その他各界 > 1970年代

1970年代は昭和45年から昭和54年にあたり、高度経済成長がオイルショックで終わりを迎え安定成長期へ移行した。都市部では高層ビルとマンションが増え、生活様式が大きく変化。若者文化の中心は新宿から渋谷へ移り、パルコの開店がその象徴となった。特撮ブームが巻き起こり『仮面ライダー』が人気を獲得。国内旅行が盛んになり、アンノン族などの言葉が生まれる。ゲーム機『スペースインベーダー』が新しい娯楽として普及した。ファッションはジーンズやベルボトム、長髪が定番化し、芸能ではキャンディーズ、沢田研二、ピンク・レディーらが時代を席巻。プロレス界では猪木と馬場が人気を二分し、女子プロレスも注目を浴びた。

─ 各界の主な人物 (順不同) ─

横井庄一(陸軍軍人)

元日本陸軍軍人で、第二次大戦後も グアム島 のジャングルに28年間潜伏し続け、1972年に発見・帰国した「残留日本兵」として知られる人物。帰国当時57歳だった。その帰国を機に一躍注目され「恥ずかしながら帰ってまいりました」という言葉は話題となった。

小野田寛郎(陸軍軍人)

旧日本軍の少尉で、終戦後もフィリピン・ルバング島に残留し、1945年から'74年まで約29年間にわたって抵抗を続けた“最後の日本兵”。1974年に帰国後はブラジルで牧場経営や自然塾開設などを行った。

犬養道子(慈善家ほか)

元総理大臣のた犬養毅の孫で、慈善活動や小説家として知られる。NHKのニュース解説員も務めた。タレントの安藤和津は異母妹。

岡田茂(実業家)

老舗百貨店である三越の社長を10年間務め「流通界の革命児」と呼ばれた。ワンマン経営により「岡田天皇」と呼ばれたが、1982年に愛人・竹久みちと起こした背任行為「三越事件」により社長を解任された。

桂小金治(落語家ほか)

1947年に2代目桂小文治へ入門し落語家となる。次代の名人候補として将来を嘱望されるが、川島雄三の要請を受け映画俳優へ転身。昭和中期以降、映画やテレビドラマ、バラエティ番組に幅広く出演し、とりわけワイドショーの名司会者として知られた。'75年には日本テレビのバラエティ番組『それは秘密です!!』で司会を担当し、「ご対面コーナー」で感極まり涙する姿が視聴者の共感を呼び、「泣きの小金治」と称され親しまれた。

堤清二(実業家ほか)

1927年生まれの実業家・作家・詩人で、父の死後にセゾングループを率い、西武百貨店を軸に、西友、無印良品、パルコなどを傘下に収め、「生活総合産業」として流通と文化を融合させた。

堤義明(実業家)

1964年から西武グループの経営を引き継ぎ、ホテル・鉄道・レジャーなどを拡大した。'87年には世界一の富豪と称され、プロ野球球団やスポーツ振興にも関与した。

周防郁雄(バーニングプロダクション創業者)

日本の実業家・芸能プロモーターで、バーニングプロダクション を1971年に創業。郷ひろみや小泉今日子ら多くの人気タレントを抱え、長らく「芸能界のドン」と呼ばれる。

角川春樹(編集者ほか)

日本の出版業界と映画界を変えた実業家・映画プロデューサーで、1975年に父を継ぎ角川書店の社長に就任。以後、出版と映画を連動させる「メディアミックス」戦略で数々のヒット作を生み出し、エンタメ界の旗手となった。

池波正太郎(時代小説家)

日本を代表する時代小説作家。1923年東京浅草生まれで、元は都庁職員や演劇脚本家だった。'60年に『錯乱』で直木三十五賞を受賞し、『鬼平犯科帳』『剣客商売』『仕掛人・藤枝梅安』などの“三大シリーズ”で絶大な人気を博した。人情味あふれる筆致と読み応えあるストーリーで、多くが映像化され、没後も色褪せぬ評価を受けている。

向田邦子(脚本家)

日本のテレビ脚本家・小説家・エッセイスト。『寺内貫太郎一家』『七人の孫』『阿修羅のごとく』など数々の人気ドラマを手がけ、1980年には短編集で直木賞を受賞。'81年、飛行機事故で51歳の若さで逝去し、没後も「家庭劇の旗手」として高く評価され続けている。

西村京太郎(小説家)

日本を代表する推理作家で、「寝台特急殺人事件」をはじめ鉄道や旅を舞台にしたトラベルミステリーで人気を博した。「十津川警部」シリーズなど多数のベストセラーを生み出し、江戸川乱歩賞や日本推理作家協会賞などを受賞。推理小説界の重鎮であった。

小松左京(小説家)

大阪生まれの日本を代表するSF作家。1962年にデビューし、'73年の『日本沈没』で大ブームを起こす。『首都消失』など多数の SF 長編で、SF文学の地位確立に貢献した。

山村美紗(小説家)

「京都」を舞台にしたミステリーを多数執筆し、“ミステリの女王”と呼ばれた。1967年ごろから執筆を始め、'74年にデビュー。'83年『消えた相続人』で日本文芸大賞を受賞。作品の多くがドラマ化され、'60〜'90年代のテレビでも大きな人気を得た。'96年に急逝。

平岩弓枝(小説家)

1959年に『鏨師』で第41回直木賞を受賞。代表作に時代小説『御宿かわせみ』シリーズや『はやぶさ新八御用帳』などがあり、テレビドラマの脚本も多数手掛けた。多彩な作品群で高く評価され、2016年に文化勲章を受章した。

森村誠一(小説家)

