男性歌手・アイドル > 1980年代

─ 主な歌手一覧 (順不同) ─

田原俊彦

1979年、TBSドラマ『3年B組金八先生』で俳優デビュー。問題児・沢村正治役で注目を集めた。’80年6月「哀愁でいと」で歌手デビュー、洋楽のカバーながらアイドル的な人気を得て大ヒット。以降「ハッとして!Good」「恋=Do!」など多くのヒット曲を連発し、’80年代を代表するトップアイドルに。明るくキレのあるダンスとキャッチーな楽曲で人気を博し『ザ・ベストテン』『夜のヒットスタジオ』などの音楽番組にも多数出演。俳優としても主演ドラマを多数持ち、マルチに活躍した。

近藤真彦

1979年、『3年B組金八先生』でドラマデビュー。性格に難のある生徒・星野清を演じ注目を集めた。’80年12月「スニーカーぶる~す」で歌手デビューしオリコン初登場1位を記録。以降「ギンギラギンにさりげなく」「ハイティーン・ブギ」など多くのヒット曲を放ち、たのきんトリオの一員として一世を風靡した。ソロアイドルとしても絶大な人気を誇り、日本レコード大賞を受賞するなど歌手として高い評価を得た。俳優・レーサーとしても幅広く活躍。

沖田浩之

1980年、TBSドラマ『3年B組金八先生』(第2シリーズ)で不良生徒・松浦悟役としてドラマデビュー。
’81年3月、筒美京平作曲・阿木燿子作詞の「E気持」で歌手デビューし、オリコン最高位8位、13週のチャートインを記録するヒットとなる。以降、「半熟期」「はみだしチャンピオン」「俺をよろしく」など計13枚のシングルと4枚のアルバムをリリース。原宿・竹の子族出身の異色アイドルとして人気を博し、ミュージカルやドラマで俳優としても活躍した。’99年没。

堤大二郎

1980年、テレビ東京系『ぼくら野球探偵団』(主演・星空天馬役)で俳優デビュー。’81年4月、シングル「燃えてパッション」で歌手デビュー。NHK『レッツ・ゴー・ヤング』の男性アイドルユニット「サンデーズ」の一員としても活動し人気を博す。その後は数枚のシングルをリリースし、’84年には映画『零戦燃ゆ』で映画デビュー 。以後は俳優業に専念し、大河ドラマや時代劇を中心に多数出演、『太平記』『水戸黄門』など、堅実な俳優として幅広く活躍している。

ひかる一平

1981年、TBSドラマ『2年B組仙八先生』で俳優デビューし、好青年役で人気を集める。同年4月、シングル「青空オンリー・ユー」で歌手デビュー。甘いマスクと親しみやすいキャラクターで注目され、たのきんトリオに続くアイドルとして活躍。続く「君にクラクラ」「バレンタインデー・キッスじゃなく」など数枚のシングルをリリース。音楽番組やドラマにも出演を重ねたが、後年は俳優業に比重を移し、舞台やテレビでの活動を中心にキャリアを継続している。

竹本孝之

1981年、TBSドラマ『2年B組仙八先生』で俳優デビュー。明朗なキャラクターで注目され、同年6月に「てれてZin Zin」で歌手デビュー。フジ系『君こそスターだ!』出身で、「とっておきの君」「サヨナラ模様」などを次々とリリース。’82年にはNHK紅白歌合戦に初出場を果たす。’80年代中盤以降は音楽活動を縮小し俳優業に軸足を移すが、’90年代には農業と音楽活動を両立する“歌う農業人”として再び注目を集め、現在もライブや舞台などで地道な活動を続けている。

新田純一

1981年、TBSドラマ『2年B組仙八先生』で俳優デビュー。アイドル性の高いルックスで注目を集め、翌’82年2月に「Hop・Step・愛」で歌手デビュー。明るく親しみやすいキャラクターで人気を得、「君をさがして」「想い出パズル」などのシングルを発表。バラエティ番組やドラマでも幅広く活躍したが、’80年代後半以降は歌手活動が次第に減少。以後は舞台や地方営業、バンド活動などを中心に活動を続け、2020年代もライブを行うなど、根強いファンに支えられて現役を貫いている。

