その他各界 > 1980年代

1980年代は昭和55年から平成元年までで、日本経済がバブル期に向かって急成長した。前半は円高で低成長が続いたが、後半は超低金利政策を背景に株価と地価が異常に高騰した。オフィスではパソコンやワープロが普及しOA化が進展。女子大生ブームや「新人類」と呼ばれる新世代が台頭し、聖子ちゃんカットなどアイドル模倣のファッションが広がる。竹の子族などの若者文化も街を彩った。コンビニと大型スーパーの拡大で生活が便利になる一方、地方ではシャッター通りが増加した。テレビでは藤子不二雄作品が大人気となりアニメ文化が定着。スポーツ界では王貞治らスター選手の引退が続き、一つの時代が終わりを迎えた。

─ 各界の主な人物 (順不同) ─

相田みつを(詩人)

1924年生まれの日本の詩人・書家。伝統的書道を経て自らの言葉を独特の書体で表現する「書の詩人」として知られ、代表作に『にんげんだもの』『おかげさん』などがある。'80〜'90年代に人気を博し、「平易な言葉で心に響く詩」を通じて多くの人々の共感を集めた。

橋田壽賀子(脚本家)

1925年京城(現在のソウル)生まれの脚本家。フリーの脚本家として「おしん」「渡る世間は鬼ばかり」をはじめとする数々の国民的テレビドラマを手掛けた。'92年に 橋田文化財団 を設立し、後進の脚本家育成にも貢献した。2021年4月に95歳没。日本のテレビドラマ界に大きな足跡を残した。

西村京太郎(小説家)

日本を代表する推理作家で、「寝台特急殺人事件」をはじめ鉄道や旅を舞台にしたトラベルミステリーで人気を博した。「十津川警部」シリーズなど多数のベストセラーを生み出し、江戸川乱歩賞や日本推理作家協会賞などを受賞。推理小説界の重鎮であった。

小松左京(小説家)

大阪生まれの日本を代表するSF作家。1962年にデビューし、'73年の『日本沈没』で大ブームを起こす。『首都消失』など多数の SF 長編で、SF文学の地位確立に貢献した。

山村美紗(小説家)

「京都」を舞台にしたミステリーを多数執筆し、“ミステリの女王”と呼ばれた。1967年ごろから執筆を始め、'74年にデビュー。'83年『消えた相続人』で日本文芸大賞を受賞。作品の多くがドラマ化され、'60〜'90年代のテレビでも大きな人気を得た。'96年に急逝。

森村誠一(小説家)

日本の社会派ミステリーの巨匠。1969年の『高層の死角』でデビューし、'76年の『人間の証明』で大ベストセラーを記録。その後も『悪魔の飽食』など社会問題に切り込む作品を発表し、多くが映像化された。2023年、肺炎により90歳で死去した。

渡辺淳一(小説家)

北海道出身の元医師で、1965年から小説家として活動を開始。'70年に『光と影』で直木賞を受賞し、'97年の『失楽園』で社会現象とも呼ばれる大ベストセラーを生み出した。50作以上を世に送り出し、性愛や人生の本質を描く作風で知られた。

片岡義男(小説家)

1939年東京生まれの小説家、エッセイスト、翻訳家、写真家。'74年『白い波の荒野へ』で小説家デビューし、翌年『スローなブギにしてくれ』で新人文学賞を受賞。以来、小説やエッセイ、評論、翻訳、写真集など多彩に活動し、数多くの著作を残してきた。

景山民夫(小説家)

1947年東京生まれの小説家・放送作家。'68年からテレビ番組の構成作家として活動を始め、多数の人気番組に携わった。'86年『虎口からの脱出』でデビュー後、'88年に『遠い海から来たCOO』で第99回直木賞を受賞し、小説家としても成功を収めた。'98年1月、自宅の火事により50歳で亡くなった。

嵐山光三郎(編集者)

1942年静岡県浜松市生まれの作家・エッセイスト。雑誌編集者として「平凡社」の『太陽』編集長などを経て独立。軽妙な筆致で食・旅・文化を描き、'88年『素人庖丁記』で第1回の講談社エッセイ賞、2006年『悪党芭蕉』で泉鏡花文学賞と読売文学賞を受賞。食・旅・文人趣味など多彩なテーマで親しまれ、文化界に大きな足跡を残した。

