女性歌手・アイドル > 1960年代

─ 主な歌手一覧 (順不同) ─

美空ひばり


江利チエミ、雪村いづみとともに”三人娘”として国民的人気を博し、中でも圧倒的な歌唱力と存在感で一世を風靡。’89年1月11日、最後のシングル『川の流れのように』が発売され、約半年後に54歳で永眠する平成初期に亘るまで、歌謡界・演歌界の絶対的なトップスターであり続けた。

ペギー葉山


『南国土佐を後にして』、青山学院大学のチャペルを描写した『学生時代』などのヒットで知られる。歌唱と訳詞を手掛けた『ドレミの歌』は時代を超えて広く親しまれ、1995年『紫綬褒章』、2004年に『旭日小綬章』も受章した。

雪村いづみ


1953年『思い出のワルツ』で歌手デビュー。美空ひばり、江利チエミとともに”三人娘”として人気を博す。『オーマイパパ』『青いカナリヤ』『約束』などのヒット曲を持つほか、’57年の東宝映画『青い山脈』に主演、映画黄金時代を築く立役者となる。

畠山 みどり

1962年『恋は神代の昔から』でレコードデビュー。袴を履いた巫女の衣装で歌謡浪曲を歌い、曲のヒットとともに一躍有名となる。以降も『出世街道』『馬鹿は死なゝきゃなおらない』などヒット曲多数。’70年代からはタレントや実業家としての活動が増え、演歌界きっての株トレーダーとしても知られる。

青江 三奈

1966年『恍惚のブルース』で歌手デビュー。セクシーなハスキーボイスで歌うブルース演歌で80万枚のヒットとなる。’68年、イントロ部分のため息で知られる『伊勢佐木町ブルース』が100万枚、『長崎ブルース』が120万枚のミリオンセラーに。NHK紅白歌合戦には’66年の初出場から16年連続で出場、ブルース演歌の女王としての地位を築いた。

島倉 千代子


1955年『この世の花』で歌手デビュー。同曲は200万枚を売り上げ人気歌手となる。その後も『東京だョおっ母さん』『からたち日記』ほか100万枚を超えるヒット曲を何作も持つ。’68年の『愛のさざなみ』では日本レコード大賞・特別賞を受賞した。また、’87年発売の『人生いろいろ』も130万枚の大ヒットとなり日本レコード大賞で最優秀歌唱賞を受賞。”お千代さん”の愛称で長年に亘り国民的歌手として多くの人に愛された。

森山加代子

1960年『月影のナポリ』でデビュー。楽曲はザ・ピーナッツとの競作だったが森山版は50万枚の大ヒットとなり、年末の『紅白歌合戦』にも初出場を果たす。その後も流行語にもなった『じんじろげ』ほかヒット曲を連発。’70年にリリースした『白い蝶のサンバ』はミリオンセラーの大ヒットとなった。

弘田三枝子

1961年にヘレン・シャピロのカバー曲『子供ぢゃないの』でデビュー。パンチの効いた歌声で洋楽をカバーしたが、’69年、洋楽カバーから路線を変えてリリースした『人形の家』がオリコンチャート首位を獲得。同年の日本レコード大賞歌唱賞にも輝いた代表作となる。

園まり


1956年、童謡歌手としてデビュー。その後渡辺プロダクションに所属先を変え、’62年『鍛冶屋のルンバ』でレコードデビュー。『逢いたくて逢いたくて』『夢は夜ひらく(藤圭子版も有)』ほか”園まり節”と呼ばれる多数のヒット曲を持つ。’66年-’67年にかけてマルベル堂女性歌手ブロマイド売上1位の人気となる。

森山良子

1967年、「この広い野原いっぱい」でデビュー。黒澤明の意向で黒澤プロダクションに所属し、デビュー当初は“日本のジョーン・バエズ”と呼ばれるフォークシンガーとして注目された。’69年、「禁じられた恋」がミリオンセラーとなり、日本レコード大賞大衆賞を受賞、NHK紅白歌合戦に初出場するなど、フォークから歌謡界へと活動の幅を広げた。’70年の大阪万博ではテーマソングを担当し、国民的歌手としての地位を確立した。

