NHKのど自慢(NHK)
1946年1月 –
1946年にラジオで始まり、’53年からテレビ放送も開始された公開視聴者参加型の生放送音楽番組。素人出場者が歌を披露し、ゲスト歌手の指導やインタビューを交えながら評価される。’70年の改革で出場者数を25人に絞り、手持ちマイクやワイヤレスマイクを導入、歌唱だけでなく表現力も重視する構成に変更され、全国大会や特別賞も設けられ人気を回復。現在も各地域から生中継や録画で放送される長寿番組。
ロッテ歌のアルバム(TBS)
1958年5月 – 1987年9月
1958年から約24年間にわたりTBS系列で日曜昼に放送された長寿歌謡番組。開始当初はモノクロ・モノラルだったが、’69年にカラー化、’85年にはステレオ放送へ移行した。番組は時代に応じて副題やタイトルを変えつつ、終始ロッテの一社提供で継続された。長年司会を務めた玉置宏の「一週間のご無沙汰でした」で始まる語り口は名物となり、従来の美文調司会とは異なる個性的な進行で歌謡番組の新境地を切り開いた。
スター千一夜(フジテレビ)
1959年3月 – 1981年9月
旬の芸能人やスポーツ選手をゲストに迎え、社会的話題として人物像に迫る月-土曜に放送された帯番組。映画スター出演制限の時代に、時事性を切り口として人気を博した。ゴールデン帯15分枠(19:45 – 20:00)で放送され、「出演すれば一人前」と称される存在感を確立。俳優司会の起用や早期のカラー化も話題となり、最高視聴率45.9%を記録した。歴代司会者は栗原玲児、石坂浩二、関口宏、吉永小百合、坂本九など。
ザ・ヒットパレード(フジテレビ)
1959年6月 – 1970年3月
初代司会者に、当時人気ロカビリー歌手だったミッキー・カーチスを起用、渡辺プロダクションと作曲家のすぎやまこういちが企画を主導した音楽番組。デビュー後まもないザ・ピーナッツやジャッキー吉川とブルーコメッツがレギュラー出演し、後のGSブームのきっかけとなった番組でもある。後にフジテレビで制作される「ミュージックフェア」「夜のヒットスタジオ」の土台でもあり、視覚でも音楽を楽しませるスタイルの走りだった。
シャボン玉ホリデー(日本テレビ)
1961年6月 – 1972年10月 / 1976年10月 – 1977年3月
日本テレビと渡辺プロダクションが制作した音楽バラエティ番組で、ザ・ピーナッツを主役に開始された。牛乳石鹸一社提供のもと、コント・歌・トークを中心に、ハナ肇とクレージーキャッツやザ・タイガースとともに多彩なゲストが参加し、多くの流行ギャグを生んだ。全回カラーVTR収録で放送され、植木等の名フレーズなどで高視聴率を記録。1972年に第1期が終了し、’76年にはピンク・レディー出演による第2期が深夜枠で放送された。
ズバリ!当てましょう(フジテレビ)
1961年8月 – 1972年2月 / 1975年10月 – 1982年3月
1960年代から1980年代にかけ、2期にわたって放送された人気の視聴者参加型番組。松下電器産業の一社提供番組で、正式な番組名は「ナショナルプライスクイズ ズバリ!当てましょう(後に変更)」だった。4組のペア回答者が品物の値段を推理して当てるもので、値段当てクイズの元祖番組。家電ブーム真っ最中の時世で、一発で値段を当てる”ズバリ賞”の商品は、当時100万円相当のナショナル電化製品一式だった。
新春かくし芸大会(フジテレビ)
1964年1月 – 2010年1月
1964年に始まったフジテレビの新春特別バラエティ番組で、『紅白歌合戦』『日本レコード大賞』と並ぶ年末年始の大型番組として親しまれた。芸能人がチームに分かれ、秘芸や余興を披露して得点を競う形式で高視聴率を長年維持。制作は渡辺プロダクションと共同で行われ、華やかな演出も名物となった。2010年元日の放送をもって47年の歴史に幕を下ろした。
歌のグランドショー(NHK)
1964年4月 – 1968年3月 / 1972年4月 – 1973年3月 / 1976年4月 – 1977年12月
