『とうふ〜』の声も懐かしい、昭和の豆腐屋とラッパの記憶

夕暮れの街に響く、どこか間の抜けたような、しかし耳に残る音。 「プ〜」と鳴るラッパの音は、豆腐屋さんが近づいてきた合図だ。   昭和の頃、豆腐は毎日買うものだった。 冷蔵庫が今ほど当たり前ではなかった時代 でき … 続きを読む

昭和の夜から変わらない、チャルメラの音はなぜ消えない?

夜が更けてくると、遠くからかすかに聞こえてくる「チャラリ~ララ♪ チャラリラララ~♪」という音色。 屋台ラーメンがやって来た合図だ。   昭和の頃、仕事帰りの大人たちは、その音に引き寄せられるように足を止めた。 … 続きを読む

『い~しや~きいも~』はなぜ消えない?昭和から続く石焼き芋の売り声

夕暮れどき、どこからともなく聞こえてくる「い~しや~きいも~、や~きいも♪」という声。 あの独特の節回しは、昭和の時代からほとんど変わっていない。 子どもの頃、この声が聞こえると家の中にいながらそわそわした。 財布を握り … 続きを読む

グループ > 1980年代

─ 主な歌手一覧 (順不同) ─

シャネルズ

1975年結成のドゥーワップ志向グループで、のちのラッツ&スターの前身。リードヴォーカルの鈴木雅之を中心に下町の仲間で組まれ、当初は「シャ・ナ・ナ」のコピーを中心に活動した。強烈な存在感を出すため、主要4人が黒塗りメイクと派手なタキシード姿でドゥーワップを歌う独自スタイルを確立。’80年に10人編成でデビューし、「ランナウェイ」がミリオンを記録、日本にドゥーワップ・ブームを巻き起こした。’83年にラッツ&スターへ改名してさらに活動を広げた。

HOUND DOG

1976年に大友康平を中心に結成されたロックバンドで、’80年「嵐の金曜日」でデビューした。メンバー交代を経ながらもライブ主義を貫き、ヒットがない時期から’83年に武道館を満員にし、’80年代後半には日本屈指の動員力を誇る存在となる。日本人バンド初の東京ドーム単独公演(’88年)、西武球場5days 17万5千人、武道館15日連続公演(’90年・現在も記録継続)など伝説的ライブを多数実施。代表曲は「ff(フォルティシモ)」「ラスト・ヒーロー」ほか、メロディアスなロッカバラードと力強い演奏で支持を集めた。

もんた&ブラザーズ

R&Bやソウルに根ざした強烈な歌唱力を持つ、もんたよしのりを中心に1980年に結成されたグループ。もんたはそれまでにフォークからブルースまで幅広い音楽経験を積み、’80年「ダンシング・オールナイト」で再デビュー。圧倒的ボーカルとソウルフルなサウンドで同曲は大ヒットし、数々の音楽賞を受賞、紅白にも出場した。もんた自身は俳優としても活動し、楽曲提供でも評価を得た。’84年「もんた&ブラザーズ」解散後、2023年10月の逝去直前までソロ活動を続けた。

ジューシィ・フルーツ

近田春夫のバックバンド「BEEF」から派生し、1980年にデビューしたロックバンド。ボーカル・奥野敦子(イリア)のファルセットと、テクノ風アレンジを取り入れた「ジェニーはご機嫌ななめ」が37万枚のヒットとなり注目を集めた。初期は近田のプロデュースでアルバムも成功し、テクノ歌謡として紹介されることが多かったが、本来はギター主体のロックバンドである。’84年に解散後、2009年に活動を再開し、2013年に事実上の再結成となった。

T.C.R.横浜銀蝿R.S.

正式名を“THE CRAZY RIDER 横浜銀蝿 ROLLING SPECIAL”とするロックンロールバンドで、翔・Johnny・TAKU・嵐の4人で構成される。出入りの店の店主に「銀蝿みたいにうるさい」と言われたことから名が付いた。ポンパドールに革ジャン、白いドカンという不良スタイルで登場し、ツッパリ・暴走族文化の波に乗って1980年代前半に若者から圧倒的な支持を得た。弟分を含む「銀蝿一家」も展開し、シンプルなロックンロールからコミックソングまで幅広い楽曲を発表。代表曲は’81年の「ツッパリHigh School Rock’n Roll (登校編)」。

雅夢

三浦和人と中川敏一によるフォークデュオで、名古屋のライブハウスでの共演をきっかけに結成された。ともに中学時代からフォークに傾倒し、デュオ名は喫茶店の名前に由来。結成当初からオリジナル曲にこだわり、1980年のヤマハポプコンで「愛はかげろう」が優秀曲賞を受賞、同曲でデビューし約69万枚の大ヒットとなる。以後「悲しくて」「追いかけて」などを発表し、アルバムも精力的に制作。繊細なメロディと叙情的な世界観が支持され、’80年代前半のフォークシーンを代表する存在となった。

スターダストレビュー

1979年に「アレレのレ」としてポプコンで優秀曲賞を受賞したことを起点に結成され、多様な音楽性を“レビュー”形式で届けたいという意図から現名に改名。’81年に「シュガーはお年頃」でデビューし、ジャズ・ポップ・ロックを自在に融合した洗練されたサウンドと高度なコーラスワークで支持を広げた。’84年「夢伝説」がルピスのCM曲としてヒットし知名度が上昇。’80年代後半には「Stay My Blue」「Be My Lady」「夏のシルエット」などCMタイアップが続き、安定した人気を獲得した。

 J-WALK

J-WALK(後のTHE JAYWALK)は1980年結成、1981年にデビューした。横断禁止無視を意味する“Jaywalking”に由来する名の通り、都会的で洒落たポップロックを特色とし、CMタイアップを多く手がけて時代感に合った楽曲を提供した。代表曲「何も言えなくて…夏」(’91年)は発売後じわじわと人気が上昇し、’93年に初の紅白出場を果たす大ヒットとなった。レナウン、黄桜、シチズン、三菱電機、リゲインなど企業広告の音楽も多く担当し、’90年代初頭のシティポップ的情緒と大人の哀愁を漂わせるサウンドで幅広い支持を得た。

THE MODS

1974年に福岡で結成され、’80年代パンク・ロックシーンを牽引したバンド。ブリティッシュビートや「めんたいロック」から強い影響を受け、荒々しく疾走感のあるサウンドで人気を獲得した。テレビ神奈川『ファイティング’80s』出演を機に全国的な注目を集め、’81年にロンドン録音でメジャーデビュー。。’83年の「激しい雨が」がCMで採用されスマッシュヒットし、続く「バラッドをお前に」もドラマ主題歌として上位にランクインするなど、ハードさと叙情性を併せ持つ楽曲で支持を広げた。

イモ欽トリオ

1981年、バラエティ番組『欽ドン!良い子悪い子普通の子』のレギュラー出演者、山口良一・西山浩司・長江健次の3人で結成されたユニット。番組発の企画ユニットの先駆けで、アイドル的要素を持つ異色の存在。デビュー曲「ハイスクールララバイ」は細野晴臣によるテクノポップ歌謡でミリオンセラーを記録し、『ザ・ベストテン』で8週連続1位を獲得するなど大ヒット。楽曲は長江がメインボーカル、山口と西山がコミカルなコーラス・振付で’80年代初期の歌謡界にインパクトを与えた。

アラジン

名古屋商科大学フォークソング研究会のメンバーを中心に結成された。バンド名は部室にあった石油ストーブ「アラジンブルーフレームヒーター」に由来する。学内ではフュージョンやバラード、ラテンなど多ジャンルに挑戦し、卒業間際に制作した「完全無欠のロックンローラー」でポプコングランプリを獲得。1981年末にデビューし、’82年に「ザ・ベストテン」にランクインしたが、目立ったヒットはなく、一発屋的な存在として知られる。

Sugar

1970年代後半に結成された3人組女声コーラス・グループ。メンバーはミキ、クミ、モーリで、当初は楽器演奏も行ったが後にコーラスに特化した。代表曲『ウエディング・ベル』は、振られた元恋人への辛辣な歌詞と美しいハーモニーで注目を集め、’81年にデビューしオリコン週間2位を記録。’82年には第33回NHK紅白歌合戦に出場するなど人気を博したが、’87年に解散した。

安全地帯

1973年、北海道旭川市で玉置浩二と武沢豊を中心に結成された。バンド名は道路交通法の「安全地帯」に由来する。’82年に「萠黄色のスナップ」でメジャーデビューし、’83年の「ワインレッドの心」が71.4万枚の大ヒットとなる。以降も「恋の予感」「熱視線」「悲しみにさよなら」など数々のヒット曲を発表し、’85年のアルバム『安全地帯IV』はオリコン週間・年間1位を獲得。’88年以降、活動休止と再開を繰り返しながらも、各メンバーのソロ活動と並行して現在も定期的に活動している。

BOØWY

群馬県出身の氷室京介、布袋寅泰、松井恒松を中心に東京で結成され、高橋まことが加入して4人編成で活動。’82年に「MORAL」でメジャーデビュー。8ビートを基調としたロックサウンドと斬新なビジュアルで支持を集め、アルバム『BEAT EMOTION』『PSYCHOPATH』はミリオンセラーを記録。シングル「MARIONETTE」で初登場1位を獲得し、’87年の渋谷公会堂ライブで解散を宣言。翌年の東京ドーム『LAST GIGS』で活動に終止符を打った。音楽性、ビジュアル、強気の姿勢で日本のロックシーンに大きな影響を与えた伝説的バンド。

