1950年代
榎本 健一
浅草から全国へ人気が広がった日本を代表する喜劇俳優・歌手で、「日本の喜劇王」と称された。戦前・戦後を通じて国民的な人気を誇り、全盛期には「エノケソ」「土ノケン」といった偽物が各地に現れるほどの影響力を持った。
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古今亭志ん生
戦後を代表する落語家で落語協会4代目会長。孫は女優の池波志乃。
桂文楽
戦後に活躍した落語の名人。ラジオ東京(現TBS)開局時から専属となる。
桂小文治
大正から昭和にかけて活躍。大阪落語に始まり東京落語界でも幹部となる。
林家彦六
『笑点』で活躍した林家木久扇、三遊亭好楽の師匠にあたる。
古今亭今輔
「お婆さん落語」で知られる。落語芸術協会の2代目会長を務めた。
春風亭柳橋
日本芸術協会の創設者。44年間にわたり会長を務め、東京と上方落語の発展に努めた。
三遊亭圓生
大阪出身だが江戸落語の落語家として活動。演目数は落語史上最多とも言われた。
三代目・桂三木助
美しい夫婦愛を描いた名作落語「芝浜」の作者で、”芝浜の三木助”として知られた。
三代目・江戸家猫八
“江戸猫”の愛称で親しまれた物真似師・俳優。NHK『お笑い三人組』に11年間出演した。
一龍齋貞鳳
講談師で政治家。NHK『お笑い三人組』で人気を得、クイズ番組などの司会も務めた。
四代目 三遊亭金馬
日本演芸家連合の五代目会長。国立演芸場の開設に尽力した功労者でもある。
由利徹(脱線トリオ)
南利明と八波むと志と「脱線トリオ」を結成し人気となる。解散後は喜劇俳優として活躍。
コロムビア・トップ(青空トップ・ライト)
漫才コンビ「青空トップ・ライト」でお茶の間の人気を博す。漫才師、漫談家、声優として広く活躍した後に参議院議員となる。
三木のり平
俳優、演出家、コメディアンとして活躍した。日本喜劇人協会の5代目会長も務めた。
コロムビア・ライト(青空トップ・ライト)
コロムビア・トップと漫才コンビ「青空トップ・ライト」結成、社会風刺の辛口漫才で活躍した。
大村崑
大阪梅田の『北野劇場』の専属コメディアンを皮切りに喜劇俳優としてTVでも大活躍した。
正司歌江(かしまし娘)
実の姉妹で結成された漫才トリオ「かしまし娘」の長女。三味線担当、「♪ウチら陽気なかしまし娘」で人気を博す。
内海好江(かしまし娘)
14歳で女性漫才コンビ「内海桂子・好江」を結成し、毒舌キャラとしてテレビで活躍した。
柳家金語楼
東京都出身の落語家・喜劇人で、6歳で初舞台を踏んだ天才少年として知られる。エノケン・ロッパと並ぶ三大喜劇人の一人で、落語に加えレコード、ラジオ、映画、テレビなど多様なメディアで活躍。1953年のテレビクイズ番組『ジェスチャー』では男性チームのキャプテンを務め、徳川夢声との『こんにゃく談義』でも人気を博した。
1960年代
六代目 笑福亭松鶴
6代目笑福亭松鶴(竹内日出男)は大阪出身の落語家で、上方落語協会の2代目会長を務めた。出囃子は「舟行き」。父は5代目笑福亭松鶴、息子は5代目笑福亭枝鶴で、甥の和多田勝(のちの笑福亭小つる)も若い頃に共に修行するなど、落語一家として知られた。
春風亭柳昇
飄々とした語り口と名文句で親しまれた新作落語の名手。古典では芽が出ず新作落語へ転じ、「カラオケ病院」「日照権」など日常を題材にした作品を発表した。軍隊体験を描く「与太郎戦記」は映画化され大ヒット。多才な人物で、著作や短歌、トロンボーン演奏でも知られた。
鳳啓助(唄子・啓助)