沢木耕太郎(小説家)

1947年東京生まれのノンフィクション作家。深夜特急 三部作などで知られ、'79年『テロルの決算』で大宅壮一ノンフィクション賞、'82年『一瞬の夏』で新田次郎文学賞、'85年『バーボン・ストリート』で講談社エッセイ賞などを受賞。多方面にわたるノンフィクション作品で日本のルポルタージュ文学に大きな影響を与えている。

北方謙三(小説家)

1947年佐賀県唐津市生まれの小説家。'70年デビュー後、'81年『弔鐘はるかなり』で注目され、ハードボイルド小説で高い評価を得た。やがて歴史小説にも転じ、『三国志』『水滸伝』など中国古典を大胆に再構成する大作で知られる。数多くの文学賞に輝き、現代日本を代表する作家の一人。

赤川次郎(小説家)

1948年福岡市生まれの小説家。'76年『幽霊列車』でデビューし〈三毛猫ホームズ〉シリーズをはじめ多数のユーモアあふれるミステリー作品を発表。著作数は650冊を超え、多くがベストセラーとなった。'80年に第7回角川小説賞、2006年に第9回日本ミステリー文学大賞、2016年に吉川英治文学賞を受賞。リアルと奇妙を兼ね備えた作風が幅広い読者に支持されている。

ねじめ正一(小説家)

1948年東京都杉並区生まれの詩人・小説家。'81年の処女詩集『ふ』で詩壇のH氏賞を受賞。'89年に小説『高円寺純情商店街』で直木賞を獲得。その後も詩、小説、絵本など幅広く手がけ、市井の人々の営みや昭和の空気をやさしく描き続けている。

糸井重里(コピーライター)

1948年群馬県前橋市生まれのコピーライター、エッセイスト、ゲームデザイナーなど。'71年コピーライターとしてデビューし、「不思議、大好き。」「おいしい生活。」などの広告で広く知られた。'98年にウェブサイト ほぼ日刊イトイ新聞 を立ち上げ、エッセーやインタビュー、オリジナル商品の発信を続けている。また、 MOTHER/EarthBound シリーズの生みの親としても国際的に知られ、多方面で文化的影響力を持つ人物。

テリー伊藤(テレビディレクターほか)

1949年生まれのテレビディレクター・プロデューサー。1973年にIVSテレビ制作に入社し、『びっくり日本新記録』などでテレビマンとしてのキャリアを始めた。「シマウマの地肌は白黒か」といった過激な企画で注目を集め、'85年にロコモーションを設立。『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』『ねるとん紅鯨団』『浅草橋ヤング洋品店』などを手がけ、素人性と過激さを融合させた演出で'80〜'90年代のバラエティに大きな影響を与えた。近年は研究・執筆やタレント活動も行う。

野坂昭如(作家)

1930年神奈川県鎌倉市生まれの小説家・歌手・作詞家。'63年に『エロ事師たち』で小説家デビューし注目され、'67年に『火垂るの墓』『アメリカひじき』で直木賞を受賞して代表作となった。庶民の姿や戦争体験を“焼け跡闇市派”の語り口で描き、戦後文学に強い影響を残した。'97年には吉川英治文学賞、2002年には泉鏡花文学賞を受賞。歌手や作詞家、タレントとしても活動し、多彩なジャンルで活躍した。

西部邁(経済学者ほか)

1939年北海道生まれの経済学者・評論家・思想家。東京大学教養学部教授などを経て、'80年代以降は近代経済学や大衆社会、グローバリズムを批判する保守思想の論客として活躍。代表作に『ソシオ・エコノミクス』や『大衆への反逆』などがあり、伝統や慣習を重視する「保守」の立場から社会批評を展開。2018年1月、多摩川で自ら命を絶ち、78歳で逝去。思想界に大きな問いと影響を残した。

舛添要一(経済学者ほか)