本田恭章

1981年、TBSドラマ『2年B組仙八先生』で俳優デビュー。’82年5月、「0909させて」で歌手デビュー。その後「ジュテーム・スキャンダル」「☆BOY」「サヨナラのSEXY BELL」などのシングルをリリースし、アイドル歌手としての地位を確立。’83年には作曲家・玉置浩二との共作を果たし、音楽性の幅を広げる。’84年にはシングル「SHAKE&SHAKEパラダイス」をリリースし、同年11月には日本武道館でのライブを成功させるなどアイドル歌手として活動。その後音楽活動を縮小し俳優業に専念。テレビドラマや舞台などで俳優としての地位を確立した。

風見慎吾

1982年、TBS『欽ちゃんの週刊欽曜日』でタレントデビュー。’83年5月「僕笑っちゃいます」で歌手デビューを果たす。作曲は吉田拓郎が担当し、オリコン週間ランキングでは最高6位を記録、33万枚以上の売上を記録するヒットとなった。その後もアイドル歌手として活動。「涙のtake a chance」では当時最先端だったブレイクダンスを取り入れ、ダンスパフォーマンスでも注目を浴びた。劇団「劇男一世風靡」の立ち上メンバーとしても知られる。

渡辺徹

1981年ドラマ『太陽にほえろ!』で新人刑事「ラガー」を演じ俳優デビュー。スマートなルックスと存在感でお茶の間の人気を獲得し、’82年、EPICソニーよりシングル「彼〈ライバル〉」で歌手デビュー。続く2nd「約束」はグリコ「アーモンドチョコレート」のCMソングに採用され、累計50万枚以上の大ヒットを記録し代表曲となる。以降、映画や舞台へも活動を広げ、’83年には映画『夜明けのランナー』で銀幕デビュー。文学座座員として数々の舞台に出演し演技力が高く評価された。2022年、61歳没。

野村義男

1979年、ドラマ『3年B組金八先生』で俳優デビュー。本人役で出演し、若者を中心に注目を集めた。’83年6月「待たせてSorry」で歌手デビュー。ジャニーズ所属の『たのきんトリオ』の一員として爽やかなルックスと明るいキャラクターで’80年代前半に人気を博した。ソロ活動を続けながらギタリストとしても活躍し、作詞作曲にも挑戦。ドラマや舞台出演もこなし、俳優としての評価も高い。現在も音楽と俳優活動を両立、根強いファンに支えられている。

吉川晃司

1984年、主演映画『すかんぴんウォーク』で俳優としてデビュー。同作の主題歌「モニカ」で同時に歌手デビューを果たし、日本歌謡大賞最優秀新人賞ほか数々の新人賞を数々受賞するヒットとなる。’88年には布袋寅泰とのユニットCOMPLEXを結成。ソロとしては作詞・作曲・プロデュースも手がけ、ロックアーティストとして確固たる地位を築く。俳優としても多数の映画やドラマに出演。NHK大河ドラマ『天地人』『八重の桜』や映画『るろうに剣心』『チーム・バチスタの栄光』などで存在感を発揮し、高く評価されている。

五十嵐浩晃

1979年、第1回CBS・ソニーSDオーディションに合格し、’80年5月、シングル「愛は風まかせ」とアルバム『NORTHERN SCENE』でソロデビュー。同年11月にリリースした3rdシングル「ペガサスの朝」が明治チョコレートCMソングとして評判を呼び、オリコン最高3位・売上50万枚超の大ヒットとなりブレイク。続く「ディープ・パープル」もヒットを記録し、多彩なメロディと透明感ある歌声で注目を集める。その後もラジオパーソナリティやテレビ出演、楽曲提供など幅広く活動。現在は札幌市在住、専門学校の名誉学校長として後進育成に努める一方、ライブや楽曲制作を継続している。

村下孝蔵

1979年、CBS・ソニー全国オーディションで最優秀に選ばれプロへ。翌’80年5月、シングル「月あかり」でメジャーデビュー。広島を拠点に地道なライブを続けながら徐々に支持を獲得。’82年「ゆうこ」、’83年「初恋」「踊り子」が相次いでヒットし、特に「初恋」はオリコン最高3位を記録。透明感ある声と叙情的な歌詞、洗練されたギターテクニックが持ち味で、数々のライブやコンスタントなアルバム発表を重ねる。他アーティストへの楽曲提供や天満敦子とのコンサートなど音楽表現の幅も広く追求。’99年6月24日、脳内出血のため急逝(享年46)。