日本の社会派ミステリーの巨匠。1969年の『高層の死角』でデビューし、'76年の『人間の証明』で大ベストセラーを記録。その後も『悪魔の飽食』など社会問題に切り込む作品を発表し、多くが映像化された。2023年、肺炎により90歳で死去した。

渡辺淳一(小説家)

北海道出身の元医師で、1965年から小説家として活動を開始。'70年に『光と影』で直木賞を受賞し、'97年の『失楽園』で社会現象とも呼ばれる大ベストセラーを生み出した。50作以上を世に送り出し、性愛や人生の本質を描く作風で知られた。

半村良(小説家)

1933年生まれの日本のSF・伝奇小説作家。本名は清野平太郎。'71年に『石の血脈』でデビューし、伝奇SFという新ジャンルを切り拓いた。代表作に『戦国自衛隊』『産霊山秘録』『妖星伝』など。'75年に『雨やどり』で直木賞を受賞し、'88年には日本SF大賞を受けた。2002年に68歳で没したが、その独創的な世界観は今も評価され続けている。

筒井康隆(小説家)

1934年大阪生まれの日本の小説家・劇作家。'60年代からSFやユーモアを融合した作品で活躍し、『時をかける少女』『日本以外全部沈没』などで知られる。大胆な設定と文体で「SF御三家」の一角に数えられ、多数の文学賞を受賞。

倉本聰(脚本家ほか)

日本の脚本家・劇作家。東京大学卒業後に脚本家となり、代表作に『北の国から』『前略おふくろ様』など国民的ドラマを数多く手がけた。1977年に北海道富良野へ移住し、'84年に脚本家・俳優養成機関「富良野塾」を創設。自然と人間の営みを見つめる作品群で長年にわたって支持され続けている。

山田太一(脚本家ほか)

テレビドラマ脚本家・小説家。早稲田大学卒後、松竹で助監督を経て1965年にフリーへ転向。以降、「岸辺のアルバム」「ふぞろいの林檎たち」など多数の名作ドラマを脚本し、日本のテレビドラマ史に大きな足跡を残した。

堺屋太一(政治家・小説家ほか)

通産省で大阪万博を企画した後に作家へ転じ、『団塊の世代』などで社会に影響を与えた評論家・小説家。博覧会プロデューサーや経済企画庁長官としても活躍し、日本の政策・文化に広く関与した。

桐島洋子(ノンフィクション作家)

東京生まれの作家・エッセイスト。文藝春秋記者を経て、未婚の母としての体験や米国放浪記を著し注目され、『淋しいアメリカ人』で大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。女性の生き方を示す著作を多く残し、70歳以降は私塾も主宰した。

片岡義男(小説家)

小説家・エッセイスト・評論家・翻訳家・写真家として幅広く活躍。1974年『白い波の荒野へ』で小説家デビュー、翌年『スローなブギにしてくれ』で新人文学賞を受賞。恋愛・オートバイ・アメリカ文化などを描きつつ多ジャンルで活動した。

村上春樹(小説家)

日本を代表する現代作家で、1979年『風の歌を聴け』で作家デビュー。'87年『ノルウェイの森』で大ブレーク、その後も『ねじまき鳥クロニクル』『海辺のカフカ』『1Q84』など国際的ベストセラーを連発。幻想と現実が交錯する独自の作風で世界50か国語以上に翻訳され、多くの文学賞を受賞し、世界的な人気を誇る作家である。

村上龍(小説家)

1976年に『限りなく透明に近いブルー』で芥川賞を獲得し小説家デビュー。その後、『コインロッカー・ベイビーズ』などで注目され、多作と革新的な作風で日本文学の第一線を走る。映画監督やエッセイ、社会評論でも活躍し、現代日本文化に強い影響を与えた作家。

栗本薫(小説家・評論家)

1977年に評論家として、'78年に小説家としてデビュー。代表作には大河ファンタジー『グイン・サーガ』をはじめ、SF・ホラー・ミステリー・耽美小説など約400冊の著作がある。多ジャンルを自在に書き分ける多才な“娯楽文学の旗手”だった。

岡本太郎(芸術家)

日本を代表する前衛芸術家。絵画・彫刻・壁画・デザインなど多ジャンルで活動し、1970年の大阪万博で展示された太陽の塔 は彼の代表作として知られる。西欧と日本文化の両面を吸収し、「芸術は生活だ」と説いて伝統にも革新にも囚われない創造を追求した。

池田満寿夫(画家ほか)

画家・版画家・陶芸家・小説家・映画監督など多才なマルチアーティスト。1965年にニューヨーク近代美術館で個展開催、翌年のヴェネツィア・ビエンナーレで国際賞受賞。'77年に小説『エーゲ海に捧ぐ』で芥川賞を獲得、映画化も自ら手がけた。

立木義浩(写真家)

日本を代表する写真家。1965年の作品『舌出し天使』で写真界に衝撃を与え、'69年からフリーで雑誌・広告・出版など幅広く活躍。女性ポートレートやスナップを中心に、『GIRL』『私生活/加賀まりこ』『家族の肖像』など数多くの写真集を発表し、現代日本写真の礎となった。

篠山紀信(写真家)

1940年東京生まれの写真家。'68年からフリーランスとして活動を始め、「激写」シリーズやアイドル・著名人のポートレートで一世を風靡。宮沢りえの写真集「Santa Fe」は155万部を売り上げるベストセラーとなり、日本の写真界を牽引した存在である。

丹下健三(建築家)

1913年生まれの建築家で、戦後に広島平和記念公園の再建や代々木国立競技場、東京カテドラル聖マリア大聖堂などを設計。'60年代から世界各地で都市計画や建築を手がけ、“世界のTange”と称された。'87年にプリツカー賞を受賞。

黒川紀章(建築家)