シブがき隊

布川敏和・本木雅弘・薬丸裕英の3人によるジャニーズ事務所所属の男性アイドルグループ。1982年に「NAI・NAI 16」で歌手デビューし、第24回日本レコード大賞最優秀新人賞を受賞。ジャポニズムを取り入れた楽曲や企画性の高いノベルティソングで人気を集め、映画・ドラマ・バラエティ番組にも出演。’80年代前半の男性アイドルシーンをリードした。’88年8月に解隊宣言、同年11月に代々木第一体育館で解散コンサートを行い、グループ活動に幕を下ろした。

あみん

岡村孝子と加藤晴子による女性デュオで、主旋律を岡村、ハーモニーを加藤が担う繊細なコーラスワークが特徴。1982年に「待つわ」でレコードデビューし、同曲は109万枚のミリオンセラーとなり『NHK紅白歌合戦』にも出場した。ポプコン出身の実力派で、オリジナル曲へのこだわりから1stアルバムも自作中心に制作された。しかし加藤の学業優先と芸能界への不適合感から’83年に活動休止。以後、岡村はソロへ、加藤は一般生活へ進むが交流は継続。2002年に一夜限りで共演し、2007年に正式に活動再開した。

ヒロシ&キーボー

黒沢年雄の実弟・黒沢博と元OLのキーボーによる男女デュオ。1982年に「3年目の浮気」でデビューし、同曲はオリコン3週連続1位・130万枚の大ヒットを記録、日本有線大賞などで最優秀新人賞を受賞した。続けて「5年目の破局」などユニークな恋愛路線の楽曲を発表したが、’84年にコンビを解消。解散後も代表曲は替え歌・パロディで親しまれ、本人たちもラジオ企画で過激な替え歌に応じるなど話題を呼んだ。なお、歌詞内容が理由でNHK紅白歌合戦には出場できなかったとされる。

わらべ

『欽ちゃんのどこまでやるの!』から生まれた高部知子、倉沢淳美、高橋真美の3人による企画ユニットで、素朴な雰囲気で人気を得た。欽ちゃん番組の高視聴率とイモ欽トリオの成功を背景に、番組内で成長した“萩本家の三姉妹”を演じるためのオーディションで結成された。1982年に坂本龍一編曲のデビュー曲「めだかの兄妹」をリリースし、番組のエンディング曲として親しまれ、翌年のオリコン年間3位となる大ヒットを記録。パジャマとちゃんちゃんこ姿で歌う姿が話題になった。

 杉山清貴&オメガトライブ

プロデューサー藤田浩一を中心に結成された1980年代のプロジェクト型バンドで、林哲司ら制作陣が主導し、杉山清貴のボーカルで’83年にデビューした。夏・海・リゾートをテーマにした都会的サウンドで人気を博し、サザンやTUBEと並ぶ“夏バンド”として定着した。レコーディングはプロのスタジオミュージシャンが担当し、メンバーは提供曲を演じる形で活動したため、創作への関与が限られていた。やがて葛藤が生まれ、メンバーの総意で’85年に解散。以降はボーカルを交代しながら「オメガトライブ」名義のプロジェクトが続いた。

 C-C-B

ココナッツボーイズを前身とする1980年代のポップ・ロックバンドで、明るいカラフルなビジュアルとキャッチーな楽曲で人気を博した。ミニFM局の企画から生まれ、’83年にデビュー。’85年、筒美京平×松本隆による「Romanticが止まらない」がドラマ主題歌として大ヒットし、電子ドラムを叩きながら笠浩二がハイトーンで歌う独特のスタイルも話題となった。その後も「Lucky Chanceをもう一度」「ないものねだりのI Want You」などヒットを連発し、紅白出場や賞歴を重ねた。メンバー変動を経て’89年に解散し、再結成を挟みつつ現在は活動停止している。

チェッカーズ

福岡・久留米のアマチュアバンド文化から生まれた7人組ロックバンドで、1983年に「ギザギザハートの子守唄」でデビュー。ドゥーワップやロカビリーを下地にしつつアイドル性とバンド力を兼ね備え、’84年の「涙のリクエスト」で一躍全国的ブレイク。以降「哀しくてジェラシー」「ジュリアに傷心」などヒットを連発し、社会現象となる人気を獲得した。’86年以降は自作曲を増やしソロ活動も活発化。東京ドーム公演など大規模ライブも成功させた。メンバーの結婚や方向性の違いを経て、’92年の紅白歌合戦を最後に解散した。

レベッカ

1980年代後半、日本のバンドブームを牽引したロックバンドで「フレンズ」の大ヒットで国民的な人気を得た。木暮武彦を中心に結成され、NOKKOの個性的な歌声と存在感、そして土橋安騎夫によるサウンドプロデュースが特徴。’85年以降はシンセポップを導入し、海外女性シンガー的スタイルと少女心理を重ねた世界観で独自性を確立した。アルバム『REBECCA IV』がミリオンを達成し、武道館や東京ドーム公演も成功。’91年に解散したが、数度の再結成を経て2015年より活動を再開している。

一世風靡セピア

劇男一世風靡から派生した7人組の男性パフォーマンスユニットで、路上で培ったダイナミックな動きと集団表現を武器に1980年代の音楽界で注目を集めた。’84年に「今、我に正直に生きてみたい」でデビューし、「前略、道の上より」「汚れっちまった悲しみに…」などのヒットを放つ。個々の個性を混ぜ合わせた“セピア”という名の通り、多彩なキャラクターと力強い群舞が特徴。紅白出演は条件が合わず辞退した。’89年に解散し、哀川翔や柳葉敏郎、小木茂光らは俳優として活躍を広げた。

爆風スランプ

1982年結成、’84年デビューのロックバンドで、過激かつ奇抜なステージパフォーマンスで注目された。消火器噴射や着ぐるみ演奏など破天荒なライブから“コミックバンド”と見なされつつも、強力な演奏力で次第に評価を高める。代表曲「Runner」はメンバー脱退を機に生まれた名曲で大ヒットし、紅白にも出場。「大きな玉ねぎの下で」などのヒットも持つ。’80年代後半には実力派バンドとして確立したが、’90年代以降は低迷し、各メンバーがソロ活動を展開。’99年に活動休止となった。

バブルガム・ブラザーズ

Bro.TOMとBro.KORNが1983年に結成したデュオで、ブラックミュージックとコメディを融合した「和製ブルース・ブラザーズ」的スタイルが特徴。黒スーツにサングラスの統一衣装でライブハウスから活動を開始し、’85年にデビュー。’90年発売の「WON’T BE LONG」がカラオケを通じて大ヒットし、累計170万枚を超える代表曲となった。

TUBE

1985年デビューした神奈川県出身のロックバンド。サーフィン用語に由来する名称と夏を意識した楽曲から「湘南サウンド」の代表格とされる。初期は亜蘭知子や織田哲郎ら提供曲で活動し、’89年以降はメンバー自作曲が中心。’80年代から通年活動していたが、次第に夏季に特化し、ライブも夏のスタジアム公演を恒例化。’90〜2004年にシングル連続TOP10入り15年、アルバム連続TOP10入り27年を記録するなど安定した人気を誇る。

おニャン子クラブ

1985年、フジテレビ『夕やけニャンニャン』から誕生した女性アイドルグループで’87年まで活動。現役女子高生を中心に会員番号制やクラブ感覚の芸能活動で人気を博し「セーラー服を脱がさないで」などヒット曲を連発。グループ内ユニットやソロ活動も成功し、社会現象となった。メンバーの加入・脱退が常に行われる流動的な体制で、卒業式制度を先駆けて導入。活動期間は短く2年半ながら、’80年代後半の日本のアイドルシーンに大きな影響を与えた。

SHOW-YA

1985年にメジャーデビューした日本の女性ハードロックバンドで、’80年代のバンドブームにおける先駆的存在。前身は寺田と中村が所属した「メデューサ」で、’82年にヤマハ主催レディース部門で最優秀グランプリを獲得。デビュー当初はアイドルバンド路線で売り出されたが後にハードロック路線に回帰。’89年のアルバム『Outerlimits』で商業的成功を収め、『限界LOVERS』『私は嵐』などのヒットも生む。’91年にボーカル寺田脱退後、活動は停滞し、’98年に解散した。

うしろゆびさされ組

おニャン子クラブの高井麻巳子と岩井由紀子による2人組アイドルユニットで、1985年に結成、’87年解散。フジテレビのアニメ『ハイスクール!奇面組』のテーマソング用ユニットとして企画され、「かわいいシュール」をコンセプトに活動。結成直後のシングル『うしろゆびさされ組』を皮切りに、シングル6作・アルバム3作をリリースし、アニメ主題歌として幅広い支持を獲得。高井の卒業に伴い国立代々木競技場でのコンサートで解散。活動期間は約1年半だがグループ派生型ユニットの元祖とされ、後のモーニング娘。やAKB48系ユニットに影響を与えた。

聖飢魔II

1982年結成の日本のヘヴィメタルバンドで、「悪魔教布教」をテーマにした独自の世界観を持つ。メンバーは全員を悪魔と称し、デーモン閣下らが奇抜な衣装や歌舞伎風メイクでパフォーマンス。’85年にアルバム『聖飢魔II〜悪魔が来たりてヘヴィメタる』で地球デビューし、’86年のシングル『蝋人形の館』が大ヒット。演奏はヘヴィでラウド、ライブ「黒ミサ」では火吹きや血吐きなどの演出も行い話題を集めた。’99年12月31日に「地球征服完了」を宣言して解散。’80年代を代表する個性的なメタルバンドとして知られる。

 米米CLUB

1982年結成の日本の大所帯バンドで、石井竜也(カールスモーキー石井)を中心に、ファンクミュージックを基盤に独自の演出を加えたエンターテインメント性の高い活動で知られる。ダンサーチームやサポートバンドを擁し、ライブでは寸劇や観客参加型のパフォーマンスを重視。’85年にCBSソニーからデビューし、「浪漫飛行」「君がいるだけで」などヒット曲を生む。奇抜な衣装やコント的MCで“イロモノ”扱いも受けたが、幅広い年齢層に人気を博す。’97年に一度解散するも、2006年に期間限定で再結成し、現在もスローペースで作品を発表する。