堀江淳

1979年、CBS・ソニー主催「第1回SDオーディション」に合格し音楽界へ進出。’81年4月、シングル「メモリーグラス」で正式デビュー。同曲はオリコン3位、セールス約70万枚を記録し一躍注目され、日本作曲大賞 優秀曲賞、日本有線大賞 新人賞などを受賞。透き通るような中性的な歌声とメロディアスな作風が評価され、以後もコンスタントにシングルやアルバムを発表しながら、作詞作曲や他アーティストへの提供も行う。現在もライブ・新作制作を継続し幅広い世代に支持されている。

角松敏生

1981年6月、シングル「YOKOHAMA Twilight Time」とアルバム『SEA BREEZE』を同日リリースしメジャーデビュー。大学在学中に送ったデモが評価され正式デビューに至る。’80年代中盤には中森明菜、西城秀樹、中山美穂などへの作品提供でも注目を集め、以後も私小説的世界観を歌詞に反映しながら活動。’93年に一時アーティスト活動を“凍結”しプロデューサー業に専念、’98年に復帰。現在も作曲・ライブ活動を継続、シティポップの礎を築いたアーティストとして支持されている。

稲垣潤一

1982年1月、東芝EMI(EXPRESSレーベル)よりシングル「雨のリグレット」でソロデビュー、《スーパーポップボーカル》のキャッチコピーで売り出される。同年10月リリースの3rdシングル「ドラマティック・レイン」が自身初のオリコンTOP10入り。’83年には「夏のクラクション」「ロング・バージョン」などヒットを連発し、AORシンガーとしての地位を確立。’92年にリリースされた「クリスマスキャロルの頃には」はオリコン140万枚超のミリオンヒットとなり、冬の定番ソングとなった。以降もオリジナル・アルバム多数を重ね、日本レコード大賞やゴールドディスク賞などを受賞。現在もライブ活動や企画アルバム制作、演奏活動を精力的に継続し、幅広い世代に支持されている。

柳ジョージ

1975年「柳ジョージ&レイニーウッド」を結成し、’78年のアルバム『TIME IN CHANGES』でメジャーデビュー。’79年には「雨に泣いてる…」がドラマ主題歌に起用され大ヒットを記録し、4thアルバム『RAINY WOOD AVENUE』がオリコン1位に。’81年末バンド解散後ソロ活動へ転身し、’82年にはレイ・チャールズと共演。疾走感あるブルースロックと情感あるギタープレイで“和製クラプトン”とも称され支持を集めた。2005年レイニーウッド再結成、2008年フジロックにも出演。2011年10月10日、腎不全のため63歳で逝去。

三好鉄生

1979年、30歳の時にオーディションで歌唱力を評価されプロ入り。’82年3月、アルファレコードより自作曲「アイ・ラヴ・ユーこの街」でシンガーソングライターとしてデビュー。同年8月リリースのセカンド「涙をふいて」が中外製薬CMソングに起用されヒットを記録し、全国的な注目を集める 。俳優としては同曲が主題歌となったTBS系ドラマ『人間万事塞翁が丙午』で俳優デビューし(’82年)、以降も『刑事ヨロシク』『西部警察 PART III』などに出演 。’87年には「すごい男の唄」がサントリーCMソングに採用されスマッシュヒットし、以後もライブ活動と録音を継続。現在は三貴哲成名義に改め、多彩な音楽活動を続けている。

大江千里

1975年のヤマハPOPSONGコンテスト出場などを経て、’81年にCBS・ソニーからスカウトされ音楽業界へ 。’83年5月、シングル「ワラビーぬぎすてて」とアルバム『WAKU WAKU』でEPICソニーよりメジャーデビューし、透明感ある歌声と作詞作曲の才能で注目を集める 。以降、「十人十色」「格好悪いふられ方」「ありがとう」などヒット連発。2008年渡米しNYのThe New Schoolでジャズを学び、2012年にジャズピアニストとして再デビュー。自身のレーベルPND Recordsを設立しジャズ作品をリリース、現在も世界各地でライブ活動を展開中。

