妹」で主題歌「Remember」がオリコン1位を獲得し、人気アイドルとして活動した。

田中律子

12歳でモデルデビューし、1985年に『鶴ちゃんのいちごチャンネル』でテレビ初出演、ドラマでも女優として活動を始めた。’88年、筒美京平プロデュース「FRIENDSHIP」で歌手デビューし、シングル11枚とアルバム5枚を発表。同期はWinkや西田ひかるら。’89年『愛しあってるかい!』出演で注目され、’91年『101回目のプロポーズ』で人気女優となった。以後は女優業を中心にバラエティや司会でも活躍し、現在も幅広く活動を続けている。

 安田成美

中学時代にスカウトされ、1981年にCMでデビュー。’83年『風の谷のナウシカ』イメージガールに選ばれ、翌年同作のイメージソング「風の谷のナウシカ」で歌手デビューしオリコン10位のヒットとなった。’89年以降は『同・級・生』『素顔のままで』などトレンディードラマで主演し人気を確立。’94年に木梨憲武と結婚し、出産で一時休業したが2000年にドラマで復帰。以降も女優として活動を続ける一方、カフェ経営にも携わっている。

宮沢りえ

11歳でモデルとして活動を始め、1985年に明星食品CMで芸能界入り。’87年に初代リハウスガール”白鳥麗子”として注目を集め、’88年映画『ぼくらの七日間戦争』主演で女優デビュー、日本アカデミー賞新人賞を受賞した。’89年ドラマ初主演と同年「ドリームラッシュ」で歌手デビューし、翌年のシングルはオリコン1位を獲得、紅白にも出場した。’91年写真集『Santa Fe』が150万部超の大ヒットを記録し社会現象となった。’92年に貴乃花と婚約するが短期間で解消、’94年には流行語大賞も受賞するなど話題を集めた。

三原 順子

小学校時代から劇団で演技を学び、1979年『燃えろアタック』で本格的に女優デビュー。同年『3年B組金八先生』で不良少女役を演じ、セリフ「顔はやばいよ、ボディやんな」で注目を集めた。’80年「セクシー・ナイト」で歌手デビューしヒットを記録、以降も「いとしのサマーボーイ」などを発表した。アイドルらしからぬ大胆な発言や行動が話題となり、後にロックバンド活動や作詞にも取り組む。2010年には自民党から参議院議員選挙に立候補し、初当選を果たした。

松任谷由実


1972年、自身の作詞・作曲による『返事はいらない』で歌手デビュー。’75年、作家として提供した「いちご白書をもう一度」がオリコン1位を獲得すると注目され、TBSドラマの主題歌で6枚目のシングル『あの日にかえりたい』もオリコン1位を獲得。ここから過去の楽曲にも注目が集まり荒井由実ブームが到来、ニューミュージック界を牽引するアーティストとして快進撃が始まる。’76年に音楽プロデューサーの松任谷正隆と結婚し松任谷由実に改名。”呉田軽穂”の名で多くの歌手にも楽曲を提供し、発表される曲の殆どが名作として時代を超えて支持され、デビューから半世紀以上が経った現在も、ニューミュージック界のカリスマ的存在として活動を続ける。

中島みゆき


1975年、「アザミ嬢のララバイ」でレコードデビュー。同年『ポピュラーソング・コンテスト』で「時代」がグランプリを受賞し、歌手・作詞作曲家として注目を集める。’76年にファーストアルバム『私の声が聞こえますか』を発表、研ナオコへの提供曲「LA-LA-LA」「あばよ」などでソングライターとしても成功。’77年「わかれうた」がヒットし、歌手としての地位を確立する。代表作として’81年「悪女」がオリコン1位、’94年「空と君のあいだに」が147万枚のヒット。2000年にヤマハミュージックコミュニケーションズに移籍し、「地上の星/ヘッドライト・テールライト」がロングヒット。2006年芸術選奨文部科学大臣賞、2009年紫綬褒章を受章し、現在も精力的に作曲・歌手活動を続ける。

