グループ > 1970年代

─ 主な歌手一覧 (順不同) ─

赤い鳥

1969年結成、’70年代を中心に活動し’74年に解散した。各メンバーがボーカルを担当する美しいハーモニーが特徴。民謡や子守唄を取り入れつつ、ソフトロック的要素も兼ね備え関西フォークとは一線を画した。’69年ヤマハ・ライト・ミュージック・コンテストでグランプリを獲得、’70年にシングル『人生/赤い花白い花』とアルバム『FLY WITH THE RED BIRDS』でメジャーデビュー。’71年の『竹田の子守唄/翼をください』は100万枚を超えるヒットとなった。解散後、元メンバーは紙ふうせん、ハイ・ファイ・セット、ハミング・バードを結成した。

はっぴいえんど

1970年代前半に活動したロックバンドで、細野晴臣、大瀧詠一、松本隆、鈴木茂により結成された。松本の巧みな日本語詞と大瀧・細野の作曲により、日本語ロックの基礎を築き、民俗的・文学的要素を音楽に取り入れた。アメリカのロックやフォークの影響を受けつつ、日本語歌詞を中心にした独自の音楽性を展開。全日本フォークジャンボリーへの出演や、代表曲「風をあつめて」のヒットで注目された。後続の日本のロックバンドや松田聖子らの楽曲に大きな影響を与え、バックバンド活動やサポート参加も行った。

オフコース

1970年にシングル『群衆の中で』でデビュー。初期はフォークソング的なアコースティック中心の曲を演奏し、’72年から小田和正と鈴木康博のデュオ体制を経て、’76年に松尾一彦、清水仁、大間ジローが加わりバンドサウンドを確立。’79年以降の「さよなら」などのヒットで人気を獲得し、テレビ出演をほとんどせずレコード制作とコンサートに専念する独自路線を貫いた。’82年の鈴木脱退後も活動を再開し、’89年に解散した。

殿さまキングス

1967年結成。元々はコミックバンドとしてお笑い番組に出演していたが、’70年代に歌謡コーラス・グループに転向し成功を収めた。リーダー長田あつしら4人編成で、’73年の「なみだの操」、’75年の「夫婦鏡」が連続ミリオンヒットとなり史上初の快挙を達成。演歌系のほかリズム曲やワールドミュージックにも意欲的に取り組んだ。’80年代にはポップス要素も取り入れ、’90年に解散後はメンバーがソロや懐メロ番組で活動を継続した。

かぐや姫

南こうせつを中心に活動。第1期は南・森進一郎・大島三平の3人でデビューし、短期間でシングル3枚とアルバム1枚を発表。第2期は南・伊勢正三・山田パンダの編成で1971年に再結成し、シングル『青春』で再デビュー。’73年の『神田川』が160万枚の大ヒットとなり、フォークシーンで絶大な人気を得た。グループ名は第2期から「かぐや姫」となり、映画化の影響やレコード会社との意向により解散は早まり、’75年の東京公演をもって活動終了。メンバーはソロや別ユニットで活動を継続した。

RCサクセション

忌野清志郎を中心に結成されたロックバンドで「King of Rock」「King of Live」と称され、日本語ロックの確立やライブパフォーマンス文化に大きな影響を与えた。基本的に忌野が作詞・作曲した楽曲をバンドでアレンジし演奏するスタイルをとり、共作も行った。1982年には坂本龍一との「い・け・な・いルージュマジック」がヒットし、過激なMVなどで注目を集めた。RCとしての活動はその後も続き、自身のレーベル設立など革新的な試みを行ったが、’91年以降活動休止、2009年の忌野死去により事実上解散した。

森田公一とトップギャラン

1969年結成。腕利きミュージシャンの集合体として知られる。’70年代に「青春時代」などのヒット曲を生み、’77年には第28回NHK紅白歌合戦に出演した。デビュー後、’75年にCBS・ソニーへ移籍してから安定した人気を獲得。’81年に解散したが、’90年には森田の作曲家30周年を記念してトップギャランⅡとして再結成され、後にオリジナルメンバーに狩人の加藤久仁彦を迎え再び活動を継続した。バンド名は帆船の上檣に由来し、メンバー全員がリーダー経験者であることを象徴している。