大澤誉志幸

1978年に駒澤大学在学中にロックバンド「クラウディ・スカイ」を結成し、’81年4月に同バンドのボーカル&ギターとしてビクターからデビューするもヒットなし、年末に解散後渡米。その後帰国し楽曲提供で頭角を現す。’83年6月、ソロ名義でシングル「彼女には判らない (Why don’t you know)」、アルバム『まずいリズムでベルが鳴る』でEpicソニーからソロデビュー。中森明菜や沢田研二などへの楽曲提供とともに自身も「そして僕は途方に暮れる」などヒットを連発し、シンガー/メロディーメーカーとして確固たる地位を築いた。

近田春夫

慶應在学中から内田裕也のバックでキーボードを務め、音楽界と出版界の両方で活動を広げた。1972年に「近田春夫&ハルヲフォン」を結成し、映画音楽も「塚田みのる」名義で手がける。’70年代後半からは俳優、声優、パーソナリティとしてメディアを横断して活躍した。「日本の歌謡曲の音楽性」を早期に評価し、コラム「THE 歌謡曲」連載やカバーアルバムでその魅力を提示。ジューシィ・フルーツをデビューさせ、作曲家・プロデューサーとしてもヒットを生んだ。

尾崎豊

青山学院高等部在学中の1983年12月1日、シングル「15の夜」とアルバム『十七歳の地図』でCBS・ソニーよりメジャーデビューし、高校生シンガーとして一躍注目される。透き通る歌声と等身大の歌詞、若者の反抗と葛藤を描いた世界観が共感を呼び、「卒業」「I LOVE YOU」「OH MY LITTLE GIRL」など次々とヒットを放つ。’85年にはアルバム『回帰線』でレコード大賞優秀アルバム賞を受賞するなど音楽性の評価も髙かった。’92年4月25日、26歳で急逝したが、没後もそのメッセージ性あふれる作品が支持され、多くのアーティストにカバーされ続ける。現在も若者の“教祖”的存在として音楽界に大きな影響を与え続けている。

伊豆田洋之

高校卒業後に画家を志して渡米し、イリノイ州立大およびカリフォルニア大学ロサンゼルス校に在籍後、ロサンゼルスのピアノバーで弾き語り中にスカウトされ帰国。’84年7月、シングル・アルバム『Rose Bud Days』でメジャーデビューし音楽活動を開始した。以後「ネオンの海で I LOVE YOU」「笑顔にダーツ」「迷路」「LAST SEASON」などのシングルやアルバムをリリースし、シティ・ポップ系の滋味あるバラードで人気を得る。現在もライブ活動や作品制作を続け、“日本のポール・マッカートニー”とも称される高い音楽性で支持されている。

鈴木雅之

1975年、友人たちとブルーアイド・ソウル風の男性グループ「シャネルズ」を結成。’80年にシングル「ランナウェイ」でメジャーデビューしミリオンヒットを記録する。’83年にバンド名をラッツ&スターに改名し、「め組のひと」「Tシャツに口紅」など数々のヒットを連発し人気を博す。’86年、自身のソロ活動を本格化させ「ガラス越しに消えた夏」でソロデビュー。以後「もう涙はいらない」「違う、そうじゃない」などのヒットを重ね、ベスト盤『Martini』シリーズはミリオンセラーとなる。2019年以降はアニメ『かぐや様は告らせたい』の主題歌を担当し“アニソン界の大型新人”とも称される。

久保田利伸

駒澤大学在学中の1985年、田原俊彦らに楽曲提供し作家デビュー 。翌’86年6月、シングル「失意のダウンタウン」でメジャー歌手デビューを果たす 。同年9月にアルバム『Shake It Paradise』をリリースし、R&Bやファンクを取り入れたスタイルで異彩を放つ 。’88年にはアルバム『Such A Funky Thang!』がオリコン首位に輝き、「Dance If You Want It」などヒット連発 。’95年にアメリカへ拠点を移し、’96年の「LA・LA・LA LOVE SONG」が月9ドラマ主題歌として大ヒット。日本のR&Bを切り開いたパイオニアとして現在も国内外で高い評価を受ける。