坂本スミ子

NHK大阪合唱団を経てラテン歌手としてデビュー。「ラテンの女王」として人気を得る。1961年からテレビ番組『夢であいましょう』で主題歌を担当、NHK紅白歌合戦に5年連続出場した。’71年「夜が明けて」「浮雲」とヒットを飛ばし、’73年「幼い子供のように」で東京音楽祭外国審査団賞を受賞。その後女優としても活躍し、ミュージカル『キャバレー』で’82年度文化庁芸術祭優秀賞を受賞した。

中山千夏

小学1年で毎日音楽コンクール優勝、子役としてドラマの主題歌や副主題歌を担当。高校時代はNHK人形劇『ひょっこりひょうたん島』の挿入歌を歌い、宇野誠一郎に師事してボイストレーニングを受ける。東宝ミュージカルにも出演。歌謡曲歌手としての本格デビューは1969年9月、ビクターレコードから「あなたの心に」を発表しオリコン2位を記録。レコード大賞新人賞にノミネートされ、その後多くのカバーが生まれた。

加藤登紀子

満洲国ハルビン生まれ、京都育ち。1965年、在学中に第2回日本アマチュアシャンソンコンクールで優勝。’66年「誰も誰も知らない」でレコードデビュー。’71年「知床旅情」で日本レコード大賞歌唱賞を受賞。’72年に一時活動休止するも、’73年復帰。’78年「この空を飛べたら」、’87年「百万本のバラ」がヒット。中国公演や鴨川自然王国設立、映画やドラマ出演、他歌手への楽曲提供など、多彩な活動を展開。

三沢あけみ

1959年、東映ニューフェイスに合格し、テレビドラマ『笛吹童子』で三沢あけみとして芸能界デビュー。’63年「ふられ上手にほれ上手」で歌手デビュー。同年4月「島のブルース」が大ヒットし、第5回日本レコード大賞新人賞受賞と第14回NHK紅白歌合戦初出場を果たす。以降、「明日はお立ちか」「アリューシャン小唄」「涙の渡り鳥」「サガレン小唄」「お手を拝借」「木曽節」などでリバイバルヒットや紅白出場を重ねた。

高田美和

1962年、高校1年生で大映に入社し、三隅研次監督『青葉城の鬼』でデビュー。以後、『座頭市兇状旅』『大魔神』『眠狂四郎勝負』など時代劇や、『高校三年生』『青いくちづけ』『十七才は一度だけ』など現代映画で主演し、清純派スターとして人気を博す。’64年「十七才は一度だけ」で歌手としてもデビューし、以後もシングルを発表。’68年大映退社後はテレビや舞台に活動の場を移し、『2時のワイドショー』司会や『雲霧仁左衛門』などの舞台で活躍した。

梓みちよ

1962年デビュー。’63年にリリースした『こんにちは赤ちゃん』が大ヒットとなり、同年の日本レコード大賞の大賞を受賞、年末の紅白歌合戦にも初出場を果たす。その後低迷期を経て’74年に発売した『二人でお酒を』が大ヒット。床に座って歌う姿で人気をさらい、再びの日本レコード大賞に加え大衆賞も受賞し、紅白への復帰も果たした。

九重佑三子

1963年『シェリー』でレコードデビュー。’67年、テレビドラマ『コメットさん』でコメットさん役を演じ人気を博す。同年のNHK紅白歌合戦では史上最年少で紅組司会者に抜擢され、ロッテチョコレートのCMなどでもお茶の間に広く愛される存在となる。

都はるみ

1964年レコードデビュー。”はるみ節”と呼ばれる力強いこぶしが特徴で、同年発売された3作目『アンコ椿は恋の花』がミリオンセラーとなる。’76年、『北の宿から』で日本レコード大賞ほか数々の音楽賞を受賞。’84年に一度引退するもその後活動を再開し、2005年に芸術選奨文部科学大臣賞、2010年に紫綬褒章を受章している。

いしだあゆみ

子供の頃から児童劇団に所属し舞台活動を続ける。歌手としては1968年にリリースした『ブルー・ライト・ヨコハマ』が150万枚のミリオンセラーを記録し代表作に。映画『男はつらいよ』やテレビドラマ『金曜日の妻たちへ』『北の国から』などで女優としても活躍した。