チューリップ

1968年にザ・フォーシンガーズとして結成され、’70年代に財津和夫を中心に本格活動を開始した。ビートルズに影響を受けたメロディとコーラス、メンバー全員が作詞・作曲・ボーカル・コーラスを担当するスタイルが特徴。’73年「心の旅」、’74年「青春の影」、’75年「サボテンの花」、’79年「虹とスニーカーの頃」などヒットを連発し、ツインボーカルを活かした楽曲で人気を獲得。’79年以降メンバー交代が相次ぎ一時低迷したが、後に再結成され、オリジナルメンバーでのライブ活動を展開した。

 敏いとうとハッピー&ブルー

1971年に敏いとうが結成した日本のムード歌謡グループ。’73年に森本英世を2代目リードボーカルに迎え、’74年の『わたし祈ってます』をはじめ、『星降る街角』『よせばいいのに』などヒット曲を連発し、「ムード歌謡の帝王」と称された。’83年に森本脱退後、一時活動休止も経験するが、’96年以降再開。リードボーカルは変遷しつつ、2021年には「新✩SHINSEI敏いとうとハッピー&ブルー」として後継グループが正式認定され、現在も活動を継続している。

シモンズ

大阪出身の女性フォークデュオで、田中ユミと玉井タエにより1970年代初頭に活動した関西フォーク系グループ。グループ名は「サイモン&ガーファンクル」のサイモンに由来する。高校時代からライブ活動を行い、上京後にRCAレコードからデビュー。デビュー曲『恋人もいないのに』が60万枚超の大ヒットとなり、’71年の日本レコード大賞新人賞を受賞。’74年に玉井の結婚で一時休止するも、’78年にテレビドラマ主題歌で再開し翌年に解散した。CMソングも多数手掛け、特に明治製菓「チェルシー」の曲が有名である。

チェリッシュ

愛知県出身の松崎好孝と松崎悦子による夫婦フォークデュオ。1968年に松崎好孝を中心とした4人組で名古屋にて結成、’70年に悦子が加入し第1期チェリッシュとなる。’71年、音楽コンテストでグランプリを獲得後、シングル『なのにあなたは京都へゆくの』でデビュー。’72年に男女デュオ体制となり、第2期チェリッシュとして活動。’73年の『てんとう虫のサンバ』『避暑地の恋』など多数のヒット曲を生み、結婚後も夫婦デュオとして全国ツアーやテレビ出演を行い、清純で親しみやすいメロディーと歌唱で人気を博した。

かぐや姫

南こうせつを中心に活動したフォークグループ。第1期は南、森進一郎、大島三平の3人組で「酔いどれかぐや姫」などを発表し、1年間でシングル3枚とアルバム1枚を残した後に解散。第2期は南が伊勢正三と山田パンダを加え再結成し、1971年のシングル『青春』で再デビュー。’73年に『神田川』が160万枚の大ヒットとなり、深夜放送のリスナーを中心に人気を獲得した。映画化やレコード会社の意向によりアーティストの意思が制約されたこともあり、’75年4月に解散した。

ガロ

1970年から’76年まで活動した、堀内護(MARK)、日高富明(TOMMY)、大野真澄(VOCAL)の3人組フォークロックグループ。全員がボーカルとギターを担当し、卓越したコーラスワークと演奏技術で知られ、「和製CSN&Y」と称された。’73年には「学生街の喫茶店」「君の誕生日」「ロマンス」がヒットし一世を風靡。元々はCSN&Yのコピーバンドとして活動を開始し、初期から都会的でファンタジックな楽曲を制作。後期にはソフトロックやプログレッシブ・ロック、ハード・ロック的要素も取り入れ、多様な音楽性を示した。

