お笑い・タレント > 1980年代

1980年代初頭、フジテレビ『THE MANZAI』などをきっかけに若者を中心に爆発的な漫才ブームが到来し、日本のエンターテインメントにおいてテレビバラエティ革命が起きた。それまでの歌中心の番組から、お笑い芸人を主役とする『オレたちひょうきん族』などの番組が娯楽の主流となり、日本中のお茶の間を沸かせた。タモリ、ビートたけし、明石家さんまがお笑い第二世代のBIG3としての地位を確立し、ダウンタウン、とんねるず、ウッチャンナンチャンなど師匠を持たない若者たちが、お笑い第三世代として熱狂的な人気となった。

─ 主なお笑いタレント (順不同) ─

1980

いかりや長介(ザ・ドリフターズ)

東京都出身のコメディアンで、「ザ・ドリフターズ」のリーダーとして1964年から活躍。『8時だョ!全員集合』や『ドリフ大爆笑』でメンバーと息の合ったコントを披露し国民的人気を得た。晩年は渋みのある演技でドラマや映画にも出演し、『踊る大捜査線』やNHK『おんなは度胸』などで存在感を示した。

加藤茶(ザ・ドリフターズ)

東京都出身のコメディアンで、「ザ・ドリフターズ」のメンバーとしてテレビや映画に多数出演。1960年代後半から’70年代前半にかけて子どもたちに人気を博し、『8時だョ!全員集合』で一発芸を次々にヒットさせカリスマ的存在となった。愛称は「カトちゃん」「ヒデ坊」「チャー坊」で、活動縮小後も加トケンやこぶ茶バンドなどで活躍。

高木ブー(ザ・ドリフターズ)

中央大学経済学部卒業後、東京ガスの内定を蹴ってプロのミュージシャンの道を選んだ。学生時代からハワイアンバンドで活動し国内外のツアー経験も豊富。ジェリー藤尾のバンドや「ロジェ滋野とシャドーズ」を経て、仲本工事と共に「ザ・ドリフターズ」に加入し、音楽とコメディの両面で活躍した。

仲本工事(ザ・ドリフターズ)

東京都日本橋出身のコメディアン・ミュージシャンで、「ザ・ドリフターズ」のメンバー。バンドではボーカルとギターを担当し、ドリフから派生したこぶ茶バンドでも活動。1965年に高木ブーの誘いで加入し、リーダーいかりや長介の説得もあって芸能界入りした。

志村けん(ザ・ドリフターズ)

東京都出身。厳格な教育者の父のもとで育った反動から笑いの道を志し、高校三年でザ・ドリフターズの付き人となる。1974年、荒井注の脱退に伴い正式メンバーとなり、「東村山音頭」「ヒゲダンス」などで子どもたちのカリスマ的人気を獲得。以後も「バカ殿」「変なおじさん」など独創的なキャラクターを次々生み出し、40年以上にわたり日本のお笑い界の最前線を走り続けた。

萩本欽一(コント55号)

東京都出身のコメディアンで、1966年に坂上二郎とコント55号を結成し、“欽ちゃん”の愛称で人気を博した。コンビ解散後も自ら構成・演出・出演する「欽ちゃん」シリーズで多数のタレントを育成し、NHKでは『ひまわり』ナレーションや『欽ちゃんのアドリブで笑』などに出演した。

坂上二郎(コント55号)

鹿児島県出身のコメディアンで、萩本欽一とのコンビ「コント55号」で国民的人気を博した。舞台を駆け回る勢いあるコントと「飛びます飛びます」のギャグで一世を風靡し、俳優や歌手としても活躍。NHKドラマ『タクシー・サンバ』『ハイカラさん』『腕におぼえあり』など多数の代表作を残した。

坂田利夫(コメディNo.1)

1967年に前田邦弘と漫才コンビ「コメディNo.1」を結成し、『アホの坂田』の愛称で親しまれる喜劇俳優。西川きよしの勧めで漫才に転向し、松竹新喜劇でアホ役を極める。藤山寛美からの助言を胸に、「アホは優しく生きる」という信条でキャラクターを確立した。

上岡龍太郎(漫画トリオ)

1959年に「横山パンチ」として漫画トリオでデビューし、軽妙な話術で頭角を現した。トリオ解消後はピンに転じ、’70年代からラジオ・テレビで活躍。’80年代には『鶴瓶上岡パペポTV』や『探偵!ナイトスクープ』の司会で人気を確立した。全国進出の意志は当初なかったが、パペポでのトークが評価され’90年代に東京にも進出し、『上岡龍太郎にはダマされないぞ!』などで存在感を示した。

タモリ

福岡県出身。山下洋輔や赤塚不二夫との縁から芸能界入りし、独特の笑いと博識、多才さで唯一無二の存在となった。『笑っていいとも!』『今夜は最高!』をはじめ多数の番組で長く司会を務め、NHKでも科学・歴史番組など幅広く活躍。2008年開始の『ブラタモリ』でも知的好奇心あふれる語り口で人気を集めている。

ビートたけし(ツービート)