「中銀カプセルタワー」などメタボリズム建築を代表する作品を手がけた。都市のありようを根本から問い、「近代建築の弊害」を批判しながら、未来的で実験的なデザインによって建築の新しい可能性を提示した。

宮崎駿(アニメ監督ほか)

1941年東京生まれのアニメ作家・映画監督で、'85年にスタジオジブリを設立。『となりのトトロ』『千と千尋の神隠し』などで国際的評価を受け、「アニメの巨匠」の代表格として知られる。

川崎のぼる(漫画家)

1941年生まれ、大阪出身。'57年にデビューし、'66年『巨人の星』で大ブレイク。『いなかっぺ大将』『荒野の少年イサム』『てんとう虫の歌』などヒット作を多数手がけ、少年漫画黄金期を支えた。スポ根からギャグまで描き分ける画風が特徴で、現在は絵本作家としても活動している。

赤塚不二夫 (漫画家)

手塚治虫に影響を受け1956年に貸本漫画『嵐をこえて』でデビュー。トキワ荘で修業後、『おそ松くん』『ひみつのアッコちゃん』『天才バカボン』などを発表し一躍人気作家となる。ギャグ漫画の王として戦後漫画史を築き、『天才バカボン』などの作品はテレビアニメ化もされ、文藝春秋漫画賞受賞や長期連載で日本の漫画文化に大きな影響を与えた。

手塚治虫(漫画家)

大阪府出身の漫画家・アニメーション作家。『鉄腕アトム』『ブラック・ジャック』など、多数の名作を生み出し、現代漫画の基礎を築いた。医師免許も持ち、科学・医学・倫理を題材にした作品で知られる。アニメ制作にも先駆的に取り組み、日本の漫画・アニメ文化の発展に絶大な影響を与え、「漫画の神様」と称される。

楳図かずお(漫画家)

1955年に貸本漫画でデビューし、『漂流教室』『まことちゃん』『わたしは真悟』などを発表。ホラー漫画の第一人者として知られ、幅広いジャンルでも活躍した。

モンキー・パンチ(漫画家)

代表作『ルパン三世』で人気を博し、多数の青年漫画を手掛ける。デジタルマンガ協会初代会長や大学教授も務め、後進の育成に尽力した。

はらたいら(漫画家ほか)

1963年に漫画家デビューし、『モンローちゃん』などで人気を得た漫画家・随筆家・タレント。新聞漫画を数多く手がけ、幅広い媒体で活躍した。極貧生活を支えた妻ちず子との結婚生活でも知られる。'77年から『クイズダービー』にレギュラー出演し、高い正答率と最多27連勝の記録で名解答者として親しまれた。晩年はうつ病と向き合いながら活動を続け、2006年に死去した。

ユリ・ゲラー(超能力者)

1946年イスラエル・テルアビブ生まれのイリュージョニスト/自称サイキック。'70年代から「スプーン曲げ」など超能力パフォーマンスで世界的に注目され、多数のテレビ出演で人気を博した。だがその能力は多くのマジシャンらからマジック技法によるトリックと指摘され、論争の的ともなっている。

引田天功 (初代)(超能力者)

1934年神奈川県横浜市生まれの日本を代表するマジシャン・イリュージョニスト。'60年に「東京魔術団」を結成し、水中や爆発、火炎など危険な状況からの脱出マジックを得意とし「日本の脱出王」として'70年代に人気を博した。テレビ特番などで数々の大掛かりな脱出ショーを演じ、大衆に魔術の魅力を広めた。'79年12月に心筋梗塞により45歳で亡くなったが、そのスリルと大胆さは後のマジシャンたちに大きな影響を残した。

ジョージ秋山(漫画家)

1966年『ガイコツくん』でデビューし、『銭ゲバ』『アシュラ』といった過激なテーマの作品で注目を集めた。'73年から2017年まで『浮浪雲』を連載、'78年小学館漫画賞を受賞。2020年に77歳で逝去。

谷岡ヤスジ(漫画家)

ギャグ漫画家。1959年、高校在学中に『やっちゃん』でデビュー。1970年、『週刊少年マガジン』連載の『ヤスジのメッタメタガキ道講座』で大ブレイクし、「アサー!」「鼻血ブー」が流行語となった。以降、個性的なキャラクターを多数生み、『ヤスジのド忠犬ハジ公』など長期連載も手掛け、独特のブラックユーモアと破天荒なギャグ表現で知られる。

高信太郎(漫画家)

1944年生まれ。ナンセンスギャグ漫画や落語漫画、韓国文化を題材とした著作など多方面で活躍。芸能評論家やテレビ・ラジオ出演者としても知られ、ユーモアと社会観を交えた独自の視点で注目を集めた。

永井豪(漫画家)

1945年生まれの漫画家・クリエイターで、'68年にハレンチ学園、'70年代にデビルマン、マジンガーZ、キューティーハニー などを次々と発表。ロボット、魔法少女、ダークファンタジーなど複数ジャンルの先駆者で、「巨大ロボット漫画」の原点を築いた。

つのだじろう(漫画家)

1955年に『漫画少年』でデビューし、少女漫画『ルミちゃん教室』や『ばら色の海』で評価を得た。1960年代以降は少年誌でギャグ漫画を手掛け、『ブラック団』『忍者あわて丸』で人気を博す。'70年代には梶原一騎原作の『空手バカ一代』や怪奇漫画『うしろの百太郎』『恐怖新聞』でオカルト漫画の第一人者となり、将棋漫画『5五の龍』や『女たちの詩』など多ジャンルで活躍。

本宮ひろ志(漫画家)

1947年千葉県生まれ。'65年にデビューし、'68年の『男一匹ガキ大将』で一躍人気作家となる。以降『俺の空』『硬派銀次郎』『サラリーマン金太郎』など多くのヒット作を生み出し、不良・サラリーマンものなど幅広いジャンルで活躍した。