水前寺清子

1964年『涙を抱いた渡り鳥』でデビュー。’68年に発売された『三百六十五歩のマーチ』は100万枚の大ヒットとなり、日本レコード大賞大衆賞を受賞した。’70年からはTBSドラマ『ありがとう』に主演、民放ドラマで史上最高視聴率となる56.3%を記録した。”チータ”の愛称で昭和・平成に亘り永く愛される存在となる。

奥村チヨ

1965年デビュー。黛ジュン、小川知子と「東芝3人娘」と呼ばれる。デビュー同年に『ごめんネ…ジロー』をヒットさせるほか、’70年前後に”恋三部作”としてリリースした『恋の奴隷』『恋狂い』『恋泥棒』の連続ヒットで人気歌手の仲間入りを果たした。

中尾 ミエ

1962年、16歳でレコードデビュー。デビュー曲の『可愛いベイビー』が大ヒットし一躍スターの仲間入りを果たす。園まり、伊東ゆかりと組んだ”スパーク三人娘”も人気を集め、TV界で一時代を築く。ものおじしない性格でトーク力も高いことから歌手活動のみならず、長年に亘り映画、ドラマ、バラエティ番組で活躍を続ける。

金井 克子

西野バレエ団出身で抜群のプロポーションを誇り、モデルとしても活躍。1962年レコードデビュー。’67年、西野バレエ団仲間の由美かおる、奈美悦子らとともにダンスグループ『レ・ガールズ』を結成しTVで活躍する。’73年、独特の振付けも話題となった『他人の関係』が100万枚以上のヒットとなり、日本レコード大賞企画賞を受賞した。

西田 佐知子


1956年レコードデビュー。’61年、世界的にヒットした『コーヒールンバ』のカバー曲を歌い一躍有名となる。’62年、『アカシアの雨がやむとき』で日本レコード大賞特別賞を受賞。以降は司会者の関口宏と結婚し、歌手活動をセーブした。

小川知子

1968年『ゆうべの秘密』でデビュー。同曲はオリコン1位を獲得する。後に『初恋のひと』もヒット。’80年代に入り連続ドラマ『金曜日の妻たちへ』などにも出演し女優としても活躍する。’84年にはアリスの谷村新司とのデュエット曲『忘れていいの-愛の幕切れ-』が話題となり、長年に亘り活躍を続けた。

和田アキ子

1968年歌手デビュー。迫力のある歌唱法で”和製リズム・アンド・ブルースの女王”として売り出す。2枚目のシングル『どしゃぶりの雨の中で』、4枚目の『笑って許して』のヒットで人気を確立。’72年に発売した『あの鐘を鳴らすのはあなた』で同年の日本レコード大賞最優秀歌唱賞を受賞した。当時からタレントとしてさまざまなバラエティ番組でも活躍した。

カルメン・マキ

1969年、17歳で『時には母のない子のように』でデビュー。年齢に見合わない哀愁あふれる楽曲と歌唱でデビュー曲は100万枚を超える大ヒットとなった。翌年ロック歌手への転向を表明し、ロックバンドの結成と解散を重ねながら活動した。

由紀さおり

1965年に歌手デビューするがヒット曲に恵まれず、’69年、再デビュー曲としてリリースした『夜明けのスキャット』が150万枚のミリオンセラーとなる。その後も『手紙』『生きがい』などのヒット曲に恵まれ歌手として活躍するとともに、バラエティタレントや司会、女優としても才能を発揮、多岐にわたり活躍した。

千賀かほる

1969年、『真夜中のギター』でデビュー。同年、日本レコード大賞新人賞を受賞。デビュー前はOSK日本歌劇団に所属していた。『真夜中のギター』は現在もフォークソングの名曲として岩崎宏美や徳永英明ほか多くのアーティストのカバーアルバムで歌い継がれている。

平山 三紀

1970年デビュー。鼻にかかったハスキーボイスが特徴で、2枚目のシングル『真夏の出来事』がオリコン5位のヒット曲となる。以降も『ノアの箱舟』『フレンズ』とヒット曲が続き人気を集める。ばんばひろふみの元妻で、現在も音楽活動を続ける。