奥田民生

’87年、ロックバンド・UNICORNのボーカリストとしてメジャーデビューし「大迷惑」「働く男」「すばらしい日々」などのヒット曲で’80〜90年代のバンドブームを牽引。’93年にバンド解散後、1年間の“充電期間”を経て’94年にシングル「愛のために」でソロ活動を本格始動。以降「イージュー★ライダー」「さすらい」など数々の名曲を発表。PUFFYや木村カエラのプロデュース、井上陽水とのユニットなど多彩な音楽活動を展開。現在も独自のスタイルで演奏・制作・プロデュースを続け、音楽界の第一線で活躍中。

池田政典

ジャパンアクションクラブ(JAC)第12期生として俳優デビューし、’86年5月、TBSドラマでテレビ初出演。同年8月、東芝EMIからシングル「ハートブレーカーは踊れない」で歌手デビューし、グラビアでも注目を集めた。’87年5月「NIGHT OF SUMMER SIDE」がアニメ『きまぐれオレンジ☆ロード』の主題歌に起用され音楽番組でも注目される。’88年の「Formula Wind」もヒットするが、’92年「愛のセレブレーション」以降、歌手活動は休止。以後は俳優と声優業に専念し『るろうに剣心』の志々雄真実役などアニメでも存在感を示し、現在も活動を継続している。

KAN

’87年、シングル『テレビの中に』でソロ歌手としてメジャー・デビュー(ポリドール)。’90年9月、代表曲『愛は勝つ』をシングルリリース。累計200万枚超の大ヒットを記録し、オリコン週間シングル1位を8週連続、年間チャート3位となる。同曲は第33回日本レコード大賞ポップス・ロック部門大賞を受賞し、NHK紅白歌合戦にも出演。その後も多数の楽曲がチャート上位に入り、’90年代前半には5曲のトップ10シングル、4枚のトップ10アルバムを生む2010年時点でのCD総売上は約460万枚に達する。2023年11月、61歳没。

玉置浩二

’73年、高校時代にバンド「安全地帯」を結成し、’82年2月、シングル『萌黄色のスナップ』でグループはメジャー・デビュー。’83年には「ワインレッドの心」’84年「恋の予感」、’85年「悲しみにさよなら」など複数のヒットを連発し、日本の’80年代ロック・ポップスを代表するバンドとなる。’87年末ソロ活動を開始し『All I Do』などをリリース。その後も「田園」をはじめヒット曲を生み出し、作詞・作曲にも注力。2012年には自主レーベル“SALTMODERATE”を立ち上げ、バンドとソロ双方で精力的に活動。オーケストラ公演も行い、現代も高い評価を受け続けている。

氷室京介

’82年、伝説的なロックバンドBOØWYのボーカリストとして『MORAL』でレコードデビュー、日本のロックシーンに革命をもたらす。’88年、BOØWY解散後わずか3カ月でソロ第1弾シングル「ANGEL」でデビューし、オリコン年間チャートで8位に入るヒットとなる。’92年には「KISS ME」でミリオンセールスを達成、’93年のアルバム『Memories Of Blue』も150万枚以上を売り上げ、ソロアーティストとして不動の地位を確立。’97年からはロサンゼルスに拠点を移し制作と活動を継続。独自の“ヒムロック”スタイルで音楽界に強い影響を与えた存在となっている。

布袋寅泰

’80年末、氷室京介らと共に結成した「暴威」(後のBOØWY)で’82年3月発売のアルバム『MORAL』にてギタリストとしてデビュー、日本のロックシーンで絶大な存在となる。’88年10月、BOØWY解散後すぐにソロ1stアルバム『GUITARHYTHM』で独立、精緻なギターサウンドで新境地を切り開いた。’89年には吉川晃司とのユニット「COMPLEX」を結成し、大型ヒットを放つ。以降は作詞・作曲・プロデュースとマルチに活躍し、2003年には映画『KILL BILL』に「Battle Without Honor or Humanity」が使用され世界的にも名を轟かせた。2012年からはロンドンを拠点に活動を展開し、国際的な舞台でのライブ・制作を続けている。