大島弓子(漫画家)

「24年組」の代表格で、1968年に『ポーラの涙』でデビュー。独特の感性と幻想性で『綿の国星』『ミモザ館でつかまえて』などを発表し、'73年に日本漫画家協会賞、'79年に講談社漫画賞を受賞。晩年も『グーグーだって猫である』などで活躍し、2021年に文化功労者に選ばれた。

山岸凉子(漫画家)

1947年北海道生まれの少女漫画家。「アラベスク」でバレエ漫画を革新しブレイクし、'83年に「日出処の天子」で少女漫画賞を受賞。神話・歴史・ホラーなど多彩なテーマを描き、「24年組」を代表する存在となった。

蛭子能収(漫画家)

1947年生まれの漫画家・タレント。'73年に雑誌「ガロ」でデビューし、ヘタウマかつシュールなギャグ漫画で人気を得た。後にバラエティ番組や映画出演で広く知られる存在となった。

山上たつひこ(漫画家)

1947年徳島県生まれの漫画家・小説家。ギャグ漫画『がきデカ』『喜劇新思想大系』で爆発的ヒットを記録し、SF/社会派の『光る風』など多ジャンルで活躍。2014年には原作作品で文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞を受賞。

池田理代子(漫画家)

1947年生まれの漫画家・劇画家で、'67年にデビュー。代表作『ベルサイユのばら』で少女漫画の枠を超え一大ブームを巻き起こした。'80年『オルフェウスの窓』で日本漫画家協会賞を受賞。'95年以降は声楽家としても活躍し、多彩な才能を発揮している。

里中満智子(漫画家)

1948年大阪生まれの漫画家・評論家。高校時代にデビューし、以降50年以上で500点近くの作品を発表。その代表作に「アリエスの乙女たち」「天上の虹」などがあり、'74年と'82年に大きな漫画賞を受賞。現在も大学教授や漫画団体の要職を務め、漫画界を牽引する存在。

もりたじゅん(漫画家)

1948年生まれの日本の漫画家。'68年にデビューし、『りぼん』などでラブコメからリアルな男女物語まで幅広く描く。代表作に『キャー!先生』『うみどり』などがあり、後年はレディースコミックでも活躍した。

柳沢きみお(漫画家)

1948年新潟県五泉市生まれの漫画家。'70年にデビューし、'78年の『翔んだカップル』で講談社漫画賞を受賞。ラブコメや青年漫画を中心に多数の作品を発表し、『特命係長 只野仁』などヒット作も。今なお現役で精力的に創作活動を続けるベテラン漫画家。

萩尾望都(漫画家)

1949年山口県生まれの少女漫画家。'70年代から世界観と心理描写に優れた作品を発表し、『ポーの一族』『11人いる!』などで高い評価を得る。SF・ファンタジー・耽美など多ジャンルに挑み、「少女漫画の革新者」と呼ばれる存在。

山本鈴美香(漫画家)

1949年生まれの女性漫画家。'71年にデビューし、'73年からのスポーツ少女漫画『エースをねらえ!』で一躍人気となり、多くのアニメ・ドラマ化も果たした。'81年以降は故郷に戻り、執筆活動を離れたとされる

一条ゆかり(漫画家)

1949年岡山県生まれの少女マンガ家。'68年に『雪のセレナーデ』で漫画家デビュー。『デザイナー』『砂の城』『有閑倶楽部』『プライド』などで人気を博し、'86年に少女部門の講談社漫画賞、2007年に文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞を受賞。恋愛や人生を鋭く描くその作風で長きにわたり支持されてきた。

弓月光(漫画家)

1949年生まれの漫画家。'68年に「りぼん新人漫画賞」でデビューし、少女漫画/少年漫画/青年漫画と幅広く活躍。『みんなあげちゃう♡』『甘い生活』などのラブコメ作品で知られ、長寿連載を続けるベテランである。

竹宮惠子(漫画家)

1950年徳島県生まれの漫画家。'68年にデビューし、'70年代〜'80年代に『風と木の詩』やSF漫画『地球へ...』などで少女漫画の枠を大きく広げた。'79年小学館漫画賞、2012年日本漫画家協会賞文部科学大臣賞、2025年文化功労者受賞と、その功績は高く評価されている。

いがらしゆみこ(漫画家)

1950年北海道旭川市生まれの少女漫画家。'68年に『白い鮫のいる島』でデビューし、'75〜'79年連載の『キャンディ♡キャンディ』で大ヒットを記録。'77年には第1回講談社漫画賞を受賞し、国際的にも人気を博した。代表作に『ジョージィ!』など。現在も活動を続けるベテラン漫画家。

美内すずえ(漫画家)

1951年大阪生まれの漫画家。'67年に高校2年でデビューし、'76年から連載を始めたガラスの仮面は累計5,000万部超の大ヒット作。少女漫画のみならずホラーやサスペンスも手がけ、'82年に講談社漫画賞、'95年に日本漫画家協会賞を受賞した。

いしいひさいち(漫画家)

1951年生まれの漫画家。'72年『Oh!バイトくん』でデビューし、'79年の『がんばれ!!タブチくん!!』で人気を博した。以降も新聞4コマ漫画『ののちゃん』など風刺とユーモアあふれる作品で知られ、2003年に第7回手塚治虫文化賞短編賞を受賞するなど、4コマ界の大御所として高く評価されている。

小林よしのり(漫画家)

1953年福岡市生まれの漫画家・評論家。「東大一直線」「おぼっちゃまくん」で人気を得た後、'92年から「ゴーマニズム宣言」で社会・政治を鋭く論じる評論漫画家へ転身し、言論界に強い影響を与え続ける存在。

陸奥A子(漫画家)