五輪真弓


芸術の発信地として知られた渋谷の小劇場のオーディションで歌唱したのをきっかけに1972年10月、CBS・ソニーからアルバム『少女』と同名シングルで歌手デビュー。オリコン最高6位を記録し「和製キャロル・キング」と称され、日本女性シンガーソングライターの草分けと評された。’76年にはフランスでアルバム制作に臨み、全フランス語アルバム『えとらんぜ』を発表、サルヴァトール・アダモのオランピア劇場公演にもゲスト出演する。’78年「さよならだけは言わないで」のヒットを機にテレビ出演が増加。’80年、B面予定の「恋人よ」がA面として発売され大ヒット、第22回日本レコード大賞金賞を受賞。以来コンサート活動を精力的に続け、日本のポップ・フォーク界で確固たる地位を築いた。

杏里


1978年、17歳でフォーライフ・レコードから「オリビアを聴きながら」でデビュー。歌唱力は高く評価されたが、初期はセールスが伸び悩み、曲調を変えながら定期的に作品を発表した。’82年、バックバンドの小林武史作曲の「思いきりアメリカン」が花王のCMで使用されヒットし、「夏」「海」のイメージが定着。’83年、角松敏生にプロデュースを委ねた5枚目アルバム『Bi・Ki・Ni』で洗練された音楽性を確立。8月にはアニメ『キャッツ♥アイ』主題歌「CAT’S EYE」を発売し初のオリコン1位を獲得、続く「悲しみがとまらない」とともにベスト10入りを果たす。同年12月には両曲を収録したアルバム『Timely!!』がオリコン1位となり、初出場の第34回NHK紅白歌合戦で不動の地位を確立した。

竹内まりや


1978年、23歳でシングル「戻っておいで・私の時間」とアルバム『BEGINNING』でデビュー。当時はアイドル的役割も担ったが、’79年の「SEPTEMBER」が長期チャートインし新人賞を受賞、サンレモ音楽祭にも出場した。’80年には「不思議なピーチパイ」がヒットし、自ら作詞作曲も手がけるようになるが、アイドル的活動に悩み、’81年には過酷なスケジュールで喉を痛め一時休業。’82年に山下達郎と結婚しメディア露出を減らす一方で作詞・作曲家として活動を開始。’84年、全曲自作のアルバム『VARIETY』をリリースしヒット、娘も誕生した。その後は家庭を優先しつつ、薬師丸ひろ子「元気を出して」、中山美穂「色・ホワイトブレンド」など多数のヒット曲を提供し、シンガーソングライターとして確固たる地位を築いた。

渡辺真知子


1975年、高校在学中にヤマハ主催『第9回ポピュラーソングコンテスト』に「オルゴールの恋唄」で出場し特別賞を受賞。’77年、洗足学園短期大学音楽科卒業後、同年11月にシングル「迷い道」でデビュー。’78年にはセカンドシングル「かもめが翔んだ日」が大ヒットし、第20回日本レコード大賞最優秀新人賞を受賞、音楽祭13賞も獲得。同年に「ブルー」、’79年に「たとえば…たとえば」「別れて そして」などヒットが続く。’80年の「唇よ、熱く君を語れ」はカネボウCM曲としてヒットし、軽快で力強い曲調が”女性の時代”を象徴する楽曲と評され、デビュー直後からシンガーソングライターとして順調にキャリアを築いた。

髙橋真梨子


中洲のナイトクラブに出演していた1972年、「ペドロ&カプリシャス」のペドロ梅村にスカウトされ前野曜子の後任として二代目ボーカルに参加。当時は芸名「高橋まり」。’73年に「ジョニィへの伝言」「五番街のマリーへ」がロングヒットとなる。’78年にペドロ&カプリシャスを脱退し、ソロ歌手「髙橋真梨子」として活動を開始。同年11月にシングル「あなたの空を翔びたい」でデビューし’79年から全国ツアーを開始。2019年まで41年間連続で開催し、2000人以上収容の大規模ホールで年間25公演以上を継続する唯一の女性ソロ歌手として昭和、平成、令和の3時代にわたりトップアーティストとして活動を続けている。

大橋純子


1974年に北海道から上京し、ヤマハ音楽振興会で働きながら仲間とバンド活動を始めた。同年アルバム『フィーリング・ナウ』でデビューし、尾崎紀世彦のツアーに同行して経験を積む。’76年にアルバム『ペイパー・ムーン』で初ヒットを得て、翌年には「大橋純子&美乃家セントラル・ステイション」として「シンプル・ラブ」をヒットさせた。’78年にはドラマ主題歌「たそがれマイ・ラブ」が大ヒットし、日本レコード大賞金賞を受賞。続く「サファリナイト」も支持を集めた。’79年に作曲家佐藤健と結婚し、「ビューティフル・ミー」で『NHK紅白歌合戦』に初出場。’81年発表の「シルエット・ロマンス」が’82年にかけてロングヒットとなり、最優秀歌唱賞を受賞するなど、歌唱力と表現力で高い評価を確立した。

