グループ
1967年結成。元々はコミックバンドとしてお笑い番組に出演していたが、’70年代に歌謡コーラス・グループに転向し成功を収めた。リーダー長田あつしら4人編成で、’73年の「なみだの操」、’75年の「夫婦鏡」が連続ミリオンヒットとなり史上初の快挙を達成。演歌系のほかリズム曲やワールドミュージックにも意欲的に取り組んだ。’80年代にはポップス要素も取り入れ、’90年に解散後はメンバーがソロや懐メロ番組で活動を継続した。
南こうせつを中心に活動。第1期は南・森進一郎・大島三平の3人でデビューし、短期間でシングル3枚とアルバム1枚を発表。第2期は南・伊勢正三・山田パンダの編成で1971年に再結成し、シングル『青春』で再デビュー。’73年の『神田川』が160万枚の大ヒットとなり、フォークシーンで絶大な人気を得た。グループ名は第2期から「かぐや姫」となり、映画化の影響やレコード会社との意向により解散は早まり、’75年の東京公演をもって活動終了。メンバーはソロや別ユニットで活動を継続した。
1969年結成。腕利きミュージシャンの集合体として知られる。’70年代に「青春時代」などのヒット曲を生み、’77年には第28回NHK紅白歌合戦に出演した。デビュー後、’75年にCBS・ソニーへ移籍してから安定した人気を獲得。’81年に解散したが、’90年には森田の作曲家30周年を記念してトップギャランⅡとして再結成され、後にオリジナルメンバーに狩人の加藤久仁彦を迎え再び活動を継続した。バンド名は帆船の上檣に由来し、メンバー全員がリーダー経験者であることを象徴している。
1968年にザ・フォーシンガーズとして結成され、’70年代に財津和夫を中心に本格活動を開始した。ビートルズに影響を受けたメロディとコーラス、メンバー全員が作詞・作曲・ボーカル・コーラスを担当するスタイルが特徴。’73年「心の旅」、’74年「青春の影」、’75年「サボテンの花」、’79年「虹とスニーカーの頃」などヒットを連発し、ツインボーカルを活かした楽曲で人気を獲得。’79年以降メンバー交代が相次ぎ一時低迷したが、後に再結成され、オリジナルメンバーでのライブ活動を展開した。
大阪出身の女性フォークデュオで、田中ユミと玉井タエにより1970年代初頭に活動した関西フォーク系グループ。グループ名は「サイモン&ガーファンクル」のサイモンに由来する。高校時代からライブ活動を行い、上京後にRCAレコードからデビュー。デビュー曲『恋人もいないのに』が60万枚超の大ヒットとなり、’71年の日本レコード大賞新人賞を受賞。’74年に玉井の結婚で一時休止するも、’78年にテレビドラマ主題歌で再開し翌年に解散した。CMソングも多数手掛け、特に明治製菓「チェルシー」の曲が有名である。
愛知県出身の松崎好孝と松崎悦子による夫婦フォークデュオ。1968年に松崎好孝を中心とした4人組で名古屋にて結成、’70年に悦子が加入し第1期チェリッシュとなる。’71年、音楽コンテストでグランプリを獲得後、シングル『なのにあなたは京都へゆくの』でデビュー。’72年に男女デュオ体制となり、第2期チェリッシュとして活動。’73年の『てんとう虫のサンバ』『避暑地の恋』など多数のヒット曲を生み、結婚後も夫婦デュオとして全国ツアーやテレビ出演を行い、清純で親しみやすいメロディーと歌唱で人気を博した。
1970年から’76年まで活動した、堀内護(MARK)、日高富明(TOMMY)、大野真澄(VOCAL)の3人組フォークロックグループ。全員がボーカルとギターを担当し、卓越したコーラスワークと演奏技術で知られ、「和製CSN&Y」と称された。’73年には「学生街の喫茶店」「君の誕生日」「ロマンス」がヒットし一世を風靡。元々はCSN&Yのコピーバンドとして活動を開始し、初期から都会的でファンタジックな楽曲を制作。後期にはソフトロックやプログレッシブ・ロック、ハード・ロック的要素も取り入れ、多様な音楽性を示した。