1954年福岡県生まれの少女漫画家。'72年に「獅子座うまれのあなたさま」でデビューし、'70〜'80年代に雑誌『りぼん』で「おとめチック」路線を牽引。等身大の少女の恋愛や日常を軽やかに描き、多くの読者に支持された。代表作に『こんぺい荘のフランソワ』など。

くらもちふさこ(漫画家)

1955年生まれの少女漫画家。'72年『メガネちゃんのひとりごと』でデビューし、『いつもポケットにショパン』『天然コケッコー』など多くの名作を発表。'96年に講談社漫画賞、『花に染む』で2017年に手塚治虫文化賞マンガ大賞を受賞するなど、半世紀にわたり少女漫画界を牽引してきた。

江口寿史(漫画家)

1956年熊本県生まれの漫画家・イラストレーター。'77年に『すすめ!!パイレーツ』でデビューし、『ストップ!!ひばりくん!』などでブレイク。'80年代以降はポップな線画で女性キャラを描くイラストでも高く評価され、近年も個展や広告・CDジャケットなど多方面で活躍している。

森英恵(ファッションデザイナー)

1926年生まれ、日本を代表するファッションデザイナー。'51年に自身のブランドを設立し、'65年にニューヨークで初の海外ショー、'77年には東洋人初のパリ・オートクチュール正会員に。日本と西洋を融合させた「蝶」モチーフの優雅なドレスなどで世界的に評価され、国際的ファッション界を牽引した。

桂由美(ウェディングドレスデザイナー)

日本初のブライダルファッションデザイナー。1964年に活動を始め、'65年に日本初のブライダル専門店を開いた。以来「ユミライン」と呼ばれる独自のウェディングドレスを発表し、世界30か国以上でショーを開催。日本の婚礼衣装文化を根底から変えた第一人者。

三宅一生(ファッションデザイナー)

1938年広島生まれのファッションデザイナー。'70年に「三宅デザイン事務所」を設立、'71年にブランドISSEY MIYAKEを立ち上げた。革新的なプリーツ技術や「一枚の布」哲学で世界的な評価を受け、服を芸術と実用の両立で再定義した。2022年没。

高田賢三(ファッションデザイナー)

1939年生まれのファッションデザイナー。'64年パリへ渡り、'70年にブランド KENZO を設立。大胆な色使いと和洋融合のスタイルで世界を魅了し、プラダ・オートクチュールの流れに変革を起こした。服だけでなく香水やホームウェアにも展開し、国際的に成功を収めた。

山本寛斎(ファッションデザイナー)

1971年に日本人として初めてロンドンでファッションショーを開催。独創的で前衛的なデザインが世界的評価を受け、'70〜'80年代に国際派デザイナーとして活躍した。'90年代以降はイベント・プロデューサーとしても活動し、ファッションの枠を越えた表現で知られた。

コシノジュンコ(ファッションデザイナー)

大阪出身の世界的ファッションデザイナー。19歳で「装苑賞」を最年少受賞し、1978年から2000年までパリ・コレクションに参加。衣服だけでなく、舞台衣装や花火、インテリアまで手掛け、和洋融合の芸術性で国際的評価を受ける先駆者。

山口小夜子(ファッションモデル)

1970年代にパリ・コレクションで活躍した日本人初期トップモデルで、「東洋的美女」の象徴とされた。モデル業のほか女優、パフォーマー、衣装・舞台衣装デザインなど多才に活動し、国内外で強い影響を残した。

宮田輝(アナウンサーほか)

NHKのアナウンサーとして『のど自慢』『ふるさとの歌まつり』『紅白歌合戦』など多数の人気番組を司会し、昭和のテレビ界を代表する名アナだった。1974年退局後は参議院議員に転じ、3期務めながらフリーアナウンサーとしても活動した。

玉置宏(テレビ司会者ほか)

1956年に文化放送にアナウンサーとして入社し、'58年からフリー。歌番組『ロッテ歌のアルバム』の司会者として「1週間のごぶさたでした」の決まり文句で人気を博した。ラジオ・テレビを中心に活躍し、長年にわたり国民に親しまれた名司会者である。

山川静夫(アナウンサー)

1933年生まれの元NHKアナウンサー。『紅白歌合戦』白組司会などで長年活躍し、テレビ黎明期を代表する顔だった。引退後は歌舞伎文化の紹介や執筆活動にも携わり、多彩な表現者として知られている。

前田武彦(放送作家ほか)

タレント、放送作家、テレビ司会者。NHKで放送作家として出発し、『夜のヒットスタジオ』や『巨泉×前武ゲバゲバ90分!!』などの司会で人気を集め、“マエタケ”の愛称で親しまれた。映画出演や作詞も手がけた。

大橋巨泉(放送作家・司会者ほか)

1934年生まれのマルチタレント。『11PM』『クイズダービー』『世界まるごとHOWマッチ』などを司会し、テレビ黄金期を代表する顔となった。作家・評論家・実業家としても活躍し、参議院議員に選出されたこともある。2016年没。

愛川欽也(俳優・司会者ほか)

ラジオ番組『パック・イン・ミュージック』で人気を博し、「11PM」「なるほど!ザ・ワールド」「出没!アド街ック天国」などテレビ番組の司会で広く知られた。映画『トラック野郎』では“やもめのジョナサン”役でも人気を得た。妻のうつみ 宮土理とのコンビは"キンキン・ケロンパ"と呼ばれた。

浜村淳(司会者ほか)

1935年生まれの俳優・ラジオパーソナリティ・映画評論家。'74年からMBSラジオ『ありがとう浜村淳です』で朝の顔となり、独特の語り口「浜村節」で長年親しまれる。映画解説や司会も多く務め、関西を代表するトークの達人として知られる。