1956年に京唄子と漫才コンビ「唄子・啓助」を結成し、「ポテチン」などの名ギャグで人気を得た。結婚と離婚を経てもコンビ活動を続け、「唄啓劇団」を旗揚げ。俳優として映画にも出演し、脚本家としても活動した。『唄子・啓助のおもろい夫婦』での唄子との掛け合いは番組の名物となった。
京唄子(唄子・啓助)
鳳啓助との夫婦漫才で一世を風靡し、ドラマや舞台でも活躍した芸道一筋の喜劇人。京都生まれで貧しい家庭に育ちながら芸への情熱を貫き、劇団巡りの末に啓助と出会い結婚。離婚後もコンビを続け、大げんか漫才で独自の魅力を築いた。平成20年に上方演芸の殿堂入りを果たした。
東けんじ(Wけんじ)
宮城けんじと「Wけんじ」を組んだ栃木県出身の漫才師で、1960年代に一世を風靡した。ロイド眼鏡のとぼけたボケとテンポの速い語りで人気を集め、「やんなっ!」「バカだなぁ〜」などの流行ギャグを生んだ。普段は内向的で無口だが舞台では爆発的な魅力を発揮し、ヘリ移動で舞台を掛け持ちするほどの人気を誇った。
宮城けんじ(Wけんじ)
東けんじと「Wけんじ」を組んだ漫才師で、司会者・俳優としても活躍した。宮城県出身で読書家だが、大の博打好きでも知られる。座右の銘は「努力ある所に自信あり」。浅草松竹演芸場や東宝名人会の常連として実力を示し、晩年はマセキ芸能社に所属した。
夢路いとし(夢路いとし・喜味こいし)
神奈川県出身の生粋の芸人で、弟・喜味こいしと組む「いとこい」コンビで66年間活躍した上方漫才の重鎮である。『生活笑百科』などで幅広い人気を得て、俳優として朝ドラにも出演。コンビは大阪市の指定無形文化財に選ばれた。
四代目 桂米丸
「お婆さんの今輔」と呼ばれた師匠・今輔に入門し、新作落語一筋で活躍してきた落語家である。1962年には圓右、柳昇、三平らと「創作落語会」を結成し、毎月新作を披露する勉強会を行うなど、新作落語の発展に尽力した。
笑福亭松之助
兵庫県出身の上方落語家で、五代目笑福亭松鶴に入門し古典から新作まで幅広く演じた。ペンネーム「明石光司」で新作も手がけ、上方落語の普及に尽力。明石家さんまの師匠としても知られ、映画や朝ドラなど俳優としての活動も多彩だった。
三代目 桂米朝
大連生まれの上方落語家で、四代目桂米團治に入門し、米團治没後は落語に専念した。軽妙な話術と温かな人柄でテレビでも人気を博し、衰退していた上方落語を復興させた功績から「上方落語四天王」「中興の祖」と称えられる。NHK出演も多く、人間国宝として後進の育成にも尽力した。
初代 林家三平
七代目小三治の長男として生まれた東京出身の落語家で、「どうもすいません」のギャグで人気を博したテレビ界のスターである。父の死後に一度前座からやり直しつつ昇進し、1955年『新人落語会』の司会で三平ブームを巻き起こした。1958年に真打昇進。多くのギャグと明るい芸風で全国的人気を得、晩年まで落語協会理事を務めた。
藤山寛美
大阪出身の喜劇俳優で、子役から芸歴を始め、戦後は松竹新喜劇の大スターとして「あほの寛ちゃん」の愛称で圧倒的な人気を得た。244か月連続無休公演という伝説的記録を持ち、テレビでも活躍。名優・花柳章太郎に名付けられ、60歳で早逝した。
五代目 春風亭柳朝
1960年代にテレビやラジオで活躍し、談志・志ん朝・圓楽と並び「落語若手四天王」と称された実力派である。’72年には落語協会の専務理事となり、のちに常任理事として運営の中心を担った。’80年、弟子の春風亭小朝が異例の抜擢で真打昇進したことで名実ともに大御所としての地位を確立した。
三代目 桂春団治
1959年に3代目を襲名し、初代春団治を描いた映画公開の追い風を受けて大きな後押しを得た。襲名に際しては初代ゆかりの朱塗りの人力車と赤一色の装いで挨拶回りを行うなど話題性を高め、同年10月には東京寄席に出演して襲名披露を兼ね、上方落語の関東普及に早くから努めた。