リーダーのペドロ梅村を中心に結成されたバンド。ジャズやフォーク、ラテンロックなど洋楽の要素を取り入れたアダルト・コンテンポラリーなサウンドで人気を集めた。1971年に前野曜子を迎えデビュー曲「別れの朝」がヒットし、’73年には高橋まり(現・髙橋真梨子)を迎えて「ジョニィへの伝言」「五番街のマリーへ」などのヒット曲を生む。ボーカルは世代交代を繰り返しながら活動を継続し、’70年代に洗練されたメロディと洋楽的アレンジで多くのファンを魅了した。
1971年、谷村新司、堀内孝雄、矢沢透の3人で結成。’72年シングル「走っておいで恋人よ」でデビューし、下積みの地道なツアー活動を経てファン層を拡大した。谷村のラジオ出演やオリジナル曲「帰らざる日々」「冬の稲妻」「チャンピオン」などのヒットにより知名度を高め、’78年には日本人アーティストとして初めて日本武道館3日間公演を成功させ、一時代を築いた。全国の主要ホールや野球場でも満員公演を実施し、’70年代を代表する人気グループとなった。
兄・菅原孝と弟・菅原進による東京都出身の兄弟フォークデュオ。1968年に兄弟デュオとして再編され、’69年にシングル「白いブランコ」でメジャーデビュー。弁舌さわやかな兄と口下手な弟という対照的なコンビが特色で、一躍フォークシンガーの代表格となった。’72年にはテレビドラマ主題歌「さよならをするために」が約80万枚のヒットを記録しNHK紅白歌合戦にも出場。その後活動は続くが、’76年に解散。兄は司会者、弟は歌手・作曲家として独自の道を歩んだ。
沖縄出身の5人兄妹による歌って踊る歌謡アイドルグループで、四男・晃の変声期前のハイトーンボイスを軸に1970年代に爆発的な人気を得た。米兵向けバーで洋楽に親しみ、ソウルやモータウンを基盤とした高い歌唱力とダンスが特徴。’60年代後半からバンド活動を続け、紆余曲折ののち’72年に再デビュー。’73年の「個人授業」が145万枚超の大ヒットとなり、「恋のダイヤル6700」「学園天国」などミリオンを連発した。子どもらしいルックスとパワフルなパフォーマンスで社会現象的ブームを巻き起こした。
1971年に結成された男性3人組フォークグループ。福岡・照和を拠点にブルースロックからフォークへと作風を変えながら活動した。泉谷しげるの後押しで’72年にエレックからデビューし、「母に捧げるバラード」がヒット。武田の表現力と3人のハーモニーが支持された。低迷期を経て’77年に「あんたが大将」で再浮上し、’79年にはドラマ『3年B組金八先生』主題歌「贈る言葉」がミリオンを記録。’70年代フォークの中でも叙情性と社会性を併せ持つ独自の存在として定着した。
1970年代前半に活動した女性アイドルグループで、全員がハーフという設定で人気を集めた。’69年、日本テレビ系『ドリフターズ大作戦』のマスコットガールとしてエバ、マリア、ユミ、マーガレット、タミ、ミキの6人で結成され、渡辺プロダクションに所属。’70年8月、スリー・キャッツの「黄色いサクランボ」をカバーしてデビューした。その後「チョット・マッテ・クダサイ」「ロコモーション」などで人気を高めた。編成の変遷を経て4人組時代に人気が最高潮となるが、’73年にリーダー小林ユミが脱退。’74年「メロンの気持」を最後に解散した。
京都産業大学の学生だった清水国明と原田伸郎によって結成されたフォークデュオで、1970年代中期から活動を本格化した。’73年に「赤とんぼの唄」でデビューし、ブラックユーモアを効かせたコミックソングと軽妙なトークで人気を獲得。「魚屋のオッサンの唄」などが代表曲で、ラジオ・テレビでも活躍した。一方で「雪が降っています」「嫁ぐ朝に」などの抒情的な曲も持ち味とした。その後休止期間を経て「ネコ・ニャンニャンニャン」などを再びヒットさせた。