東京都出身。’80年代の漫才ブームをツービートとして牽引し、『オレたちひょうきん族』などでお笑い界に革新をもたらした。さらに映画監督として『その男、凶暴につき』『キッズ・リターン』『HANA-BI』を発表し国際的評価を獲得。俳優としても大河ドラマなど多彩な作品に出演し、芸人・映画作家・俳優の三領域で独自の地位を確立した。

高田純次

東京都出身。自由劇場や東京乾電池で舞台経験を積み、『笑点』でテレビデビュー後、俳優・タレントとして活躍。飄々としたキャラクターと“テキトー男”の芸風で人気を博し、『笑っていいとも!』『元気が出るテレビ!!』『じゅん散歩』など多くのバラエティに出演。ドラマやNHK番組にも幅広く登場し、独自の軽妙さで長く親しまれている。

明石家さんま

和歌山県出身。もとは落語家を志し、二代目笑福亭松之助に弟子入りしたが、師の助言でタレントに転向。その後、「ヤングおー!おー! 」「オレたちひょうきん族」「笑っていいとも!」「さんまのSUPERからくりTV」を始めとする様々なテレビ番組で日本を代表するお笑い芸人として不動の人気を確立。軽快なトークと即興力に優れ、バラエティ番組でお笑い怪獣としての絶大な存在感を示す一方、「男女7人夏物語」などドラマや映画でも演技力を発揮し、俳優としても高く評価されている。

佐藤B作

福島県出身の俳優。早稲田大学商学部に進学後中退し、薄田研二主宰の演技研究所を経て演劇の道に入る。方言の壁から役者として苦戦しつつ自由劇場で裏方経験を積み、1973年に劇団東京ヴォードヴィルショーを結成、座長を務める。映画・ドラマ出演も多い俳優でありながら’82年開始のバラエティ番組、萩本欽一司会の「週刊欽曜日」にレギュラー出演し、個性的なコントで全国的な人気を獲得した。2014年~「ナイナイのお見合い大作戦!」のお見合い世話役まで活動は幅広い。

ヨネスケ

『笑点』の座布団運びでテレビに登場し、歌丸の推薦で出演が実現した落語家。後年も真打昇進披露や代役出演など番組との縁が続き、51年ぶりに大喜利に登場したことでも話題となった。また、『ルックルックこんにちは』の名物コーナー「突撃!隣の晩ごはん」で全国の家庭に突然訪問する姿でお茶の間に広く知られ、「日本一の不法侵入者」を自称するほどのキャラクターで人気を確立した。

きたろう(シティボーイズ)

コントグループ「シティボーイズ」のメンバーで、大学時代に劇団「俳優小劇場」に入団。1971年の劇団解散後は同期の大竹まこと、斉木しげる、風間杜夫と共に「表現劇場」を結成した。芸名は『ゲゲゲの鬼太郎』の主人公に似ていたことに由来し、水木しげる公認で使用。後に同作の主題歌もカバーするなど、多才な活動を展開している。

大竹まこと(シティボーイズ)

東京都出身で、1979年に斉木しげる、きたろうと共にコントグループ「シティボーイズ」を結成。『お笑いスター誕生‼』でグランプリを獲得し人気を博す。ソロでも毒舌キャラと洒脱な人柄で支持を集め、『大竹まこと ゴールデンラジオ!』など長寿番組を担当。俳優としても活躍し、NHKの土曜ドラマ『流通戦争』などに出演。『チコちゃんに叱られる!』では好敵手としても知られる。

斉木しげる(シティボーイズ)

静岡県出身で、コントグループ「シティボーイズ」のメンバー。1971年、仲間と共に劇団「表現劇場」を結成。映画『遥かなる甲子園』『3月のライオン』、ドラマ『奇妙な出来事』『101回目のプロポーズ』『オー・マイ・ジャンプ!』などで活躍。NHKでは大河ドラマ『元禄繚乱』『篤姫』『龍馬伝』や連続テレビ小説『エール』などに出演している。

間寛平

高知県出身で、長い下積みを経て吉本新喜劇に入団。1974年に座長に任命され、関西で絶大な人気を得る。’89年に東京進出し、温厚な人柄と奇想天外なギャグで幅広い人気を獲得。その後、レギュラー番組を降板し、マラソンやヨットで世界一周する「アースマラソン」に挑戦するなど、独自の活動を展開。俳優としてもNHK連続テレビ小説『やんちゃくれ』などに出演している。

ビートきよし(ツービート)

漫才コンビ「ツービート」のツッコミ役として活動。たけしの毒舌に「よしなさい!」と返す独特のツッコミは流行語になる。1980年代のMANZAIブーム期には『笑ってる場合ですよ!』『オレたちひょうきん族』などの人気番組で活躍し、うなずきトリオとしてレコードもリリースするなど、幅広くお笑い界で活躍している。

島田洋七(B&B)

大阪出身で、1971年に島田洋之介のもとに弟子入りし、漫才師として活動を開始。’72年には桂三枝の紹介で団順一とB&Bを結成し、’80年代の漫才ブームで人気を博す。月収1億円を得る時期もあったが、その後人気は変動。現在はベストセラー作家としても知られ、ビートたけしの親友としても名を馳せる。