初代NHKホールでの公開放送として始まったNHKの音楽番組で、パイロット版からカラー放送を行った点が特徴。初期は倍賞千恵子、アントニオ古賀、金井克子が司会を務め、後に中尾ミエが加わった。第2期以降はタイトル表記を改め、101スタジオから生放送に移行。司会は山川静夫が中心となり、フォーリーブスやキャンディーズがレギュラー出演した。第3期では山川が単独司会となり、長期にわたりNHKを代表する歌番組として親しまれた。
シオノギ・ミュージックフェア(フジテレビ)
1964年8月 –
日本の民放音楽番組として最長寿を誇るフジテレビ系のレギュラー番組で、1964年の開始以来、塩野義製薬一社提供の冠番組として放送されてきた。’67年にカラー化、’78年にステレオ化、2004年にはハイビジョン制作へ移行するなど、放送技術の進化も反映している。初代総合司会に越路吹雪、二代目に左幸子、三代目に長門裕之・南田洋子夫妻など落ち着いた進行役とゲスト同士の丁寧なトーク、質の高い歌唱演出が特徴で、海外の大物アーティストも多数出演した。初期は公開収録も行われたが、現在は観客を入れないスタジオ収録が基本となっている。
そっくりショー(日本テレビ)
1964年11月 – 1977年9月
視聴者参加型の人気番組。視聴者の推薦で集められた有名人の“そっくりさん”5人が出演し、審査員の投票によってチャンピオンを決定した。本人がゲストとして登場することも特徴で、歌手の場合は持ち歌を披露し、それ以外の場合はイメージに合わせた歌や振り付けで競った。優勝者にはトロフィーと賞金5万円が贈られた。チャンピオンが揃うと大会が開かれ、グランドチャンピオンにはゴールデントロフィー、推薦者と行くヨーロッパ旅行、賞金10万円が授与された。司会は当初小野栄一が務め、’68年の『そっくりショー日本一!』への改題を機に青空はるお・青空あきおへ交代。番組は『新そっくりショー』などの形式変更を経ながら続き、’66年には最高視聴率43.9%を記録するなど高い人気を誇った。
11PM(日本テレビ)
1965年11月 – 1990年3月
1965年から約24年半にわたり放送された日本初の深夜お色気ワイドショーで、基本は生放送。日本テレビとよみうりテレビが曜日別に制作し、大橋巨泉、愛川欽也、藤本義一らが司会を担当。ヌードや風俗といった刺激的題材から、前衛芸術、政治・社会問題まで幅広く扱い、深夜番組の可能性を拡張した。曜日ごとの特色ある企画も定着し、最高視聴率48%超を記録するなど、長寿かつ影響力の大きい番組として知られる。
家族そろって歌合戦(TBS)
1966年4月 – 1980年12月
TBSを幹事局とし、各地の系列局が持ち回りで制作・放送した視聴者参加型の歌合戦番組。審査員は市川昭介、笠置シヅ子、神津善行、山本直純など。日本各地の市民会館などで公開収録が行われ、家族単位の出場者が動物名を冠したチームとして歌声を競った。司会は獅子てんや・瀬戸わんやが担当した。当初はモノクロ放送だったが1970年4月からカラー化。約14年半にわたり放送され、昼間ながら平均15%を記録した時期もあったが、後年は視聴率が低下し、愛知県西尾市での収録を最後に終了した。
笑点(日本テレビ)
1966年5月 – 1968年4月 / 1968年5月 – 1996年3月ほか
1966年に『金曜夜席』を継ぐ形で始まった演芸バラエティ番組で、大喜利で座布団をやり取りする形式が特色。番組名は『氷点』をもじったものとされ、命名を巡る逸話も知られる。放送開始当初から一貫してカラー放送を行い、隔週で後楽園ホールにて公開収録されてきた。落語や講談などの演芸と大喜利を柱に、寄席文字を用いた独自の画面演出を守り続け、高視聴率を記録する長寿番組として日本のテレビ演芸史に刻まれる。
プラチナゴールデンショー(日本テレビ)
1966年10月 – 1971年4月 / 1973年10月 – 1974年4月