宮五郎・宮史郎兄弟を中心にした歌謡コーラスグループで、元は1963年結成の音曲漫才「ぴんからトリオ」が母体。’72年、自主制作盤「女のみち」が有線放送から火がつき420万枚の大ヒット、続く「女のねがい」「女のゆめ」もミリオン級となり社会現象化した。これを機に音曲漫才から本格的な演歌・コーラス路線へ転換。’73年に並木ひろしが脱退し「ぴんから兄弟」と改名。同年レコード大賞・大衆ヒット賞受賞、NHK紅白にも出場するなど’70年代前半の演歌ブームを代表する存在となった。
スクールメイツ出身のラン・スー・ミキにより結成され、1972年にNHK番組のマスコットガールとして登場、’73年「あなたに夢中」でデビューした。当初は目立たない存在だったが、’75年「年下の男の子」でランをセンターに据えて大ブレイクし、大学生を中心に熱狂的人気を獲得。「春一番」「やさしい悪魔」などヒットを連発し、バラエティ番組でも親しみやすいコントで人気を確立。女性の髪型を真似る流行も生んだ。’77年、人気絶頂の中で突然の解散を発表し「普通の女の子に戻りたい」は時代の象徴的フレーズとなった。
宇崎竜童を中心に1973年に結成された、日本語ロックブームを決定づけた存在。ブルースを基調にしたロックに奇抜な語り口やユーモアを取り入れ、「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」などのヒットで人気を獲得。ツナギ姿のステージ衣装も話題となり、’75年には紅白歌合戦に初のロックバンドとして出場した。’79年以降は過去曲を封印し、’80年に改名してシリアスなブルース・ロックを追求。’81年に解散したが、のちに断続的に再結成している。
1970年代半ばに活躍した日本のフォーク・ロックグループで、さだまさし作詞・作曲のセカンド・シングル「僕にまかせてください」やサード・シングル「さよならコンサート」がヒットした。’75年に注目を集め、’78年に一度解散したが、2012年の『FRIENDSHIP JAMBOREE』を契機にライブ活動を再開。メンバーは三井誠(ボーカル・ギター・ピアノ)、森谷有孝(ギター)、松藤一美(ドラムス)、浜田金吾(ベース)で、解散後も各自が作曲やライブ活動など音楽活動を継続している。
神奈川県横浜市出身のミュージシャン・俳優・元プロボクサー。1968年に内田裕也の誘いでロックバンド「フラワー・トラベリン・バンド」にボーカルとして参加し、’70年アルバム『ANYWHERE』でデビュー。’71年にはバンドの2ndアルバム『SATORI』を北米で同時発売し、EL&Pと共演するなど国際的に活躍。’73年のバンド解散後はソロに転向し、’74年アルバム『Joe』をリリース。’77年には映画『人間の証明』の主題歌「人間の証明のテーマ」が約51万枚のヒットを記録し、国内外のロックシーンで高く評価された。
山本コウタローとウィークエンドは、1974年に山本コウタロー、森一美、板垣秀雄で結成されたフォークグループ。デビュー曲「岬めぐり」がオリコン5位の大ヒットとなり、「走れコウタロー」と共に現在も歌い継がれる名曲となった。’76年以降はグループ名を「ウィークエンド」に改称。山本は’70年代TBSラジオ『パック・イン・ミュージック』の金曜パーソナリティを担当し、太平洋戦争の取材経験も持つ。後にアメリカでの生活を経て著書『アメリカあげます』を発表し、テレビ司会やタレント活動など多方面で活躍した。