島田洋八(B&B)

岡山県出身で、漫才コンビB&Bのツッコミ担当。1970年代後半に島田洋七と新生B&Bを結成し、’80年代の漫才ブームで人気を博す。ボケ担当の洋七のマシンガントークに対応しつつ、時にいじられ役にも回る。’81年からは『オレたちひょうきん族』でビートきよしや松本竜助と「うなずきトリオ」を組み、大衆に親しまれた。

三宅裕司

東京都出身で、コメディアン、俳優、タレントとして幅広く活躍。1979年に小倉久寛らと劇団スーパー・エキセントリック・シアターを旗揚げし座長を務め、若者を中心に支持を集める。テレビでも『愉快にオンステージ』など番組ホストとして活躍し、俳優としては連続テレビ小説『ひまわり』やドラマ『どんまい!』で名わき役として存在感を示す。

オレたちひょうきん族

明石家さんま

やっぱり猫が好き

笑っていいとも!

モト冬樹(ビジーフォー)

東京都出身で、音楽活動を高校時代から開始。1978年にコミックバンド「ビジーフォー」を結成して人気を得る。ギタリスト・歌手として活動するほか、タレントとしてバラエティ番組にも多数出演。俳優としてはドラマ『M 愛すべき人がいて』『にじいろカルテ』やNHK連続テレビ小説『こころ』『梅ちゃん先生』などに出演している。

西川のりお(のりお・よしお)

奈良県生まれ、大阪市育ち。高校卒業後に漫才師・西川きよしに入門し、上方よしおとコンビ「のりお・よしお」を結成、1975年にデビュー。『オレたちひょうきん族』などで活躍し、「ツクツクボーシ!」「ホーホケキョ!」などのギャグで人気を博す。’82年に上方お笑い大賞、’84年に日本放送演芸大賞敢闘賞を受賞。

オール巨人(オール阪神・巨人)

漫才コンビ「オール阪神・巨人」のボケ担当。相方はオール阪神。酒豪で嫌煙家であり、若いころは酒が飲めなかったが弟子入り先で鍛えられ克服。一時期禁酒も経験。若手時代には横山やすしの横暴を一喝して鎮め、その結果やすしから尊敬を受けるエピソードでも知られる。

笑福亭鶴瓶

大阪府出身の落語家、司会者、俳優。近畿放送『丸物ワイワイカーニバル』で頭角を現し、関西・中京圏を中心に活躍。『ぬかるみの世界』『突然ガバチョ!』で人気を高め司会者としても注目される。東京進出では苦戦を重ねたが1987年に『笑っていいとも!』のレギュラーに起用され全国的な知名度を獲得。以後は落語家にとどまらず俳優・司会者としても活躍し、’90年代以降のテレビ界を代表する存在となった。

グッチ裕三(ビジーフォー)

東京都出身のシンガー・タレント。1978年にビジーフォーを結成し、笑いを交えた音楽センスで独自のスタイルを確立。ものまねブームの立役者の一人でもあり、テレビでも幅広く活躍。『THE夜もヒッパレ』で13年間レギュラー出演し、NHKの子ども向け番組や『きよしとこの夜』でも長く出演している。

ウガンダ・トラ(ビジーフォー)

元ビジーフォーのメンバーで、本名はトラ佐藤。1977年に『いそがしバンド』でドラムとボーカルを担当し、後にビジーフォーに改名。童謡コーナーや『オレたちひょうきん族』などで軽快なダンスやユーモアを披露。’83年にバンドを脱退後、ピン芸人としてテレビ番組に出演するなど幅広く活躍した。

ハイヒール

1982年結成の女性お笑いコンビで吉本興業所属。NSC大阪校1期生として活動を開始し、’83年になんば花月で初舞台を踏んだ。メンバーは大阪府出身のモモコとリンゴ。デビュー時のキャッチは「女子大生と元スケバン」で漫才のネタとしても用いられた。全盛期はモモコのヤンキーネタや世相風刺を中心に人気を博す。リンゴは経済分野にも通じ、2015年に大阪学院大学大学院から名誉博士号を授与された。関西を拠点に長く活躍し、2022年に結成40周年を迎えた。

竹中直人

横浜出身の俳優・映画監督・声優・コメディアン・歌手・タレント。1983年にテレビでコメディアンとしてデビューし、その後映画やドラマで活躍。監督作『無能の人』で国際的評価を受けるほか、『シコふんじゃった。』『Shall we ダンス?』などで日本アカデミー賞最優秀助演男優賞を受賞し演技派としても高く評価される。声優や歌手活動、客員教授として教育活動も行い、多彩な才能を発揮している。

コロッケ

日本テレビ『お笑いスター誕生!!』で女装姿による形態模写を披露し注目を集め、6週勝ち抜きで銀賞を獲得。ちあきなおみ、松田聖子、美川憲一らのものまねで人気を確立し、1985年『ものまね王座決定戦』出演を機に大ブレイク。「ものまね四天王」の一人として一時代を築くが、番組方針との軋轢からフジテレビを離れる。志村けんの番組出演を転機に再評価され、舞台やテレビで幅広く活躍を続ける。

