グループ > 1960年代

─ 主な歌手一覧 (順不同) ─

ハナ肇とクレイジーキャッツ

1955年結成、’59年「スーダラ節」でレコードデビュー。ハナ肇をリーダーとするコメディ色の強い音楽バンドでメンバーは植木等、谷啓、犬塚弘らが名を連ね「スーダラ節」「ハイそれまでよ」など数々のヒット曲を生み出した。人気バラエティ番組『シャボン玉ホリデー』では、音楽とコントを融合した斬新なスタイルでテレビ界にも大きな影響を与えた。

ザ・ドリフターズ

1956年結成、’64年「ドリフのズンドコ節」でレコードデビュー。いかりや長介を中心に結成されたバンド兼コメディグループ。当初は本格的な音楽活動も行い、ビートルズ来日公演では前座も務めた。代表曲は「ドリフのズンドコ節」「いい湯だな」。後にテレビ番組『8時だョ!全員集合』で国民的人気を獲得し、子どもから大人まで幅広い層に支持された。

スリーファンキーズ

1958年デビュー。アイ高野、山下敬二郎、長沢ロー(初期)による3人組男性ボーカルグループ。ロカビリー・ブームの中、アメリカンポップスを日本流にアレンジし人気となる。代表曲は「涙のギター」。当時の若者文化に大きな影響を与え、後のアイドルグループの先駆け的存在だった。

ザ・ピーナッツ

1959年4月デビュー。伊藤エミ・伊藤ユミの双子姉妹によるボーカルデュオ。人気バラエティ『シャボン玉ホリデー』に出演し息の合った美しいハーモニーと可憐なルックスで爆発的な人気を得た。代表曲は「恋のバカンス」「ふりむかないで」など。海外進出にも意欲的で、特にドイツ映画『モスラ対ゴジラ』では小美人役として出演し、世界的にも知られる存在となった。姉の伊藤エミと沢田研二との結婚により引退。

こまどり姉妹

1959年「浅草姉妹」でデビュー。実姉妹のデュオとして、下町の庶民感情を歌った演歌・歌謡で人気を集めた。生活苦から流しをしていた実話が「浅草姉妹」の詞にも反映。芸能界の“シンデレラ・ストーリー”として注目を浴び、テレビや映画にも出演。ド派手な衣装と歯に衣着せぬトークで、長年にわたり愛された姉妹デュオ。

ザ・キングトーンズ

1960年「ミスター・ロンリー」でデビュー。リードの内田正人による圧倒的な低音ボイスと、ソウルフルなコーラスが特徴。’68年「グッド・ナイト・ベイビー」が大ヒットし、和製ドゥーワップの金字塔に。黒人音楽の影響を色濃く受けた本格派グループとして、現在も根強いファンを持つ。

ジャニーズ

1964年12月デビュー。飯野おさみ、あおい輝彦、中谷良、真家ひろみの4人組男性アイドルグループで、代表曲は「若い涙」「涙くんさよなら」。アメリカンスタイルのショービジネスを日本に根付かせることを目指し、ミュージカルやテレビにも積極的に出演し人気となる。「ジャニーズ」という名前自体が、後の事務所名(ジャニーズ事務所)の由来となる。

鶴岡雅義と東京ロマンチカ

1966年「小樽のひとよ」でデビュー。ムード歌謡の王道をゆく、甘く濃厚な情感が特徴。美しいメロディと男性コーラスの響きが魅力で、「君は心の妻だから」「愛の奇跡」など多数のヒット曲を持つ。鶴岡はギタリスト兼リーダーとして作曲も手がけ、グループのサウンドの要となった。

ピンキーとキラーズ

1968年6月にデビューしたヴォーカルの今陽子(ピンキー)と男性4人のバンドによるグループ。黒いハットがグループのトレードマークで、今陽子の迫力ある歌唱と振り付けが話題を呼び、代表曲「恋の季節」は発売からわずか3か月でミリオンセラーを達成し、レコード大賞新人賞を受賞した。