八神純子


1974年の『ヤマハポピュラーソングコンテスト』で「雨の日のひとりごと」「幸せの時」の2曲同時入賞を果たし、同年にシングル「雨の日のひとりごと」でプレ・デビュー。’78年1月、20歳の誕生日に「思い出は美しすぎて」で本格デビューし、アルバムもヒットした。次作は不発となったが、同年9月の「みずいろの雨」が有線やラジオで支持を得て人気が急上昇し、『ザ・ベストテン』出演を機に全国区でブレイク。明るいトークで司会陣に親しまれ、存在感を高めた。「みずいろの雨」はオリコン2位、60万枚を売り上げる大ヒットとなり、同年末にリスナーズグランプリ最優秀新人賞を受賞。透明感ある歌声と確かな実力でシンガーソングライターとしての地位を確立した。

葛城ユキ

1973年、朝霧マチ名義で第6回ヤマハポピュラーソングコンテストに出場し「小さな出発」で歌唱賞を受賞。翌年に葛城ゆきと改名し、第7回同大会で「木曾は山の中」を歌い最優秀賞を獲得、さらに世界歌謡祭でも川上賞を受賞し、’74年にメジャーデビューした。当初はニューミュージック系の作品を発表したが、’70年代後半に「ユキ」と改名。’80年にはボニー・タイラーの楽曲をカバーした「哀しみのオーシャン」がヒットし、アルバム『寡黙』を発表。’83年には「ボヘミアン」をカバーして大ヒットさせ、力強い歌声で代表曲となった。

中村あゆみ

1984年、高校3年で高橋研プロデュースの「MIDNIGHT KIDS」でデビュー。翌’85年に「翼の折れたエンジェル」が日清カップヌードルのCMに起用され大ヒットし、一躍注目を集めた。’85年夏にはREBECCAとのジョイントライブを行い、以後8月31日を「AYUMIDAY」として武道館などで恒例ライブを開催。代表曲には「ちょっとやそっとじゃCAN’T GET LOVE」「ともだち」、さらに鈴木みのるの入場曲「風になれ」がある。’87年以降は自作曲も手がけ、’94年の結婚、’99年の出産を機に活動を休止するが、2004年に再始動し現在も歌手として活動を続けている。

小林明子

東京大学教授の秘書や音楽出版会社勤務を経て、1984年に作家デビュー。翌’85年「恋におちて -Fall in love-」で歌手デビューし、ドラマ『金曜日の妻たちへIII』の主題歌として大ヒット、レコード大賞作曲奨励賞を受賞した。中森明菜らへの楽曲提供も行う。’88年にはリチャード・カーペンターのプロデュースでアルバム『City of Angels』を発表。’92年に渡英し、holi名義で活動を始め、’94年に元ジャパンのメンバーらとアルバムを制作、’95年にはパッセンジャーズ作品に参加した。2001年に結婚し、同年アルバム『Beloved』を発表。以降も交響楽団やハープとの共演など多彩な音楽活動を展開し、日英を拠点に活動を続けている。

渡辺美里

高校時代にミス・セブンティーンコンテストで歌唱部門を受賞し、1985年にEPIC・ソニーからデビューした。翌年、小室哲哉作曲の「My Revolution」が大ヒットし、一躍人気歌手となる。デビュー直後から西武ライオンズ球場など大規模スタジアムでの公演を成功させ、物怖じしないパフォーマンスで支持を得た。ラジオ番組のパーソナリティーも務め、アイドルとは異なるガールズポップの先駆的存在として活躍した。アルバムは9作がオリコン1位を獲得し、8年連続1位の記録を残している。小室哲哉や岡村靖幸、大江千里ら多くの作家陣と組み、エピックを代表するアーティストとして’80年代後半から’90年代前半の音楽シーンを牽引した。