出川哲朗

日本映画大学卒業後、内村光良らと劇団SHA・LA・LAを結成し座長を務めた。1980年代後半から映画『男はつらいよ』シリーズなどに端役出演し「エキストラの帝王」と呼ばれる。’90年代以降、『ウッチャン・ナンチャン with SHA.LA.LA.』や『ビートたけしのお笑いウルトラクイズ』で体を張ったロケと大きなリアクションが注目され、汚れ役・イジられキャラとして独自の地位を確立。近年は司会や俳優としても幅広く活躍している。

稲川淳二

俳優・工業デザイナー。桑沢デザイン研究所卒。舞台俳優を経て、1980年代に貧乏・不健康キャラでバラエティに進出し、『ひょうきん族』『スーパージョッキー』などで体当たりのリアクション芸人として活躍。深夜ラジオで語った怪談が評判となり、以後は怪談の語り手としても確固たる地位を築く。’86年以降の怪談音源や、毎年開催される「怪談ナイト」は長寿人気を誇り、怪談の現代的エンターテインメント化に大きく貢献した。

九十九一

日本のお笑い芸人、俳優、脚本家、演出家。ピン芸人として漫談やひとりコントで活動を始め、1979年上京。’81年に『お笑いスター誕生!!』でグランプリを獲得しブレイク。その後、俳優として喜劇中心に活動するほか、放送作家としても番組制作に携わるなど幅広く活躍している。

上方よしお(のりお・よしお)

お笑いコンビ『のりお・よしお』のツッコミ担当。吉本興業大阪本部所属で、上方柳次・柳太の弟子。かりあげとオールバック風の髪型が特徴。1970年代に『B&B』の2代目メンバーとして島田洋七とコンビを組むも方向性の違いで解消。’75年に西川のりおと『西川のりお・上方よしお』を結成し、’80年代前半の漫才ブームで人気を博した。

ザ・ぼんち

おさむとまさとによるお笑いコンビ。1972年結成、’73年になんば花月で初舞台を踏む。大阪・興國高校の同級生で、タイヘイトリオに師事した。’70年代後半に頭角を現し、’80年の『THE MANZAI』などを契機に漫才ブームの中心的存在として全国的人気を獲得。’81年には「恋のぼんちシート」が約80万枚の大ヒットとなり、日本武道館公演を成功させた初の漫才師となる。活動休止を経て2000年代に再始動した。

Mr.オクレ

吉本新喜劇の座員で、ピン芸人としても活動する。元ザ・パンチャーズのベーシストで、1970年代から芸能活動を開始。「オレたちひょうきん族」の「何人トリオ」で全国的にブレイクした。独特のキャラクターと親しみやすい芸風で知られる。

関根勤

東京都出身。1974年、TBS『ぎんざNOW!』の「しろうとコメディアン道場」で5週連続勝ち抜き初代チャンピオンとなり、浅井企画の浅井良二に見出され芸能界デビュー。お笑いタレントとして人気を博すとともに、俳優、歌手、司会者としても幅広く活動。舞台や映画、ドラマに幅広く出演し、NHKの連続テレビ小説『なつぞら』や教育番組『ピタゴラスイッチ』などでも活躍する。

清水アキラ(ザ・ハンダース)

東京都出身。『ぎんざNOW!』の「コメディアン道場」で5週連続チャンピオンとなり、ザ・ハンダースを結成して音楽活動でもヒットを生む。ハンダース解散後、清水国明に弟子入りし、あのねのね事務所所属で『ものまね王座決定戦』などで活躍。ものまね四天王の一人として最多優勝5回を誇り、「セロテープ芸」をはじめ研ナオコや谷村新司など多彩なレパートリーで知られる。

片岡鶴太郎

東京都出身。1980年代にお笑いタレントとして人気を集め、俳優としても活躍。その後プロボクシングライセンスを取得し、墨彩画や書などのアートでも才能を発揮する。NHKの連続テレビ小説や大河ドラマに多数出演し、『梅ちゃん先生』『とと姉ちゃん』『篤姫』『軍師官兵衛』などで印象的な役を演じている。

所ジョージ

埼玉県出身。1977年にシンガーソングライターとしてデビューし、演奏とトークを組み合わせた独自のスタイルでタレント・コメディアンとして人気を博す。長年『1億人の大質問⁉笑ってコラえて!』などで司会を務め、MCとして高い評価を得ている。俳優としてもNHKの大河ドラマ『峠の群像』や連続テレビ小説『青春家族』に出演し、『所さん!大変ですよ』などで司会も担当。

島崎俊郎(ヒップアップ)

京都出身。1973年にクレージーキャッツの付き人となり、’78年にコントグループ「サンズンズ」、’79年にトリオ「ヒップアップ」を結成。’80年『笑ってる場合ですよ』で人気を得て、翌年には『オレたちひょうきん族』レギュラー出演。’85年に「マネー島崎」として登場し、後の人気キャラクター「アダモちゃん」の基盤を作った。