土居まさる(司会者ほか)

1964年に文化放送入社、野球実況を経て『真夜中のリクエストコーナー』など深夜放送で人気を博す。'70年にフリー転身後、『TVジョッキー』司会で全国的存在となり、『象印クイズ ヒントでピント』ほか多数の名番組を長年担当。若者文化とテレビ黄金期を象徴する話術派司会者として知られる。

糸居五郎(ラジオパーソナリティ)

ニッポン放送の名ディスクジョッキー。1954年入社、開局第一声を担当し、『深夜のDJ』『オールナイトジョッキー』で活躍。'63年にビートルズ「ラヴ・ミー・ドゥ」を日本初オンエア。『オールナイトニッポン』草創期を支え、'70年代に50時間マラソン放送などで深夜ラジオ文化を築いた。

高嶋秀武(ラジオパーソナリティ)

1965年にニッポン放送入社後、スポーツ部で野球取材や札幌五輪実況を担当。'69年より『オールナイトニッポン』2代目パーソナリティとして活躍し、最年少の“ヒデ坊”として第1次ブームを支えた。'75年『大入りダイヤルまだ宵の口』初代司会を務め、「高島ヒゲ武」の名で親しまれる。'77年には60時間マラソンDJを敢行した。

ケーシー高峰(漫談家)

医事漫談の創始者として知られる漫談家。1957年に日大卒業後、芸人を志し漫才師・大空ヒットに入門。漫才解散や司会業を経て、'68年に「ケーシー高峰」と改名し漫談家に転身した。白衣姿で医学ネタを語る芸風と「グラッチェ」などの口癖で人気を博し、『大正テレビ寄席』などで一躍お茶の間の存在となる。'69年には『おいろけ寄席』司会も務め、後年は映画で俳優としても活躍した。

小林亜星(作曲家ほか)

1932年東京出身の作曲家・作詞家・俳優で、CMソング「この木なんの木」「ワンサカ娘」やアニメ「ひみつのアッコちゃん」の主題歌などを手がけ、'76年の「北の宿から」で日本レコード大賞を受賞。俳優としても活躍し、昭和〜平成期の日本ポップ文化を支えた。

阿久悠(作詞家)

1937年生まれの作詞家・作家。'60年代から活動を開始し、『また逢う日まで』『津軽海峡・冬景色』『UFO』など5000曲以上のヒット歌謡を生み出し、昭和歌謡を支えた巨匠。'97年に菊池寛賞、'99年に紫綬褒章を受賞。2007年に亡くなった。

加藤和彦(作曲家)

1960年代にフォークグループ「ザ・フォーク・クルセダーズ」でデビューし、日本のフォーク隆盛を牽引した。その後はソロ活動と並行してサディスティック・ミカ・バンドを結成し、'70年代のロックシーンに革新をもたらす。'77年に安井かずみと再婚し、「作詞・安井かずみ/作曲・加藤和彦」の名コンビでヨーロッパ三部作などを発表。音楽理論やオーケストレーションも学び、映画や舞台、スーパー歌舞伎まで活動領域を広げた。

安井かずみ(作詞家)

フェリス女学院高等学校、文化学院油絵科卒業。画家志望だったが、アルバイトで手がけた訳詞「GIブルース」の成功を機に作詞家へ転じ、「女の子だもん」でデビューした。フランス語に通じた語学力と洗練された感性で、伊東ゆかり「おしゃべりな真珠」、沢田研二「危険なふたり」、西城秀樹「激しい恋」など数多くのヒットを生み、生涯約4000曲を作詞。キャンティを拠点に文化人との交流を重ね、加藤和彦との再婚後は理想的な夫婦像でも注目された。

なかにし礼(作詞家)

1938年生まれの作詞家・作家。代表曲「今日でお別れ」「北酒場」など約4000曲を手がけ、日本レコード大賞を3度受賞。'98年に小説『兄弟』、2000年に『長崎ぶらぶら節』で直木賞を受賞し、小説家としても高く評価された。2020年に82歳で逝去。

筒美京平(作曲家)

1940年東京生まれの作曲家・編曲家。'60年代末から作曲を始めて約3,000曲を手がけ、そのうち500曲以上がオリコンのシングルチャート入り。代表作は「ブルー・ライト・ヨコハマ」や「また逢う日まで」など多数。2020年に80歳で死去。

ささきいさお(声優ほか)

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阿木燿子(作詞家ほか)

1945年生まれの日本の作詞家・女優・作家。'75年「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」で作詞家デビュー。山口百恵など多くの歌手に詞を提供し、多数のヒット曲を生んだ。女優業やエッセイでも活躍し、2006年に紫綬褒章を受章した。

水木一郎(声優ほか)

1948年東京生まれの歌手・声優で、“アニソン界の帝王”と称される。'71年『原始少年リュウ』主題歌でアニメ歌手として脚光を浴び、『マジンガーZ』『仮面ライダー』など約1,200曲の主題歌を担当した。2022年12月、肺がんのため74歳で亡くなった。

都倉俊一(作曲家)

1948年生まれの日本の作曲家・編曲家。ピンク・レディーの「UFO」「ペッパー警部」や山口百恵の「ひと夏の経験」、山本リンダの「狙いうち」など多数のヒット曲を手がけ、1,100曲以上の作品と6,000万枚超のセールスを誇る。2018年には文化功労者に選ばれ、2021年から第23代文化庁長官を務める。

松本隆(作詞家)

日本を代表する作詞家・ミュージシャン。1970年代、バンド はっぴいえんど のドラマーとしてデビュー後、作詞家に転身。'70年代は太田裕美の「木綿のハンカチーフ」や竹内まりやの「SEPTEMBER」、'80年代は寺尾聡の「ルビーの指環」や松田聖子の「白いパラソル」「赤いスイートピー」をはじめとする数多くのヒット作品を生み出し、多くのアーティストに2000曲以上の歌詞を提供した。