プラチナ萬年筆の一社提供による音楽バラエティ番組。集英社『明星』の協賛を受けて開始され、当初は『プラチナアワー 明星ゴールデンショー』の題名で放送された。藤村有弘が司会を務め、由美かおる、フォーリーブスらが出演し、歌謡界の若手を積極的に起用した構成が特徴だった。第2期ではジャニーズ・ジュニアの公募も行われ、後のスターを見い出す場ともなり、アイドル文化の形成に一定の役割を果たした。
万国びっくりショー(フジテレビ)
1967年11月 – 1969年3月 / 1969年4月 – 1971年3月ほか
1966年放送の『びっくりショー』を発展させ、世界各国の出演者が驚異的な芸を披露した。’70年大阪万博に着想を得た企画で、万博会場での収録も行われた。司会は主に八木治郎が務め、高視聴率を記録したが、編成変更後に低迷。番組は形を変えつつ継続・復活を重ね、国際色豊かな見世物番組として人気を博した。
お昼のゴールデンショー(フジテレビ)
1968年4月 – 1971年9月
東京ヴィデオ・ホールから毎日生放送された昼のバラエティ番組で、前田武彦を司会にコント55号がレギュラーとして活躍した。多数の芸人や歌手を迎え、コントやゲームで流行語を生み、時に前衛的企画も放送。出演者の多忙化に伴い司会や構成を刷新しつつ継続したが、カラー化を機に1970年9月で終了し、『ハイヌーンショー』へ移行した。
夜のヒットスタジオ(フジテレビ)
1968年11月 – 1990年10月
約22年間にわたり放送されたフジテレビの音楽番組で、原則生放送を特徴とした。1970年代前半までは歌謡バラエティ色が強かったが、’76年以降はアイドルや演歌に加え、ニューミュージック、ロック系、海外アーティストまで幅広く出演させ、生演奏・フルコーラスを基本とした構成で音楽番組の質を高めた。名物は出演歌手同士がリレー方式で他の歌手を紹介する番組オープニング。沢田研二「サムライ」での50畳の畳敷きの演出など、印象的なスタジオセットも特徴だった。司会は芳村真理を中心に前田武彦、三波伸介、井上順、古舘伊知郎らが務めた。演奏は長年ダン池田とニューブリードが担当し、番組の象徴的存在となった。芸能事務所の力関係も出演構成に影響を与えた点は、当時の音楽界を映す側面でもあった。
クイズタイムショック(テレビ朝日)
1969年1月 – 1986年3月 / 1989年10月 – 1990年3月ほか
田宮二郎が司会を務める1969年にテレビ朝日系列で始まったクイズ番組で、司会者を交代しながら3シリーズのレギュラー放送を経て、以後も特番として断続的に制作されている。1分間に12問、5秒ごとに出題される高速クイズに挑む形式で、「現代人の頭脳と反射神経を試す」ことを趣旨とした。巨大な時計台と高所の解答席、成績不振時に作動するペナルティ演出が象徴的で、全問1問1答・即断即答を求める厳格なルールも特徴。平均視聴率14%、最高29%を記録し、スピード感あふれる名物番組として強い印象を残した。
ヤングおー!おー!(毎日放送)
1969年7月 – 1982年9月
若者向けを前面に打ち出した公開バラエティ番組。ラジオ番組『歌え!MBSヤングタウン』のテレビ版として制作され、桂三枝や笑福亭仁鶴、やすし・きよしらが司会を担当。’70年代頃はまだ若手だった明石家さんまも観客席インタビューなどを受け持った。短いコーナーを連続させる構成と、芸人個人のキャラクターを生かす演出で人気を博し、吉本興業の若手芸人を全国区へ押し上げた。上方演芸界の勢力図を塗り替えた象徴的番組として知られる。
NTV紅白歌のベストテン(日本テレビ)
1969年10月 – 1981年3月
「NHK紅白歌合戦を毎週楽しめる番組」を発想源に、紅白対抗形式とベストテン風構成を融合させた歌謡番組。出演者は紅白各5組の計10組で、客観的ランキングではなく局側のキャスティングによって選ばれた。原則として渋谷公会堂から公開生放送で行われ、修学旅行生の紹介が定番演出となった。白組キャプテンは堺正章が一貫して務め、紅組は水前寺清子、今陽子、岡崎友紀らが担当。白組では野口五郎・郷ひろみ・西城秀樹の「新御三家」が、紅組では森昌子・桜田淳子・山口百恵の「花の中三トリオ」が人気を牽引し、演歌勢では五木ひろしや八代亜紀、和田アキ子らが常連として出演した。