上沼恵美子(海原千里・万里)

兵庫県出身。姉妹漫才「海原千里・万里」の海原千里としてデビューし、歌唱力を生かして「大阪ラプソディー」などのヒット曲を発表。結婚後は家庭に専念したが、タレントとして復帰し、切れ味のあるトークでNHK『バラエティー生活笑百科』などに出演。その後も多数の看板番組を持ち、『紅白歌合戦』紅組司会を2年連続で務め、日本を代表する司会者として活躍。

村上ショージ

1977年に吉本入りを志願し、大阪で滝あきらに弟子入り。初舞台ではドジョウを丸ごと飲む過激な芸で注目される。『オレたちひょうきん族』では何人トリオとしてレギュラー出演し、「ドゥーン」「何を言う・早見優」などのギャグで人気を博す。近年は明石家さんまの相方的存在として多数の番組で共演し、ギャグ芸と独特のツッコミで長年活躍する。

ラサール石井(コント赤信号)

早稲田大学ミュージカル研究会出身で、劇団テアトル・エコーを経て、一期下の渡辺正行・小宮孝泰らとコント赤信号を結成。渋谷の道頓堀劇場でコメディアンとして活動し、暴走族コントや『オレたちひょうきん族』などのテレビ出演で人気を獲得。舞台・テレビ・コントのほか、放送作家としても活躍し、俳優・演出家としても幅広い活動を展開している。

小堺一機

千葉県出身。1977年『ぎんざNOW!』の素人コメディアン道場でチャンピオンとなり芸能界入り。お笑いタレント、司会者、俳優として幅広く活躍し、『ライオンのごきげんよう』などのバラエティや映画・ドラマ・舞台に出演。NHKの大河ドラマ『八重の桜』や『初恋芸人』などでも存在感を示すなど、多才なキャリアを持つ。

渡辺正行(コント赤信号)

大学在学中の1977年に劇団テアトル・エコー養成所に入所し、ラサール石井や小宮孝泰と共にコントグループ「コント赤信号」を結成。リーダーとして活躍し、’80年『花王名人劇場』でテレビデビュー。暴走族コントで人気を博し、明石家さんまや島田紳助らから「ナベ」と呼ばれる。’88〜’96年には『クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!』でサブ司会者を務め、場を盛り上げる司会ぶりで「芸能界のスーパーサブ」と称される。

大平サブロー(太平サブロー・シロー)

高校卒業後に役者を経験したのち、1976年に大平シローと共に松竹芸能所属の漫才コンビ「太平サブロー・シロー」としてデビュー。厳しい相方との関係で一時解散や失踪も経験するが、後にコンビを復活。吉本興業へ移籍し、’80年代の漫才ブームに乗って人気漫才コンビとして地位を確立した。

大平シロー(太平サブロー・シロー)

子役としてアカデミー児童劇団に所属し、映画や在阪局のドラマに多数出演。中学の同級生であるオール阪神と知り合い、松竹芸能の養成所を経て、1976年に大平サブローと漫才コンビ「太平サブロー・シロー」としてデビュー。’80年代の漫才ブームに乗り人気を確立し、’88年には吉本から独立して東京での活動を開始した。

小宮孝泰(コント赤信号)

1979年に渡辺正行やラサール石井とともにコントトリオ「コント赤信号」を結成。声優としても『宇宙戦艦ヤマト』シリーズや『こちら葛飾区亀有公園前派出所』などに出演。’91年には「MCコミヤ」として音楽活動も行った。’84年の「赤信号劇団」旗揚げ以降は俳優活動に力を入れ、舞台や独り舞台、プロデュース、英語劇に取り組み、その後ITI国際演劇協会の会員にも就任している。

島田紳助(紳助・竜介)

1977年に松本竜介と漫才コンビ「紳助・竜介」を結成。徹底的に過去の漫才を研究し、若者向けの「ツッパリ漫才」を考案して’80年代の漫才ブームで全国的な人気を獲得した。’85年のコンビ解散後は、総合司会やプロデューサーとして数多くの番組で活躍。吉本興業所属として’74年から2011年の芸能界引退まで活動したが、暴力団関係者との交際発覚により2011年に引退した。

松本竜助(紳助・竜介)

1977年に島田紳助と漫才コンビ「紳助・竜介」を結成。西川のりお命名の芸名で、紳助が信頼できる相方として迎えられた。漫才ブームで吉本興業の看板芸人として人気を博すが、’85年にコンビ解散。以降、「竜助・モンタ」を結成するも短期間で解散し、吉本興業を退所した。

ガダルカナル・タカ(たけし軍団)

ビートたけし率いるたけし軍団の一員で、日本テレビ系『お笑いスター誕生』などで活躍。軍団入り後はタップダンスを習得し、映画やテレビで披露。1986年のフライデー襲撃事件で逮捕されるも復帰。以降、たけし軍団の大番頭的存在として出演しつつ、ローカル番組や在阪準キー局でのMCなどで幅広く活動。話術が巧みで「スーパーサブ」としても評価される。