ペドロ&カプリシャス

リーダーのペドロ梅村を中心に結成されたバンド。ジャズやフォーク、ラテンロックなど洋楽の要素を取り入れたアダルト・コンテンポラリーなサウンドで人気を集めた。1971年に前野曜子を迎えデビュー曲「別れの朝」がヒットし、’73年には高橋まり(現・髙橋真梨子)を迎えて「ジョニィへの伝言」「五番街のマリーへ」などのヒット曲を生む。ボーカルは世代交代を繰り返しながら活動を継続し、’70年代に洗練されたメロディと洋楽的アレンジで多くのファンを魅了した。

青い三角定規

1971年、西口久美子、岩久茂、高田真理の3人で結成された。作曲家いずみたくが深く関わり、’72年にはドラマ『飛び出せ!青春』主題歌「太陽がくれた季節」が100万枚を超える大ヒットとなり『日本レコード大賞』新人賞を受賞、NHK紅白歌合戦にも初出場した。メンバー間の方向性の違いから’73年に解散。その後、西口はソロ歌手・女優、岩久は作曲家、高田は一時歌手後に芸能界を引退。解散後、いずみたくのプロデュースで新メンバーによる新「青い三角定規」が短期間活動した。

アリス

1971年、谷村新司、堀内孝雄、矢沢透の3人で結成。’72年シングル「走っておいで恋人よ」でデビューし、下積みの地道なツアー活動を経てファン層を拡大した。谷村のラジオ出演やオリジナル曲「帰らざる日々」「冬の稲妻」「チャンピオン」などのヒットにより知名度を高め、’78年には日本人アーティストとして初めて日本武道館3日間公演を成功させ、一時代を築いた。全国の主要ホールや野球場でも満員公演を実施し、’70年代を代表する人気グループとなった。

ビリーバンバン

兄・菅原孝と弟・菅原進による東京都出身の兄弟フォークデュオ。1968年に兄弟デュオとして再編され、’69年にシングル「白いブランコ」でメジャーデビュー。弁舌さわやかな兄と口下手な弟という対照的なコンビが特色で、一躍フォークシンガーの代表格となった。’72年にはテレビドラマ主題歌「さよならをするために」が約80万枚のヒットを記録しNHK紅白歌合戦にも出場。その後活動は続くが、’76年に解散。兄は司会者、弟は歌手・作曲家として独自の道を歩んだ。

宮史郎とぴんからトリオ

宮史郎を中心に結成された音曲漫才出身の歌謡コーラスグループ。1963年に宮五郎、並木ひろしとともに「ぴんからトリオ」として活動を開始し、’72年に自主制作の「女のみち」が420万枚を売り上げ大ヒット。続く「女のねがい」「女のゆめ」も大ヒットし、昭和歌謡界で人気を博した。’73年に並木脱退後「ぴんから兄弟」として活動。第15回日本レコード大賞大衆ヒット賞受賞、第24回紅白歌合戦にも出演。その後宮史郎はソロ転向し、『片恋酒』などのヒットを重ね、演歌・ナツメロ界で長年活躍した。

フィンガー5

沖縄出身の5人兄妹による歌って踊る歌謡アイドルグループで、四男・晃の変声期前のハイトーンボイスを軸に1970年代に爆発的な人気を得た。米兵向けバーで洋楽に親しみ、ソウルやモータウンを基盤とした高い歌唱力とダンスが特徴。’60年代後半からバンド活動を続け、紆余曲折ののち’72年に再デビュー。’73年の「個人授業」が145万枚超の大ヒットとなり、「恋のダイヤル6700」「学園天国」などミリオンを連発した。子どもらしいルックスとパワフルなパフォーマンスで社会現象的ブームを巻き起こした。

海援隊

1971年に結成された男性3人組フォークグループ。福岡・照和を拠点にブルースロックからフォークへと作風を変えながら活動した。泉谷しげるの後押しで’72年にエレックからデビューし、「母に捧げるバラード」がヒット。武田の表現力と3人のハーモニーが支持された。低迷期を経て’77年に「あんたが大将」で再浮上し、’79年にはドラマ『3年B組金八先生』主題歌「贈る言葉」がミリオンを記録。’70年代フォークの中でも叙情性と社会性を併せ持つ独自の存在として定着した。