レ・ガールズ

1967年に結成された女性ダンスグループ。西野バレエ団の中でもエース格だった金井克子、原田糸子、由美かおる、奈美悦子、江美早苗で構成され、本格的な歌とダンスで当時の若者から熱狂的な支持を集め、アイドルグループの草分け的存在とされた。同名の音楽バラエティ番組も制作され、’68年には映画『ミニミニ突撃隊』『初恋宣言』、’69年にはドラマ『フラワーアクション009ノ1』に主演。2006年に一部メンバーを除き再結成されている。

※画像:(C)国際情報社 – 『映画情報』1968年4月号

日本中が熱狂したグループ・サウンズ

グループ・サウンズの時代(1960年代後半)、日本の音楽は大きく変わった。それまでの演歌や歌謡曲と異なり、ビートルズに代表されるリバプールサウンドの影響を受け、エレキギターやドラムを使ったバンド形式の音楽が流行した。若者が中心となり、ザ・スパイダース、ザ・タイガース、ザ・テンプターズなどバンド名に「ザ・」がつくグループが多数登場した。

グループサウンズは派手な衣装、甘いマスク、ビートの効いた音楽や当時人々が憧れた欧米の空気も感じさせ、GSが出演する音楽フェスティバル「日劇ウエスタンカーニバル」では前売り券を求めて有楽町駅から東京駅付近まで約1kmの行列ができるほど熱狂的な人気となった。それは同時に、日本に芽生えた「若者文化」の象徴とも言える。グループサウンズは’70年代初頭には衰退するが、後の日本のロックやアイドル文化の礎となる重要なムーブメントだった。

ザ・スパイダース

​1965年5月​「フリフリ」でデビュー。堺正章、井上順、かまやつひろし、田邊昭知(現・田辺エージェンシー代表取締役社長・会長/2025年)、井上堯之、大野克夫らが在籍。当時は斬新だったミリタリー・ルックに身を包み、演奏力とユーモアも兼ね備える老舗バンドとしてGSブームを牽引した。ビートルズ的なサウンドが特徴で「夕陽が泣いている」「なんとなくなんとなく」「あの時君は若かった」などヒット曲多数。個々のメンバーの人気や評価が高く、GSブーム終焉の中でメンバーのソロ活動が増え、堺がTBSドラマ『時間ですよ』に出演するようになった’70年に解散した。

ザ・タイガース

1967年2月「僕のマリー」でデビュー。大阪の音楽喫茶『ナンバ一番』で”ファニーズ”というグループ名で歌っていたところ、共演していた内田裕也ほか複数の音楽人に声をかけられ上京、渡辺プロダクションのオーディションに合格しデビューに至る。ジュリー(沢田研二)を中心に華やかなルックスが特徴で、2曲目の「シーサイド・バウンド」で人気が爆発。女性ファンから絶大な支持を受け「モナリザの微笑」「君だけに愛を」「花の首飾り」などのヒットでGSを代表する存在となる。グループ名は大阪の阪神タイガースにちなんだもので、作曲家のすぎやまこういちによって命名された。活動期間は約4年間。

ザ・テンプターズ

1967年10月「忘れ得ぬ君」でデビュー。萩原健一(ショーケン)がヴォーカルを務め、タイガースよりもワイルドで不良っぽい雰囲気で人気を集めた。代表曲は「神様お願い!」「エメラルドの伝説」。硬派な魅力で男性ファンも多かった。GSブーム終焉の中、’70年12月に解散。当時はジュリーVSショーケンの構図をメディアは好み、ファン同士の確執も報じられたが、実際のところ2人は大親友と呼べるほど仲が良く、互いにリスペクトし合っての深い友情はショーケンの逝去まで続いている。