1948年福岡県出身の政治家・国際政治学者。東京大学法学部を卒業後、大学教員として国際関係論を研究。'89年に大学を辞め、評論・メディア活動を経て2001年に自由民主党所属で参議院議員に初当選。2007〜2009年には厚生労働大臣を務め、高齢化社会や福祉政策に関わった。2014年に東京都知事に就任するも、2016年に公金支出問題などを機に辞職した。

大槻義彦(物理学者)

1936年宮城県出身の物理学者。早稲田大学理工学部教授などを歴任し、放射線物性や核物性の分野で研究に従事。'90年代からは、火の玉やミステリーサークルなど「超常現象」をプラズマ物理で解明しようと試み、テレビ出演や著書を通じて科学と疑似科学の境界を問い続けた。

村上春樹(小説家)

日本を代表する現代作家で、1979年『風の歌を聴け』で作家デビュー。'87年『ノルウェイの森』で大ブレーク、その後も『ねじまき鳥クロニクル』『海辺のカフカ』『1Q84』など国際的ベストセラーを連発。幻想と現実が交錯する独自の作風で世界50か国語以上に翻訳され、多くの文学賞を受賞し、世界的な人気を誇る作家である。

村上龍(小説家)

1976年に『限りなく透明に近いブルー』で芥川賞を獲得し小説家デビュー。その後、『コインロッカー・ベイビーズ』などで注目され、多作と革新的な作風で日本文学の第一線を走る。映画監督やエッセイ、社会評論でも活躍し、現代日本文化に強い影響を与えた作家。

中島らも(小説家)

1952年兵庫県尼崎市生まれの小説家・劇作家・エッセイスト。本名は中島裕之。広告代理店勤務の後、コピーライターやラジオ・脚本業などを経て活躍。'84年からの「明るい悩み相談室」連載で注目を浴び、'92年『今夜、すべてのバーで』で 吉川英治文学新人賞、'94年『ガダラの豚』で 日本推理作家協会 長編賞を受賞した。演劇、落語、音楽バンド活動まで幅広く手がけた。2004年7月に52歳で急逝。

林真理子(小説家)

1954年山梨県生まれの小説家・エッセイスト。コピーライター経験を経て'82年にエッセイ集『ルンルンを買っておうちに帰ろう』で作家デビュー。'86年『最終便に間に合えば』『京都まで』で直木賞を受賞し以後も多くの小説・エッセイを発表。'98年には吉川英治文学賞、2020年に菊池寛賞などを受け、日本文学界で長年にわたって大きな存在感を放っている。

田中康夫(小説家)

1956年東京都生まれの小説家・元政治家。'80年に『なんとなく、クリスタル』で文藝賞を受賞し、作家デビュー。2000〜2006年に長野県知事を務め、その後は参議院・衆議院議員としても活動。執筆・評論活動を続けつつ、社会・政治の問題提起にも関わってきた人物。

上田三根子(イラストレーター)

1949年埼玉県出身のイラストレーター。セツ・モードセミナー修了後、ポップで親しみやすい画風で雑誌や広告、書籍装丁、絵本など幅広く活動。代表作として、ハンドソープ キレイキレイ のパッケージキャラクターや、ゲーム ぼくのなつやすみ シリーズのキャラクターデザインがある。広告・編集イラストだけでなく、装画やゲーム・映像関連など多ジャンルで活躍し、日本の商業イラスト界で確固たる地位を築いている。

森本美由紀(イラストレーター)

1959年岡山県津山市生まれのファッション・イラストレーター。'79年にセツ・モードセミナーで学びつつ在学中にデビューし、雑誌『Olive』『mc Sister』『an・an』『VOGUE日本版』などで活躍。'90年代以降は墨と筆による洗練されたモノクロームのスタイル画で人気を博し、ファッション誌だけでなくCDジャケットや広告など多方面で影響力を持った。2013年に54歳で没したが、その卓越した線の美学は今も強く支持されている。

ナンシー関(版画家、コラムニスト)

1962年青森県青森市生まれの消しゴム版画家・コラムニスト。本名は関直美。大学中退後、1980年代半ばに「消しゴム版画+コラム」という独自スタイルでデビューし、テレビや芸能界を辛辣かつユーモラスに批評。鋭い観察眼と独特の版画で多くの支持を集めた。2002年、39歳で急逝したが、作品と批評は今なお影響を与え続けている。