巨泉・前武ゲバゲバ90分!(日本テレビ)
1969年10月 – 1970年3月 / 1970年10月 – 1971年3月
大橋巨泉と前田武彦の掛け合いによる生放送パートと、事前収録の大量ショートコントで構成されたバラエティ番組。米国番組『ラフ・イン』をモデルに、矢継ぎ早にコントを連ねる斬新な演出を採用し「アッと驚く為五郎」などの流行語を生んだ。膨大な台本と徹底した制作体制でも知られ、1960年代末のテレビ表現に大きな影響を与えた。
8時だョ!全員集合(TBS)
1969年10月 – 1971年3月 / 1971年10月 – 1985年9月
1969年から’85年までTBS系列で放送されたザ・ドリフターズの冠お笑いバラエティ番組。前半はドリフによる本格コント、後半は体操や合唱団を交えた企画で構成され、間に歌手ゲストの歌唱が挟まれた。全国各地の劇場から公開生放送を行い、大掛かりな舞台装置と体当たりの笑いで国民的人気を獲得。平均視聴率27%、最高50.5%を記録し、土曜夜の象徴的番組となった。
全日本歌謡選手権(日本テレビ)
1970年1月 – 1976年12月
歌合戦形式で行われた視聴者参加型オーディション番組で、アマチュアとプロ歌手が同じ舞台で競う。司会は長沢純や浜村淳が務め、ヒットに恵まれない歌手にとっては再起の登竜門となり、五木ひろしや八代亜紀などがグランドチャンピオンから演歌界のスターへと飛躍した。毎回5人(後に6人)が出場し、鈴木淳や山口洋子などによる審査で70点以上で勝ち抜き、10週連続でグランドチャンピオンに到達するとトロフィーや契約権が与えられた。大阪近郊を中心に公開収録され、演出性の高い審査発表も名物だったが、視聴率の低迷により1976年末に終了した。
ラブラブショー(フジテレビ)
1970年4月 – 1979年9月
芳村真理司会のもと、若手歌手や俳優のカップルを招いて恋愛トークや演出で盛り上げるバラエティ番組。多くは番組設定上の組み合わせだったが、山口百恵&三浦友和など実際の交際や結婚へ発展した例もあり話題を呼んだ。後期にはタレントと一般視聴者の参加回も導入。放送時間帯やスポンサー変更を経て展開され、現在は映像資料が少ない幻の番組として知られている。
アイドル水泳大会(民放各局)
1970年8月 –
水泳を題材に各局で放送されたアイドル中心のバラエティ番組。芸能人運動会の派生企画として始まり、当初は水泳競技の真剣勝負も行われていたが、全盛期には浮島戦や水上格闘など大型プールで女性アイドルが不安定な足場のゲームに挑む内容が主流となり、お色気要素が強まった。普段は見られない水着姿が話題を呼んだ一方、時代の風潮や自主規制の高まり、セクシーアイドル台頭の影響で次第に衰退した。
TVジョッキー(日本テレビ)
1971年1月 – 1982年12月 –
日本テレビ系列で日曜昼に生放送された視聴者参加型バラエティ番組。初代司会者は土居まさる。正式名称は『TVジョッキー日曜大行進』で、視聴者が電話やスタジオ参加で番組に加わる形式が特徴。白いギターやEDWINのジーンズなど豪華賞品も若者の憧れとなった。1970年にはコント55号による特別編成も行われ、’78年にはステレオ放送にも対応。’82年に終了し、後継番組としてビートたけしを司会とする『スーパージョッキー』が開始した。
新婚さんいらっしゃい!(朝日放送)
1971年1月 – 現在
1971年に放送を開始した朝日放送テレビ制作の視聴者参加型トーク番組。全国ネットで毎週日曜昼に放送され、新婚夫婦を招いて出会いや結婚生活のエピソードを軽妙な掛け合いで紹介する。長寿番組として知られ、桂文枝が半世紀以上にわたり司会を務めたことでギネス世界記録にも認定された。放送開始から50年以上続く昼の名物番組である。
23時ショー(テレビ朝日)
1971年4月 – 1973年12月 / 1977年10月 – 1979年9月