徳川一郎と初代さくら(河野さくら)によるデュエット歌手で、1974年に結成。デビュー曲「昭和枯れすゝき」が150万枚の大ヒットとなり一躍人気を獲得した。’78年に初代さくらが離脱後、二代目さくら(山岡さくら)が加入し、現在も「さくらと一郎」として活動を継続している。昭和歌謡の情緒を生かした楽曲が特徴。現在もテレビ挿入歌やカラオケ指導など幅広く活動し、「昭和枯れすゝき」をはじめ、長年にわたり親しまれる歌謡デュオである。
北海道出身の山木康世と細坪基佳によるフォークデュオで、1970年代のフォーク・ニューミュージックブームを牽引した。’74年に「白い冬」でデビューし「風来坊」「春雷」「やさしさとして想い出として」などのヒットを生む。二人はソロ活動も並行しつつ、’81年には自身のレーベル「Silverland」を設立。デビュー10周年の’84年日比谷野外音楽堂コンサートや、’87年日本武道館公演を成功させた。’92年にラストライブを行い解散。18年間の活動でフォークシーンに独自の存在感を残し、再結成は現在も行われていない。
1975年にかぐや姫の伊勢正三と猫の大久保一久によって結成されたフォークデュオ。デビュー曲「22才の別れ」がいきなり大ヒットし、女性ファンを中心に高い人気を獲得した。以後「海岸通」「あいつ」「北国列車」などヒット曲を多数生んだ。フォークの持ち味を重視し、テレビ歌番組への出演は最小限に抑えたことも特徴。’79年に活動を休止したが、その後もソロコンサートや特別ライブで断続的に共演し、フォークデュオとしての存在感を長く保った。
1974年結成の日本のコーラスグループで、’75年に荒井由実作詞・作曲の「卒業写真」でレコードデビュー。山本潤子(ソプラノ)、山本俊彦(テナー)、大川茂(バス)の3人による美しいハーモニーと洗練されたアレンジでニューミュージック全盛期に人気を博した。’77年には「フィーリング」がヒットし紅白歌合戦にも出演。’80年に一時活動停止するも再開し、ジャズやCMソングなど新境地を開拓。’92年の活動休止を経て、’94年に解散した。
1973年に結成され、’76年まで活動した日本のポップスバンド。自主制作盤「ADD SOME MUSIC TO YOUR DAY」のメンバーを中心に結成され、分数和音やフラット5th、シャープ9thなど複雑なコード進行を駆使し、コーラスを重視した音作りで一部ファンから支持を得た。’70年代初頭の日本のロック・サブカルチャーでは独自のスタイルであったが、当時は評価や商業的成功に恵まれず、構造的宿命もあって’76年に解散した。
双子の姉妹、燕奈緒美と燕真由美による女性アイドルデュオ。北海道夕張市出身で1975年、東芝EMIから「水色のときめき」でデビュー。2ndシングル「好きよキャプテン」が大ヒットした。デビュー当初はフォーク調バラードが中心で、歌手活動と並行しテレビ番組や時代劇への出演などタレントとしても活躍した。結婚・出産により’86年に活動休止したが、2005年の再結成以降は東京を拠点にライブや歌番組に出演している。
根本美鶴代(ミー)と増田啓子(ケイ)による女性デュオで1970年代後半に活動。’76年『スター誕生!』出演後、同年「ペッパー警部」でデビューした。以降「S・O・S」「カルメン’77」「渚のシンドバッド」「ウォンテッド」「UFO」「サウスポー」など多数のヒットを連発し、連続ミリオンセラーを記録。子供から大人まで幅広い支持を集め、テレビ出演や商品化も盛んに行われた。オリコン連続1位・ミリオンセラー記録は当時の新記録で、ディスコ・ポップス系アイドルの先駆けとして音楽史に残る存在となった。