ジャッキー吉川とブルー・コメッツ

1966年デビュー。ドラムス担当のジャッキー吉川、ギターとヴォーカルの三原綱木、フルートとサックス、ヴォーカルの井上忠夫などが在籍。’67年に発売した「ブルー・シャトウ」が150万枚の大ヒットを記録し日本レコード大賞を受賞した。不良のイメージが強くNHKとは縁遠かったGSの中にあって、ザ・ワイルドワンズとともにNHKへの出演が許された国民的バンドだった。

ザ・サベージ

1966年7月「いつまでもいつまでも」でデビュー。後にソロでヒット曲「ルビーの指輪」を持つ寺尾聡がベースとヴォーカルを務めていた。知的で紳士的なイメージのグループで特に高校生・大学生に支持され、デビュー期はブルーコメッツやスパイダースとともにGS3大グループとして人気を集めた。

ヴィレッジ・シンガーズ

1966年10月デビュー。3枚目のシングル「バラ色の雲」が60万枚のヒットとなり、翌年の5枚目のシングル「亜麻色の髪の乙女」も60万枚を突破するセールスを記録した。甘いマスクのヴォーカルの清水道夫をはじめメンバーは短髪にスーツの好青年の印象で、GS界の貴公子とも呼ばれた。後に俳優として活躍する林ゆたかがドラムスを務めた。

ザ・ワイルドワンズ

1966年11月「想い出の渚」でデビュー。リードギター加瀬邦彦の特注の12弦ギターによるサウンドで100万枚を超える大ヒットを記録。加瀬のほか鳥塚しげき、島英二、植田芳暁、渡辺茂樹が所属し、それぞれに根強いファンを獲得した。’71年に一度解散したものの’79年に再集結、メンバー交代はありながら2025年現在も活動している。リーダーの加瀬邦彦( 2015年逝去)は全盛期の沢田研二を二人三脚で支えた音楽プロデューサーとしても知られる。

ザ・カーナビーツ 

1967年3月「好きさ好きさ好きさ」でデビュー。ヴォーカル兼ドラムスのアイ高野がドラムスティックを前方に突き出し「お前のすべてを~」と絶叫する見せ場が受けて爆発的なヒットとなる。アニマルズ風のR&Bサウンドが特徴でGSブームを盛り上げた。’69年9月に解散。

ザ・ジャガーズ

​1967年5月のデビュー曲「君に会いたい」が大ヒットするも、4枚目のシングル「キサナドゥーの伝説」発売の頃、メンバー全員が乗車する移動用のマイクロバスが交通事故を起こし、メンバー全員が負傷。療養中に代役としてジャズ喫茶に出演したオックスに人気を奪われる形で不運にも勢いを失った。’71年解散。

オックス

1968年5月「ガール・フレンド」でデビュー。オルガンの赤松愛とリードヴォーカルの野口ヒデトの人気が高く、メンバーとファンが演奏中に失神する場面があったことから「失神バンド」として知られる。デビュー曲や「スワンの涙」がヒット。野口は端正なルックスで、ザ・タイガースの沢田研二やザ・テンプターズの萩原健一とともに多くの女性ファンを獲得した。後に演歌歌手・真木ひでととして活躍。

ザ・モップス

​1967年11月「朝まで待てない」でデビュー。鈴木ヒロミツがヴォーカルを務める、日本におけるサイケデリック・ロックの草分け的バンド。テレビ出演の多いGSグループとは一線を画し、ジャズ喫茶や米軍キャンプ場を主戦場とするGS界の異端児だった。「たどりついたらいつも雨ふり」「すずき・ひろみつの気楽に行こう」などがヒットした。’74年に解散。

パープル・シャドウズ

1968年3月「小さなスナック」でデビュー。デビュー曲は47万枚の大ヒットとなるが、その後ヒット曲には恵まれなかった。(’69年にリリースした「別れても好きな人」は不発だったが、10年後の’79年にロス・インディオス&シルヴィア盤が発売されて大ヒットとなった。)若さを売りにする他のグループとは異なり、七三分けの髪型のサラリーマンスタイルで落ち着いたサウンドを繰り出すムード歌謡の雰囲気も持つグループだった。