1970年代にNETテレビ(のちのテレビ朝日)で放送された深夜のアダルト向けバラエティ番組。生放送を軸に過激な色気を売り物としつつ、政治問題など硬派な話題も扱い『11PM』と並ぶ深夜番組として注目を集めた。曜日別に司会者を置き、ケーシー高峰、筒井康隆、愛川欽也、高島忠夫ら多彩な顔触れが出演し、初期の金曜には上方演芸も紹介した。一方で低俗番組との批判を受け、’73年の深夜放送自粛を機に一度終了。’77年に再開後は’79年まで放送され、後続番組へと流れを引き継いだ。
スター誕生!(日本テレビ)
1971年10月 – 1983年9月
1971年に開始され、12年間にわたり放送された日本テレビの視聴者参加型歌手オーディション番組。企画者は作詞家の阿久悠で、カラーテレビ時代の特性を生かし「テレビの手でスターを生み出す」ことを目的に開始した。毎週、予選を経た5~7人の挑戦者が歌合戦形式で競い、日曜午前枠で長期育成を前提とした構成が特徴だった。初代司会は萩本欽一が務め、作詞家や作曲家の審査員による辛口審査の中でも参加者を励ます立場を貫いた。森昌子の合格以降、応募者は10代中心となり、新たな時代の歌謡界を牽引する山口百恵、桜田淳子、岩崎宏美、ピンク・レディーなどを続々と輩出。中森明菜は不合格を経験しながらも’81年の三度目の挑戦で392点という史上最高得点を記録し、強烈な印象を残した。
ベスト30歌謡曲(テレビ朝日)
1972年1月 – 1976年3月 / 1978年7月 – 1979年3月
毎回30曲をランキング形式で紹介する音楽番組で、スタジオには出演歌手30人分の大型ランキングボードが常設されていた。ボードには顔写真や曲名、順位推移、ポイントなど詳細なデータが表示され、歌手の登場に合わせて該当部分が点灯する演出が特徴だった。第2期以降は表示形式を簡略化し、上位10曲ではフラップ式ボードも使用。司会は愛川欽也、森田健作、井上順らが務め、エンディングでは観客へのサインプレゼントも行われた。
お笑いオンステージ(NHK)
1972年4月 – 1982年4月
1970年代を代表するNHKの大型お笑い番組で、三波伸介を中心に構成された。土曜放送時代は「笑福亭仁鶴のお見合い」「演芸コーナー」「てんぷく笑劇場」の三本立てで、庶民的な笑いと人情味を融合。’73年に日曜へ移行後は「てんぷく笑劇場」「歌謡曲コーナー」「減点パパ(後に減点ファミリー)」を柱とし、家族向け娯楽番組として人気を確立した。’82年に10年間の歴史に幕を下ろした。
ぎんざNOW(TBS)
1972年10月 – 1974年6月 / 1974年7月 – 1977年4月ほか
1972年から’79年までTBSで生放送された素人参加型情報バラエティ番組。銀座テレサからの観客参加形式で、司会のせんだみつおが人気を博した。中高生の帰宅時間帯を狙った月曜 – 金曜 17:00 – 17:30などの編成で高視聴率を獲得し、「しろうとコメディアン道場」から関根勤、小堺一機、竹中直人らが登場。音楽企画も充実し、国内外の著名ミュージシャンが出演。若者文化と街の熱気を伝えた番組として知られる。
コント55号のなんでそうなるの?(日本テレビ)
1973年4月 – 9月 / 1974年4月 – 1975年3月 / 1975年10月 – 1976年3月
1973年から’76年にかけて日本テレビで放送されたコント55号の冠お笑い番組。浅草松竹演芸場での公開収録による舞台コントを中心に構成され、簡潔ながらも独自の間と身体性を生かした笑いで高い人気を得た。舞台全景を重視した撮影手法や「なんでそーなるの!?」のアイキャッチも特徴で、コンビを代表する番組の一つとして知られる。
プロポーズ大作戦(テレビ朝日)
1973年4月 – 12月 / 1974年1月 – 1975年11月 / 1975年12月 – 1985年3月