少年隊

ジャニーズ事務所から登場した男性アイドルグループで、錦織一清・植草克秀・東山紀之の3人で構成される。1982年に「ジャニーズ少年隊」として結成、バックダンサー経験を経て’85年にシングル「仮面舞踏会」でレコードデビューし、新人賞を総ナメにする人気を獲得。ダンスと歌を融合させたパフォーマンスが特徴で、’86年からはミュージカル『PLAYZONE』を主催し、紅白歌合戦にも8年連続出場。全盛期にはブロマイド売上第1位を記録。長期にわたりコンサート・テレビ・舞台で活躍し、2020年以降は事実上活動休止状態となるが、名前は存続している。

プリンセス・プリンセス

1983年のTDK主催オーディションで結成。デビュー前は「赤坂小町」「JULIAN MAMA」として活動した後、’86年に「PRINCESS PRINCESS」と改名しCBSソニーからミニアルバムで再デビュー。’87年にファーストシングル「恋はバランス」を発売し、’88年以降は「MY WILL」「19 GROWING UP」「GO AWAY BOY」「GET CRAZY!」などのヒットを連発。’89年には日本武道館公演を女性バンドとして初開催し、シングル「Diamonds」でミリオンセラーを達成、トップアーティストとしての地位を確立。ライブ中心の活動と自作楽曲へのこだわりも特徴である。

うしろ髪ひかれ隊

うしろゆびさされ組解散後の後継ユニットとして1987年に結成された、生稲晃子・工藤静香・斉藤満喜子の3人によるおニャン子系女性アイドルグループ。アニメ『ハイスクール!奇面組』主題歌「時の河を越えて」でデビューし、工藤の人気上昇により「静香のグループ」と評されがちだったが、センターポジションを曲や活動ごとに入れ替えるなどバランスを重視した方針をとった。制作面ではおニャン子と異なり音楽性を重視したプロデュースが行われ、高い楽曲クオリティが特徴で、’88年に活動停止した。

THE BLUE HEARTS

1985年に結成され、’87年「リンダリンダ」でメジャーデビュー。甲本ヒロトと真島昌利を中心に、シンプルで力強いサウンドと、ストレートながら高い文学性を評価された歌詞で支持を集めた。「TRAIN-TRAIN」「青空」「人にやさしく」「情熱の薔薇」などのヒットを放ち、日本のロックに大きな影響を与えた。前期はメッセージ性の強い独自の世界観を確立し、後期は幅広い音楽性を展開。’95年に解散したが、その楽曲は現在もCMや映像作品で使われ続けている。

光GENJI

1987年に結成された7人組男性アイドルグループで、ローラースケートを駆使した華やかなパフォーマンスで爆発的な人気を得た。デビュー曲「STAR LIGHT」や「パラダイス銀河」など、光や宇宙をテーマにした楽曲で社会現象となり、雑誌・ラジオ・音楽番組でも記録的な支持を獲得した。’88年には日本レコード大賞を受賞、オリコン年間シングルランキング上位を独占するなど圧倒的存在感を示す。末期に2名が脱退し「光GENJI SUPER 5」として活動後、’95年に解散した。

BUCK-TICK

1987年デビュー、ダークな世界観と先鋭的なポップセンスを融合した独自の音楽性を持つ。デビュー2年で日本武道館・東京ドーム公演を成功させ、3rdアルバム『TABOO』でオリコン1位を獲得。ビジュアル面・サウンド面ともに常に進化を続け、日本のロックシーンに大きな影響を与えた。デビュー以降長期にわたり精力的に活動し、記念映画公開や音楽賞受賞など評価も高い。2023年にボーカル櫻井敦司が逝去するも、残るメンバーで活動継続を表明し、新体制でも作品・ライブを展開している。

筋肉少女帯

大槻ケンヂと内田雄一郎を中心に1982年に結成されたロックバンド。初期は白塗りや包帯を巻く奇抜なパフォーマンスを特徴とし、ナゴムレコードからインディーズデビュー。’88年に『仏陀L』と『釈迦』でメジャー進出し、メンバー入れ替えを経て橘高文彦らが加入し体制が安定する。『日本印度化計画』『元祖高木ブー伝説』などユーモアと過激さを併せ持つ楽曲で注目を集め、コミックバンド的側面も話題となった。’90年には日本武道館で単独公演を行い人気を確立するが、バンドブーム衰退や事務所問題などから’98年に活動を休止した。

男闘呼組

1980年代後半に活躍したジャニーズ初の本格派ロックバンド。成田昭次・高橋一也(後の光一)・岡本健一を中心に結成され、前田耕陽を加えた4名体制でデビューに至った。’88年「DAYBREAK」が大ヒットし、「秋」「TIME ZONE」などで人気を確立し、日本レコード大賞最優秀新人賞や紅白出場を果たした。従来のアイドル像と異なり、ロック志向と演奏力を前面に出したスタイルが特徴。’93年、高橋の事務所退所を機に活動休止となり、メンバーはそれぞれの道へ進んだ。

チャゲ&飛鳥

高校の同級生であるChageとASKAにより1979年に結成され「ひとり咲き」でデビュー。’80年代から’86年にかけて「万里の河」「モーニングムーン」などヒットを重ね、’91年の「SAY YES」でオリコン13週連続1位・ダブルミリオンを記録。’90年代には「YAH YAH YAH」など複数のミリオンヒットを放ち、海外ツアーやMTVアンプラグド出演など国際的な活動も展開した。2009年に無期限活動休止、2013年再始動を目指すも、ASKAの健康問題や事件で白紙となり、2019年にASKAが脱退した。

一風堂

1979年に渋谷のディスカウントストア名を由来に結成され、当初は山本翔のバックバンドとして活動。’80年からシングル「ブレイクアウト・ジェネレーション」「ミステリアス・ナイト」やアルバム『NORMAL』『REAL』をリリースし、ニュー・ウェイヴやポップスの要素を取り入れたサウンドで注目された。’82年の「すみれ September Love」はカネボウCMソングとして大ヒットし、オリコン最高3位を記録。リーダー土屋昌巳やメンバーのソロ活動も活発で、海外アーティストのサポートも担当した。

B'z

1980年代後半にデビューした、ギタリスト松本孝弘とボーカリスト稲葉浩志によるロックユニット。’88年にシングルとアルバムを同時発売してデビューし、’90年に「太陽のKomachi Angel」で初のオリコン1位を獲得。その後ミリオンヒットを連発し、日本を代表する人気アーティストへと成長した。激しいロックサウンドと圧倒的歌唱力、松本によるギタープレイを核とした楽曲が特徴で、ライブ「LIVE-GYM」も精力的に展開。後年には国内売上でギネス認定され、世界的にも評価を受ける国民的ロックユニットとなった。

グループ > 1960年代

─ 主な歌手一覧 (順不同) ─

ハナ肇とクレイジーキャッツ

1955年結成、’59年「スーダラ節」でレコードデビュー。ハナ肇をリーダーとするコメディ色の強い音楽バンドでメンバーは植木等、谷啓、犬塚弘らが名を連ね「スーダラ節」「ハイそれまでよ」など数々のヒット曲を生み出した。人気バラエティ番組『シャボン玉ホリデー』では、音楽とコントを融合した斬新なスタイルでテレビ界にも大きな影響を与えた。

ザ・ドリフターズ

1956年結成、’64年「ドリフのズンドコ節」でレコードデビュー。いかりや長介を中心に結成されたバンド兼コメディグループ。当初は本格的な音楽活動も行い、ビートルズ来日公演では前座も務めた。代表曲は「ドリフのズンドコ節」「いい湯だな」。後にテレビ番組『8時だョ!全員集合』で国民的人気を獲得し、子どもから大人まで幅広い層に支持された。

スリーファンキーズ

1958年デビュー。アイ高野、山下敬二郎、長沢ロー(初期)による3人組男性ボーカルグループ。ロカビリー・ブームの中、アメリカンポップスを日本流にアレンジし人気となる。代表曲は「涙のギター」。当時の若者文化に大きな影響を与え、後のアイドルグループの先駆け的存在だった。

ザ・ピーナッツ

1959年4月デビュー。伊藤エミ・伊藤ユミの双子姉妹によるボーカルデュオ。人気バラエティ『シャボン玉ホリデー』に出演し息の合った美しいハーモニーと可憐なルックスで爆発的な人気を得た。代表曲は「恋のバカンス」「ふりむかないで」など。海外進出にも意欲的で、特にドイツ映画『モスラ対ゴジラ』では小美人役として出演し、世界的にも知られる存在となった。姉の伊藤エミと沢田研二との結婚により引退。

こまどり姉妹

1959年「浅草姉妹」でデビュー。実姉妹のデュオとして、下町の庶民感情を歌った演歌・歌謡で人気を集めた。生活苦から流しをしていた実話が「浅草姉妹」の詞にも反映。芸能界の“シンデレラ・ストーリー”として注目を浴び、テレビや映画にも出演。ド派手な衣装と歯に衣着せぬトークで、長年にわたり愛された姉妹デュオ。

ザ・キングトーンズ

1960年「ミスター・ロンリー」でデビュー。リードの内田正人による圧倒的な低音ボイスと、ソウルフルなコーラスが特徴。’68年「グッド・ナイト・ベイビー」が大ヒットし、和製ドゥーワップの金字塔に。黒人音楽の影響を色濃く受けた本格派グループとして、現在も根強いファンを持つ。