松尾 和子

ナイトクラブや進駐軍のキャンプで歌っていたところ人気となり、1959年に和田弘とマヒナスターズ、フランク永井との共唱作『グッド・ナイト/東京ナイト・クラブ』でデビュー。’60年に発売した第2弾『誰よりも君を愛す』が大ヒットとなり、ムード歌謡の女王となる。他に『お座敷小唄』『銀座ブルース』などヒット曲多数。

越路 吹雪

1951年まで宝塚歌劇団男役のトップスターとして活躍。その後は東宝専属となり舞台女優へ。同時にシャンソン歌手としても活動を始め、『愛の讃歌』『ラストダンスは私に』『サン・トワ・マミー』『ろくでなし』など数々のビッグヒットを放つ。日本のシャンソン界の女王となり、日本レコード大賞歌唱賞、文化庁芸術祭奨励賞など数々の賞を受賞した。

江利 チエミ

歌が好きで12歳の頃から進駐軍のキャンプで歌うようになりキャンプのアイドル的存在だった。1952年、15歳で『テネシーワルツ』でレコードデビュー、同曲は23万枚のヒットとなり、続く『ツゥー・ヤング』もヒット。歌唱力の高さから「美空ひばり以来の天才少女」と呼ばれ、雪村いづみを加えた”三人娘”として戦後の歌謡界で活躍、一世を風靡した。

吉永 小百合

1957年~59年の間にラジオ、テレビドラマ、映画界にデビュー。’62年に自身の主演映画『赤い蕾と白い花』の主題歌『寒い朝』でレコードデビュー、50万枚を超えるヒットとなる。続いて橋幸夫とのデュエット曲『いつでも夢を』が300万枚を超える爆発的ヒットを記録、’60年代の映画界・歌謡界に吉永小百合の一大旋風を巻き起こした。

倍賞 千恵子

1961年映画デビュー。’63年『下町の太陽』に主演。同タイトルの楽曲でレコードデビューし、日本レコード大賞新人賞を受賞した。以降、『さよならはダンスの後に』『忘れな草をあなたに』などのヒット曲に恵まれるとともに女優として活躍し、映画『男はつらいよ』の主人公・車寅次郎の妹さくら役などで知られる。

伊東 ゆかり

1958年レコードデビュー。以降、中尾ミエ・園まりとともに”スパーク三人娘”を結成し、『シャボン玉ホリデー』などのバラエティ番組に出演しお茶の間の人気者に。’67年発売の『小指の想い出』が爆発的なヒットとなり、以降もヒット曲に恵まれ、’60年代の歌謡界を語るに欠かせない存在となった。

岸 洋子

東京藝術大学大学院声楽専攻科修了後、1962年にシャンソン歌手としてレコードデビュー。実力派歌手として注目を集め、’64年『夜明けのうた』で日本レコード大賞歌唱賞を受賞した。’70年にリリースした『希望』が約70万枚の大ヒットとなり、2度目となるレコード大賞歌唱賞を受賞。第43回選抜高校野球大会の入場行進曲にも採用された。

由美かおる

西野バレエ団に所属し、1960年代~80年代にかけて多数の映画、ドラマ、CMに出演。金井克子や奈美悦子などバレエ団仲間と結成したダンスグループ『レ・ガールズ』の活動でも人気を集め、愛らしく魅力的な容姿で和製マリリン・モンローとも称される存在となる。歌手としては『いたずらっぽい目』(’67年)などのヒット曲があるが、アース製薬蚊取り線香のCMキャラクターや時代劇『水戸黄門』の”かげろうお銀”役で広く知られる。

佐良 直美

1967年『世界は二人のために』でレコードデビュー。抜群の歌唱力で120万枚を売り上げ、同年の日本レコード大賞の新人賞を受賞し年末のNHK紅白にも初出場した。同曲は翌年の選抜高等学校野球大会の入場行進曲にも採用され、佐良 直美ブームが巻き起こる。その後も『いいじゃないの幸せならば』などがヒットするもタレントとしても才能を発揮、TBSのドラマ『ありがとう』のレギュラーなど多方面で活躍した。

渚ゆう子

沖縄出身の母と京都出身の父のもとに生まれ、幼少期から沖縄民謡と琉球舞踊を学ぶ。1964年に久葉真鶴の名で芸能界入りし、マヒナスターズの前唄を経て上京。浜口庫之助に師事し、’66年に「渚ゆう子」と改名。’67年「早くキスして」でレコードデビュー。’70年、ベンチャーズ作曲の「京都の恋」「京都慕情」が大ヒットし、全国的に人気歌手となる。