五代目 桂文枝
1957年の上方落語協会結成時に幹事を務め、「上方落語五人男」の一人として活躍した落語家である。後に同メンバーのうち四人で「上方落語の四天王」と称され、上方落語の中心的存在として知られた。
ハナ肇(ハナ肇とクレイジーキャッツ)
東京都出身のコメディアン・俳優で、1957年に「ハナ肇とクレイジーキャッツ」を結成し、リーダー兼ドラマーとして『シャボン玉ホリデー』などの番組で人気を博した。「アッと驚く為五郎」のギャグもお茶の間で流行。俳優としても時代劇から喜劇、サスペンスまで幅広く活躍し、NHKドラマなどにも出演した。
三波伸介(てんぷくトリオ)
1960~’70年代に活躍したお笑いグループ「てんぷくトリオ」のメンバーで、グループでの活動を通じてコメディアンとして人気を得た。’70年、日テレ『笑点』にて前田武彦の代役として司会を務めた際にその手腕が評価され、同年12月に3代目司会者に正式就任した。落語に詳しく、大勢の落語家を相手に大喜利を巧みに取り仕切る能力で番組を支え、以降も長く視聴者に愛される司会者として活躍した。
谷 啓(ハナ肇とクレイジーキャッツ)
東京都出身の俳優・コメディアンで、大学時代からトロンボーン奏者として活動し、コミカルな演奏で人気を集めた。その後、フランキー堺や植木等と共に「ハナ肇とクレイジーキャッツ」のメンバーとして活躍し、「ガチョ~ン」のギャグで一世を風靡。映画やドラマ出演も多く、晩年はNHK『美の壺』でも好評を博した。
三代目 三遊亭圓歌
歯切れの良い語り口と自らの経験を生かした新作落語で人気を博した落語家である。三遊亭歌奴として林家三平との軽妙な掛け合いで昭和の黄金期を支えたが、昭和60年に出家し落語家と僧侶の二足の草鞋を履く異端の存在となる。高齢化社会を風刺した「中澤家の人々」などの作品で圓歌落語の集大成を示し、88年の生涯を閉じた。
植木等(ハナ肇とクレイジーキャッツ)
愛知県出身の俳優・歌手・コメディアンで、昭和を代表するエンターテイナーである。ハナ肇とクレイジーキャッツのメンバーとして『シャボン玉ホリデー』で「お呼びでない?」のギャグや「スーダラ節」で人気を博し、歌番組出演やコントで培った演技力を生かして『大往生』『甘辛しゃん』などの映画でも活躍した。
青島幸男
京都出身の放送作家・作詞家・俳優で、昭和を代表するマルチタレントである。『シャボン玉ホリデー』でハナ肇とクレイジーキャッツと共演し「スーダラ節」をヒットさせ、テレビドラマ『意地悪ばあさん』で人気を博した。エッセイなどの著作や政治活動(都知事など)でも知られ、NHKドラマ『ケンチとすみれ』など幅広く活躍した。
藤田まこと
東京都出身の俳優で、無声映画スター藤間林太郎の子として生まれ、父の一座の雑用係から芸能界に入った。1962年『てなもんや三度笠』でブレイクし人気を博した後、不遇期を経て時代劇『必殺』シリーズの中村主水役で復活。その後も『はぐれ刑事純情派』やNHK大河ドラマに出演するなど幅広く活躍した。
財津一郎
熊本県出身の俳優・コメディアン・歌手で、1964年に吉本新喜劇で頭角を現した。1966年『てなもんや三度笠』で甲高い声と独特のギャグで人気を得て以降、多彩な活動を展開。NHK大河ドラマ『秀吉』や連続テレビ小説『天花』などでも存在感を示し、89歳で生涯を閉じた。
犬塚弘(ハナ肇とクレイジーキャッツ)
東京都出身の俳優・ベーシストで、伝説的ジャズコミックバンド「ハナ肇とクレイジーキャッツ」のメンバーとして昭和から令和まで活躍した。『シャボン玉ホリデー』や喜劇映画で人気を博し、俳優としても宇野重吉の指導を受け、NHK連続テレビ小説やドラマ新銀河など多彩な作品に出演した。