ジャニーズ

1964年12月デビュー。飯野おさみ、あおい輝彦、中谷良、真家ひろみの4人組男性アイドルグループで、代表曲は「若い涙」「涙くんさよなら」。アメリカンスタイルのショービジネスを日本に根付かせることを目指し、ミュージカルやテレビにも積極的に出演し人気となる。「ジャニーズ」という名前自体が、後の事務所名(ジャニーズ事務所)の由来となる。

鶴岡雅義と東京ロマンチカ

1966年「小樽のひとよ」でデビュー。ムード歌謡の王道をゆく、甘く濃厚な情感が特徴。美しいメロディと男性コーラスの響きが魅力で、「君は心の妻だから」「愛の奇跡」など多数のヒット曲を持つ。鶴岡はギタリスト兼リーダーとして作曲も手がけ、グループのサウンドの要となった。

ピンキーとキラーズ

1968年6月にデビューしたヴォーカルの今陽子(ピンキー)と男性4人のバンドによるグループ。黒いハットがグループのトレードマークで、今陽子の迫力ある歌唱と振り付けが話題を呼び、代表曲「恋の季節」は発売からわずか3か月でミリオンセラーを達成し、レコード大賞新人賞を受賞した。

レ・ガールズ

1967年に結成された女性ダンスグループ。西野バレエ団の中でもエース格だった金井克子、原田糸子、由美かおる、奈美悦子、江美早苗で構成され、本格的な歌とダンスで当時の若者から熱狂的な支持を集め、アイドルグループの草分け的存在とされた。同名の音楽バラエティ番組も制作され、’68年には映画『ミニミニ突撃隊』『初恋宣言』、’69年にはドラマ『フラワーアクション009ノ1』に主演。2006年に一部メンバーを除き再結成されている。

※画像:(C)国際情報社 – 『映画情報』1968年4月号

日本中が熱狂したグループ・サウンズ

グループ・サウンズの時代(1960年代後半)、日本の音楽は大きく変わった。それまでの演歌や歌謡曲と異なり、ビートルズに代表されるリバプールサウンドの影響を受け、エレキギターやドラムを使ったバンド形式の音楽が流行した。若者が中心となり、ザ・スパイダース、ザ・タイガース、ザ・テンプターズなどバンド名に「ザ・」がつくグループが多数登場した。

グループサウンズは派手な衣装、甘いマスク、ビートの効いた音楽や当時人々が憧れた欧米の空気も感じさせ、GSが出演する音楽フェスティバル「日劇ウエスタンカーニバル」では前売り券を求めて有楽町駅から東京駅付近まで約1kmの行列ができるほど熱狂的な人気となった。それは同時に、日本に芽生えた「若者文化」の象徴とも言える。グループサウンズは’70年代初頭には衰退するが、後の日本のロックやアイドル文化の礎となる重要なムーブメントだった。

ザ・スパイダース

​1965年5月​「フリフリ」でデビュー。堺正章、井上順、かまやつひろし、田邊昭知(現・田辺エージェンシー代表取締役社長・会長/2025年)、井上堯之、大野克夫らが在籍。当時は斬新だったミリタリー・ルックに身を包み、演奏力とユーモアも兼ね備える老舗バンドとしてGSブームを牽引した。ビートルズ的なサウンドが特徴で「夕陽が泣いている」「なんとなくなんとなく」「あの時君は若かった」などヒット曲多数。個々のメンバーの人気や評価が高く、GSブーム終焉の中でメンバーのソロ活動が増え、堺がTBSドラマ『時間ですよ』に出演するようになった’70年に解散した。

ザ・タイガース

1967年2月「僕のマリー」でデビュー。大阪の音楽喫茶『ナンバ一番』で”ファニーズ”というグループ名で歌っていたところ、共演していた内田裕也ほか複数の音楽人に声をかけられ上京、渡辺プロダクションのオーディションに合格しデビューに至る。ジュリー(沢田研二)を中心に華やかなルックスが特徴で、2曲目の「シーサイド・バウンド」で人気が爆発。女性ファンから絶大な支持を受け「モナリザの微笑」「君だけに愛を」「花の首飾り」などのヒットでGSを代表する存在となる。グループ名は大阪の阪神タイガースにちなんだもので、作曲家のすぎやまこういちによって命名された。活動期間は約4年間。

ザ・テンプターズ

1967年10月「忘れ得ぬ君」でデビュー。萩原健一(ショーケン)がヴォーカルを務め、タイガースよりもワイルドで不良っぽい雰囲気で人気を集めた。代表曲は「神様お願い!」「エメラルドの伝説」。硬派な魅力で男性ファンも多かった。GSブーム終焉の中、’70年12月に解散。当時はジュリーVSショーケンの構図をメディアは好み、ファン同士の確執も報じられたが、実際のところ2人は大親友と呼べるほど仲が良く、互いにリスペクトし合っての深い友情はショーケンの逝去まで続いている。

ジャッキー吉川とブルー・コメッツ

1966年デビュー。ドラムス担当のジャッキー吉川、ギターとヴォーカルの三原綱木、フルートとサックス、ヴォーカルの井上忠夫などが在籍。’67年に発売した「ブルー・シャトウ」が150万枚の大ヒットを記録し日本レコード大賞を受賞した。不良のイメージが強くNHKとは縁遠かったGSの中にあって、ザ・ワイルドワンズとともにNHKへの出演が許された国民的バンドだった。

ザ・サベージ

1966年7月「いつまでもいつまでも」でデビュー。後にソロでヒット曲「ルビーの指輪」を持つ寺尾聡がベースとヴォーカルを務めていた。知的で紳士的なイメージのグループで特に高校生・大学生に支持され、デビュー期はブルーコメッツやスパイダースとともにGS3大グループとして人気を集めた。

ヴィレッジ・シンガーズ

1966年10月デビュー。3枚目のシングル「バラ色の雲」が60万枚のヒットとなり、翌年の5枚目のシングル「亜麻色の髪の乙女」も60万枚を突破するセールスを記録した。甘いマスクのヴォーカルの清水道夫をはじめメンバーは短髪にスーツの好青年の印象で、GS界の貴公子とも呼ばれた。後に俳優として活躍する林ゆたかがドラムスを務めた。

ザ・ワイルドワンズ

1966年11月「想い出の渚」でデビュー。リードギター加瀬邦彦の特注の12弦ギターによるサウンドで100万枚を超える大ヒットを記録。加瀬のほか鳥塚しげき、島英二、植田芳暁、渡辺茂樹が所属し、それぞれに根強いファンを獲得した。’71年に一度解散したものの’79年に再集結、メンバー交代はありながら2025年現在も活動している。リーダーの加瀬邦彦( 2015年逝去)は全盛期の沢田研二を二人三脚で支えた音楽プロデューサーとしても知られる。

ザ・カーナビーツ 

1967年3月「好きさ好きさ好きさ」でデビュー。ヴォーカル兼ドラムスのアイ高野がドラムスティックを前方に突き出し「お前のすべてを~」と絶叫する見せ場が受けて爆発的なヒットとなる。アニマルズ風のR&Bサウンドが特徴でGSブームを盛り上げた。’69年9月に解散。

ザ・ジャガーズ

​1967年5月のデビュー曲「君に会いたい」が大ヒットするも、4枚目のシングル「キサナドゥーの伝説」発売の頃、メンバー全員が乗車する移動用のマイクロバスが交通事故を起こし、メンバー全員が負傷。療養中に代役としてジャズ喫茶に出演したオックスに人気を奪われる形で不運にも勢いを失った。’71年解散。

オックス

1968年5月「ガール・フレンド」でデビュー。オルガンの赤松愛とリードヴォーカルの野口ヒデトの人気が高く、メンバーとファンが演奏中に失神する場面があったことから「失神バンド」として知られる。デビュー曲や「スワンの涙」がヒット。野口は端正なルックスで、ザ・タイガースの沢田研二やザ・テンプターズの萩原健一とともに多くの女性ファンを獲得した。後に演歌歌手・真木ひでととして活躍。

ザ・モップス

​1967年11月「朝まで待てない」でデビュー。鈴木ヒロミツがヴォーカルを務める、日本におけるサイケデリック・ロックの草分け的バンド。テレビ出演の多いGSグループとは一線を画し、ジャズ喫茶や米軍キャンプ場を主戦場とするGS界の異端児だった。「たどりついたらいつも雨ふり」「すずき・ひろみつの気楽に行こう」などがヒットした。’74年に解散。

パープル・シャドウズ

1968年3月「小さなスナック」でデビュー。デビュー曲は47万枚の大ヒットとなるが、その後ヒット曲には恵まれなかった。(’69年にリリースした「別れても好きな人」は不発だったが、10年後の’79年にロス・インディオス&シルヴィア盤が発売されて大ヒットとなった。)若さを売りにする他のグループとは異なり、七三分けの髪型のサラリーマンスタイルで落ち着いたサウンドを繰り出すムード歌謡の雰囲気も持つグループだった。

フォー・セインツ

1965年デビュー。代表曲は「小さな日記」(’68年)。爽やかなハーモニーが魅力で、青春フォークとグループサウンズの橋渡し的存在。テレビ出演も多く、清潔感あるイメージで若者の支持を集めた。日本におけるコーラスグループ系フォークの先駆けとして評価されている。

ザ・フォーク・クルセダーズ

1967年、自主制作盤「帰って来たヨッパライ」でデビュー(正式な全国発売は’67年12月)。ラジオで人気となり、ミリオンセラーを記録。関西大学の学生バンドが一夜にして国民的グループに。風刺とユーモアに満ちた楽曲が特徴で、「イムジン河」は放送禁止騒動も話題に。’68年に人気絶頂で解散し“伝説のフォークグループ”と称される。加藤和彦はのちにサディスティック・ミカ・バンドなどで活躍。

