FOOD & DRINK
昭和のフード&ドリンク
─ 主なフード&ドリンク ─
1980年代
─ グルメブームとバブルの味 ─
バブル経済の影響でイタリアンやエスニック料理などより本格的で刺激的な味が好まれ、食のグルメ化・エンタメ化が始まった。
激辛エスニックブーム
'84年のスナック菓子「カラムーチョ」の発売をきっかけに激辛ブームが起こりました。'85年以降、急激な円高が進んだことで日本人の海外旅行が爆発的に増え、東南アジアへの旅行では、それまで馴染みの薄かった大量のハーブや刺激的なスパイスを使った本場の料理が日本人の舌と胃袋をつかみ、大量の唐辛子を使ったタイのトムヤムクンやグリーンカレー、メキシコのハバネロやサルサソース料理、韓国のチゲ、大辛のインドカレーが大流行しました。"激辛"という言葉は'86年の新語・流行語大賞に選ばれ、まさに激辛エスニックは大きな社会現象となりました。
イタ飯ブーム
'73年に日本上陸したピザの「シェーキーズ」、'70年代後半の「イタリアントマト」「カプリチョーザ」などでイタリアの食が普及した後、'80年代後半のバブル絶頂期に起きたのが"イタ飯"ブーム。それまで高級で敷居の高かったフランス料理に代わり、カジュアルでお洒落なイタリア料理が若者や高感度な層に支持され、社会現象となりました。 スパゲッティはパスタ、ピザはピッツァと呼ばれるようになり、ラザニア、アクアパッツァなど本場志向のメニューが広く知られるようになりました。ティラミスなどの本格派デザートも大きな注目を集めました。
空前のワインブーム
バブル期のイタ飯ブームに伴って注目を集めたのがイタリアワイン。まだフランスワインのブランド力が強かった当時、イタリア産は「安くて飲みやすい」というイメージで広く浸透していきました。キャンティ・クラシコなどのトスカーナワインがリストの定番となり、ワインの王様と呼ばれた「バローロ」などの高級イタリアワインも注目されました。また、空輸で届くフランス産の「ボジョレー・ヌーヴォー」も一大ブームとなり、この時代のワイン人気が日本におけるワインブームの始まりで、多くの人が日常的にワインを愉しむライフスタイルの起点となりました。
別腹、食べ歩きの流行
多国籍な食文化が広がる中、世界中のスイーツも日本にいながら楽しめるようになり、'88年に創刊された雑誌「Hanako」が食事の後に別の店でスイーツを食べる'"別腹"スタイルを提唱。ここから「別腹」という言葉が生まれました。また、'76年~'77年に渋谷公園通りと原宿・竹下通りに現れた「マリオンクレープ」は若者にパリの最先端スイーツを提供し、'80年代はお洒落な食べ歩きが流行りました。"食"は、生きるためのものからエンタメとして楽しむ時代に。飽食のグルメブームの到来とともに、'80年代は、食の意味と役割、付加価値が大きな広がりを見せた時代でした。
学校給食
'80年代の給食は食の欧米化と飽食の時代を反映し、メニューが多彩になりました。傾向として「世界の料理」や「郷土料理」が献立に取り入れられるようになり、ビビンバやエビフライ、複数のメニューから自分が食べたいものを選ぶバイキングのようなセレクト給食、デザートもクレープやゼリーなど、市販品に近いクオリティのものが登場し始めました。給食は「空腹を満たすもの」から「食育や楽しみ」へと目的がシフトしていきました。
1970年代
─ ファミレスとファストフードの急速な広がり ─
アメリカ的な外食スタイルと手軽で便利なファストフードが急速に広がっていった時代。
外食文化の広がり
'70年代は外食産業が本格化。'70年、ステーキレストラン「フォルクス(ダイエー)」の登場を皮切りに、「すかいらーく」「デニーズ」「サイゼリヤ」「ビッグボーイ」、不二家も郊外向けレストランを出店し、ファミレス文化が本格的に広がり始めました。居酒屋では「庄や」「つぼ八」「村さ来」が開店し、サラリーマンが仕事帰りに日常的に立ち寄れる価格帯の飲み屋も徐々に増えてゆきました。
ファストフードの台頭
'70年に「ケンタッキーフライドチキン」、'71年に「ミスタードーナツ」「マクドナルド」、'72年に「モスバーガー」「ロッテリア」が街角に現れると、その後も「サーティワンアイスクリーム」「ミスタードーナツ」「吉野家」などのファストフード店が続々と登場しました。出店後わずか数年で100店舗展開に至るブランドも多く、ファストフードは日本全国で急速な広がりを見せ、まさに黄金時代を迎えました。