横山やすし・西川きよしが司会を務めた公開収録形式のバラエティ番組。関西ローカルの深夜番組として始まり、放送枠拡大やネットチェンジを経て1975年末に全国ネット・ゴールデン帯へ進出した。ABCホールを拠点に展開され、人気コーナー「「フィーリングカップル5vs5」」やキダ・タロー作曲のテーマ音楽も親しまれた。最高視聴率36%を記録するなど高い人気を誇り、’85年に12年の歴史に幕を下ろした。
金曜10時!うわさのチャンネル!!(日本テレビ)
1973年10月 – 1975年9月 / 1975年10月 – 1979年6月
日本テレビで生放送された深夜帯の大型バラエティ番組。和田アキ子とタモリが初共演し、せんだみつおらとの奔放な掛け合いで人気を獲得した。制作は井原高忠が担当し、型破りで過激な演出が特徴。ザ・デストロイヤーやマギー・ミネンコなども人気を集め、初回低視聴率から急上昇し全盛期には30%超を記録したが、主要出演者の降板が相次ぎ、人気低迷の末に終了した。
君こそスターだ!(フジテレビ)
1973年10月 – 1980年3月
フジテレビ系列局で放送された視聴者参加型の歌手オーディション番組で、『スター誕生!』のライバル的存在として知られる。初代司会者は三波伸介。渡辺プロダクションが制作協力し、林寛子、高田みづえ、石川ひとみ、越美晴らを輩出した。グランドチャンピオン決定時にはくす玉や紙吹雪、風船を用いた派手な演出が行われ、時期によってはゴンドラ式の合格発表も採用された。番組内ではコントやミニゲームなどの娯楽要素も盛り込まれ、後年のアイドル発掘番組へとつながる一系譜を成した。
パンチDEデート(関西テレビ)
1973年10月 – 1984年3月
関西テレビで放送された視聴者参加型の恋愛バラエティ番組。深夜番組『ナイト・パンチ』の一企画から独立し、若者風俗を巧みに取り入れて人気を獲得、のちにフジテレビ系全国ネットへ昇格した。司会は桂三枝と西川きよしが務め、軽快な漫才調の進行と名物キャッチフレーズが番組の象徴となった。関西制作恋愛番組を代表する長寿番組として知られる。
ものまね王座決定戦(フジテレビ)
1973年11月 – 2000年10月 / 2012年 – 現在
1973年にフジテレビの特番として始まった不定期放送のものまね番組。第1回は高視聴率を記録し、森昌子が初代王者となった。’80年代後半以降は所ジョージらの司会のもと、淡谷のり子を審査員に迎え、笑いとパロディ性を重視した路線へ転換。コロッケや清水アキラら“ものまね四天王”を中心に人気を博し、’90年代のものまねブームを牽引した。
カックラキン大放送!!(日本テレビ)
1975年4月 – 1975年9月 / 1976年4月 – 1986年3月 / 1986年4月 – 1986年9月
日本テレビ系で放送されたコント主体のバラエティ番組で、演出の白井荘也が松竹新喜劇に着想を得て企画した。坂上二郎、野口五郎、研ナオコを中心に始まり、視聴率の安定からレギュラー化。後に堺正章や郷ひろみ、西城秀樹ら新御三家が加わり、アイドルと喜劇を融合した構成で人気を博した。高田みづえがコメディエンヌとして注目を集めた点も特色だった。
テレビ三面記事 ウィークエンダー(日本テレビ)
1975年4月 – 1975年9月 / 1975年10月 – 1984年5月ほか
全国ニュースに載らないB級事件をリポーターがフリップや再現フィルムで解説する低予算ワイドショー的バラエティ。常時30%超の視聴率を記録した日テレの看板番組だった。朝枠の「テレビ三面記事」を週末プライム向けに発展させ、男性層を意識した内容に転換。司会は 加藤芳郎、リポーターに 泉ピン子、大山のぶ代、桂朝丸、高見恭子、青空はるおら。クインシー・ジョーンズ作曲・鬼警部アイアンサイドのテーマに乗せ、小早川正昭の「新聞によりますと…」で始まる語りが名物だった。
欽ちゃんのドンとやってみよう!(フジテレビ)
1975年4月 – 1980年3月
萩本欽一が企画・主演を務めたフジテレビ土曜夜のバラエティ番組。ラジオのヒットを受けて1975年にレギュラー化され、当初は『萩本欽一ショー』を冠した。視聴者投稿ハガキと萩本の即興的アドリブを軸に、NGも笑いに変える自由な演出が特徴で、「バカウケ」などの流行語も生んだ。この手法は後のフジ系バラエティに大きな影響を与えた。
