1980年代
\TOPICS/
個性的なデザイナーの感性を前面に出したDCブランドが若者の支持を集め、ブランド志向が一段と強まった。
大型ファッションビルの登場とともに流行の規模も拡大し、日本独自のファッション文化が成熟していった。
サーファーファッション
’70年代後半から始まったアメリカ西海岸文化への憧れがピークに達して登場したのがサーファーファッション。海に行かないのに格好だけを真似る「陸(おか)サーファー」という言葉が生まれるほど、当時の若者の間で圧倒的な支持を得た。 絶大な人気だった「POPEYE」、女性誌では赤文字系雑誌の「JJ」に新たに「CanCam」も加わると、女子大生の間では、エンジェル・フライトのパンタロンにプルメリアデザインのアクセサリーを合わせるきれいめサーファースタイルが空前のブームとなった。ファラ・フォーセット・メジャーズを手本とする、左右の髪に段をつけ(レイヤー)て後ろに流すサーファーカットも、この時代のトレンドだった。
竹の子族
’80年代初頭、独自の派手な衣装で踊る若者たちのグループ「竹の子族」が爆発的ブームとなる。当時の原宿竹下通りにあった「ブティック竹の子」で販売されていた服を着ていたことが名前の由来。アラビアの衣装を思わせるゆったりとしたシルエットのつなぎのような服がトレードマークで、赤、ピンク、紫、ターコイズブルーといった鮮やかな原色が好まれ、背中には漢字でグループ名や自分の名前が刺繍されていた。毎週日曜日、原宿・代々木公園横の歩行者天国にラジカセを持ち寄りディスコサウンドで踊る若者はピーク時は4,000人以上、ギャラリーは10万人/日に達したと言われる。
DCブランド
’70年代後半から’80年代に日本で流行した「デザイナーズ&キャラクターズ」の略称で、デザイナーの個性や独自の世界観を前面に出したファッションブランドの総称。既製服中心だった従来のアパレルに対し、少量生産と強いデザイン性で若者の支持を集めた。’80年代に最盛期を迎え、黒を基調とした装いの「カラス族」も登場した。代表的なデザイナーには三宅一生、川久保玲、山本耀司らがおり、渋谷や原宿のファッションビルを拠点に一大ブームを築いた。
スタジャン
’60年代、VAN Jacket(ヴァンヂャケット)がアイビー・トラッドスタイルとして広めた後、’80年代に大学のサークルなどでチームウェアとして作る文化が広がり人気が再燃した。DCブランドブームの中、メンズ・ビギ(MEN’S BIGI) のスタジャンは’84年〜’85年頃に「10万円近くする高級スタジャン」として若者にとって憧れのステータスアイテムとなり、’85年に誕生したブランド「セーラーズ 」の製品はマイケル・ジャクソンやおニャン子クラブの衣装にも採用されたことで社会現象となった。
ケミカルウォッシュジーンズ
漂白剤(次亜塩素酸ソーダ)を染み込ませた軽石をデニム生地と一緒に洗浄・脱色する加工技術によるケミカルウォッシュデニムが流行した。まだら模様や霜降り状の激しい色ムラが特徴で、ストーンウォッシュよりコントラストが強く、ヴィンテージ風や個性的なファッションスタイルを演出するアイテムして支持された。ジャケットやスカートも人気となった。
コンサバ
’70年代のニュートラ、ハマトラの系譜を継いで、保守的(コンサバティブ)な装いが、特に女子大生や若いOLの間で圧倒的な支持を得た。DCブランドや竹の子族のような個性的で尖ったファッションの対極として、誰からも好感を持たれる紺のブレザー(紺ブレ)や金ボタンのジャケット、キュロットスカート、パールのネックレスなどが定番だった。クレージュやピンキー&ダイアン、エルメスやヴィトンなどの高級バッグも必需品だった。女性誌「JJ」がコンサバ女子のバイブルで、コンサバファッションに身を包む読者モデルたちは「JJモデル」と呼ばれ、憧れの的となった。
プレッピー