浜田麻里

1983年、糸井重里のキャッチコピー「麻里ちゃんは、ヘビーメタル。」とともに、LOUDNESS樋口宗孝プロデュースのアルバム『Lunatic Doll〜暗殺警告』でデビューした。女性ロックヴォーカリストの旗手として注目を集め、当時のハードロックとしては異例のセールスを記録した。’85年に初シングル「Blue Revolution」を発表し、セルフプロデュースや全国ツアーも展開。’87年からはロサンゼルスで録音を行い、ポップスを取り入れた幅広い音楽性を示した。’88年にはソウル五輪中継テーマ「Heart and Soul」で初のオリコンTOP10入りを果たし、’89年「Return to Myself」が1位を獲得し代表曲となった。CMやドラマ出演はせず音楽活動に専念し、日本武道館公演を含む大規模ツアーも成功させた。

大貫妙子

東京出身。1973年、山下達郎らとシュガー・ベイブを結成し活動を開始した。グループ解散後の’76年、アルバム『グレイ・スカイズ』でソロデビューを果たす。以降、日本クラウン、RVC、ミディ、東芝EMIと移籍しながら作品を発表し、独自の都会的で洗練されたポップスを築いた。’98年には映画『東京日和』で第21回日本アカデミー賞最優秀音楽賞を受賞し、映画音楽にも活動の場を広げた。2006年には任天堂ゲーム『MOTHER3』の楽曲を収録したCDで歌唱を担当し、同年公開の『劇場版 どうぶつの森』では主題歌「森へ行こう」を歌った。2008年には稲垣潤一と「サイレント・イヴ」をデュエット、2009年には大瀧詠一トリビュートで「君は天然色」をカバーするなど、幅広い活動を続けている。

中原めいこ

幼少期から歌手を志し、中学で作曲を始めた。17歳で郷ひろみのバックコーラスを務めるなど活動経験を積み、’82年に「今夜だけDANCE・DANCE・DANCE」でデビュー。’84年にカネボウのキャンペーンソング「君たちキウイ・パパイア・マンゴーだね。」がヒットし人気を確立するが、多忙により心身を消耗し’88年に活動を休止、’90年に拠点をニューヨークへ移した。’92年の日清パワーステーションでのライブを最後に歌手活動を停止し、その後は楽曲提供に携わるにとどまった。活動休止後はオリジナルアルバムが廃盤となったが、2010年代以降のシティ・ポップ再評価の流れで再発が進み、2022年には全10作品が復刻され再び注目を集めている。

飯島真理

国立音楽大学在学中にデモテープが認められ、歌手デビュー前にアニメ『超時空要塞マクロス』でリン・ミンメイ役を演じて注目を集めた。1983年、坂本龍一プロデュースによるアルバム『Rosé』でデビューし、翌年には劇場版主題歌「愛・おぼえていますか」が大ヒットを記録。以降はアニメ色を離れ、「1グラムの幸福」などを発表し、ライブ活動で「学園祭の女王」と呼ばれるほどの人気を得た。’85年のアルバム『midori』はオリコン2位となり、音楽活動に専念するため大学を中退した。’87年には山下達郎の勧めでMOON RECORDSに移籍し、セルフプロデュースによる『Coquettish Blue』を発表し、TOP10入りを果たした。

小比類巻かほる

幼少期から作曲や作詞に親しみ、10代でセミプロのバンド活動を行っていた。高校生時代、EPIC・ソニーにスカウトされ、1985年10月にシングル「Never Say Good-Bye」でデビュー。翌月にはファースト・アルバム『CALL MY NAME』をリリースするも、当初は大きな成功を得られなかった。売れるために企画会議や宣伝に積極的に関わり、渋谷パルコの壁画広告など新しいプロモーション手法を実践し注目を集めた。また、事務所勤務の傍ら夜間に楽曲制作に励むなど、アーティスト兼クリエイターとしての姿勢を早くから確立した。

岡村孝子

1981年、椙山女学園大学在学中に加藤晴子とデュオ「あみん」を結成。’82年、ポプコンで「待つわ」によりグランプリを受賞しデビュー。同曲は年間オリコン1位を記録した。’83年にあみん活動を休止後、上京してソロ活動を開始。’85年、ファンハウスよりソロデビュー。’86年に来生たかおのカバー「はぐれそうな天使」がCM起用され人気が高まり、’87年発表の「夢をあきらめないで」は応援歌として幅広い層から支持され代表作となった。楽曲は中学校の教科書にも採用されている。’90年代初頭にはOL世代の共感を集め「OLの教祖」と称され、ソロ活動を中心に歌詞や楽曲制作を続ける一方、2007年にはあみんとしても活動を再開した。