松任谷正隆(音楽プロデューサー)

1951年東京都出身の音楽プロデューサー/アレンジャー/キーボーディスト。'70~'80年代にバンド活動を経て以後多くのヒット歌手(松任谷由実、松田聖子、ゆずなど)の作品を手掛け、日本のポップスを支えた。'86年に音楽学校を設立するなど育成にも注力。

深作欣二(映画監督)

1961年に監督デビュー後、'73年からの仁義なき戦いシリーズで実録ヤクザ映画の金字塔を打ち立て、「バイオレンスの巨匠」と称された。斬新な演出と群像描写で、日本映画に大きな影響を与えた。

山田洋次(映画監督)

1931年生まれの日本の映画監督・脚本家。'69年に『男はつらいよ』シリーズを開始し、以後50年以上にわたり日本人の生活や人情を丁寧に描いた作品を多数制作。現代日本映画の代表者のひとりである。

大島渚(映画監督)

日本の映画監督・脚本家で、戦後のニューウェーブ日本映画 を代表する一人。「感傷旅行」や「愛のコリーダ」など挑発的で実験的な作品で知られ、1978年にはカンヌ国際映画祭で監督賞も受賞した。

長谷川和彦(映画監督)

1976年の監督デビュー作「青春の殺人者」が評価され、'79年、沢田研二主演の「太陽を盗んだ男」で日本映画に新風を吹き込んだ。'82年には若手監督による映画制作集団「ディレクターズ・カンパニー」を創設し、日本のニューシネマ界の重要人物となった。

荻昌弘(映画評論家)

映画評論家、料理研究家、オーディオ評論家など多才な評論家。テレビ番組 月曜ロードショー の長年の解説者として知られ、その落ち着いた語り口で多くの視聴者に親しまれた。映画・音楽・食文化など広範なジャンルで評論を展開。

水野晴郎(映画評論家)

1931年生まれの映画評論家・映画監督・タレントで、'72年からテレビの映画番組「水曜ロードショー」「金曜ロードショー」の解説者として人気に。決めゼリフ「いやぁ、映画って本当にいいもんですね」で親しまれ、映画紹介から配給、監督まで手がけた映画界の顔だった。2008年に死去。

小森和子(映画評論家)

映画評論家・タレント。1950年代から洋画紹介・評論で活躍し、テレビやラジオで「小森のおばちゃま」として親しまれた。飾らない語り口と“モア・ベターよ”などの決めゼリフでファンを魅了し、昭和の映画文化の担い手の一人となった。

久世光彦(テレビプロデューサー)

TBS出身のテレビ演出家・プロデューサーで、人気ドラマ『時間ですよ』『寺内貫太郎一家』『ムー一族』などを手がけた。晩年は小説やエッセイも執筆し、文学賞も受賞するなど幅広く活躍した。

金田正一(プロ野球選手・監督)

日本プロ野球を代表する左腕投手。1950-'69年に活躍し、通算400勝・4490奪三振の日本記録を樹立する唯一の400勝投手。14年連続20勝以上、完全試合、ノーヒットノーランなど数々の功績を残し、'88年に殿堂入りした。

野村克也(プロ野球選手・監督)

日本プロ野球を代表する捕手・監督。現役で通算657本塁打、2901安打を記録し、1965年に戦後初の三冠王。引退後は監督としても名を馳せ、複数球団を率いて日本一も達成。野球殿堂入り。

長嶋茂雄(プロ野球選手・監督)

1958〜'74年に読売ジャイアンツ一筋で活躍した日本プロ野球界の名三塁手。打率.305、444本塁打、2471安打を記録し、「ミスタープロ野球」と称された。引退後は同球団の監督としても日本一を経験し、国民的英雄となった。

王貞治(プロ野球選手・監督)

読売ジャイアンツで活躍した日本プロ野球の大打者。通算868本塁打という世界最多記録を残し、長打力と選球眼で圧倒的な強打者となった。引退後は監督や球団社長も務め、長く日本野球界を牽引した。

張本勲(プロ野球選手ほか)

1940年広島出身の元プロ野球選手(外野手)。通算3085安打、504本塁打、319盗塁を記録し、史上唯一の「3000安打・500本塁打・300盗塁」を達成。首位打者7回など数々のタイトルを獲得し、「安打製造機」の異名で知られた。

柴田勲(プロ野球選手)

1962〜'81年まで読売ジャイアンツ一筋でプレーした外野手。通算2,018安打、579盗塁を記録し、6度の最多盗塁王・5度のゴールデングラブ賞・12回のオールスター出場など、俊足と堅実な守備で「巨人V9時代」を支えた名選手。

田淵幸一(プロ野球選手・監督)

1946年生まれの元プロ野球選手。'69年に阪神タイガースでデビューし、新人王や'75年の本塁打王などを獲得。通算474本塁打を放った強打者で、「ホームランアーチスト」と称された。'79年から西武ライオンズに移籍し、日本一にも貢献。引退後は監督、コーチ、解説者など幅広く活躍した。

山本浩二(プロ野球選手)

広島東洋カープ一筋で活躍した名外野手。本塁打536本、安打2,339本などを記録し、「ミスター赤ヘル」の愛称で親しまれた。1975年に球団初優勝に貢献。引退後はカープ監督や日本代表監督も務め、2008年に野球殿堂入りした。

衣笠祥雄(プロ野球選手)

1947年京都府出身のプロ野球選手。1965年から'87年まで一貫して広島東洋カープに所属し、通算504本塁打・2543安打を記録。'70年から'87年にかけて2215試合連続出場という当時の世界記録を打ち立て、“鉄人”の異名を持つ。'87年に国民栄誉賞を受賞。