ジローズ

1969年、テレビ番組『リブ・ヤング!』の挿入歌「戦争を知らない子供たち」でデビュー。同曲が反戦フォークとして大ヒット。堺武男と杉田二郎によるデュオで、明快なメッセージと覚えやすいメロディが支持された。解散後、杉田はソロで活躍、「男どうし」などもヒット。時代の空気を象徴するグループとして記憶されている。

ミニコラム ─ この時代の気になる人々 [六本木野獣会]

1961年に結成された、すぎやまこういちと田辺靖雄を中心とする富裕層ティーンの遊び人グループ。本来は「野獣会」と呼ばれた。赤坂・六本木に集ったことから「六本木族」と混同され「六本木野獣会」とも呼ばれる。メンバーには峰岸徹、中尾彬、大原麗子、小川知子、井上順、ムッシュかまやつら後にスターとなる若者が多く最大30人規模。赤坂のカフェ「シャンゼリゼ」を拠点に、当時の都会的な若者文化の象徴となり、映画やテレビにも影響を与えたが、主要メンバーの売出しに伴い数年で自然消滅した。

ダークダックス

1951年結成。テレビ時代の草創期から活躍した男声コーラスグループ。「ともしび」「雪山讃歌」などフォーク調の楽曲で親しまれた。学究肌のメンバーが多く、ロシア民謡や唱歌の紹介にも尽力。バラエティ出演も多く、親しみやすい知性派グループとして世代を問わず人気を得た。

和田弘とマヒナスターズ

1953年結成。’57年「お百度こいさん」でヒットし、’59年「誰よりも君を愛す」でレコード大賞受賞。ラテン調ムード歌謡を確立した草分け的存在で、ジャズやマンボの要素も取り入れた。和田のギターと阿蘇しのぶら多彩なボーカリストが魅力で、当時の歌謡界に多大な影響を与えた。

デューク・エイセス

1955年結成。アメリカンポップスから民謡、童謡まで幅広く歌う男声コーラス。’60年代には「筑波山麓合唱団」「女ひとり」など、叙情性あふれる楽曲で注目された。ユーモアと品のあるパフォーマンスで教育番組やCMでも活躍。美しいハーモニーと豊かな表現力で高い評価を得た。

ソルティー・シュガー

1969年「走れコウタロー」でデビュー。駅伝をテーマにしたユーモラスな楽曲が異例のヒット。コミカルなイメージながら、メンバーの多くはのちにプロの作家やプロデューサーとして音楽業界に関わる。風刺と笑いの要素を併せ持つ、異色のフォークユニットとして記憶される。

ベッツィ&クリス

1969年、「白い色は恋人の色」でデビュー。アメリカ人女性二人組による異色のフォークデュオで、流暢な日本語と美しいハーモニーで話題に。続く「花のように」もヒット。短期間の活動ながら、日本のフォーク界に強烈な印象を残した。のちに帰国し、活動は自然消滅的に終了。

じゅん&ネネ

スクールメイツ出身の森くるみ(じゅん)と筑紫恵子(ネネ)の女性デュオ。1964年にクッキーズとしてデビューし、’68年にじゅん&ネネへ改名。コシノジュンコと平尾昌晃が名付けた。キングレコードから再デビューした「愛するってこわい」が80万枚を売り上げ一躍人気デュオとなるが’72年に解散。じゅんはソロ活動後に結婚し芸能界を引退。ネネは留学を経て音楽活動を継続した。

黒沢明とロス・プリモス

1967年「ラブユー東京」でデビュー。都会の夜を感じさせるムード歌謡の代表格。切ない恋心を甘い歌声で歌い上げ、「たそがれの銀座」「ラブユー貧乏」なども人気。夜の酒場やカラオケで定番のナンバーとなり、サラリーマン世代の共感を得た。メンバーチェンジを重ねながら長期にわたり活動。

内山田洋とクール・ファイブ

1969年「長崎は今日も雨だった」でデビュー。前川清の甘く深い歌声と、ムード歌謡の美しいハーモニーで一世を風靡。「中の島ブルース」「そして、神戸」などヒット多数。和装・洋装を取り入れたスタイルも斬新で、ムード歌謡を現代風に洗練させた存在。解散後も前川はソロで活躍。

ロス・インディオス

1969年「コモエスタ赤坂」でブレイク。ラテン歌謡を日本風にアレンジしたムード歌謡グループとして活躍。男女デュエットの形も多く、’80年代にシルヴィアとの「別れても好きな人」で再ブレイク。酒場の哀愁や恋心を情熱的に歌い上げ、長年愛されるグループに。

フォーリーブス

1968年9月デビュー。北公次、青山孝、江木俊夫、永井秀一の4人によるジャニーズ事務所の男性アイドルグループ。代表曲は「ブルドッグ」「地球はひとつ」など。歌とダンスを本格的に取り入れたパフォーマンスで、テレビ、コンサート、舞台など幅広く活躍し、ジャニーズ系アイドルの基本スタイルを築いた。

ヒデとロザンナ

1968年デビュー。日本人の出門英(ヒデ)とイタリア人歌手ロザンナによる男女デュオ。代表曲「愛の奇跡」は異国情緒たっぷりの美しいハーモニーで大ヒットした。プライベートでも結婚し、夫婦デュオとして活動していたが、後にヒデの早逝により惜しまれながら活動を終了した。

 この時代の流行 ─

アイビールック

1950年代のアメリカ東海岸・名門大学アイビーリーグの学生たちの装いに由来し、三つボタンのブレザー、ボタンダウンシャツ、コットンパンツ、ローファー、七三分けの髪型を基本とする端正な紳士的スタイル。日本では’60年代にVANと『MEN’S CLUB』が普及を牽引し、定番コーディネートを提示することで若者に広まった。銀座みゆき通りの「みゆき族」など街の若者文化とも結びつき、写真集『TAKE IVY』の発表などを通じて独自のファッション文化として定着した。

ビリー・バンバン

1969年「白いブランコ」でデビュー。菅原兄弟によるハーモニーデュオ。繊細で叙情的な楽曲が多く、フォークというよりメロウなポップスとしても親しまれた。兄・孝の病気による活動休止を乗り越え、’91年「また君に恋してる」で再ブレイク。長寿グループとして根強い人気を持つ。

ブレッド&バター

1969年のデビュー曲は「マリエ」(’70年発表)。岩沢兄弟によるユニットで、日本の“湘南サウンド”の源流的存在。アメリカ西海岸の影響を受けた都会的で洗練されたサウンドは、後のシティポップに通じる。長く音楽活動を続け、ミュージシャンからの評価も高い。

トワ・エ・モワ

1969年「或る日突然」でデビュー。白鳥英美子と芥川澄夫の男女デュオで、柔らかいハーモニーと知的なイメージが特徴。「空よ」「誰もいない海」などがヒット。’72年札幌五輪のテーマ「虹と雪のバラード」でも注目を集めた。女性フォークの先駆け的存在としても重要。

グループ > 1970年代

─ 主な歌手一覧 (順不同) ─

赤い鳥

1969年結成、’70年代を中心に活動し’74年に解散した。各メンバーがボーカルを担当する美しいハーモニーが特徴。民謡や子守唄を取り入れつつ、ソフトロック的要素も兼ね備え関西フォークとは一線を画した。’69年ヤマハ・ライト・ミュージック・コンテストでグランプリを獲得、’70年にシングル『人生/赤い花白い花』とアルバム『FLY WITH THE RED BIRDS』でメジャーデビュー。’71年の『竹田の子守唄/翼をください』は100万枚を超えるヒットとなった。解散後、元メンバーは紙ふうせん、ハイ・ファイ・セット、ハミング・バードを結成した。

はっぴいえんど

1970年代前半に活動したロックバンドで、細野晴臣、大瀧詠一、松本隆、鈴木茂により結成された。松本の巧みな日本語詞と大瀧・細野の作曲により、日本語ロックの基礎を築き、民俗的・文学的要素を音楽に取り入れた。アメリカのロックやフォークの影響を受けつつ、日本語歌詞を中心にした独自の音楽性を展開。全日本フォークジャンボリーへの出演や、代表曲「風をあつめて」のヒットで注目された。後続の日本のロックバンドや松田聖子らの楽曲に大きな影響を与え、バックバンド活動やサポート参加も行った。

オフコース

1970年にシングル『群衆の中で』でデビュー。初期はフォークソング的なアコースティック中心の曲を演奏し、’72年から小田和正と鈴木康博のデュオ体制を経て、’76年に松尾一彦、清水仁、大間ジローが加わりバンドサウンドを確立。’79年以降の「さよなら」などのヒットで人気を獲得し、テレビ出演をほとんどせずレコード制作とコンサートに専念する独自路線を貫いた。’82年の鈴木脱退後も活動を再開し、’89年に解散した。

殿さまキングス

1967年結成。元々はコミックバンドとしてお笑い番組に出演していたが、’70年代に歌謡コーラス・グループに転向し成功を収めた。リーダー長田あつしら4人編成で、’73年の「なみだの操」、’75年の「夫婦鏡」が連続ミリオンヒットとなり史上初の快挙を達成。演歌系のほかリズム曲やワールドミュージックにも意欲的に取り組んだ。’80年代にはポップス要素も取り入れ、’90年に解散後はメンバーがソロや懐メロ番組で活動を継続した。

かぐや姫

南こうせつを中心に活動。第1期は南・森進一郎・大島三平の3人でデビューし、短期間でシングル3枚とアルバム1枚を発表。第2期は南・伊勢正三・山田パンダの編成で1971年に再結成し、シングル『青春』で再デビュー。’73年の『神田川』が160万枚の大ヒットとなり、フォークシーンで絶大な人気を得た。グループ名は第2期から「かぐや姫」となり、映画化の影響やレコード会社との意向により解散は早まり、’75年の東京公演をもって活動終了。メンバーはソロや別ユニットで活動を継続した。