キャロル

1972年に結成。矢沢永吉とジョニー大倉を中心に革ジャンとリーゼントをまとった50’sスタイルで一躍注目を浴びた。ビートルズの初期ロックを源流に、日本語オリジナル曲で勝負した点が大きな革新で、矢沢作曲・大倉作詞の体制が音楽性を支えた。『リブ・ヤング!』出演を契機に一気にブレイク。「ルイジアンナ」「ファンキー・モンキー・ベイビー」などがヒットし、若者文化を象徴する社会現象となる。過激な人気ゆえトラブルも多く、内紛や不祥事を抱えつつ、’75年に解散した。

ゴールデン・ハーフ

1970年代前半に活動した女性アイドルグループで、全員がハーフという設定で人気を集めた。’69年、日本テレビ系『ドリフターズ大作戦』のマスコットガールとしてエバ、マリア、ユミ、マーガレット、タミ、ミキの6人で結成され、渡辺プロダクションに所属。’70年8月、スリー・キャッツの「黄色いサクランボ」をカバーしてデビューした。その後「チョット・マッテ・クダサイ」「ロコモーション」などで人気を高めた。編成の変遷を経て4人組時代に人気が最高潮となるが、’73年にリーダー小林ユミが脱退。’74年「メロンの気持」を最後に解散した。

あのねのね

京都産業大学の学生だった清水国明と原田伸郎によって結成されたフォークデュオで、1970年代中期から活動を本格化した。’73年に「赤とんぼの唄」でデビューし、ブラックユーモアを効かせたコミックソングと軽妙なトークで人気を獲得。「魚屋のオッサンの唄」などが代表曲で、ラジオ・テレビでも活躍した。一方で「雪が降っています」「嫁ぐ朝に」などの抒情的な曲も持ち味とした。その後休止期間を経て「ネコ・ニャンニャンニャン」などを再びヒットさせた。

ダ・カーポ

久保田広子と榊原まさとしによるフォークデュオで、1973年にデビュー。翌年の「結婚するって本当ですか」が60万枚の大ヒットとなり代表曲となる。広子の柔らかな美声と確かな歌唱力、親しみやすいメロディーを特長とし、フォークに加えて童謡・唱歌や民謡のアレンジにも積極的に取り組んだ。グループ名は演奏記号「D.C.」に由来し「初心を忘れない」思いを込めたもの。広子と榊原は’80年に結婚した。

ぴんから兄弟

宮五郎・宮史郎兄弟を中心にした歌謡コーラスグループで、元は1963年結成の音曲漫才「ぴんからトリオ」が母体。’72年、自主制作盤「女のみち」が有線放送から火がつき420万枚の大ヒット、続く「女のねがい」「女のゆめ」もミリオン級となり社会現象化した。これを機に音曲漫才から本格的な演歌・コーラス路線へ転換。’73年に並木ひろしが脱退し「ぴんから兄弟」と改名。同年レコード大賞・大衆ヒット賞受賞、NHK紅白にも出場するなど’70年代前半の演歌ブームを代表する存在となった。

キャンディーズ

スクールメイツ出身のラン・スー・ミキにより結成され、1972年にNHK番組のマスコットガールとして登場、’73年「あなたに夢中」でデビューした。当初は目立たない存在だったが、’75年「年下の男の子」でランをセンターに据えて大ブレイクし、大学生を中心に熱狂的人気を獲得。「春一番」「やさしい悪魔」などヒットを連発し、バラエティ番組でも親しみやすいコントで人気を確立。女性の髪型を真似る流行も生んだ。’77年、人気絶頂の中で突然の解散を発表し「普通の女の子に戻りたい」は時代の象徴的フレーズとなった。

グレープ

さだまさしと吉田正美による1972年結成のフォークデュオで、’76年に解散した。高校時代からの友人同士で、長崎で自主的に活動を始め、地元メディアの後押しを受けて’73年「雪の朝」でデビュー。当初は無名だったが’74年の「精霊流し」が深夜ラジオをきっかけに全国的ヒットとなり、日本レコード大賞作詩賞を受賞。「追伸」「無縁坂」などを発表し人気を確立。一方でロック志向も強く、ジャズギターやヴァイオリンを生かした多彩なサウンドに挑戦した。男性デュオの成功例として後の音楽界にも影響を残した。