ぴったし カン・カン(TBS)
1975年10月 – 1986年3月
一般視聴者も参加するトーク重視のクイズバラエティで、司会の久米宏と、コント55号の萩本欽一・坂上二郎が中心となって展開された。緊張感よりも会話の妙や間を楽しませる作風で、久米の軽妙な司会は全国的な人気を獲得した。出題時に正解を伏せるため使われた「ほにゃらら」という言葉は流行語となり、番組の象徴となった。日本のクイズ番組で初めてVTR問題を導入した点も特筆される。企画は萩本宅での新年会から生まれ、古今東西ゲームのスピード感をテレビに持ち込んだもので、生放送ならではのハプニングも名物だった。
びっくり日本新記録(よみうりテレビ)
1975年10月 – 1978年3月 / 1978年10月 – 1979年4月ほか
よみうりテレビ制作で放送された視聴者参加型のスポーツバラエティ番組。一般参加者が風変わりな競技に挑み、日本一や新記録を目指す構成で人気を博した。中期以降は屋外ロケ中心となり、実況と演出を強めた展開が特徴。名物企画「鳥人間コンテスト」を生み、記録に挑む人間の可能性とロマンを描いた長寿番組。
クイズダービー(TBS)
1976年1月 – 1992年12月
ロート製薬の一社提供で放送された全862回の長寿番組。司会の大橋巨泉がカナダで見たクイズ番組セレブリティ・ステークスをヒントに企画し、漫画家・はらたいらなどの解答者を競走馬に見立てて出場者が持ち点を賭ける競馬方式を採用した。巨泉と個性豊かな解答者との軽妙なやりとり、ギャンブル的なスリルが視聴者を引きつけた。本家が短命に終わったのに対し、本番組では問題は事前に知らされず、巨泉も収録直前に初見で臨む形式を徹底したことが緊張感を高めた。1979年6月30日放送回には視聴率40.8%(関東地区)を記録し、クイズ番組初の40%台を達成。1979年から1981年にかけて年間平均約30%を誇り、民放クイズ番組史上屈指の黄金期を築いた。
徹子の部屋(テレビ朝日)
1976年2月 – 1996年3月 / 1996年4月 – 1997年9月 / 1997年10月 – 2014年3月ほか
1976年2月2日よりテレビ朝日系列で平日昼に放送されている黒柳徹子の冠トーク番組。原則として毎回1組のゲストを迎え、人物の人生や素顔に迫る対話を特徴とする。初回ゲストは森繁久彌で、以後も加山雄三やタモリなど常連出演者を生んだ。俳優や芸能人に加え、市民運動やボランティア関係者が登場する点も特色で、収録が長時間に及び2回放送となる例も少なくない。日本のテレビ史を代表する長寿番組の一つである。最多出演ゲストは53回で加山雄三、歴代の高視聴率を記録したゲストは三浦友和で1981年4月10日(金)の14.5%(※2025年時点)。
お笑いマンガ道場(中京テレビ)
1976年4月 – 1994年3月
司会が出すお題に対し、出演者がフリップに即興でマンガを描いて競う大喜利形式のバラエティ番組。数回戦制を基本に構成され、当初は中京圏ローカル番組として開始されたが、後に全国放送へ拡大。土曜夕方の定番として高視聴率を記録し、正月特番「初笑いマンガ道場」も親しまれた。近年は配信や傑作選放送で再評価されている。
スターどっきり㊙報告(フジテレビ)
1976年4月 – 1998年9月
仕掛けた出来事で芸能人を驚かせ、その反応を楽しむフジの人気バラエティ番組。ジャニーズ事務所、ホリプロ、田辺エージェンシー、バーニングプロダクションなどに所属する当時のスターが多数出演し、後続の類似番組を生む先駆けとなった。1976年4月、三波伸介を司会に迎え、『木曜ビッグイベント スターどっきり㊙報告』として木曜20時枠でスタート。制作は『夜のヒットスタジオ』と同じ疋田拓プロデューサー率いる制作班が担当した。’79年には『スターどっきり生放送』と改題し生放送化するがレギュラー終了。その後は特番や再レギュラー化を挟みつつ、’98年まで断続的に放送された。レポーターには宮尾すすむ、小野ヤスシ、ダン池田、みのもんた、片岡鶴太郎、轟二郎らが名を連ねた。