ジミー大西

高校在学中から吉本にアルバイトとして入り、その後、正式に吉本の芸人として入社し、ぼんちおさむに弟子入りした。明石家さんまに才能を見出され付き人として面倒を見られながら、一発ギャグや天然ボケ芸を習得。「ジミーちゃんやってる?」「やってるやってる!」などの返しギャグで人気を博し、全国的に知られる天然ボケ芸人となった。ユーモアあふれる人柄が特徴。

そのまんま東(たけし軍団)

専修大学卒業後、1980年に『笑ってる場合ですよ!』のオーディションでデビューし、同番組でビートたけしの弟子第1号となった。デビュー当初は東英夫名義で活動したが、’82年前後から「そのまんま東」として活動。相方とのコンビ解散後、短期間の「ツーツーレロレロ」を経て、’83年にたけし軍団に加入。以来、軍団やピン芸人・タレントとして活躍した後、宮崎県知事として政治家に転身した。

栗田貫一

1983年に素人として『発表!日本ものまね大賞』で優勝し、郷ひろみや桑田佳祐などのモノマネで注目を集めた。’84年にプロ入りし、六本木のショーパブで活動。’87年には「オールスターものまね王座決定戦」で初優勝し、清水アキラ、コロッケ、ビジーフォーと並ぶ「ものまね四天王」と称される。’95年からは『ルパン三世』の声優も務める。

つまみ枝豆(たけし軍団)

ビートたけし率いるたけし軍団の一員で、地元の幼なじみガダルカナル・タカと共にコンビ「カージナルス」を結成。芸名は宴席での2択から決まり、軍団加入後はたけしの付き人・運転手を務めた。フライデー襲撃事件では不参加だったが、留守部隊として活動。たけしの指導でタップダンスを習得し、『座頭市』やテレビ番組で披露するなど、多方面で活躍している。

久本雅美

大阪出身。短大卒業後、劇団東京ヴォードヴィルショーの公演に感銘を受け上京し入団。その後、柴田理恵らとともにWAHAHA本舗を旗揚げし、過激な下ネタや型破りなスケッチで女性お笑い芸人として頭角を現す。’85年に『今夜は最高!』出演を機にテレビ進出し、トーク力を生かして人気に。’93~2010年まで『笑っていいとも!』に17年半出演し、タモリの片腕として存在感を示した。

グレート義太夫(たけし軍団)

もともとビートたけしのラジオリスナーで弟子入り志願し、特技のドラムを活かしてバックバンド『シークレット・ポリス』に参加。たけし軍団に正式加入し、『オレたちひょうきん族』など黄金期バラエティにも出演した。風貌から「グレート義太夫」と命名され、フライデー襲撃事件にも参加。近年は蜷川幸雄作品などで道化役を務め、コメディ・リリーフとして重宝される。

ダンカン(たけし軍団)

埼玉県出身で、元は立川流の落語家「立川談かん」として活動していた。ビートたけし率いるたけし軍団に加入後は、お笑いタレント、俳優、放送作家、映画監督として幅広く活躍。阪神タイガースの熱狂的ファンでもあり、スポーツ新聞への寄稿も行う。俳優としては北野武作品のみならずテレビドラマやNHK作品でも存在感を示している。

大森うたえもん(たけし軍団)

法政大学卒業後、教員試験不合格をきっかけにお笑い芸人を志す。テレビ局でADを務めつつ前説や拍手の練習を行い、のちにそのまんま東に見出され、コンビ「ツーツーレロレロ」に加入。たけし軍団の2番弟子となり、パロディや替え歌を中心とした芸風で「軍団の良心」と呼ばれ、野球やバラエティでも活躍。役者を志し独立する際にたけし軍団とオフィス北野を離れた。

井手らっきょ(たけし軍団)

スキンヘッドと裸芸がトレードマークのたけし軍団団員。学生時代に西城秀樹や水谷豊のものまねで注目され、久留米大学中退後に太田プロでデビュー。『笑っていいとも!』初期レギュラーも務め、映画や舞台でも俳優として活躍。たけし軍団入り後は裸芸を主体としたネタで人気を得た。

清水ミチコ

岐阜県出身のものまねタレントで、ピアノ弾き語りによる芸能人の緻密なパロディで高く評価される。1987年に新人発掘番組で注目を集め、『笑っていいとも!』出演を機に全国的な人気を獲得。ナレーター、俳優、ラジオパーソナリティーとしても活動し、三谷幸喜作品での出演など演技力にも定評がある。NHKでのナレーションやドラマへの出演など、多方面でその多才ぶりを発揮している。

コロッケ

1985年の『ものまね王座決定戦』で人気を獲得し、「ものまね四天王」の一人として活躍。その後、美川憲一のものまねで大ブレイクし、本人の再ブレイクにも貢献。「恩人」と感謝されるほどの関係を築き、共演も多い。豊富なレパートリーと強烈なデフォルメ表現で、日本を代表するものまね芸人として知られている。