RCサクセション

忌野清志郎を中心に結成されたロックバンドで「King of Rock」「King of Live」と称され、日本語ロックの確立やライブパフォーマンス文化に大きな影響を与えた。基本的に忌野が作詞・作曲した楽曲をバンドでアレンジし演奏するスタイルをとり、共作も行った。1982年には坂本龍一との「い・け・な・いルージュマジック」がヒットし、過激なMVなどで注目を集めた。RCとしての活動はその後も続き、自身のレーベル設立など革新的な試みを行ったが、’91年以降活動休止、2009年の忌野死去により事実上解散した。

森田公一とトップギャラン

1969年結成。腕利きミュージシャンの集合体として知られる。’70年代に「青春時代」などのヒット曲を生み、’77年には第28回NHK紅白歌合戦に出演した。デビュー後、’75年にCBS・ソニーへ移籍してから安定した人気を獲得。’81年に解散したが、’90年には森田の作曲家30周年を記念してトップギャランⅡとして再結成され、後にオリジナルメンバーに狩人の加藤久仁彦を迎え再び活動を継続した。バンド名は帆船の上檣に由来し、メンバー全員がリーダー経験者であることを象徴している。

チューリップ

1968年にザ・フォーシンガーズとして結成され、’70年代に財津和夫を中心に本格活動を開始した。ビートルズに影響を受けたメロディとコーラス、メンバー全員が作詞・作曲・ボーカル・コーラスを担当するスタイルが特徴。’73年「心の旅」、’74年「青春の影」、’75年「サボテンの花」、’79年「虹とスニーカーの頃」などヒットを連発し、ツインボーカルを活かした楽曲で人気を獲得。’79年以降メンバー交代が相次ぎ一時低迷したが、後に再結成され、オリジナルメンバーでのライブ活動を展開した。

 敏いとうとハッピー&ブルー

1971年に敏いとうが結成した日本のムード歌謡グループ。’73年に森本英世を2代目リードボーカルに迎え、’74年の『わたし祈ってます』をはじめ、『星降る街角』『よせばいいのに』などヒット曲を連発し、「ムード歌謡の帝王」と称された。’83年に森本脱退後、一時活動休止も経験するが、’96年以降再開。リードボーカルは変遷しつつ、2021年には「新✩SHINSEI敏いとうとハッピー&ブルー」として後継グループが正式認定され、現在も活動を継続している。

シモンズ

大阪出身の女性フォークデュオで、田中ユミと玉井タエにより1970年代初頭に活動した関西フォーク系グループ。グループ名は「サイモン&ガーファンクル」のサイモンに由来する。高校時代からライブ活動を行い、上京後にRCAレコードからデビュー。デビュー曲『恋人もいないのに』が60万枚超の大ヒットとなり、’71年の日本レコード大賞新人賞を受賞。’74年に玉井の結婚で一時休止するも、’78年にテレビドラマ主題歌で再開し翌年に解散した。CMソングも多数手掛け、特に明治製菓「チェルシー」の曲が有名である。

チェリッシュ

愛知県出身の松崎好孝と松崎悦子による夫婦フォークデュオ。1968年に松崎好孝を中心とした4人組で名古屋にて結成、’70年に悦子が加入し第1期チェリッシュとなる。’71年、音楽コンテストでグランプリを獲得後、シングル『なのにあなたは京都へゆくの』でデビュー。’72年に男女デュオ体制となり、第2期チェリッシュとして活動。’73年の『てんとう虫のサンバ』『避暑地の恋』など多数のヒット曲を生み、結婚後も夫婦デュオとして全国ツアーやテレビ出演を行い、清純で親しみやすいメロディーと歌唱で人気を博した。

かぐや姫

南こうせつを中心に活動したフォークグループ。第1期は南、森進一郎、大島三平の3人組で「酔いどれかぐや姫」などを発表し、1年間でシングル3枚とアルバム1枚を残した後に解散。第2期は南が伊勢正三と山田パンダを加え再結成し、1971年のシングル『青春』で再デビュー。’73年に『神田川』が160万枚の大ヒットとなり、深夜放送のリスナーを中心に人気を獲得した。映画化やレコード会社の意向によりアーティストの意思が制約されたこともあり、’75年4月に解散した。

ガロ

1970年から’76年まで活動した、堀内護(MARK)、日高富明(TOMMY)、大野真澄(VOCAL)の3人組フォークロックグループ。全員がボーカルとギターを担当し、卓越したコーラスワークと演奏技術で知られ、「和製CSN&Y」と称された。’73年には「学生街の喫茶店」「君の誕生日」「ロマンス」がヒットし一世を風靡。元々はCSN&Yのコピーバンドとして活動を開始し、初期から都会的でファンタジックな楽曲を制作。後期にはソフトロックやプログレッシブ・ロック、ハード・ロック的要素も取り入れ、多様な音楽性を示した。

ペドロ&カプリシャス

リーダーのペドロ梅村を中心に結成されたバンド。ジャズやフォーク、ラテンロックなど洋楽の要素を取り入れたアダルト・コンテンポラリーなサウンドで人気を集めた。1971年に前野曜子を迎えデビュー曲「別れの朝」がヒットし、’73年には高橋まり(現・髙橋真梨子)を迎えて「ジョニィへの伝言」「五番街のマリーへ」などのヒット曲を生む。ボーカルは世代交代を繰り返しながら活動を継続し、’70年代に洗練されたメロディと洋楽的アレンジで多くのファンを魅了した。

青い三角定規

1971年、西口久美子、岩久茂、高田真理の3人で結成された。作曲家いずみたくが深く関わり、’72年にはドラマ『飛び出せ!青春』主題歌「太陽がくれた季節」が100万枚を超える大ヒットとなり『日本レコード大賞』新人賞を受賞、NHK紅白歌合戦にも初出場した。メンバー間の方向性の違いから’73年に解散。その後、西口はソロ歌手・女優、岩久は作曲家、高田は一時歌手後に芸能界を引退。解散後、いずみたくのプロデュースで新メンバーによる新「青い三角定規」が短期間活動した。

アリス

1971年、谷村新司、堀内孝雄、矢沢透の3人で結成。’72年シングル「走っておいで恋人よ」でデビューし、下積みの地道なツアー活動を経てファン層を拡大した。谷村のラジオ出演やオリジナル曲「帰らざる日々」「冬の稲妻」「チャンピオン」などのヒットにより知名度を高め、’78年には日本人アーティストとして初めて日本武道館3日間公演を成功させ、一時代を築いた。全国の主要ホールや野球場でも満員公演を実施し、’70年代を代表する人気グループとなった。

ビリーバンバン

兄・菅原孝と弟・菅原進による東京都出身の兄弟フォークデュオ。1968年に兄弟デュオとして再編され、’69年にシングル「白いブランコ」でメジャーデビュー。弁舌さわやかな兄と口下手な弟という対照的なコンビが特色で、一躍フォークシンガーの代表格となった。’72年にはテレビドラマ主題歌「さよならをするために」が約80万枚のヒットを記録しNHK紅白歌合戦にも出場。その後活動は続くが、’76年に解散。兄は司会者、弟は歌手・作曲家として独自の道を歩んだ。

宮史郎とぴんからトリオ

宮史郎を中心に結成された音曲漫才出身の歌謡コーラスグループ。1963年に宮五郎、並木ひろしとともに「ぴんからトリオ」として活動を開始し、’72年に自主制作の「女のみち」が420万枚を売り上げ大ヒット。続く「女のねがい」「女のゆめ」も大ヒットし、昭和歌謡界で人気を博した。’73年に並木脱退後「ぴんから兄弟」として活動。第15回日本レコード大賞大衆ヒット賞受賞、第24回紅白歌合戦にも出演。その後宮史郎はソロ転向し、『片恋酒』などのヒットを重ね、演歌・ナツメロ界で長年活躍した。

フィンガー5

沖縄出身の5人兄妹による歌って踊る歌謡アイドルグループで、四男・晃の変声期前のハイトーンボイスを軸に1970年代に爆発的な人気を得た。米兵向けバーで洋楽に親しみ、ソウルやモータウンを基盤とした高い歌唱力とダンスが特徴。’60年代後半からバンド活動を続け、紆余曲折ののち’72年に再デビュー。’73年の「個人授業」が145万枚超の大ヒットとなり、「恋のダイヤル6700」「学園天国」などミリオンを連発した。子どもらしいルックスとパワフルなパフォーマンスで社会現象的ブームを巻き起こした。

海援隊

1971年に結成された男性3人組フォークグループ。福岡・照和を拠点にブルースロックからフォークへと作風を変えながら活動した。泉谷しげるの後押しで’72年にエレックからデビューし、「母に捧げるバラード」がヒット。武田の表現力と3人のハーモニーが支持された。低迷期を経て’77年に「あんたが大将」で再浮上し、’79年にはドラマ『3年B組金八先生』主題歌「贈る言葉」がミリオンを記録。’70年代フォークの中でも叙情性と社会性を併せ持つ独自の存在として定着した。

キャロル

1972年に結成。矢沢永吉とジョニー大倉を中心に革ジャンとリーゼントをまとった50’sスタイルで一躍注目を浴びた。ビートルズの初期ロックを源流に、日本語オリジナル曲で勝負した点が大きな革新で、矢沢作曲・大倉作詞の体制が音楽性を支えた。『リブ・ヤング!』出演を契機に一気にブレイク。「ルイジアンナ」「ファンキー・モンキー・ベイビー」などがヒットし、若者文化を象徴する社会現象となる。過激な人気ゆえトラブルも多く、内紛や不祥事を抱えつつ、’75年に解散した。