辛島美登里

奈良女子大学在学中の1983年、自作曲「雨の日」でポプコン関西四国地区代表としてグランプリを獲得し、同曲がビクターからシングル発売されデビュー。卒業後は上京しヤマハ音楽院で学びながら、’87年、シングル「Midnight Shout」で正式デビューした。’89年、シングル「時間旅行」を発売し歌手活動が本格化。’90年には「笑顔を探して」がアニメ『YAWARA!』主題歌、「サイレント・イヴ」がドラマ『クリスマス・イブ』主題歌となり、「サイレント・イヴ」はオリコン1位を獲得、日本ゴールドディスク大賞ベスト5シングル賞も受賞した。以降、ヒット曲のリリースに加え、NHK-FMやTBSラジオでDJも務め、作詞・作曲活動と歌手活動を両立させている。

椎名恵

1981年、「及川ちさ」名義でポプコンに出場し川上賞を受賞したことをきっかけに上京し本格的に音楽活動を開始。’83年には「ピーマンキッス」がフジテレビ『ひらけ!ポンキッキ』で放映された。’86年1月、シングル「今夜はANGEL」で歌手・椎名恵としてデビューし、『夜のヒットスタジオDELUXE』や『ザ・ベストテン』に出演。以降、ドラマ主題歌やCMタイアップ曲がヒットし実力派シンガーとして認知される。’88年には「お誕生日おめでとう」がNHK『みんなのうた』で放映。。2000年にはボーカルユニット“Voice of DREAM 2000”に参加しドラマ主題歌を担当。同年シングル「初恋と青空 toy box 〜classical〜」をリリースし、富良野チャペルコンサートにも出演。現在も活動を継続している。

谷村有美

幼少よりピアノやクラシックバレエに親しみ、小学校4年でビートルズのコピーバンドに参加、13歳で単身渡米。慶應義塾大学在学中の1986年、CBS・ソニー主催オーディション「ティーンズ・ポップ・コンテスト」で優勝し、’87年11月にシングル「Not For Sale」とアルバム『Believe In』でデビュー。歌手活動と並行してラジオDJやテレビ司会、エッセイ執筆、陶芸・書道など多方面で活躍した。’98年末から約2年間活動を休止し渡米してボイストレーニングに励むが、カラオケで歌う中で歌への情熱を再確認し2000年10月に活動を再開。以降もチャリティー活動やライブ出演など幅広く取り組んでいる。

山下久美子

1980年、博多のクラブで歌っていたところをスカウトされ、シングル「バスルームから愛をこめて」と同名アルバムで日本コロムビアからデビュー。’82年にシングル「赤道小町ドキッ」がヒットし注目を集めた。’85年に布袋寅泰と結婚、ジョイントコンサートに出演するなど活動を続けるが、’88年にライヴ『stop stop rock’n’roll』を最後に一時休止。’91年に活動を再開し、東芝EMIに移籍してシングル「Tonight (星の降る夜に)」とアルバム『JOY FOR U』を発表。’92年よりテレビドラマ出演など女優業にも挑戦。’97年に布袋と離婚、その後もCMやライブ出演、楽曲提供・コラボレーションアルバム『&Friends』シリーズなど多方面で活動を続けている。

EPO

1980年3月、シュガー・ベイブのカバーシングル『DOWN TOWN』でデビュー。同曲はフジテレビ『オレたちひょうきん族』のエンディングテーマに採用され、知名度を急上昇させた縁で「タケちゃんマンの歌」なども手掛けた。デビュー当初はグラビア出演も経験し、アイドル的要素も持ちながら活動した。’83年には資生堂CMソング「う、ふ、ふ、ふ、」が大ヒットし、代表曲となる。’84年からは他アーティストへの楽曲提供も始め、高見知佳の「くちびるヌード」や香坂みゆきの「ニュアンスしましょ」が資生堂CMに使用されるなど、歌手活動と作曲活動の両面で活躍した。