1971年に九州で結成されたロックバンドで、低音ボーカルのムッシュ吉﨑とハイトーンボーカルの田中昌之によるツインボーカルが特徴。’76年にデビューし、’79年に世界歌謡祭グランプリを契機に再デビュー。代表曲「大都会」は累計150万枚を売り上げるミリオンヒットとなり、「蜃気楼」「セシル」などもヒット。NHK紅白歌合戦出場やアニメ主題歌担当などで広く知られ、特に「大都会」と「愛をとりもどせ!!」は今も人気が高い。’80年代以降メンバー変動があり、現在はムッシュ吉﨑によるソロプロジェクトとして活動している。
兄・加藤久仁彦と弟・加藤高道によるフォークデュオで、1977年に「あずさ2号」でデビュー。同曲は累計80万枚を売り上げ『第10回新宿音楽祭』金賞や『第19回日本レコード大賞』新人賞を受賞した。デビュー当初からハーモニーと歌唱力が高く評価され、「コスモス街道」「若き旅人」「アメリカ橋」などのヒット曲を持つ。テレビ出演やラジオ活動、コンサートで人気を獲得。’90年代に一度解散するも、東日本大震災を契機に2012年に再結成され、地元福島や全国で活動を続けている。
1973年結成のロックバンドで、影山ヒロノブを中心に高崎晃、井上俊次、田中宏幸、樋口宗孝らが在籍。’77年にデビューし、当初はアイドル路線のポップスを強いられたが、ステージではハードロックを演奏し独自性を追求した。メンバーのツインボーカルや高崎のギタープレイが注目され、アルバム『Rock Diamond』や『宇宙船地球号』ではハードロック色を前面に押し出した。’80年以降、ヘヴィメタル宣言で原点回帰を図ったが、音楽性の違いや事務所との確執により1981年5月に解散した。
1977年に世良公則を中心に結成。’78年のデビュー曲「あんたのバラード」で注目を集め、独特なワイルドなボーカルとパフォーマンスで若者を熱狂させた。オリコンチャートで複数のヒットを記録し、デビューアルバムも1位を獲得。女性ファンを中心に支持を広げ、ロックの大衆化に貢献。「ロック御三家」の一角として歌謡曲全盛期にロックをメジャー化し、テレビ出演やアイドル誌登場で新たな潮流を作った。代表曲に「あんたのバラード」「銃爪」「宿無し」「燃えろいい女」などがある。
1978年に発売されたデュエット曲「カナダからの手紙」が大ヒット。畑中葉子は平尾の音楽スクール生の中から選ばれ、本曲でデビューした。同曲の影響で日本人観光客のカナダ訪問者が3割増加する現象も生まれた。同年の第29回NHK紅白歌合戦に白組として出演し、男女デュエットの白組歌唱という異例の形で話題となった。以降もデュエット曲をリリースしたが、ランキング入りは本曲のみ。日清食品CMの替え歌にも採用されるなど、’70年代後半の音楽界で話題を呼んだペアだった。
1978年に細野晴臣、高橋幸宏、坂本龍一の3人で結成。シンセサイザーとコンピュータを駆使した電子音楽を基盤に、東洋趣味を取り入れた「ライディーン」などの独自のサウンドで、’70年代末から’80年代初頭のテクノ・ニュー・ウェイヴムーブメントの中心となった。国内外で高い注目を集め、レコードリリースや海外ツアーも展開。ビジュアル面でも「赤い人民服」や「テクノカット」で特徴的なイメージを確立し、黄色人種ならではの音楽コンセプト「イエローマジック」を提唱、世界的にも注目される存在となった。
1974年に青山学院大学で結成され、’78年に「勝手にシンドバッド」でメジャーデビュー。桑田佳祐を中心に幅広いテーマの楽曲を制作し、ラブソングやバラードから風刺・反戦・郷土愛まで表現。独自の「巻き舌唱法」と日本語の美を活かした歌詞表現を使い分ける。長年にわたり数多くのヒット曲を生み出し、社会貢献や被災地支援にも取り組む。メンバー間の緊密な信頼関係と演奏技術の高さで「国民的ロックバンド」と称され、バンドだけでなくスタッフも含めた大所帯の音楽集団として活動を続けている。