欽ちゃんのどこまでやるの!?(テレビ朝日)
1976年10月 – 1986年9月
萩本欽一の冠番組として水曜21時枠で放送された公開コメディー番組。舞台に観客を入れ、萩本家を舞台とするホームドラマ形式で進行し、萩本と真屋順子が夫婦役を演じた。引っ越しや子どもの成長など設定を変化させながら長期的な物語性を持たせ、見栄晴や「わらべ」誕生の場ともなった。茶の間のテレビから番組が始まる独特の演出も特徴である。
クイズ・ドレミファドン!(フジテレビ)
1976年10月 – 1988年4月
フジテレビで放送された音楽系クイズバラエティで、後に特番として継続された。楽曲のイントロを当てるクイズの元祖として知られ、音楽や芸能に関する問題、歌手ゲストによる歌唱も交えた構成が特色。司会は高島忠夫が務め、「イェーイ!!」の掛け声も名物となった。日曜昼ながら安定した高視聴率を記録し、フジテレビを代表する長寿番組の一つとなった。
トップスターショー 歌ある限り(TBS)
1976年10月 – 1977年12月
スタジオに観客を招いて行われた公開型の音楽番組で、演歌からポップスまで幅広い歌手を毎回迎えて構成された。司会は二谷英明と久米宏が務め、歌唱の合間には二谷とゲストによるトークが展開された。収録はTBS本館Gスタジオで行われ、演奏は宮間利之とニューハードらが担当。エンディングには森田公一とトップギャランの「青春時代」などが用いられ、最終回ではレコード大賞候補歌手が集結し、後番組『ザ・ベストテン』へのバトンタッチが演出された。
ドリフ大爆笑(フジテレビ)
1977年2月 – 1998年4月
フジテレビ系列で月1回放送されたお笑いバラエティ番組。ザ・ドリフターズの冠番組として、『8時だョ!全員集合』と並ぶ代表作である。各回ごとに設定されたテーマに基づくコントと、ゲスト歌手の歌を交互に構成し、いかりや長介が進行役を務めた。「雷様」「ばか兄弟」などの人気シリーズで高視聴率を記録し、長期にわたり国民的番組として親しまれた。
ザ・ベストテン(TBS)
1978年1月 – 1989年9月
『トップスターショー・歌ある限り』の後番組として始まった音楽ランキング番組で、毎週生放送で独自集計による邦楽ベストテンを発表した。司会は黒柳徹子と久米宏の名コンビが務め、新幹線の車中やホームで移動中の出演者が歌唱するなどの臨場感とリアリティも魅力となり、最高視聴率41.9%を記録する社会現象となった。ランキングはレコード売上、有線放送、ラジオリクエスト、はがき投票を合算したポイント制で決定され、空港の案内表示機を参考とする反転フラップ式のランキングボードを用いた発表演出が番組の象徴となった。歌手は原則として順位に応じて生出演し、海外・地方からの中継も多用された。番組終盤には出演者全員で集合写真を撮影し、視聴者にプレゼントするなど、参加型の仕掛けで高い支持を集めた。
花の新婚!カンピューター作戦(関西テレビ)
1978年10月 – 1991年3月
関西テレビ制作で1978年から’91年まで放送されたバラエティ番組。男性6人、女性5人の素人出演者の中から本物の新婚夫婦を推理する内容で、トークとゲーム性を融合した構成が特色。司会は上岡龍太郎が務め、横山ノックや桂文珍らが解答者として推理を展開した。関西色の強い軽妙な掛け合いと日曜昼の定番番組として長く親しまれた。
欽ちゃんの爆笑仮装コンテスト 全日本仮装大賞(日本テレビ)
1979年12月 – 2001年9月ほか
萩本欽一司会のもと1979年にスタートした視聴者参加型バラエティ番組。NHK紅白歌合戦への対抗企画として大晦日に始まり、素人参加者が工夫を凝らした仮装作品を披露する形式が人気を獲得。当初は仮装行列的内容が中心だったが、回を重ねるごとに完成度の高い表現へ進化し、恒例番組として定着した。香取慎吾の参加で番組名と司会体制を変えつつ、長年親しまれている。