フォー・セインツ

1965年デビュー。代表曲は「小さな日記」(’68年)。爽やかなハーモニーが魅力で、青春フォークとグループサウンズの橋渡し的存在。テレビ出演も多く、清潔感あるイメージで若者の支持を集めた。日本におけるコーラスグループ系フォークの先駆けとして評価されている。

ザ・フォーク・クルセダーズ

1967年、自主制作盤「帰って来たヨッパライ」でデビュー(正式な全国発売は’67年12月)。ラジオで人気となり、ミリオンセラーを記録。関西大学の学生バンドが一夜にして国民的グループに。風刺とユーモアに満ちた楽曲が特徴で、「イムジン河」は放送禁止騒動も話題に。’68年に人気絶頂で解散し“伝説のフォークグループ”と称される。加藤和彦はのちにサディスティック・ミカ・バンドなどで活躍。

ジローズ

1969年、テレビ番組『リブ・ヤング!』の挿入歌「戦争を知らない子供たち」でデビュー。同曲が反戦フォークとして大ヒット。堺武男と杉田二郎によるデュオで、明快なメッセージと覚えやすいメロディが支持された。解散後、杉田はソロで活躍、「男どうし」などもヒット。時代の空気を象徴するグループとして記憶されている。

ミニコラム ─ この時代の気になる人々 [六本木野獣会]

1961年に結成された、すぎやまこういちと田辺靖雄を中心とする富裕層ティーンの遊び人グループ。本来は「野獣会」と呼ばれた。赤坂・六本木に集ったことから「六本木族」と混同され「六本木野獣会」とも呼ばれる。メンバーには峰岸徹、中尾彬、大原麗子、小川知子、井上順、ムッシュかまやつら後にスターとなる若者が多く最大30人規模。赤坂のカフェ「シャンゼリゼ」を拠点に、当時の都会的な若者文化の象徴となり、映画やテレビにも影響を与えたが、主要メンバーの売出しに伴い数年で自然消滅した。

ダークダックス

1951年結成。テレビ時代の草創期から活躍した男声コーラスグループ。「ともしび」「雪山讃歌」などフォーク調の楽曲で親しまれた。学究肌のメンバーが多く、ロシア民謡や唱歌の紹介にも尽力。バラエティ出演も多く、親しみやすい知性派グループとして世代を問わず人気を得た。

和田弘とマヒナスターズ

1953年結成。’57年「お百度こいさん」でヒットし、’59年「誰よりも君を愛す」でレコード大賞受賞。ラテン調ムード歌謡を確立した草分け的存在で、ジャズやマンボの要素も取り入れた。和田のギターと阿蘇しのぶら多彩なボーカリストが魅力で、当時の歌謡界に多大な影響を与えた。

デューク・エイセス

1955年結成。アメリカンポップスから民謡、童謡まで幅広く歌う男声コーラス。’60年代には「筑波山麓合唱団」「女ひとり」など、叙情性あふれる楽曲で注目された。ユーモアと品のあるパフォーマンスで教育番組やCMでも活躍。美しいハーモニーと豊かな表現力で高い評価を得た。

ソルティー・シュガー

1969年「走れコウタロー」でデビュー。駅伝をテーマにしたユーモラスな楽曲が異例のヒット。コミカルなイメージながら、メンバーの多くはのちにプロの作家やプロデューサーとして音楽業界に関わる。風刺と笑いの要素を併せ持つ、異色のフォークユニットとして記憶される。

ベッツィ&クリス

1969年、「白い色は恋人の色」でデビュー。アメリカ人女性二人組による異色のフォークデュオで、流暢な日本語と美しいハーモニーで話題に。続く「花のように」もヒット。短期間の活動ながら、日本のフォーク界に強烈な印象を残した。のちに帰国し、活動は自然消滅的に終了。