アメリカの名門私立校やアイビーリーグの学生の服装を手本にした上品でカジュアルなスタイル。紺ブレザー、ボタンダウンシャツ、チノパン、カーディガン、ローファーなどを組み合わせ、知的で育ちの良さを感じさせる雰囲気を持つ。日本では’80年代に大きなブームとなり、「Tommy Hilfiger」「RALPH LAUREN」などのアイテムが人気となったを集めた。ニュートラやハマトラと並んで、若者の定番ファッションとして広まった。
ワンレン&ボディコン
バブル経済絶頂期を象徴する、最も華やかでパワフルなファッションスタイル。女性たちが「強く美しくセクシー」であることを楽しんだ時代の象徴で、ワンレングスの髪に体のラインを強調するワンピースを合わせたスタイルがトレンドとなる。ディスコ「マハラジャ」や’90年代になって「ジュリアナ東京」も加わると、フロアに設けられたお立ち台の上で派手な音楽に合わせて乱舞する女性たちが話題となった。髪型は前髪を作らないセクシーなワンレングスから、作った前髪を立ち上げてスプレーで固めてトサカ状にするスタイルへと派手に変化(進化?)していった。バブル時代の強い女性像を演出するファッションとしては、男性的なシルエットを作る「肩パッド入りの服」も大流行した。
渋カジ
’80年代後半から’90年代初頭にかけて、東京・渋谷の街に集まる若者(主に団塊ジュニア世代の高校生・大学生)の間で渋谷カジュアル「渋カジ」が爆発的に流行した。 特定のブランドやデザイナーが主導したものではなく、若者たちが既存のアイテムを独自の感性で組み合わせることで生まれた「ストリート発」のファッションである点が特徴。渋谷のチーマー(若者グループ)たちが自分たちの所属を示すアイコンとして特定のアイテムを着用し、それが流行を牽引た側面も持つ。
1970年代
\TOPICS/
若者文化の成熟とともにファッションは多様化し、トラッド中心の時代から個性を求める流れへ移った。
原宿や渋谷といった街が流行の発信地となった。
パンタロン
’60年代に続き、裾が広がるフレアパンツのパンタロンが脚長・細見え効果で大流行した。’72年にはスカートの生産量を抜き、男女問わずに支持されるユニセックスファッションの主流アイテムとなった。パンタロンにフリンジ付きのベストやタイダイ柄のシャツを合わせるヒッピースタイルを経て、’70年代後半はに女子大生に支持されるスタイルに変化した。
フォークロア&エスニック
ヒッピーたちのエコロジー指向による素朴なファッションとして、ヨーロッパの農家の日常着や中南米の民族衣装風の要素を取り入れたフォークロアやエスニックスタイルが愛された。刺繍入りブラウス、ロングスカート、ベストなど、’60年代のヒッピースタイルに装飾的な要素が加わり、女性のファッションとして広がりを見せた。
マジソンバッグ
歴史的なスポーツアリーナ、ニューヨークの「マジソン・スクエア・ガーデン」の名を冠したボストン型のバッグが’68年の発売からが’70年代半ばにかけて日本中で大流行した。「MADISON SQUARE GARDEN」の文字がプリントされた紺色のポリ塩化ビニールのバッグはアメリカへの憧れを刺激し、中・高生の通学用バッグとして大人気を博した。あまりの人気に模造品も出回り、すべて含めると当時の日本の5人に1人が所有する計算となる2000万個を売り上げた。このバッグはマジソン・スクエア・ガーデンが販売したものではなく、日本のバッグメーカー、エース社によるものが”本物”だった。
ジーンズ
’60年代のヒッピー文化のムーブメントをベースに、自然体で安価なデニム素材が支持され、ベルボトムやブーツカットのパンツが大流行した。海外ブランドのLevi’s、Lee、Wrangler、国内の EDWIN、Big John、Bobsonのブルージーンズが人気となり、’70年代後半になると、Calvin KleinやRalph Laurenが洗練された高価なジーンズを提案するようになった。
ツナギ、サロペット