山田邦子

東京都出身で1980年代の漫才ブームを背景に女性タレントとして芸能界に独自の地位を築いた。『ひょうきん族』『スーパーJOCKEY』『元気が出るテレビ』など人気番組で活躍し、『やまだかつてないテレビ』をはじめ自身がMCを務める番組も多数手がけた。俳優として朝ドラ『ノンちゃんの夢』にも出演し、乳がん公表後はチャリティー活動にも力を注いでいる。

石橋貴明(とんねるず)

高校時代に同級生の木梨憲武とコンビを組み、1980年「貴明&憲武(後のとんねるず)」を結成。素人参加番組『お笑いスター誕生』などで腕を磨き、’82年に同番組で10週勝ち抜きグランプリを獲得してプロデビュー。数年の下積みを経て’85年頃から人気を得る。尊敬する美空ひばりの「売れた年から芸歴を数える」という教えを守り、自身の芸歴は’85年を起点としている。

もたいまさこ

1978年に渡辺えり子らと劇団2○○を結成し、その特異なキャラクターと演技で注目を集める。’86年の退団後、金鳥「ゴン」のCMで放った「亭主元気で留守がいい」が話題となり流行語大賞銅賞を受賞して全国的に知られる存在となった。’88年には『やっぱり猫が好き』で室井滋・小林聡美と三姉妹役を演じ、飄々とした演技と独特の間で人気を確立。以後も小林聡美との共演が続き、多方面で活躍した。

柴田理恵

大学卒業後に劇団東京ヴォードヴィルショーへ入団し、1984年に久本雅美らとWAHAHA本舗を旗揚げ。看板女優として舞台に立ち続け、濃いキャラクターと確かな演技で評価を得た。『今夜は最高!』出演を機にバラエティへも進出し、幅広い層に親しまれるタレント性を示す。映画やドラマにも出演し、後年はハリウッド作品『ワイルド・スピードX3』で高校教師役を演じるなど活動の幅を拡大した。地方自治体の大使や副市長など公的分野でも活躍している。

室井滋

大学在学中の1981年、『風の歌を聴け』で映画デビューし、その後も村上春樹原作作品や自主映画で独自の存在感を示した。’88年には小林聡美・もたいまさこと共演した『やっぱり猫が好き』がヒットし、飾らない演技と独特のユーモアで一躍人気者となった。’80年代後半には映画・テレビ・音楽と活動領域を広げ、自由闊達なキャラクターと高い演技力で注目される存在となった。

木梨憲武(とんねるず)

高校時代に『TVジョッキー』の「ザ・チャレンジ」で多彩なものまねを披露し、5代目チャンピオンとなった。石橋貴明とは同番組での共演がきっかけでコンビを組み、1980年に「貴明&憲武」として活動開始、のちに「とんねるず」と改名する。『お笑いスター誕生!!』で10週勝ち抜きグランプリを獲得しプロデビュー後、『オールナイトフジ』出演から注目を集め、『夕やけニャンニャン』で一気にブレイク。歯に衣着せぬ言動と軽妙なキャラクターで人気を確立した。

野沢直子

高校卒業後に劇団の養成所を経て吉本興業入りし、1983年にデビュー。’85年『お昼だドン!』でテレビに登場し、突飛な話術やコミカルで奇抜なキャラクターが注目を集めた。『夢で逢えたら』『笑っていいとも!』『クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!』などの人気番組で活躍し、’88年にはパンク風コミックソング「おーわだばく」を収録したアルバム『はなぢ』を発表して話題に。後年は「女芸人のフォーマットを作った」とも評される存在となった。

松尾伴内(たけし軍団)

ビートたけしに憧れて出待ちを続け、1982年に念願の弟子入りを果たしたたけし軍団のメンバー。内弟子時代に芸名を現在のものに改め、「刑事ヨロシク」で俳優デビュー。たけしの元を離れた外部修行で明石家さんまの付き人を務め、小堺一機の舞台にも長年出演するなど幅広く活動。近年はさんまや小堺との仕事が多いが、騒動時にも軍団に残るなど義理堅い性格で、「まだ若手ですから」という台詞が持ちネタとなっている。

松尾貴史 (旧 キッチュ)

兵庫県出身で、大阪芸術大学デザイン学科を卒業した多才な俳優・タレント。ナレーター、コラムニスト、折り紙作家としても活動し、舞台やドラマで幅広い役柄をこなす。『マイ・フェア・レディ』などの舞台、ドラマ『獣になれない私たち』『インハンド』など出演作も多彩で、著書『違和感のススメ』では独自の視点を発信している。

ラッシャー板前(たけし軍団)

憧れのビートたけしに弟子入りするため何度も自宅を訪ね、長時間の張り込みの末に志願を果たした行動派の芸人。たけし軍団入り当初は力道川の名で活動し、のちにプロレスラー・ラッシャー木村にちなむ現在の芸名を名乗る。板前修行の経験があったことから料理も任され、芸人としての修行と並行して研鑽を積む。付き人時代は明石家さんまのサポートも務め、たけし軍団の中でも根気と行動力で存在感を示した。

松本人志(ダウンタウン)