じゅん&ネネ

スクールメイツ出身の森くるみ(じゅん)と筑紫恵子(ネネ)の女性デュオ。1964年にクッキーズとしてデビューし、’68年にじゅん&ネネへ改名。コシノジュンコと平尾昌晃が名付けた。キングレコードから再デビューした「愛するってこわい」が80万枚を売り上げ一躍人気デュオとなるが’72年に解散。じゅんはソロ活動後に結婚し芸能界を引退。ネネは留学を経て音楽活動を継続した。

黒沢明とロス・プリモス

1967年「ラブユー東京」でデビュー。都会の夜を感じさせるムード歌謡の代表格。切ない恋心を甘い歌声で歌い上げ、「たそがれの銀座」「ラブユー貧乏」なども人気。夜の酒場やカラオケで定番のナンバーとなり、サラリーマン世代の共感を得た。メンバーチェンジを重ねながら長期にわたり活動。

内山田洋とクール・ファイブ

1969年「長崎は今日も雨だった」でデビュー。前川清の甘く深い歌声と、ムード歌謡の美しいハーモニーで一世を風靡。「中の島ブルース」「そして、神戸」などヒット多数。和装・洋装を取り入れたスタイルも斬新で、ムード歌謡を現代風に洗練させた存在。解散後も前川はソロで活躍。

ロス・インディオス

1969年「コモエスタ赤坂」でブレイク。ラテン歌謡を日本風にアレンジしたムード歌謡グループとして活躍。男女デュエットの形も多く、’80年代にシルヴィアとの「別れても好きな人」で再ブレイク。酒場の哀愁や恋心を情熱的に歌い上げ、長年愛されるグループに。

フォーリーブス

1968年9月デビュー。北公次、青山孝、江木俊夫、永井秀一の4人によるジャニーズ事務所の男性アイドルグループ。代表曲は「ブルドッグ」「地球はひとつ」など。歌とダンスを本格的に取り入れたパフォーマンスで、テレビ、コンサート、舞台など幅広く活躍し、ジャニーズ系アイドルの基本スタイルを築いた。

ヒデとロザンナ

1968年デビュー。日本人の出門英(ヒデ)とイタリア人歌手ロザンナによる男女デュオ。代表曲「愛の奇跡」は異国情緒たっぷりの美しいハーモニーで大ヒットした。プライベートでも結婚し、夫婦デュオとして活動していたが、後にヒデの早逝により惜しまれながら活動を終了した。

 この時代の流行 ─

アイビールック

1950年代のアメリカ東海岸・名門大学アイビーリーグの学生たちの装いに由来し、三つボタンのブレザー、ボタンダウンシャツ、コットンパンツ、ローファー、七三分けの髪型を基本とする端正な紳士的スタイル。日本では’60年代にVANと『MEN’S CLUB』が普及を牽引し、定番コーディネートを提示することで若者に広まった。銀座みゆき通りの「みゆき族」など街の若者文化とも結びつき、写真集『TAKE IVY』の発表などを通じて独自のファッション文化として定着した。

ビリー・バンバン

1969年「白いブランコ」でデビュー。菅原兄弟によるハーモニーデュオ。繊細で叙情的な楽曲が多く、フォークというよりメロウなポップスとしても親しまれた。兄・孝の病気による活動休止を乗り越え、’91年「また君に恋してる」で再ブレイク。長寿グループとして根強い人気を持つ。

ブレッド&バター

1969年のデビュー曲は「マリエ」(’70年発表)。岩沢兄弟によるユニットで、日本の“湘南サウンド”の源流的存在。アメリカ西海岸の影響を受けた都会的で洗練されたサウンドは、後のシティポップに通じる。長く音楽活動を続け、ミュージシャンからの評価も高い。

トワ・エ・モワ

1969年「或る日突然」でデビュー。白鳥英美子と芥川澄夫の男女デュオで、柔らかいハーモニーと知的なイメージが特徴。「空よ」「誰もいない海」などがヒット。’72年札幌五輪のテーマ「虹と雪のバラード」でも注目を集めた。女性フォークの先駆け的存在としても重要。