星野仙一(プロ野球選手)

投手として中日で活躍し、引退後は中日・阪神・楽天の監督として3球団でリーグ優勝・日本一を成し遂げた“闘将”。通算146勝の成績を残し、2017年に野球殿堂入り。

江本孟紀(プロ野球選手)

高知県出身の元プロ野球投手。1971年にプロ入りし、南海ホークス・阪神タイガースなどで活躍し通算113勝をマーク。引退後は野球解説者、タレント、小説家、著述家、'92年からは参議院議員も務めた“多才な異端児”。

江夏豊(プロ野球選手)

1948年生まれの元プロ野球投手。'68年にシーズン401奪三振という世界記録を樹立し、“最強の左腕”として君臨。通算206勝・193セーブ、防御率2.49を記録し、先発から抑えまで万能に活躍した名投手。

村田兆治(プロ野球選手)

1949年広島県出身のプロ野球投手。'68年にドラフト1位で入団し、「マサカリ投法」と呼ばれる豪快なフォームで活躍。通算215勝を挙げ、'75年・'76年に防御率1位、'81年に最多勝。'80年代に肘の故障からトミー・ジョン手術を受けつつ復帰し、「サンデー兆治」として再び大投手に返り咲いた。2005年に野球殿堂入り。

山本功児(プロ野球選手)

1975年ドラフト5位で読売ジャイアンツ入りし、その後ロッテで主力打者として活躍した。通算64本塁打、369打点を記録。引退後はロッテの監督・コーチとしてチームを率いた。

山下大輔(プロ野球選手)

1952年静岡県生まれの元プロ野球内野手。'74年に大洋ホエールズでデビューし、遊撃手として'76〜'83年に8年連続ゴールデングラブ賞を受賞。通算1378安打・129本塁打の実績を持つ。引退後はコーチや監督として活躍した。

小林繁(プロ野球選手)

1952年生まれの日本のプロ野球投手。'73年に読売ジャイアンツでデビューし、'76–'77年に連続で18勝を挙げ、'77年に沢村賞を受賞。'79年の移籍先である阪神タイガースでは22勝で最多勝と2度目の沢村賞に輝いた。通算成績は139勝95敗、防御率3.18。'83年に31歳で現役引退。2010年に心不全で逝去。

掛布雅之(プロ野球選手)

1955年千葉県出身のプロ野球選手・元内野手。'74~'88年に阪神タイガース一筋でプレーし、通算349本塁打・1019打点・打率.292を記録。「ミスター・タイガース」の異名を持ち、本塁打王3回・打点王1回・ベストナイン7回など数々のタイトルを獲得した。引退後は解説者・評論家としても活躍。

釜本邦茂(サッカー選手ほか)

日本代表歴代最多75ゴールの元ストライカー。1968年メキシコ五輪で7得点し得点王、銅メダル獲得に貢献。クラブではヤンマーディーゼルで通算202得点を記録し、監督・国会議員・日本サッカー協会副会長なども務めた。

セルジオ越後(プロサッカー選手)

ブラジル・サンパウロ生まれの日系2世サッカー選手。1972年に来日し、藤和不動産(現:湘南ベルマーレ)でプレー。引退後は日本全国で少年サッカーの普及に尽力し、解説者や指導者として日本サッカーに貢献。2023年に日本サッカー協会殿堂入り。

具志堅用高(プロボクサー)

1955年沖縄県石垣島生まれの元プロボクサー。'76年にWBA世界ライトフライ級王者となり、13回連続防衛という日本記録を達成。通算成績は23勝(15KO)1敗。引退後はタレントやジム経営者としても活動し、2015年に国際ボクシング殿堂入りした。

ジャイアント馬場(プロレスラー)

新潟県三条市出身の日本を代表するプロレスラー、元プロ野球選手。209 cmの巨体を武器に1960年デビュー後、'72年に全日本プロレスを設立。NWA世界ヘビー級王座を3度制し、プロレス界の顔として国民的人気を得た。

アントニオ猪木(プロレスラー)

日本プロレス界の象徴的存在。1972年に新日本プロレスを創設し、リング上では破格の肉体と闘志で数々の伝説を残した。政治家としても活動し、国会議員として社会にも影響を与えた。

ザ・デストロイヤー(プロレスラー)

米国出身の覆面プロレスラー。日本では「白覆面の魔王」として知られ、足4の字固めを武器に1963年初来日。力道山との激闘は社会現象となりWWA世界戦は高視聴率を記録した。以後もジャイアント馬場やアントニオ猪木と名勝負を重ね、'73年から全日本プロレスに所属。PWF認定US王者として活躍するとともにタレントとしても活動した。

中山律子(プロボウラー)

1942年生まれの日本の元プロボウラー。'69年に女子プロ1期生としてデビューし、'70年にテレビ中継で女子初のパーフェクトゲーム(300点)を達成、「さわやか律子さん」として社会的注目を浴びた。通算33勝。現在は日本プロボウリング協会の名誉会長などを務め、ボウリングの普及や後進育成に尽力した。

植村直己(冒険家)

1941年生まれの日本の登山家・冒険家。'70年に日本人で初めてエベレストに登頂、世界で初めて五大陸最高峰を制覇。'78年には単独で北極点に到達するなど数々の偉業を成し遂げた。'84年に冬季単独登頂を果たしたデナリ山で遭難し、行方不明となったが、その冒険精神は今も語り継がれている。

土井勝(料理研究家)

1921年香川県生まれ。海軍経理学校卒業後、戦後は料理研究家として活動し、自身の料理学校を主宰。家庭料理の普及に貢献し、多くの人に親しまれた。'95年、没。