美空ひばり


1937年5月29日に神奈川県横浜市で生まれ、9歳でレコードデビューを果たす。’49年、11歳の時にコロムビアから「河童ブギウギ」でレコードデビューし、その後「悲しき口笛」などのヒット曲で一躍スターとなった。映画にも多数出演し、「東京キッド」「リンゴ追分」「港町十三番地」などの名曲を生み出した。’50年代から’60年代にかけては映画、舞台、テレビなど多方面で活躍し、歌謡界の女王としての地位を確立した。彼女の歌唱力と表現力は、当時の音楽シーンに大きな影響を与えた。’89年6月24日に52歳で逝去したが、彼女の音楽と映画は今もなお多くの人々に愛され続けている。没後には国民栄誉賞を受賞し、その功績が讃えられた。彼女のディスコグラフィーや詳細な情報は、日本コロムビアの公式サイトで確認できる。

小林幸子


1964年にシングル「ウソツキ鴎」でデビューし、20万枚を売り上げるヒットとなる。’79年に「おもいで酒」が大ヒットし、紅白歌合戦にも初出場を果たした。以降、紅白には2011年までに33回出場し、’88年と2004年には大トリを務めるなど長年にわたり活躍。’80年代から’90年代にかけては「雪椿」や「越後情話」などのヒット曲に恵まれ、演歌界のトップ歌手としての地位を確立。また、豪華な衣装での紅白出演や派手な演出で注目を集め、視覚的にも話題となった。2000年代以降も演歌からポップス、アニメソングまで幅広いジャンルで活動を展開している。

テレサ・テン


1953年1月台湾の雲林県で生まれた。10歳の時に台湾の素人のど自慢で優勝し、その後も各地のコンテストで優勝を重ねて注目を集め、14歳で歌手デビュー。レギュラー番組を持つなど台湾のエンターテインメント業界からアジア全域に活動の場を広げ”アジアの歌姫”と呼ばれる。日本では’74年、21歳の時に「今夜かしら明日かしら」でデビューし、2作目の「空港」で人気が高まり、翌年の「時の流れに身をまかせ」が大ヒット。これらの楽曲は彼女の代表作となり、日本の音楽シーンでも高く評価された。その後「つぐない」などもヒットし、彼女の音楽は広く親しまれた。’95年5月、急性喘息により香港で逝去するも、今も尚その存在は多くの人々に愛され続ける。

八代亜紀


中学卒業後に熊本でバスガイドとして就職するが、人前で話すのが苦手で3か月で退職。その後キャバレー歌手を経て上京し、銀座のクラブで歌っていた際に五木ひろしの紹介で芸能プロと出会い、1971年「愛は死んでも」でデビュー。日本テレビ『全日本歌謡選手権』で10週連続勝ち抜きグランドチャンピオンとなり注目を集め、’73年「なみだ恋」が120万枚の大ヒット。トラック野郎のアイドルとしても人気を博す。以降も「おんな港町」「愛の終着駅」などを発表し人気を確立。’79年「舟唄」、’80年「雨の慕情」が特に評価され、後者で日本レコード大賞を受賞、紅白歌合戦では2年連続大トリを務め「演歌の女王」と称された。晩年はジャズ、ブルースなども歌うようになりファン層を広げた。2023年12月、指定難病を患い73歳で逝去した。

石川さゆり


1972年、中学3年の夏休みに「ちびっ子歌謡大会」で合格しホリプロにスカウトされ芸能界入り、同年ドラマ『光る海』で女優デビューする。’73年に、桜田淳子と同じ白いエンジェルハットをトレードマークに「かくれんぼ」で歌手デビューするが、森昌子・山口百恵・桜田淳子ら同世代の人気に押され苦戦した。その後、二葉百合子に師事し基礎から学び直し、民謡や日舞にも取り組んで歌の表現力を磨いた。’77年「津軽海峡・冬景色」が大ヒットし数々の音楽賞を受賞、NHK紅白歌合戦に初出場を果たす。続く「能登半島」「沈丁花」なども成功し、’80年代には「波止場しぐれ」「天城越え」「夫婦善哉」「風の盆恋歌」などの代表曲を発表、日本を代表する演歌歌手の地位を確立した。

瀬川瑛子


股旅歌謡やマドロス歌謡で人気を博した歌手・瀬川伸の娘として育ち、5歳から父の指導で歌を学び、父のステージの前座を経て1967年「涙の影法師」でデビューした。当初は「瀬川映子」を名乗り、地道に活動を重ねる。’70年「長崎の夜はむらさき」が50万枚のヒットとなるが、その後は低迷期を迎える。’83年には作曲家・船村徹の計らいで「矢切の渡し」を競作で歌い30万枚を売り上げ、再び注目を集めた。’86年「命くれない」が大ヒットし、翌年のオリコン年間1位・累計170万枚の大記録を達成、「一途に添い遂げる女」を歌う代表曲となった。その後も演歌歌手として活動を続け、日本歌謡界に確かな足跡を残した。