新谷のり子

幼少期から歌を好み、NHK児童合唱団で活動した。高校を中退して北海道から上京し、銀座のクラブで歌い始め、1969年に『フランシーヌの場合』でメジャーデビュー。政治的抗議のため焼身自殺した女性を題材にしたこの曲は、反安保の日に発売され約80万枚の大ヒットとなった。2枚目のシングル『さよならの総括』が不振に終わり、次第に表舞台から退く。その後はいずみたく事務所を経て労音で活動するが、歌う意味を見失い再び銀座のクラブに戻った。

仲宗根美樹

1961年、ドラマ『東京物語』の挿入歌「愛に生きる」で歌手デビュー。同年9月に発表した「川は流れる」が、人生を川の流れに重ねた歌詞と独特の無表情な歌唱で大ヒットし、ミリオンセラーを記録、第3回日本レコード大賞新人奨励賞を受賞した。翌’62年にはNHK紅白歌合戦に初出場し紅組のトップバッターを務めた。その後も「島育ち」「奄美恋しや」などヒットを続け、CMソング「有馬兵衛の向陽閣へ」でも知られた。’71年、歯科医師と結婚して芸能界を引退した。

朱里エイコ

舞踏家の母とオペラ歌手の父のもとで育つ。18歳で単身渡米し、ラスベガスやニューヨークなど全米各地で歌手・エンターテイナーとして活動、サラ・ヴォーンと同じ舞台にも立った。1966年に帰国後は人気が伸びなかったが、再渡米して実力を磨き、’71年にワーナー・パイオニアと契約。’72年に「北国行きで」が大ヒットし紅白に初出場した。以後、卓越した歌唱力とダンス、三味線やピアノの演奏を取り入れた多彩なステージで人気を博した。

内藤洋子

医師の家系に生まれ、小学5年の時にCM出演をきっかけに芸能界入り。1965年、黒澤明監督『赤ひげ』で女優デビューし、翌年のドラマ『氷点』で清純派女優として人気を博す。松山善三監督『その人は昔』の挿入歌「白馬のルンナ」が50万枚を超えるヒットとなり、歌手としても成功した。’70年に音楽家・喜多嶋修と結婚して引退し、’74年に家族とともに渡米。以後は絵本作家として活動している。

泉アキ

1966年、日本テレビ「あなた出番です」で優勝し、翌’67年に「恋はハートで」でクラウンレコードからデビュー。続く「夕焼けのあいつ」がヒットし、アイドル歌手として人気を得た。’72年に桂菊丸と結婚、家庭を築く一方で、’75年からテレビ朝日「独占!女の60分」にレポーターとして出演し、明るいキャラクターで人気を博す。以後、司会やクイズ番組などで幅広く活躍。さらに自動車レースにも挑戦し、’84年にはサファリラリーで日本人女性初の完走を果たした。

黛 ジュン

1964年のデビュー後、’67年に『恋のハレルヤ』で再デビュー。パンチのある声とミニスカートで歌う再デビュー4枚目のシングル『天使の誘惑』が大ヒットし、同年の日本レコード大賞に輝く。’67~’68年のレコード売上は500万枚。GS全盛期にもっとも活躍した女性シンガーでもある。

中村晃子

1965年レコードデビュー。GS全盛期にある’67年の発売にもかかわらず、7作目のシングル『虹色の湖』が80万枚の大ヒットとなり、黛ジュンとともに女性シンガーとして強烈な存在感を示す。衣装のミニスカートも時代の先鋒だった。’80年、TBSドラマ『離婚ともだち』の挿入歌『恋の綱わたり』が30万枚のヒットとなり再び注目された。

山本リンダ

雑誌モデルを経て15歳だった1966年に『こまっちゃうナ』で歌手デビュー、大ヒットを記録。以降大きなヒット曲に恵まれなかったものの、『仮面ライダー』などのドラマに出演し人気となる。’72年、大人の路線に変更しヘソ出しルックで歌った『どうにもとまらない』続く『狙いうち』が大ヒット、歌手・山本リンダの第二次ブームが訪れた。