’60年代後半からのヒッピー文化の影響によるデニム素材の普及を背景に、’70年代の日本では、それまでの「作業着」という枠を超え、ツナギ(オールインワン/ジャンプスーツ)やサロペット(オーバーオール)が若者を中心にファッションアイテムとして大流行した。サロペットのインナーにカラフルなタイトTシャツやタートルネックを合わせるスタイルが定番で、子供から大人まで幅広い世代に普及した。
アーノルド・パーマー
’60年代後半から’70年代にかけて日本で爆発的な大ブームとなった。それまでのゴルフウェアのイメージを覆し、おしゃれなタウンカジュアルとして日本のファッションシーンに定着。胸元に4色傘のロゴが刺繍されたポロシャツやセーターが、日本における「ワンポイントマークブーム」の火付け役となった。
フィッシャーマンズセーター
「VOGUE」誌で紹介され、マリリン・モンローやグレース・ケリーなどのセレブリティも愛用したことで’50年代から’60年代にかけて世界中で大流行したフィッシャーマンズセーター(アランセーター)が、’70年代初め、トラッドの流行とともに日本でも広く普及した。元々はアイルランドやイギリスの漁師が着ていたワークウェア(仕事着)だが、保温性と防寒性の高さ、美しい縄編みの魅力で、その後もトレンドに左右されない定番の冬物アイテムとして定着した。
アメカジ
アイビーの流れを受け、よりラフでカジュカルにアレンジされたアメリカン・カジュアル、通称アメカジがファッションのジャンルとして確立した。マウンテンパーカーやバックパックなどのアウトドア要素を取り入れた「ヘビーデューティ(機能美)」スタイルが登場し、雑誌「POPEYE (ポパイ)」がアメリカ西海岸のライフスタイルや最新ファッションを伝えたことで、タイトなTシャツにショートパンツやホットパンツ、スニーカーという西海岸風ファッションも人気を集めた。この流れは、後の’80年代の”渋谷カジュアル(渋カジ)”へとつながって行った。
「JUN」ファッション
アメリカ東海岸の大学生風スタイルの「VAN」とは異なる都会的なファッションを提案したのが「JUN」で、’70年代になると”JUN MEN”や”JUN ROPE”などのラインで人気となる。クラシックエレガンスをブランドコンセプトとし、フランスやイタリアの雰囲気を取り入れた細身のシルエットが洒落たヨーロピアンスタイルとして若者の心を捉えた。’70年代後半にはパリ志向のブランド「Nicole」などと連携し、’80年代のDCブランドブームの土台を形成した。
サファリルック
探検隊の服のようなデザインで、サファリジャケットやウエストベルト付きのシャツなど、アースカラーやベージュ系の色が多かった。’70年代半ばに世界的に流行し、「anan (アンアン)」「non-no (ノンノ)」「MEN’S CLUB (メンズクラブ)」など日本の若者雑誌でもよく紹介された。もともとは貴族の狩猟服だったが、イヴ・サンローランなどのハイブランドがファッションとして昇華させ、世界的なトレンドとなった。
ニュートラ
トラディショナルがベースの正統派ブレザーやカーディガン、ワンピースに、エルメスやルイ・ヴィトン、グッチ、フェンディやセリーヌといった高級ブランドバッグをコーディネートするお嬢様スタイル。神戸・山手エリアに住む富裕層の女性たちが好むスタイルとして「an・an」「JJ」「non-no」などのファッション誌で頻繁に取り上げられ、女子大生を中心に一大ブームとなった。ニュートラディショナル略して”ニュートラ”という名称は「an・an」が名付け親とされる。
ハマトラ
神戸発のニュートラに対し、関東のトラディショナルスタイルとして、横浜・元町に本店を構えるブランドのワードローブでコーディネートする横浜発のトラディショナル”ハマトラ”が大流行した。異国的で洒落た港町のお嬢様学校フェリス女学院に通う女子大生をイメージした装いで、ミハマの靴とキタムラのバッグ、フクゾー洋品店のアイテムがハマトラファッションに欠かせない「三種の神器」となった。人気のファッション誌が特集を重ねたことによって、元町ブランドは全国的な知名度と人気を得た。