ダウン・タウン・ブギウギ・バンド

宇崎竜童を中心に1973年に結成された、日本語ロックブームを決定づけた存在。ブルースを基調にしたロックに奇抜な語り口やユーモアを取り入れ、「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」などのヒットで人気を獲得。ツナギ姿のステージ衣装も話題となり、’75年には紅白歌合戦に初のロックバンドとして出場した。’79年以降は過去曲を封印し、’80年に改名してシリアスなブルース・ロックを追求。’81年に解散したが、のちに断続的に再結成している。

クラフト

1970年代半ばに活躍した日本のフォーク・ロックグループで、さだまさし作詞・作曲のセカンド・シングル「僕にまかせてください」やサード・シングル「さよならコンサート」がヒットした。’75年に注目を集め、’78年に一度解散したが、2012年の『FRIENDSHIP JAMBOREE』を契機にライブ活動を再開。メンバーは三井誠(ボーカル・ギター・ピアノ)、森谷有孝(ギター)、松藤一美(ドラムス)、浜田金吾(ベース)で、解散後も各自が作曲やライブ活動など音楽活動を継続している。

ずうとるび

1970年代に活躍したバンドグループで、日本テレビ「笑点」の”ちびっ子大喜利”出演者を中心に結成され、’74年に「透明人間」でレコードデビューした。バラエティ番組出演でも人気を博し、「みかん色の恋」「恋があぶない」などのヒット曲を持つ。’77年に中心人物の山田隆夫が脱退後も新メンバーを加えて活動を継続し、’82年に一度解散したが、2020年に山田を含む5人で再結成。歌とダンスを組み合わせたパフォーマンスやバンド演奏で幅広い人気を得た。

ジョー山中

神奈川県横浜市出身のミュージシャン・俳優・元プロボクサー。1968年に内田裕也の誘いでロックバンド「フラワー・トラベリン・バンド」にボーカルとして参加し、’70年アルバム『ANYWHERE』でデビュー。’71年にはバンドの2ndアルバム『SATORI』を北米で同時発売し、EL&Pと共演するなど国際的に活躍。’73年のバンド解散後はソロに転向し、’74年アルバム『Joe』をリリース。’77年には映画『人間の証明』の主題歌「人間の証明のテーマ」が約51万枚のヒットを記録し、国内外のロックシーンで高く評価された。

山本コウタローとウィークエンド

山本コウタローとウィークエンドは、1974年に山本コウタロー、森一美、板垣秀雄で結成されたフォークグループ。デビュー曲「岬めぐり」がオリコン5位の大ヒットとなり、「走れコウタロー」と共に現在も歌い継がれる名曲となった。’76年以降はグループ名を「ウィークエンド」に改称。山本は’70年代TBSラジオ『パック・イン・ミュージック』の金曜パーソナリティを担当し、太平洋戦争の取材経験も持つ。後にアメリカでの生活を経て著書『アメリカあげます』を発表し、テレビ司会やタレント活動など多方面で活躍した。

 紙ふうせん

1974年に結成された日本のフォークデュオ。メンバーは元「赤い鳥」の後藤悦治郎と平山泰代で、夫婦としてデュオ活動を開始した。’77年の「冬が来る前に」がヒットし代表曲となる。フォークソングの創作だけでなく、民謡や各地の伝承歌の取材も行い、原点を探求する姿勢を持つ。テレビ出演は少ないが、フジテレビ『夜のヒットスタジオ』やTBS『ザ・ベストテン』にも登場。「翼をください」など赤い鳥時代の楽曲も引き継ぎ、関西を拠点に息の長い活動を続けた。