ゴールデン・ハーフ

1970年代前半に活動した女性アイドルグループで、全員がハーフという設定で人気を集めた。’69年、日本テレビ系『ドリフターズ大作戦』のマスコットガールとしてエバ、マリア、ユミ、マーガレット、タミ、ミキの6人で結成され、渡辺プロダクションに所属。’70年8月、スリー・キャッツの「黄色いサクランボ」をカバーしてデビューした。その後「チョット・マッテ・クダサイ」「ロコモーション」などで人気を高めた。編成の変遷を経て4人組時代に人気が最高潮となるが、’73年にリーダー小林ユミが脱退。’74年「メロンの気持」を最後に解散した。

あのねのね

京都産業大学の学生だった清水国明と原田伸郎によって結成されたフォークデュオで、1970年代中期から活動を本格化した。’73年に「赤とんぼの唄」でデビューし、ブラックユーモアを効かせたコミックソングと軽妙なトークで人気を獲得。「魚屋のオッサンの唄」などが代表曲で、ラジオ・テレビでも活躍した。一方で「雪が降っています」「嫁ぐ朝に」などの抒情的な曲も持ち味とした。その後休止期間を経て「ネコ・ニャンニャンニャン」などを再びヒットさせた。

ダ・カーポ

久保田広子と榊原まさとしによるフォークデュオで、1973年にデビュー。翌年の「結婚するって本当ですか」が60万枚の大ヒットとなり代表曲となる。広子の柔らかな美声と確かな歌唱力、親しみやすいメロディーを特長とし、フォークに加えて童謡・唱歌や民謡のアレンジにも積極的に取り組んだ。グループ名は演奏記号「D.C.」に由来し「初心を忘れない」思いを込めたもの。広子と榊原は’80年に結婚した。

ぴんから兄弟

宮五郎・宮史郎兄弟を中心にした歌謡コーラスグループで、元は1963年結成の音曲漫才「ぴんからトリオ」が母体。’72年、自主制作盤「女のみち」が有線放送から火がつき420万枚の大ヒット、続く「女のねがい」「女のゆめ」もミリオン級となり社会現象化した。これを機に音曲漫才から本格的な演歌・コーラス路線へ転換。’73年に並木ひろしが脱退し「ぴんから兄弟」と改名。同年レコード大賞・大衆ヒット賞受賞、NHK紅白にも出場するなど’70年代前半の演歌ブームを代表する存在となった。

キャンディーズ

スクールメイツ出身のラン・スー・ミキにより結成され、1972年にNHK番組のマスコットガールとして登場、’73年「あなたに夢中」でデビューした。当初は目立たない存在だったが、’75年「年下の男の子」でランをセンターに据えて大ブレイクし、大学生を中心に熱狂的人気を獲得。「春一番」「やさしい悪魔」などヒットを連発し、バラエティ番組でも親しみやすいコントで人気を確立。女性の髪型を真似る流行も生んだ。’77年、人気絶頂の中で突然の解散を発表し「普通の女の子に戻りたい」は時代の象徴的フレーズとなった。

グレープ

さだまさしと吉田正美による1972年結成のフォークデュオで、’76年に解散した。高校時代からの友人同士で、長崎で自主的に活動を始め、地元メディアの後押しを受けて’73年「雪の朝」でデビュー。当初は無名だったが’74年の「精霊流し」が深夜ラジオをきっかけに全国的ヒットとなり、日本レコード大賞作詩賞を受賞。「追伸」「無縁坂」などを発表し人気を確立。一方でロック志向も強く、ジャズギターやヴァイオリンを生かした多彩なサウンドに挑戦した。男性デュオの成功例として後の音楽界にも影響を残した。

ダウン・タウン・ブギウギ・バンド

宇崎竜童を中心に1973年に結成された、日本語ロックブームを決定づけた存在。ブルースを基調にしたロックに奇抜な語り口やユーモアを取り入れ、「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」などのヒットで人気を獲得。ツナギ姿のステージ衣装も話題となり、’75年には紅白歌合戦に初のロックバンドとして出場した。’79年以降は過去曲を封印し、’80年に改名してシリアスなブルース・ロックを追求。’81年に解散したが、のちに断続的に再結成している。

クラフト

1970年代半ばに活躍した日本のフォーク・ロックグループで、さだまさし作詞・作曲のセカンド・シングル「僕にまかせてください」やサード・シングル「さよならコンサート」がヒットした。’75年に注目を集め、’78年に一度解散したが、2012年の『FRIENDSHIP JAMBOREE』を契機にライブ活動を再開。メンバーは三井誠(ボーカル・ギター・ピアノ)、森谷有孝(ギター)、松藤一美(ドラムス)、浜田金吾(ベース)で、解散後も各自が作曲やライブ活動など音楽活動を継続している。

ずうとるび

1970年代に活躍したバンドグループで、日本テレビ「笑点」の”ちびっ子大喜利”出演者を中心に結成され、’74年に「透明人間」でレコードデビューした。バラエティ番組出演でも人気を博し、「みかん色の恋」「恋があぶない」などのヒット曲を持つ。’77年に中心人物の山田隆夫が脱退後も新メンバーを加えて活動を継続し、’82年に一度解散したが、2020年に山田を含む5人で再結成。歌とダンスを組み合わせたパフォーマンスやバンド演奏で幅広い人気を得た。

ジョー山中

神奈川県横浜市出身のミュージシャン・俳優・元プロボクサー。1968年に内田裕也の誘いでロックバンド「フラワー・トラベリン・バンド」にボーカルとして参加し、’70年アルバム『ANYWHERE』でデビュー。’71年にはバンドの2ndアルバム『SATORI』を北米で同時発売し、EL&Pと共演するなど国際的に活躍。’73年のバンド解散後はソロに転向し、’74年アルバム『Joe』をリリース。’77年には映画『人間の証明』の主題歌「人間の証明のテーマ」が約51万枚のヒットを記録し、国内外のロックシーンで高く評価された。

山本コウタローとウィークエンド

山本コウタローとウィークエンドは、1974年に山本コウタロー、森一美、板垣秀雄で結成されたフォークグループ。デビュー曲「岬めぐり」がオリコン5位の大ヒットとなり、「走れコウタロー」と共に現在も歌い継がれる名曲となった。’76年以降はグループ名を「ウィークエンド」に改称。山本は’70年代TBSラジオ『パック・イン・ミュージック』の金曜パーソナリティを担当し、太平洋戦争の取材経験も持つ。後にアメリカでの生活を経て著書『アメリカあげます』を発表し、テレビ司会やタレント活動など多方面で活躍した。

 紙ふうせん

1974年に結成された日本のフォークデュオ。メンバーは元「赤い鳥」の後藤悦治郎と平山泰代で、夫婦としてデュオ活動を開始した。’77年の「冬が来る前に」がヒットし代表曲となる。フォークソングの創作だけでなく、民謡や各地の伝承歌の取材も行い、原点を探求する姿勢を持つ。テレビ出演は少ないが、フジテレビ『夜のヒットスタジオ』やTBS『ザ・ベストテン』にも登場。「翼をください」など赤い鳥時代の楽曲も引き継ぎ、関西を拠点に息の長い活動を続けた。

さくらと一郎

徳川一郎と初代さくら(河野さくら)によるデュエット歌手で、1974年に結成。デビュー曲「昭和枯れすゝき」が150万枚の大ヒットとなり一躍人気を獲得した。’78年に初代さくらが離脱後、二代目さくら(山岡さくら)が加入し、現在も「さくらと一郎」として活動を継続している。昭和歌謡の情緒を生かした楽曲が特徴。現在もテレビ挿入歌やカラオケ指導など幅広く活動し、「昭和枯れすゝき」をはじめ、長年にわたり親しまれる歌謡デュオである。

ふきのとう

北海道出身の山木康世と細坪基佳によるフォークデュオで、1970年代のフォーク・ニューミュージックブームを牽引した。’74年に「白い冬」でデビューし「風来坊」「春雷」「やさしさとして想い出として」などのヒットを生む。二人はソロ活動も並行しつつ、’81年には自身のレーベル「Silverland」を設立。デビュー10周年の’84年日比谷野外音楽堂コンサートや、’87年日本武道館公演を成功させた。’92年にラストライブを行い解散。18年間の活動でフォークシーンに独自の存在感を残し、再結成は現在も行われていない。

甲斐バンド

1974年に甲斐よしひろを中心に結成されたロックバンドで、デビュー曲は「バス通り」。’80年代初頭にかけて「HERO」「安奈」などのヒットで日本のロックシーンを牽引し、NHKホールや日本武道館での大型コンサートを成功させた。独自の演出やスタジアム・野外公演にも挑戦し、圧倒的なライブ動員力を誇った。’86年に解散するまでに12年間活動し、解散後も再結成やプレミアム・ライブが行われ、甲斐よしひろはソロとしても活動を続けている。

1975年にかぐや姫の伊勢正三と猫の大久保一久によって結成されたフォークデュオ。デビュー曲「22才の別れ」がいきなり大ヒットし、女性ファンを中心に高い人気を獲得した。以後「海岸通」「あいつ」「北国列車」などヒット曲を多数生んだ。フォークの持ち味を重視し、テレビ歌番組への出演は最小限に抑えたことも特徴。’79年に活動を休止したが、その後もソロコンサートや特別ライブで断続的に共演し、フォークデュオとしての存在感を長く保った。

ハイ・ファイ・セット

1974年結成の日本のコーラスグループで、’75年に荒井由実作詞・作曲の「卒業写真」でレコードデビュー。山本潤子(ソプラノ)、山本俊彦(テナー)、大川茂(バス)の3人による美しいハーモニーと洗練されたアレンジでニューミュージック全盛期に人気を博した。’77年には「フィーリング」がヒットし紅白歌合戦にも出演。’80年に一時活動停止するも再開し、ジャズやCMソングなど新境地を開拓。’92年の活動休止を経て、’94年に解散した。