大石静(脚本家ほか)

1951年東京生まれの脚本家・エッセイスト。'86年に『水曜日の恋人たち』でテレビ脚本家としてデビュー。以降、『わたしってブスだったの?』『ふたりっ子』『功名が辻』『セカンドバージン』『家売るオンナ』『大恋愛〜僕を忘れる君と〜』など多くの人気ドラマを手がけた。'97年には向田邦子賞と橋田賞をW受賞。2021年には旭日小綬章を受章し、現在もテレビドラマ界で第一線で活躍している。

芳村真理(モデル、司会者ほか)

1935年東京生まれの元モデル・女優・タレント。若くしてファッションモデルとして活躍し、'60年代からは映画女優として約80本に出演。司会業でも活躍し、人気番組「ラブラブショー」や「料理天国」、'68年からは約20年間にわたり老舗の音楽番組「夜のヒットスタジオ」の司会も務め、「日本の女性司会者の草分け」と呼ばれる存在になった。2025年現在はNPO法人MORIMORIネットワークの副代表として、環境保護や林業振興などにも取り組んでいる。

阿川佐和子(エッセイストほか)

1953年東京都生まれのエッセイスト・作家・インタビュアー。大学卒業後、TBSなどでキャスターを務めたのち執筆活動に転じた。代表作に『ああ言えばこう食う』(講談社エッセイ賞)や小説『ウメ子』(坪田譲治文学賞)、『婚約のあとで』(島清恋愛文学賞)などがある。また、インタビュー連載「この人に会いたい」では多くの著名人に取材し、その鋭い観察眼と軽妙な語り口で支持され続けている。

田原総一朗(ジャーナリスト)

1934年滋賀県生まれのジャーナリスト。'60年に早稲田大学卒業後、テレビ東京(旧・東京12チャンネル)で番組制作に携わり、'77年からフリーに転じた。以来、「朝まで生テレビ!」 や 「サンデープロジェクト」などのテレビ番組司会を通じ、日本のテレビジャーナリズムに大きな影響を与えてきた。'98年には戦後の放送ジャーナリストの代表として 城戸又一賞 を受賞し、今日まで現役で報道と論評を続けている。

筑紫哲也(ジャーナリスト)

1935年大分県生まれのジャーナリスト・ニュースキャスター。'59年に朝日新聞に入社し政治部記者やワシントン特派員などを経た後、雑誌朝日ジャーナルの編集長などを務めた。'89年から筑紫哲也NEWS23でメインキャスターとなり、日本のテレビ報道の顔として知られた。2008年に肺がんで亡くなり、民放ニュース界に大きな影響を残した。

利根川裕(作家ほか)

1927年新潟県糸魚川市生まれの作家・元編集者・テレビ司会者。東京大学卒業後に教育者や出版社勤務を経て、'66年に小説『宴』で作家デビュー。'80〜'94年にはテレビ朝日の深夜番組トゥナイトの司会を務め、落ち着いた語り口で人気を博した。執筆では『それぞれの方舟』で日本文芸大賞も受賞。2024年1月29日に96歳で亡くなり、日本の文芸とマスメディアに長年にわたり影響を残した。

櫻井よしこ(ジャーナリストほか)

1945年ベトナム・ハノイ生まれのジャーナリスト。'70年代から報道記者として活動し、'80〜'96年は 日本テレビ のニュース番組キャスターを務めた。'95年に著作『エイズ犯罪 血友病患者の悲劇』で 大宅壮一ノンフィクション賞 を、'98年に著作『日本の危機』で 菊池寛賞 を受賞。2007年には 国家基本問題研究所 を設立し理事長に就任し、外交・憲法・安全保障などを主題に言論活動を続けている。

小倉智昭(アナウンサーほか)

1947年秋田県出身のアナウンサー・司会者。大学卒業後、旧・東京12チャンネル(現テレビ東京)に入社し競馬実況などを担当。'76年フリー転向し、テレビ・ラジオで幅広く活躍した。'99年から始まった情報プレゼンター「 とくダネ! 」ではメインキャスターを22年間務め、朝の顔として多くの視聴者に親しまれた。2024年12月9日、膀胱がんのため77歳で死去。報道番組の草分け的司会者として日本のテレビ界に大きな足跡を残した。