坂上二郎(コント55号)
鹿児島県出身のコメディアンで、萩本欽一とのコンビ「コント55号」で国民的人気を博した。舞台を駆け回る勢いあるコントと「飛びます飛びます」のギャグで一世を風靡し、俳優や歌手としても活躍。NHKドラマ『タクシー・サンバ』『ハイカラさん』『腕におぼえあり』など多数の代表作を残した。
白木みのる
島根県出身の俳優・コメディアンで、1961年『スチャラカ社員』の事務員役で注目され、1962年『てなもんや三度笠』の珍念役で人気を博した。『素浪人 花山大吉』『TRICK2』や映画『てなもんや三度笠』シリーズ、『テルマエ・ロマエⅡ』など幅広く出演し、NHK連続テレビ小説『てるてる家族』『恋するハエ女』にも登場した。
立川談志
東京都出身の落語家で、1952年に五代目柳家小さんに入門し、27歳で五代目立川談志を襲名。古典落語の限界を感じ、落語立川流を創設して家元となった“落語界の反逆児”。破天荒な言動と毒舌で知られつつ、「落語は人間の業の肯定」という哲学を掲げ、人間の弱さや愚かさを描く理想の高座を追求した。参議院議員も務め、NHKでは演芸・教養番組に多数出演した。
毒蝮三太夫
1936年大阪府生まれで、東京都品川で育った俳優・ラジオDJである。戦後、浅草で育ち、中学生で舞台デビューし、児童劇団やNHKラジオで活動。テレビでは『笑点』『ウルトラマン』『ウルトラセブン』などに出演し、NHKドラマ『鳴門秘帖』『タクシー・サンバ』などにも登場。ラジオDJとしても中高年層から熱い支持を得た。
東八郎
浅草フランス座で活躍した俳優・コメディアン。浅草の丁稚トリオやトリオ・スカイラインでコントに出演し人気を博した後、単独でNHK『お笑いオンステージ』に出演し全国的に知られるようになった。東八郎劇団を結成して後進の育成にも力を注ぎ、『志村けんのバカ殿様』や「ヨード卵光」のCMでも広く親しまれた。
古今亭志ん朝
古典落語の第一人者で、粋で上品な江戸弁と小気味よい語り口で人気を博した。テレビドラマや舞台でも活躍したが、終生こだわったのは古典落語で、あえて昔の言葉を使い観客を古き良き時代に誘った天才落語家である。
萩本欽一(コント55号)
東京都出身のコメディアンで、1966年に坂上二郎とコント55号を結成し、“欽ちゃん”の愛称で人気を博した。コンビ解散後も自ら構成・演出・出演する「欽ちゃん」シリーズで多数のタレントを育成し、NHKでは『ひまわり』ナレーションや『欽ちゃんのアドリブで笑』などに出演した。
桜井センリ(ハナ肇とクレイジーキャッツ)
ロンドン出身のジャズピアニスト・俳優で、1960年に植木等の紹介で「ハナ肇とクレイジーキャッツ」に参加。『シャボン玉ホリデー』でのコントで人気を博し、俳優としても山田洋次監督作品やNHKドラマスペシャル『父の詫び状』、大河ドラマ『獅子の時代』などに出演した。
横山ノック(漫画トリオ)
1960年に小林龍太郎(後の上岡龍太郎)と轟盛次を誘い、革新的な「漫画トリオ」を結成した。メンバーに横山フック、横山パンチという芸名を付けさせ、ニュース漫才やしゃべくり中心のトリオ漫才で人気を獲得。立川談志と兄弟分になるなど、独自の人脈と行動力で活躍の場を広げた。
なべおさみ
東京都出身のコメディアン・俳優・タレント・ラジオパーソナリティーで、ハナ肇の付き人から下積みを経て『シャボン玉ホリデー』で人気を博した。『ルックルックこんにちは』の「女ののど自慢」司会で朝の顔となり、俳優としても活躍。NHKでは連続テレビ小説『てるてる家族』などに出演した。