 河島英五とホモ・サピエンス

1975年にメジャーデビューしたグループで、河島英五がリーダーを務めた。’76年の「酒と泪と男と女」が全国的ヒットとなり、河島の名を広く知らしめた。フォーク調の哀愁ある楽曲を得意とし、「時代おくれ」など親父世代に愛される曲も多数。海外のフォルクローレ曲を日本語にアレンジするなど、独自の音楽性も持っていた。グループ活動後も河島はソロやテレビ出演、チャリティコンサートなど幅広く活躍し、日本のフォーク・ニューミュージック界において影響力を持った。

シュガー・ベイブ

1973年に結成され、’76年まで活動した日本のポップスバンド。自主制作盤「ADD SOME MUSIC TO YOUR DAY」のメンバーを中心に結成され、分数和音やフラット5th、シャープ9thなど複雑なコード進行を駆使し、コーラスを重視した音作りで一部ファンから支持を得た。’70年代初頭の日本のロック・サブカルチャーでは独自のスタイルであったが、当時は評価や商業的成功に恵まれず、構造的宿命もあって’76年に解散した。

ザ・リリーズ

双子の姉妹、燕奈緒美と燕真由美による女性アイドルデュオ。北海道夕張市出身で1975年、東芝EMIから「水色のときめき」でデビュー。2ndシングル「好きよキャプテン」が大ヒットした。デビュー当初はフォーク調バラードが中心で、歌手活動と並行しテレビ番組や時代劇への出演などタレントとしても活躍した。結婚・出産により’86年に活動休止したが、2005年の再結成以降は東京を拠点にライブや歌番組に出演している。

ゴダイゴ

1976年にデビューしたプログレッシブ・ロックバンドで、’70年代後半から’80年代前半にかけて「ガンダーラ」「モンキー・マジック」「銀河鉄道999」などヒットを連発し、日本の音楽界に大きな影響を与えた。ミッキー吉野、タケカワユキヒデらを中心に活動し、コーラスや演奏に高度な技術を駆使。テレビドラマや映画主題歌にも多数参加した。’85年に一度解散するが、’99年以降断続的に再結成、2006年に恒久的再始動。多国籍メンバーによる革新的なサウンドと映像との連動で、国内外にファンを持つロックバンドとして知られる。

ピンク・レディー

根本美鶴代(ミー)と増田啓子(ケイ)による女性デュオで1970年代後半に活動。’76年『スター誕生!』出演後、同年「ペッパー警部」でデビューした。以降「S・O・S」「カルメン’77」「渚のシンドバッド」「ウォンテッド」「UFO」「サウスポー」など多数のヒットを連発し、連続ミリオンセラーを記録。子供から大人まで幅広い支持を集め、テレビ出演や商品化も盛んに行われた。オリコン連続1位・ミリオンセラー記録は当時の新記録で、ディスコ・ポップス系アイドルの先駆けとして音楽史に残る存在となった。

クリスタルキング

1971年に九州で結成されたロックバンドで、低音ボーカルのムッシュ吉﨑とハイトーンボーカルの田中昌之によるツインボーカルが特徴。’76年にデビューし、’79年に世界歌謡祭グランプリを契機に再デビュー。代表曲「大都会」は累計150万枚を売り上げるミリオンヒットとなり、「蜃気楼」「セシル」などもヒット。NHK紅白歌合戦出場やアニメ主題歌担当などで広く知られ、特に「大都会」と「愛をとりもどせ!!」は今も人気が高い。’80年代以降メンバー変動があり、現在はムッシュ吉﨑によるソロプロジェクトとして活動している。

サーカス

1978年デビューの男女2名ずつによる4人組コーラスグループで、ハートウォームなコーラスワークと個々の高い歌唱力が特徴。アカペラも得意とし、コーラスグループの先駆者として評価された。デビュー曲「Mr.サマータイム」は発売同年に100万枚を突破する大ヒットとなり、その他「アメリカン・フィーリング」「Woman in Love」などのヒット曲がある。コンサートやCD制作、TV・ラジオ出演のほか、コーラスワークショップやソロ活動、夫婦ユニット「J&O」なども展開。現在も国内外で活動を継続している。

狩人

兄・加藤久仁彦と弟・加藤高道によるフォークデュオで、1977年に「あずさ2号」でデビュー。同曲は累計80万枚を売り上げ『第10回新宿音楽祭』金賞や『第19回日本レコード大賞』新人賞を受賞した。デビュー当初からハーモニーと歌唱力が高く評価され、「コスモス街道」「若き旅人」「アメリカ橋」などのヒット曲を持つ。テレビ出演やラジオ活動、コンサートで人気を獲得。’90年代に一度解散するも、東日本大震災を契機に2012年に再結成され、地元福島や全国で活動を続けている。

レイジー

1973年結成のロックバンドで、影山ヒロノブを中心に高崎晃、井上俊次、田中宏幸、樋口宗孝らが在籍。’77年にデビューし、当初はアイドル路線のポップスを強いられたが、ステージではハードロックを演奏し独自性を追求した。メンバーのツインボーカルや高崎のギタープレイが注目され、アルバム『Rock Diamond』や『宇宙船地球号』ではハードロック色を前面に押し出した。’80年以降、ヘヴィメタル宣言で原点回帰を図ったが、音楽性の違いや事務所との確執により1981年5月に解散した。

柳ジョージ&レイニーウッド

1975年に柳ジョージを中心に結成されたロック・R&Bバンドで、’81年に解散。ブルースロックを基盤としたR&B色の強い楽曲と柳の個性的なボーカル、上綱克彦や石井清登らの高いソングライティング力で人気を獲得した。’78年の「雨に泣いてる…」でブレイクし、’79年のアルバム『RAINY WOOD AVENUE』ではオリコン1位を記録。玄人受けする大人のロックバンドとして支持され、日本武道館公演で解散後も柳ジョージはソロ活動を展開した。

世良公則&ツイスト

1977年に世良公則を中心に結成。’78年のデビュー曲「あんたのバラード」で注目を集め、独特なワイルドなボーカルとパフォーマンスで若者を熱狂させた。オリコンチャートで複数のヒットを記録し、デビューアルバムも1位を獲得。女性ファンを中心に支持を広げ、ロックの大衆化に貢献。「ロック御三家」の一角として歌謡曲全盛期にロックをメジャー化し、テレビ出演やアイドル誌登場で新たな潮流を作った。代表曲に「あんたのバラード」「銃爪」「宿無し」「燃えろいい女」などがある。

平尾昌晃・畑中葉子

1978年に発売されたデュエット曲「カナダからの手紙」が大ヒット。畑中葉子は平尾の音楽スクール生の中から選ばれ、本曲でデビューした。同曲の影響で日本人観光客のカナダ訪問者が3割増加する現象も生まれた。同年の第29回NHK紅白歌合戦に白組として出演し、男女デュエットの白組歌唱という異例の形で話題となった。以降もデュエット曲をリリースしたが、ランキング入りは本曲のみ。日清食品CMの替え歌にも採用されるなど、’70年代後半の音楽界で話題を呼んだペアだった。

シーナ&ザ・ロケッツ

1978年に鮎川誠と妻シーナを中心に結成されたロックンロール・バンド。福岡でバンド活動していた鮎川の経験を背景に、上京後、同年10月に『涙のハイウェイ』でメジャーデビュー。’79年にYMOメンバーの協力でアルバム『真空パック』を発表、シングル「ユー・メイ・ドリーム」がCMに起用されブレイク。以降もYMOとの共演や国内ツアー参加を重ね、’81年には米国でもアルバムをリリース。’70年代末の日本ロックシーンにおける重要バンドであった。

イエロー・マジック・オーケストラ

1978年に細野晴臣、高橋幸宏、坂本龍一の3人で結成。シンセサイザーとコンピュータを駆使した電子音楽を基盤に、東洋趣味を取り入れた「ライディーン」などの独自のサウンドで、’70年代末から’80年代初頭のテクノ・ニュー・ウェイヴムーブメントの中心となった。国内外で高い注目を集め、レコードリリースや海外ツアーも展開。ビジュアル面でも「赤い人民服」や「テクノカット」で特徴的なイメージを確立し、黄色人種ならではの音楽コンセプト「イエローマジック」を提唱、世界的にも注目される存在となった。

サザンオールスターズ

1974年に青山学院大学で結成され、’78年に「勝手にシンドバッド」でメジャーデビュー。桑田佳祐を中心に幅広いテーマの楽曲を制作し、ラブソングやバラードから風刺・反戦・郷土愛まで表現。独自の「巻き舌唱法」と日本語の美を活かした歌詞表現を使い分ける。長年にわたり数多くのヒット曲を生み出し、社会貢献や被災地支援にも取り組む。メンバー間の緊密な信頼関係と演奏技術の高さで「国民的ロックバンド」と称され、バンドだけでなくスタッフも含めた大所帯の音楽集団として活動を続けている。

SHŌGUN

1978年に芳野藤丸を中心とした腕利きスタジオ・ミュージシャンで結成され、当初はOne Line Band名義で活動。’79年、ケーシー・ランキン加入後、テレビドラマ『俺たちは天使だ!』の音楽担当として抜擢され、バンド名をSHŌGUNに変更。「男達のメロディー」が50万枚超のヒットを記録し、『探偵物語』やテレビアニメ映画『大恐竜時代』などの音楽も手がけた。メンバー全員がデビュー時点で10年以上の経験を持つ実力派で、短期間で国内外に存在感を示した。

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’60年代の音楽から 1960年代の芸能界ではGS(グループ・サウンズ)が大人気に。ザ・スパイダースやザ・タイガースをはじめ、日本列島が新しい音楽に熱狂した。 ’70年代のドラマから ドラマ制作が … 続きを読む

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