グループ
1959年4月デビュー。伊藤エミ・伊藤ユミの双子姉妹によるボーカルデュオ。人気バラエティ『シャボン玉ホリデー』に出演し息の合った美しいハーモニーと可憐なルックスで爆発的な人気を得た。代表曲は「恋のバカンス」「ふりむかないで」など。海外進出にも意欲的で、特にドイツ映画『モスラ対ゴジラ』では小美人役として出演し、世界的にも知られる存在となった。姉の伊藤エミと沢田研二との結婚により引退。
1959年「浅草姉妹」でデビュー。実姉妹のデュオとして、下町の庶民感情を歌った演歌・歌謡で人気を集めた。生活苦から流しをしていた実話が「浅草姉妹」の詞にも反映。芸能界の“シンデレラ・ストーリー”として注目を浴び、テレビや映画にも出演。ド派手な衣装と歯に衣着せぬトークで、長年にわたり愛された姉妹デュオ。
1964年12月デビュー。飯野おさみ、あおい輝彦、中谷良、真家ひろみの4人組男性アイドルグループで、代表曲は「若い涙」「涙くんさよなら」。アメリカンスタイルのショービジネスを日本に根付かせることを目指し、ミュージカルやテレビにも積極的に出演し人気となる。「ジャニーズ」という名前自体が、後の事務所名(ジャニーズ事務所)の由来となる。
1966年「小樽のひとよ」でデビュー。ムード歌謡の王道をゆく、甘く濃厚な情感が特徴。美しいメロディと男性コーラスの響きが魅力で、「君は心の妻だから」「愛の奇跡」など多数のヒット曲を持つ。鶴岡はギタリスト兼リーダーとして作曲も手がけ、グループのサウンドの要となった。
1967年に結成された女性ダンスグループ。西野バレエ団の中でもエース格だった金井克子、原田糸子、由美かおる、奈美悦子、江美早苗で構成され、本格的な歌とダンスで当時の若者から熱狂的な支持を集め、アイドルグループの草分け的存在とされた。同名の音楽バラエティ番組も制作され、’68年には映画『ミニミニ突撃隊』『初恋宣言』、’69年にはドラマ『フラワーアクション009ノ1』に主演。2006年に一部メンバーを除き再結成されている。
日本中が熱狂したグループ・サウンズ
グループ・サウンズの時代(1960年代後半)、日本の音楽は大きく変わった。それまでの演歌や歌謡曲と異なり、ビートルズに代表されるリバプールサウンドの影響を受け、エレキギターやドラムを使ったバンド形式の音楽が流行した。若者が中心となり、ザ・スパイダース、ザ・タイガース、ザ・テンプターズなどバンド名に「ザ・」がつくグループが多数登場した。
グループサウンズは派手な衣装、甘いマスク、ビートの効いた音楽や当時人々が憧れた欧米の空気も感じさせ、GSが出演する音楽フェスティバル「日劇ウエスタンカーニバル」では前売り券を求めて有楽町駅から東京駅付近まで約1kmの行列ができるほど熱狂的な人気となった。それは同時に、日本に芽生えた「若者文化」の象徴とも言える。グループサウンズは’70年代初頭には衰退するが、後の日本のロックやアイドル文化の礎となる重要なムーブメントだった。
1965年5月「フリフリ」でデビュー。堺正章、井上順、かまやつひろし、田邊昭知(現・田辺エージェンシー代表取締役社長・会長/2025年)、井上堯之、大野克夫らが在籍。当時は斬新だったミリタリー・ルックに身を包み、演奏力とユーモアも兼ね備える老舗バンドとしてGSブームを牽引した。ビートルズ的なサウンドが特徴で「夕陽が泣いている」「なんとなくなんとなく」「あの時君は若かった」などヒット曲多数。個々のメンバーの人気や評価が高く、GSブーム終焉の中でメンバーのソロ活動が増え、堺がTBSドラマ『時間ですよ』に出演するようになった’70年に解散した。