小柳ルミ子


宝塚音楽学校を首席で卒業後、1971年「わたしの城下町」でデビュー。160万枚を売り上げ同年のオリコン年間1位となり、日本レコード大賞最優秀新人賞を受賞した。翌年の「瀬戸の花嫁」も大ヒットし、日本歌謡大賞を獲得。その後も「京のにわか雨」などヒットを重ね、天地真理、南沙織と並ぶ「新三人娘」として人気を博した。’70年代半ば以降「星の砂」「お久しぶりね」など多彩な楽曲で新境地を拓き、実力派歌手として評価を確立。’71年から’88年まで18年連続で紅白に出場した。女優としても『誘拐報道』『白蛇抄』で日本アカデミー賞を受賞するなど高い評価を得、志村けんとのコントなど
での活躍でも広く親しまれた。

森昌子


1971年『スター誕生!』に13歳で出場し、初代グランドチャンピオンとなる。父の反対を説得しホリプロに所属し、’72年「せんせい」でデビュー。当時のヘアスタイルはタワシ頭と呼ばれるショートカットで、いじられながらもお茶の間に愛される存在となる。その後デビューした桜田淳子、山口百恵とともに「花の中三トリオ」と呼ばれ、’73年には女性最年少15歳で紅白に出場。映画やバラエティでも活躍。’77年以降は「なみだの桟橋」から演歌路線へ転じ、歌唱力を高める。’83年「越冬つばめ」で日本レコード大賞最優秀歌唱賞を受賞。歌手活動に加え、ドラマ出演など女優としても活動の幅を広げた。

川中美幸


17歳の時、「春日はるみ」として歌手デビュー。歌のうまさが評判となったもののアイドル全盛期だった当時大きく注目はされず、2年間の活動のみで地元の大阪に戻る。その後、大阪で開催された『ネオン街音楽祭』に出場しグランプリを獲得し再デビューを決意。芸名を「川中美幸」に改め、21歳でシングル「あなたに命がけ」を発表するもヒットに至らず。1980年、24歳で発表した夫婦愛をテーマとするシングル「ふたり酒」がようやく実を結び、ミリオンセラーの大ヒットとなる。下町人情を歌わせたら右に出る者なしと評される。

松村和子

北海道遠別町に生まれ、苫小牧で育つ。高校時代に母から歌を学び、野口五郎に憧れて歌手を志した。1980年4月、「帰ってこいよ」でビクターからデビュー。津軽三味線をギターのように奏でる独自のスタイルと力強い高音による楽曲で”帰ってきた男衆演歌”として注目を集め、同曲は大ヒットし日本レコード大賞新人賞を受賞した。翌’81年には紅白歌合戦に初出場。民謡の要素を活かした演歌で独自の地位を築いた。

日野美歌

幼少期から歌手を志し、小学6年頃から本格的に歌唱を学び始めた。中学時代に『スター誕生!』へ応募するも不合格となるが、歌手への夢を諦めず、湘南女子高等学校卒業後にプロの道を歩む。1982年4月、「私のあなた」でテイチクからデビュー。同年12月、佳山明生との競作「氷雨」が大ヒットし、一躍注目を集める。翌1983年には紅白歌合戦に初出場。1986年には葵司朗とのデュエット「男と女のラブゲーム」が武田薬品工業のCMソングとして話題となりヒット。大人の情感を表現する歌声で、演歌とムード歌謡を融合させた独自のスタイルを確立した。

坂本冬美

1986年『勝ち抜き歌謡天国』で名人となり、「関西演歌大賞カラオケコンクール」でも優勝。番組出演を機に猪俣公章に見出され上京し、約2年間内弟子として修業を積む。’87年「あばれ太鼓」でデビューし、80万枚超を売り上げ、新人賞を総なめにして一躍人気歌手となった。翌年「祝い酒」がヒットし紅白初出場を果たす。以後「男の情話」「火の国の女」など男歌で人気を確立。’94年には三木たかし作曲の「夜桜お七」が大ヒット。紅白で通算8回歌唱し、’96年には初の紅組トリを務めた。