カップヌードル世界的ヒット
'71年、日清食品の創業者・安藤百福によって考案・発売された世界初のカップ麺「カップヌードル」は袋麺が約25円だった当時、1食100円の高級品として登場しました。当初は苦戦したものの、'72年、あさま山荘事件の警察官が寒さの中でカップヌードルを食べている様子がテレビのニュースで繰り返し映ると知名度が爆発的に向上。自動販売機の設置や銀座の歩行者天国での試食販売、若者向けのおしゃれなCMなども功を奏して大ヒットし、'73年にはアメリカでも発売開始。その後アジア・南米圏へ急速に拡大し、"世界食"と呼ばれるヒット商品となりました。
カップ麺市場の誕生
カップヌードルの大ヒットを受け、それまでの袋麺のほか、'70年代は新ジャンルの"カップ麺"が続々と登場しました。「ワンタンヌードル(カネボウフーズ)」、「カップ焼きそばバンバン(エースコック)」、「ペヤングソースやきそば」、「マルちゃん・きつねうどん(日清食品)」「サッポロ一番 カップスター(サンヨー食品)」など大手メーカーが続々とカップ麺市場に参入。カップヌードル発売翌年の'72年には1億食だったカップ麺の生産量は、'75年には11億食と、驚異的な伸びを示しました。
学校給食
戦後のパンの普及によるお米の余剰問題を解決するため、'76年、文部省が正式に学校での米飯給食を導入。当初は炊飯設備が十分でなかったため月に数回程度の提供でしたが、子供たちには大好評で、徐々に週3回などの頻度で普及してゆきました。白いご飯のメニューで不動の1位を獲得したのはなんと言ってもカレーライス。圧倒的な人気でした。ほかにも鶏のから揚げ、ハンバーグ、八宝菜、'60年代からの鯨の竜田揚げなどがご飯に合うおかずとして子供たちを喜ばせました。デザートの冷凍みかんも好評で、欠席した生徒のお家に放課後、クラスメートが給食を届ける習慣もありました。
1960年代
─ 家庭への洋食の浸透 ─
高度経済成長の中で、憧れだった洋食が「家庭の味」へと変わり始めた時代。
デパートの大食堂メニュー
昭和初期~中期デパートの食堂が大人気となり、お子様ランチや三大洋食 (カツレツ、ライスカレー、コロッケ)、オムライスやハンバーグがテーブルを飾りました。クリームソーダやミルクセーキ、レモンスカッシュもハイカラな飲み物として人気を集め、プリン・ア・ラ・モードとパフェは子供たちの大きな楽しみでした。デパートの洋食メニューは、次第に家庭の味へと浸透してゆきました。
家庭の洋食
'62年に「マルシンハンバーグ」、'68年にレトルトの「ボンカレー」が発売され、家で手軽に楽しめる洋食として人気を集めました。 ナポリタンやオムライス、チキンライスなどのケチャップを使った料理やミートソース、クリームシチュー、グラタン、コロッケが家庭の洋食の定番メニューとなり、トンカツやエビフライなどの揚げ物や、和食ではすき焼きもごちそうとして食卓を彩りました。
即席ラーメン
'58年に発売された「チキンラーメン(日清食品)」の大ヒットを受け、'60年代は各メーカーが続々と即席ラーメン市場に参入。「サッポロ一番 (サンヨー食品)」、「チャルメラ(明星食品)」、「エースコック ワンタンメン(エースコック)」、「マルちゃん みそラーメン(東洋水産)」「マルタイラーメン(マルタイ)」など今でも食べられている袋ラーメンが登場し、即席ラーメンは黄金時代を迎えました。
人気のお菓子
'60年代はお菓子の工業化が進み、現在も愛されるロングセラーの商品が次々と誕生しました。世界初の棒状チョコレート「ポッキー(江崎グリコ)」、日本初の本格的なスナック菓子「カール(明治)」、クッキーの「ムーンライト(森永)」、"お口の恋人"ロッテの「クールミントガム」とともに、駄菓子屋では「よっちゃんいか」「梅ジャムせんべい」「チロルチョコ」「ベビースターラーメン」、タバコの形のシガレット菓子なども人気を集めていました。
学校給食
戦後の食糧援助の影響が残っていた昭和30年代の給食は、脱脂粉乳とコッペパンの時代。脱脂粉乳は独特の臭いがあり、当時の子供たちには不人気でしたが、貴重な栄養源でした。おかずは鯨の竜田揚げ、カレーシチューなど。当時は鯨肉が安価で手に入る貴重なタンパク源であったことから、しょうが汁と醤油で下味をつけた鯨肉に片栗粉をまぶし、油で揚げた「鯨の竜田揚げ」は昭和30年代から40年代にかけて不動の定番メニューでした。