1967年2月「僕のマリー」でデビュー。大阪の音楽喫茶『ナンバ一番』で”ファニーズ”というグループ名で歌っていたところ、共演していた内田裕也ほか複数の音楽人に声をかけられ上京、渡辺プロダクションのオーディションに合格しデビューに至る。ジュリー(沢田研二)を中心に華やかなルックスが特徴で、2曲目の「シーサイド・バウンド」で人気が爆発。女性ファンから絶大な支持を受け「モナリザの微笑」「君だけに愛を」「花の首飾り」などのヒットでGSを代表する存在となる。グループ名は大阪の阪神タイガースにちなんだもので、作曲家のすぎやまこういちによって命名された。活動期間は約4年間。
1966年デビュー。ドラムス担当のジャッキー吉川、ギターとヴォーカルの三原綱木、フルートとサックス、ヴォーカルの井上忠夫などが在籍。’67年に発売した「ブルー・シャトウ」が150万枚の大ヒットを記録し日本レコード大賞を受賞した。不良のイメージが強くNHKとは縁遠かったGSの中にあって、ザ・ワイルドワンズとともにNHKへの出演が許された国民的バンドだった。
1966年7月「いつまでもいつまでも」でデビュー。後にソロでヒット曲「ルビーの指輪」を持つ寺尾聡がベースとヴォーカルを務めていた。知的で紳士的なイメージのグループで特に高校生・大学生に支持され、デビュー期はブルーコメッツやスパイダースとともにGS3大グループとして人気を集めた。
1966年11月「想い出の渚」でデビュー。リードギター加瀬邦彦の特注の12弦ギターによるサウンドで100万枚を超える大ヒットを記録。加瀬のほか鳥塚しげき、島英二、植田芳暁、渡辺茂樹が所属し、それぞれに根強いファンを獲得した。’71年に一度解散したものの’79年に再集結、メンバー交代はありながら2025年現在も活動している。リーダーの加瀬邦彦( 2015年逝去)は全盛期の沢田研二を二人三脚で支えた音楽プロデューサーとしても知られる。
1967年3月「好きさ好きさ好きさ」でデビュー。ヴォーカル兼ドラムスのアイ高野がドラムスティックを前方に突き出し「お前のすべてを~」と絶叫する見せ場が受けて爆発的なヒットとなる。アニマルズ風のR&Bサウンドが特徴でGSブームを盛り上げた。’69年9月に解散。
1968年5月「ガール・フレンド」でデビュー。オルガンの赤松愛とリードヴォーカルの野口ヒデトの人気が高く、メンバーとファンが演奏中に失神する場面があったことから「失神バンド」として知られる。デビュー曲や「スワンの涙」がヒット。野口は端正なルックスで、ザ・タイガースの沢田研二やザ・テンプターズの萩原健一とともに多くの女性ファンを獲得した。後に演歌歌手・真木ひでととして活躍。
1967年11月「朝まで待てない」でデビュー。鈴木ヒロミツがヴォーカルを務める、日本におけるサイケデリック・ロックの草分け的バンド。テレビ出演の多いGSグループとは一線を画し、ジャズ喫茶や米軍キャンプ場を主戦場とするGS界の異端児だった。「たどりついたらいつも雨ふり」「すずき・ひろみつの気楽に行こう」などがヒットした。’74年に解散。
1965年デビュー。代表曲は「小さな日記」(’68年)。爽やかなハーモニーが魅力で、青春フォークとグループサウンズの橋渡し的存在。テレビ出演も多く、清潔感あるイメージで若者の支持を集めた。日本におけるコーラスグループ系フォークの先駆けとして評価されている。
1967年、自主制作盤「帰って来たヨッパライ」でデビュー(正式な全国発売は’67年12月)。ラジオで人気となり、ミリオンセラーを記録。関西大学の学生バンドが一夜にして国民的グループに。風刺とユーモアに満ちた楽曲が特徴で、「イムジン河」は放送禁止騒動も話題に。’68年に人気絶頂で解散し“伝説のフォークグループ”と称される。加藤和彦はのちにサディスティック・ミカ・バンドなどで活躍。
1961年に結成された、すぎやまこういちと田辺靖雄を中心とする富裕層ティーンの遊び人グループ。本来は「野獣会」と呼ばれた。赤坂・六本木に集ったことから「六本木族」と混同され「六本木野獣会」とも呼ばれる。メンバーには峰岸徹、中尾彬、大原麗子、小川知子、井上順、ムッシュかまやつら後にスターとなる若者が多く最大30人規模。赤坂のカフェ「シャンゼリゼ」を拠点に、当時の都会的な若者文化の象徴となり、映画やテレビにも影響を与えたが、主要メンバーの売出しに伴い数年で自然消滅した。