さくらと一郎

徳川一郎と初代さくら(河野さくら)によるデュエット歌手で、1974年に結成。デビュー曲「昭和枯れすゝき」が150万枚の大ヒットとなり一躍人気を獲得した。’78年に初代さくらが離脱後、二代目さくら(山岡さくら)が加入し、現在も「さくらと一郎」として活動を継続している。昭和歌謡の情緒を生かした楽曲が特徴。現在もテレビ挿入歌やカラオケ指導など幅広く活動し、「昭和枯れすゝき」をはじめ、長年にわたり親しまれる歌謡デュオである。

ふきのとう

北海道出身の山木康世と細坪基佳によるフォークデュオで、1970年代のフォーク・ニューミュージックブームを牽引した。’74年に「白い冬」でデビューし「風来坊」「春雷」「やさしさとして想い出として」などのヒットを生む。二人はソロ活動も並行しつつ、’81年には自身のレーベル「Silverland」を設立。デビュー10周年の’84年日比谷野外音楽堂コンサートや、’87年日本武道館公演を成功させた。’92年にラストライブを行い解散。18年間の活動でフォークシーンに独自の存在感を残し、再結成は現在も行われていない。

甲斐バンド

1974年に甲斐よしひろを中心に結成されたロックバンドで、デビュー曲は「バス通り」。’80年代初頭にかけて「HERO」「安奈」などのヒットで日本のロックシーンを牽引し、NHKホールや日本武道館での大型コンサートを成功させた。独自の演出やスタジアム・野外公演にも挑戦し、圧倒的なライブ動員力を誇った。’86年に解散するまでに12年間活動し、解散後も再結成やプレミアム・ライブが行われ、甲斐よしひろはソロとしても活動を続けている。

1975年にかぐや姫の伊勢正三と猫の大久保一久によって結成されたフォークデュオ。デビュー曲「22才の別れ」がいきなり大ヒットし、女性ファンを中心に高い人気を獲得した。以後「海岸通」「あいつ」「北国列車」などヒット曲を多数生んだ。フォークの持ち味を重視し、テレビ歌番組への出演は最小限に抑えたことも特徴。’79年に活動を休止したが、その後もソロコンサートや特別ライブで断続的に共演し、フォークデュオとしての存在感を長く保った。

ハイ・ファイ・セット

1974年結成の日本のコーラスグループで、’75年に荒井由実作詞・作曲の「卒業写真」でレコードデビュー。山本潤子(ソプラノ)、山本俊彦(テナー)、大川茂(バス)の3人による美しいハーモニーと洗練されたアレンジでニューミュージック全盛期に人気を博した。’77年には「フィーリング」がヒットし紅白歌合戦にも出演。’80年に一時活動停止するも再開し、ジャズやCMソングなど新境地を開拓。’92年の活動休止を経て、’94年に解散した。

 河島英五とホモ・サピエンス

1975年にメジャーデビューしたグループで、河島英五がリーダーを務めた。’76年の「酒と泪と男と女」が全国的ヒットとなり、河島の名を広く知らしめた。フォーク調の哀愁ある楽曲を得意とし、「時代おくれ」など親父世代に愛される曲も多数。海外のフォルクローレ曲を日本語にアレンジするなど、独自の音楽性も持っていた。グループ活動後も河島はソロやテレビ出演、チャリティコンサートなど幅広く活躍し、日本のフォーク・ニューミュージック界において影響力を持った。

シュガー・ベイブ

1973年に結成され、’76年まで活動した日本のポップスバンド。自主制作盤「ADD SOME MUSIC TO YOUR DAY」のメンバーを中心に結成され、分数和音やフラット5th、シャープ9thなど複雑なコード進行を駆使し、コーラスを重視した音作りで一部ファンから支持を得た。’70年代初頭の日本のロック・サブカルチャーでは独自のスタイルであったが、当時は評価や商業的成功に恵まれず、構造的宿命もあって’76年に解散した。

ザ・リリーズ

双子の姉妹、燕奈緒美と燕真由美による女性アイドルデュオ。北海道夕張市出身で1975年、東芝EMIから「水色のときめき」でデビュー。2ndシングル「好きよキャプテン」が大ヒットした。デビュー当初はフォーク調バラードが中心で、歌手活動と並行しテレビ番組や時代劇への出演などタレントとしても活躍した。結婚・出産により’86年に活動休止したが、2005年の再結成以降は東京を拠点にライブや歌番組に出演している。