桂銀淑

1977年、高校生で韓国のモデルとしてデビューし、CM出演などで人気を得た。’79年に「歌って踊って」で歌手デビューし、翌年「待っている女心」でMBC新人賞を受賞、アイドル歌手として活躍した。’84年、作曲家・浜圭介に見出され来日し、翌’85年「大阪暮色」で日本デビュー。「すずめの涙」「夢おんな」「酔いどれて」などヒットを連発し、’88年「夢おんな」で日本有線大賞グランプリを受賞。同年から紅白に7年連続出場した。’90年にはアルバム『真夜中のシャワー』で日本レコード大賞アルバム大賞を受賞し、シングル中心の演歌界においてアルバムでも成功を収めた。

松原のぶえ


大分県耶馬溪町出身。幼少期から歌うことを好み、中学生で福岡のタレント養成所に通った。中学3年時に北島音楽事務所にスカウトされ、高校生で上京して歌手を志す。1979年、「おんなの出船」でデビューし、第21回日本レコード大賞新人賞をはじめ数々の新人賞を受賞。情感豊かな表現力で注目を集めた。’89年には女性演歌歌手に贈られるレコード大賞・美空ひばり賞の第1回受賞者となり、演歌界で確固たる地位を築いた。2002年に北島音楽事務所を離れ、自身の事務所「のぶえオフィス」を設立し、以後もステージ活動やテレビ出演など幅広く活躍を続けている。

香西かおり

幼少期から民謡で数々の賞を受賞し、「香西香」名義で民謡のレコードを発表していた。1975年に産経民謡大賞少年少女の部で入賞、翌年に準優勝。’82年に太陽神戸銀行へ入行するが、歌への情熱を捨てきれず退職し上京。’88年、「雨酒場」で演歌歌手としてデビューし、第30回日本レコード大賞新人賞を受賞。同曲はロングヒットとなり注目を集めた。’93年には「無言坂」で日本レコード大賞を受賞し、代表曲となる。以後も「浮寝草」などで高く評価され、演歌のみならずポップスや民謡など幅広いジャンルを歌いこなす実力派歌手として活躍を続けている。

城之内早苗

幼少期から民謡と三味線を学び、中学時代に『全日本演歌選手権』への応募をきっかけにスカウトされた。1985年、フジテレビ『夕やけニャンニャン』のオーディションで合格し、おニャン子クラブの会員番号17番としてデビュー後、’86年6月「あじさい橋」でソロデビューを果たし、演歌としては異例のオリコン初登場1位を記録した。グループ解散後は『走れ!歌謡曲』のパーソナリティや『ものまね王座決定戦』への出演など多方面で活躍。女優としても『江戸を斬る(第8部)』に出演し、’90年代以降はラジオ番組の司会やCM出演など活動の幅を広げた。

伍代夏子

1982年、「星ひろみ」としてデビューするも、事務所の倒産などで一時引退。’85年に「加川有希」名義で平松政次とのデュエット「夜明けまでヨコハマ」で再デビュー。’86年には本名の中川輝美名義で演歌を歌い始め、’87年に「伍代夏子」として再々デビューする。芸名は五木ひろしと八代亜紀にちなむ。「戻り川」が35万枚を超えるヒットとなり、’88年には東西有線の最優秀新人賞をダブル受賞する快挙を達成。’90年「忍ぶ雨」で紅白初出場を果たし、美貌と確かな歌唱力で“美人演歌歌手”としての人気を確立した。夫は役者の杉良太郎。

藤あや子

秋田県出身。小学4年から民謡を習い、高校卒業後も仕事を続けながら民謡歌手として活動した。19歳で秋田県主催の「ミス花嫁コンテスト」で優勝。1985年にNHK『勝ち抜き歌謡天国』で優勝し、’87年に「村勢真奈美」名義で「ふたり川」でデビュー。’89年に「藤あや子」と改名し「おんな」で再デビューした。’92年、「こころ酒」が大ヒットし、第25回日本有線大賞を受賞、紅白歌合戦にも初出場。以後ヒットを連ね、美貌と艶のある歌唱で人気を確立した。2010年には突発性難聴で休養するが、同年10月に復帰。秋田県の「食彩あきた応援大使」にも任命されている。