「BOAT HOUSE」のトレーナー
’79年、青山学院の前にできた小さな店に連日若者たちの行列ができ、ブランド名とボートクルーのロープがデザインされたブルーのトレーナーが飛ぶように売れ一躍社会現象となった。アイビーと海とトラッドをコンセプトとするファッションブランド「BOAT HOUSE」の製品は、加山雄三が映画で着用したことが人気の火付け役だったとされる。若大将と湘南といった爽快なマリンテイストが感度の高い層に支持され、「POPEYE」誌などのマスコミによって人気が過熱していった。
1960年代
\TOPICS/
高度経済成長の中で若者文化が広がり、アメリカ志向のトラッドが流行し、
後半にはアメリカのカウンターカルチャーの影響も入り、ジーンズやヒッピー風の自由な装いも若者の間に広がった。
ミニスカート
1959年にデザイナーのマリー・クワントが発表し世界中でブームとなったミニスカートは、’67年に来日したイギリス人モデルのツイッギーによって日本でも大流行した。同時に、ツイッギーの前髪を流したコンパクトなショートヘアも流行した。
モンドリアン・ルック
イヴ・サンローランがオランダの画家ピエト・モンドリアンの抽象画をモチーフにデザインした服で、原色(赤、青、黄)と非彩色(白、黒)のみを使った格子状デザインのAラインのミニワンピースが注目された。
アイビールック
1950年代、アメリカ東海岸の有名名門大学群「アイビー・リーグ」の学生たちが好んだトラディショナルファッションで、日本では男性ファッション誌の「MEN’S CLUB」とヴァンヂャケット創業者の石津謙介氏により大きな広がりを見せた。銀座のみゆき通りをアイビールックに身を包んだ若者たちが闊歩し、彼らは”みゆき族”と呼ばれた。
パンタロン
1964年、シャネルが膝下から裾にかけて釣鐘状に広がるシルエットのパンツが特徴のパンタロンスーツを発表。イヴ・サンローランもこれに続き、ウーマン・リブの台頭とともに女性もズボンを履く時代が本格的に訪れた。
モッズスタイル
ロンドンの若者たちが好んだイタリアンテイストの細身のスーツ(モッズスーツ)をスクーターの汚れから守るため、アメリカ軍放出品のモッズコート (M-51)を羽織るスタイルが定番化した。’60年代半ばのビートルの活躍により、日本を含む世界中で流行した。
ヒッピースタイル
ベトナム戦争下で愛と平和(ラブ&ピース)を掲げ、消費社会や既存の秩序に反発する自然回帰の精神を反映したスタイルで、長髪にヒゲを蓄え、ビーズのネックレスや木綿のバンダナを着用する男性、足元まであるマキシドレス姿の女性、丸いサングラスやバンダナ、ビーズのネックレスなどの小物が流行した。
サイケデリック&ポップ
ヒッピー文化やLSDの幻覚体験に由来する、極彩色・蛍光色・流動的な幾何学柄を用いた派手なスタイル。鮮やかな原色や蛍光カラーを多用し、ペイズリー柄やフラワーモチーフを主流に、ミニドレス、Tシャツ、ベルボトムパンツ、ペーパードレスなどが人気を集めた。
ツナギ、サロペット
ヒッピー文化の影響によるデニム素材の普及を背景に、’70年代の日本では、それまでの「作業着」という枠を超え、ツナギ(オールインワン/ジャンプスーツ)やサロペット(オーバーオール)が若者を中心にファッションアイテムとして大流行した。サロペットのインナーにカラフルなタイトTシャツやタートルネックを合わせるスタイルが定番で、子供から大人まで幅広い世代で普及した。
レナウン・ルック
服飾メーカーのレナウンによるブランドで、640通りのコーディネートができる「イエイエ(Ye-Ye)」シリーズを発表。ミニスカート、鮮やかなニットウエア、Aラインワンピース、カラフルなタイツなどが「イエイエスタイル」として若い女性たちの間で熱狂的な人気を集めた。明るくポップな「ワンサカ娘」のCMで明るく陽気な女性のイメージを打ち出し、ヤングカジュアルの代表格となった。