徳永英明

’86年1月、シングル「Rainy Blue」とアルバム『Girl』でメジャー歌手デビューを果たし、その透明感のある歌声で注目を集める。’87年の「輝きながら…」が初のヒットとなり、その後も「風のエオリア」「最後の言い訳」「夢を信じて」「壊れかけのRadio」など数々の代表曲をリリース。2005年以降、「VOCALIST」シリーズで女性アーティストの名曲をカバーするスタイルを打ち出し、ロングセラーを記録、歌声と表現力により新たな価値を築く。現在もコンサートツアーや新作リリースを継続中で、多くの世代に支持されるベテランボーカリストとして活躍している。

竜鉄也

中学2年で失明し、その後26歳で再び全盲となるが、独学でアコーディオンを習得し岐阜・高山地方を中心に「流し」として演歌を歌いながら修行を積む。’80年6月、デビュー曲「奥飛騨慕情」をトリオレコードから発表し、ミリオンセラーを記録。翌’81年には第32回NHK紅白歌合戦に初出場を果たす。楽曲には「紬の女」「哀愁の高山」などがあり、作詞・作曲も手がけた。2000年頃に脳卒中で療養に入り引退。2010年12月、クモ膜下出血により74歳で逝去。

山川豊

三重県鳥羽市生まれ。’81年2月、デビュー曲「函館本線」で歌手デビューを果たし、同年末の第23回日本レコード大賞・新人賞など多くの新人賞を受賞した。’86年には「ときめきワルツ」で初のNHK紅白歌合戦出場を果たし、それ以降2005年までに11回の出場を重ねる。’98年の「アメリカ橋」が大ヒットし、「ニューヨーク物語り」「霧雨のシアトル」といった“アメリカ3部作”も話題を呼ぶ。現在もライブや新曲リリースなど精力的に活動を続ける、日本を代表する演歌歌手の一人。実兄は同じく演歌歌手の鳥羽一郎。

尾形大作

’81年「THE MATATABI」をキャッチフレーズにデビューし、’86年に発表した「無錫旅情」が約48.6万枚の売上を記録し大ヒットを遂げる。’87年には第38回NHK紅白歌合戦に初出場し、翌年も出場を果たす。’88年は「敬天愛人 幕末青春グラフティ」で第30回日本レコード大賞企画賞を受賞。’90年には独立に関する記者会見を行うが、所属事務所とのトラブルにより一時歌手活動を休止。福岡に戻り、地域密着型の演歌歌手として活動を再開し、テレビドラマやVシネマ、CM出演など多方面で活躍。現在もCDを発売し、地域イベントなどに出演している。

鳥羽一郎

漁師や板前を経て、演歌への道を断ち切れず27歳で上京し、巨匠・船村徹に内弟子として約3年間修行を積む。’82年8月、シングル「兄弟船」で歌手デビュー。同曲は海の男の哀愁を描いた代表作となり大ヒットを記録。。’85年にNHK紅白歌合戦初出場を果たし、その後20回以上の出場を重ねる。海難遺児支援などチャリティ活動にも力を入れ、紺綬褒章を7度受章。現在も「海の男」演歌の旗手として精力的に活動を続けている。

梅沢富美男

大衆演劇「梅沢劇団」で1歳7ヶ月で初舞台を踏み、15歳から本格的に舞台俳優として活動。20代後半に女形が評判となり「下町の玉三郎」と称され大衆演劇界のスターに成長。’82年に歌手としても活動を開始し、小椋佳作詞作曲「夢芝居」が大ヒット。’83年にNHK紅白歌合戦で歌唱し一躍歌謡界でも脚光を浴びた。その後、舞台座長として劇団を率いながらテレビ・映画・バラエティなど多方面で活躍。タレントやコメンテーターとしても人気を博し、現在も精力的に舞台とメディアで存在感を放ち続けている。

'80年代の演歌の傾向

1980年代の演歌は都会的な歌謡曲とは反対に、地方の町やふるさとを舞台とする楽曲が多く作られ、ヒットした。竜鉄也「奥飛騨慕情」(’80)、山本譲二「みちのくひとり旅」(’81)、大川栄策「さざんかの宿」(’82)、細川たかし「矢切の渡し」(’83)、石川さゆり「天城越え」(’86)など、旅情とともに男女の哀切を情熱的に描いた作品が大ヒットし、演歌の地方指向や「ふるさと回帰」が目立った時代だった。