ゴダイゴ

1976年にデビューしたプログレッシブ・ロックバンドで、’70年代後半から’80年代前半にかけて「ガンダーラ」「モンキー・マジック」「銀河鉄道999」などヒットを連発し、日本の音楽界に大きな影響を与えた。ミッキー吉野、タケカワユキヒデらを中心に活動し、コーラスや演奏に高度な技術を駆使。テレビドラマや映画主題歌にも多数参加した。’85年に一度解散するが、’99年以降断続的に再結成、2006年に恒久的再始動。多国籍メンバーによる革新的なサウンドと映像との連動で、国内外にファンを持つロックバンドとして知られる。

ピンク・レディー

根本美鶴代(ミー)と増田啓子(ケイ)による女性デュオで1970年代後半に活動。’76年『スター誕生!』出演後、同年「ペッパー警部」でデビューした。以降「S・O・S」「カルメン’77」「渚のシンドバッド」「ウォンテッド」「UFO」「サウスポー」など多数のヒットを連発し、連続ミリオンセラーを記録。子供から大人まで幅広い支持を集め、テレビ出演や商品化も盛んに行われた。オリコン連続1位・ミリオンセラー記録は当時の新記録で、ディスコ・ポップス系アイドルの先駆けとして音楽史に残る存在となった。

クリスタルキング

1971年に九州で結成されたロックバンドで、低音ボーカルのムッシュ吉﨑とハイトーンボーカルの田中昌之によるツインボーカルが特徴。’76年にデビューし、’79年に世界歌謡祭グランプリを契機に再デビュー。代表曲「大都会」は累計150万枚を売り上げるミリオンヒットとなり、「蜃気楼」「セシル」などもヒット。NHK紅白歌合戦出場やアニメ主題歌担当などで広く知られ、特に「大都会」と「愛をとりもどせ!!」は今も人気が高い。’80年代以降メンバー変動があり、現在はムッシュ吉﨑によるソロプロジェクトとして活動している。

サーカス

1978年デビューの男女2名ずつによる4人組コーラスグループで、ハートウォームなコーラスワークと個々の高い歌唱力が特徴。アカペラも得意とし、コーラスグループの先駆者として評価された。デビュー曲「Mr.サマータイム」は発売同年に100万枚を突破する大ヒットとなり、その他「アメリカン・フィーリング」「Woman in Love」などのヒット曲がある。コンサートやCD制作、TV・ラジオ出演のほか、コーラスワークショップやソロ活動、夫婦ユニット「J&O」なども展開。現在も国内外で活動を継続している。

狩人

兄・加藤久仁彦と弟・加藤高道によるフォークデュオで、1977年に「あずさ2号」でデビュー。同曲は累計80万枚を売り上げ『第10回新宿音楽祭』金賞や『第19回日本レコード大賞』新人賞を受賞した。デビュー当初からハーモニーと歌唱力が高く評価され、「コスモス街道」「若き旅人」「アメリカ橋」などのヒット曲を持つ。テレビ出演やラジオ活動、コンサートで人気を獲得。’90年代に一度解散するも、東日本大震災を契機に2012年に再結成され、地元福島や全国で活動を続けている。

レイジー

1973年結成のロックバンドで、影山ヒロノブを中心に高崎晃、井上俊次、田中宏幸、樋口宗孝らが在籍。’77年にデビューし、当初はアイドル路線のポップスを強いられたが、ステージではハードロックを演奏し独自性を追求した。メンバーのツインボーカルや高崎のギタープレイが注目され、アルバム『Rock Diamond』や『宇宙船地球号』ではハードロック色を前面に押し出した。’80年以降、ヘヴィメタル宣言で原点回帰を図ったが、音楽性の違いや事務所との確執により1981年5月に解散した。