小・中学校の同級生である浜田雅功とコンビを組み、1982年にNSC大阪校1期生として入学。’83年に「ダウンタウン」を正式結成し、関西での活動を経て’88年に『夢で逢えたら』で東京進出を果たした。島田紳助を強く敬愛し、紳助・竜介の漫才から大きな影響を受けたと語る。2024年から文藝春秋側との裁判に専念するため活動を休止していたが、2025年11月、配信サービス「DOWNTOWN+」の生配信で約1年10か月ぶりに芸能活動を再開した。

浜田雅功(ダウンタウン)

小・中学校時代に親しかった松本人志とともに吉本総合芸能学院(NSC)大阪校1期生として入学。松本とコンビを組み、当初の名前を経て「ダウンタウン」として活動。1987年の『4時ですよーだ』で関西で人気を獲得し、’88年の『夢で逢えたら』で東京進出。『ガキの使いやあらへんで!!』『ごっつええ感じ』『HEY!HEY!HEY! MUSIC CHAMP』などで全国的に知られる人気タレントとなった。

内村光良(ウッチャンナンチャン)

熊本県出身で、南原清隆とお笑いコンビ「ウッチャンナンチャン」を結成。『お笑いスター誕生‼』を経てショートコントの第一人者として活躍し、1988年の『夢で逢えたら』で人気が爆発。『ウッチャンナンチャンのやるならやらねば‼』など多数の看板番組を持ち、ソロでも『LIFE!~人生に捧げるコント』などで活躍。コントで培った演技力を生かし、俳優や『NHK紅白歌合戦』の司会としても高く評価されている。

山田邦子

1979年に川村短期大学へ進学し、早稲田大学寄席演芸研究会で学生漫才師として活動した。落語家を志し「可愛家マッハ」を名乗るが、漫談で才能を開花させ素人参加番組の常連として注目を集める。『笑ってる場合ですよ!』のオーディションを機に頭角を現し、’81年にバスガイドネタのレコード『邦子のかわい子ぶりっ子』でデビュー。「ぶりっ子」の流行語化とともに、お笑いブームの中で若手有望株として脚光を浴びた。

南原清隆(ウッチャンナンチャン)

香川県出身で、1985年に内村光良とお笑いコンビ「ウッチャンナンチャン」を結成。バラエティ番組出演のほか、スポーツキャスター、俳優、記者としても活躍。’92年の映画『七人のおたく』で日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞。2011年からは日本テレビ『ヒルナンデス!』の総合司会を務め、映画やNHK大河ドラマ『義経』などにも出演している。

伊集院光

東京都出身で、落語家として六代目三遊亭円楽に弟子入りし三遊亭楽大を名乗る。1988年より「伊集院光」としてラジオ出演を開始。トーク力と雑学に長け、タレント・ラジオパーソナリティーとして幅広く活躍。主な出演はラジオ『伊集院光のオールナイトニッポン』『伊集院光 深夜の馬鹿力』、テレビ『クイズプレゼンバラエティーQさま!!』『雑学王』、NHK番組『100分de名著』『有吉のお金発見 突撃!カネオくん』など。

イッセー尾形

一人芝居を核に独自の笑いを追求してきた俳優・コメディアン。1981年『お笑いスター誕生!!』で金賞を獲得し注目され、『意地悪ばあさん』の早野巡査役で人気を確立。爆笑型が主流の中で地味ながらも繊細な人物観察を活かした芸風が支持された。海外巡業も行い、「アトムおじさん」など一人芝居の代表作を持つほか、映画・ドラマ・CM・司会・執筆・絵画まで活動は多岐にわたる。

肥後克広(ダチョウ倶楽部)

太田プロ所属のお笑いトリオ・ダチョウ倶楽部のリーダー。計算されたリアクション芸や「ヤー!」「聞いてないよォ」などの定番ギャグで一世を風靡し、体を張った笑いで支持を集めた。高校卒業後に上京し商業デザイナーを経て芸人を志し、浅草で修業。1985年に寺門ジモン、上島竜兵らとダチョウ倶楽部を結成し、南部虎弾脱退後は最年少ながら座長としてグループを率いた。

寺門ジモン(ダチョウ倶楽部)

ダチョウ倶楽部のメンバーで、説教役やダメ出し担当として独特の存在感を放つ。もともとは役者志望でテアトル・エコー附属養成所に在籍していたが、将来への不安からお笑い芸人に転身。同郷・同期でコンビを組んでいた上島竜兵と共に渡辺正行を訪ね、肥後克広、南部虎弾と合流してダチョウ倶楽部を結成した。近年は無類のグルメとしても知られ、飲食店を紹介する番組でMCを務めている。

上島竜兵(ダチョウ倶楽部)

ダチョウ倶楽部の大ボケ担当のお笑いタレント・俳優。俳優志望で青年座研究所、テアトル・エコー附属養成所に在籍し、同郷で同期の寺門ジモンに誘われ渡辺正行の下を訪ねたことからお笑いの道へ進む。寺門とのコンビを経て、南部虎弾、肥後克広と合流しダチョウ倶楽部を結成。体を張ったリアクション芸で国民的存在となり、「人をさげすんだ笑いは嫌」という信条を持った。2022年に61歳で死去。