1951年結成。テレビ時代の草創期から活躍した男声コーラスグループ。「ともしび」「雪山讃歌」などフォーク調の楽曲で親しまれた。学究肌のメンバーが多く、ロシア民謡や唱歌の紹介にも尽力。バラエティ出演も多く、親しみやすい知性派グループとして世代を問わず人気を得た。
1953年結成。’57年「お百度こいさん」でヒットし、’59年「誰よりも君を愛す」でレコード大賞受賞。ラテン調ムード歌謡を確立した草分け的存在で、ジャズやマンボの要素も取り入れた。和田のギターと阿蘇しのぶら多彩なボーカリストが魅力で、当時の歌謡界に多大な影響を与えた。
1969年「走れコウタロー」でデビュー。駅伝をテーマにしたユーモラスな楽曲が異例のヒット。コミカルなイメージながら、メンバーの多くはのちにプロの作家やプロデューサーとして音楽業界に関わる。風刺と笑いの要素を併せ持つ、異色のフォークユニットとして記憶される。
1969年、「白い色は恋人の色」でデビュー。アメリカ人女性二人組による異色のフォークデュオで、流暢な日本語と美しいハーモニーで話題に。続く「花のように」もヒット。短期間の活動ながら、日本のフォーク界に強烈な印象を残した。のちに帰国し、活動は自然消滅的に終了。
1967年「ラブユー東京」でデビュー。都会の夜を感じさせるムード歌謡の代表格。切ない恋心を甘い歌声で歌い上げ、「たそがれの銀座」「ラブユー貧乏」なども人気。夜の酒場やカラオケで定番のナンバーとなり、サラリーマン世代の共感を得た。メンバーチェンジを重ねながら長期にわたり活動。
1969年「長崎は今日も雨だった」でデビュー。前川清の甘く深い歌声と、ムード歌謡の美しいハーモニーで一世を風靡。「中の島ブルース」「そして、神戸」などヒット多数。和装・洋装を取り入れたスタイルも斬新で、ムード歌謡を現代風に洗練させた存在。解散後も前川はソロで活躍。
1968年9月デビュー。北公次、青山孝、江木俊夫、永井秀一の4人によるジャニーズ事務所の男性アイドルグループ。代表曲は「ブルドッグ」「地球はひとつ」など。歌とダンスを本格的に取り入れたパフォーマンスで、テレビ、コンサート、舞台など幅広く活躍し、ジャニーズ系アイドルの基本スタイルを築いた。
1968年デビュー。日本人の出門英(ヒデ)とイタリア人歌手ロザンナによる男女デュオ。代表曲「愛の奇跡」は異国情緒たっぷりの美しいハーモニーで大ヒットした。プライベートでも結婚し、夫婦デュオとして活動していたが、後にヒデの早逝により惜しまれながら活動を終了した。
─ この時代の流行 ─
アイビールック
1950年代のアメリカ東海岸・名門大学アイビーリーグの学生たちの装いに由来し、三つボタンのブレザー、ボタンダウンシャツ、コットンパンツ、ローファー、七三分けの髪型を基本とする端正な紳士的スタイル。日本では’60年代にVANと『MEN’S CLUB』が普及を牽引し、定番コーディネートを提示することで若者に広まった。銀座みゆき通りの「みゆき族」など街の若者文化とも結びつき、写真集『TAKE IVY』の発表などを通じて独自のファッション文化として定着した。
1969年「白いブランコ」でデビュー。菅原兄弟によるハーモニーデュオ。繊細で叙情的な楽曲が多く、フォークというよりメロウなポップスとしても親しまれた。兄・孝の病気による活動休止を乗り越え、’91年「また君に恋してる」で再ブレイク。長寿グループとして根強い人気を持つ。
1969年のデビュー曲は「マリエ」(’70年発表)。岩沢兄弟によるユニットで、日本の“湘南サウンド”の源流的存在。アメリカ西海岸の影響を受けた都会的で洗練されたサウンドは、後のシティポップに通じる。長く音楽活動を続け、ミュージシャンからの評価も高い。