柳ジョージ&レイニーウッド

1975年に柳ジョージを中心に結成されたロック・R&Bバンドで、’81年に解散。ブルースロックを基盤としたR&B色の強い楽曲と柳の個性的なボーカル、上綱克彦や石井清登らの高いソングライティング力で人気を獲得した。’78年の「雨に泣いてる…」でブレイクし、’79年のアルバム『RAINY WOOD AVENUE』ではオリコン1位を記録。玄人受けする大人のロックバンドとして支持され、日本武道館公演で解散後も柳ジョージはソロ活動を展開した。

世良公則&ツイスト

1977年に世良公則を中心に結成。’78年のデビュー曲「あんたのバラード」で注目を集め、独特なワイルドなボーカルとパフォーマンスで若者を熱狂させた。オリコンチャートで複数のヒットを記録し、デビューアルバムも1位を獲得。女性ファンを中心に支持を広げ、ロックの大衆化に貢献。「ロック御三家」の一角として歌謡曲全盛期にロックをメジャー化し、テレビ出演やアイドル誌登場で新たな潮流を作った。代表曲に「あんたのバラード」「銃爪」「宿無し」「燃えろいい女」などがある。

平尾昌晃・畑中葉子

1978年に発売されたデュエット曲「カナダからの手紙」が大ヒット。畑中葉子は平尾の音楽スクール生の中から選ばれ、本曲でデビューした。同曲の影響で日本人観光客のカナダ訪問者が3割増加する現象も生まれた。同年の第29回NHK紅白歌合戦に白組として出演し、男女デュエットの白組歌唱という異例の形で話題となった。以降もデュエット曲をリリースしたが、ランキング入りは本曲のみ。日清食品CMの替え歌にも採用されるなど、’70年代後半の音楽界で話題を呼んだペアだった。

シーナ&ザ・ロケッツ

1978年に鮎川誠と妻シーナを中心に結成されたロックンロール・バンド。福岡でバンド活動していた鮎川の経験を背景に、上京後、同年10月に『涙のハイウェイ』でメジャーデビュー。’79年にYMOメンバーの協力でアルバム『真空パック』を発表、シングル「ユー・メイ・ドリーム」がCMに起用されブレイク。以降もYMOとの共演や国内ツアー参加を重ね、’81年には米国でもアルバムをリリース。’70年代末の日本ロックシーンにおける重要バンドであった。

イエロー・マジック・オーケストラ

1978年に細野晴臣、高橋幸宏、坂本龍一の3人で結成。シンセサイザーとコンピュータを駆使した電子音楽を基盤に、東洋趣味を取り入れた「ライディーン」などの独自のサウンドで、’70年代末から’80年代初頭のテクノ・ニュー・ウェイヴムーブメントの中心となった。国内外で高い注目を集め、レコードリリースや海外ツアーも展開。ビジュアル面でも「赤い人民服」や「テクノカット」で特徴的なイメージを確立し、黄色人種ならではの音楽コンセプト「イエローマジック」を提唱、世界的にも注目される存在となった。

サザンオールスターズ

1974年に青山学院大学で結成され、’78年に「勝手にシンドバッド」でメジャーデビュー。桑田佳祐を中心に幅広いテーマの楽曲を制作し、ラブソングやバラードから風刺・反戦・郷土愛まで表現。独自の「巻き舌唱法」と日本語の美を活かした歌詞表現を使い分ける。長年にわたり数多くのヒット曲を生み出し、社会貢献や被災地支援にも取り組む。メンバー間の緊密な信頼関係と演奏技術の高さで「国民的ロックバンド」と称され、バンドだけでなくスタッフも含めた大所帯の音楽集団として活動を続けている。

SHŌGUN

1978年に芳野藤丸を中心とした腕利きスタジオ・ミュージシャンで結成され、当初はOne Line Band名義で活動。’79年、ケーシー・ランキン加入後、テレビドラマ『俺たちは天使だ!』の音楽担当として抜擢され、バンド名をSHŌGUNに変更。「男達のメロディー」が50万枚超のヒットを記録し、『探偵物語』やテレビアニメ映画『大恐竜時代』などの音楽も手がけた。メンバー全員がデビュー時点で10年以上の経験を持つ実力派で、短期間で国内外に存在感を示した。