小林完吾(アナウンサーほか)

アナウンサー、ニュースキャスター、司会者、ジャーナリスト。1960年に南日本放送入社、'63年に日本テレビへ移籍。『NNNきょうの出来事』のメインキャスターとして歯切れの良い語り口と低音の名調子で人気を博し、日テレを代表する存在となった。'83年、徳光和夫と組んだ「おもしろまじめ放送局」キャンペーンで全国的知名度を獲得。'92年に定年退職後はフリーとして活動した。

みのもんた(アナウンサーほか)

1944年東京都出身のフリーアナウンサー兼司会者。'67年に文化放送に入社し、'69年に「セイ!ヤング」などで人気を得た。その後フリー転向し、'89年の「午後は○○おもいッきりテレビ」や、2005年〜2013年の「みのもんたの朝ズバッ!」など多数の情報番組で“朝の顔”を務めた。2006年には「1週間で最も多く生番組に出演する司会者」としてギネス世界記録に認定された。長年にわたり多くの人気番組を支え、情報番組のスタイルに大きな影響を与えた。

福留功男(アナウンサーほか)

1942年高知県出身のフリーアナウンサー・司会者。'66年に日本テレビへ入社し報道記者としてスタート。'77年の史上最大!アメリカ横断ウルトラクイズ!!で人気を集め、'88年から朝の情報番組ズームイン!!朝!の総合司会を務めて人気司会者となった。'91年に日テレを退社してフリーに転向。その後、報道番組ブロードキャスターなどでも司会を務め一時代を築いた。

石井苗子(キャスターほか)

1954年東京都生まれの女優・キャスター・保健学者・政治家。'80年~'90代に放送キャスターや映画女優として活動し、後に看護師・保健師資格を取得。東京大学大学院で保健学博士号を取得し、ヘルスケア分野でも活躍。2016年に参議院議員に当選し、2025年現在は日本維新の会所属で政治活動に携わっている。

高市早苗(キャスターほか)

1984年に神戸大学経営学部を卒業し、松下政経塾に入塾。'87〜'89年に米国で議会フェローとしての経験を積み、帰国後はテレビキャスターとして活動した。'93年に衆議院議員に初当選し、政治家への道を本格的に歩み始める。第1次安倍内閣で内閣府特命担当大臣として初入閣した後、麻生内閣やその後の安倍内閣でも要職を歴任し、2025年10月、憲政史上初の女性総理大臣として就任した。

小宮悦子(キャスターほか)

1958年東京都生まれ。'81年にテレビ朝日に入社し、'85年から報道番組ニュースステーションの初代サブキャスターとして人気を得た。'91年に退社後フリーに転向し、'98年からスーパーJチャンネルのメインキャスターとして夕方ニュースを12年にわたり担当した。以来多数のニュース・報道番組で活躍した。

小池百合子(キャスターほか)

1952年兵庫県芦屋市生まれ。'71年から'76年頃までエジプト・カイロに暮らした後に帰国し、"カイロ大学を首席で卒業"の経歴をひっさげてニュースキャスターとなる。'92年に政界入り。環境大臣、防衛大臣などを歴任し、2016年から東京都知事に就任。2025年現在、都知事として3期目を務める。

田丸美寿々(キャスターほか)

1952年生まれのニュースキャスター・元テレビアナウンサー。フジテレビに'75年に入社し、'78年に女性として初めて主要ニュース番組のキャスターに抜擢された。'83年にフリーに転身し、民放各局の報道番組で活躍。'94年から約16年間、TBS系列「JNN報道特集」でメインキャスターを務め、女性報道キャスターの草分け的存在として知られた。

蓮舫(キャスターほか)

1967年東京都生まれ。'80年代から'90年代にかけてタレント・報道キャスターとして活動後、2004年に参議院議員に初当選、その後 2010〜12年に行政刷新担当大臣などを歴任。2016年には日本の主要野党である 民主党 の初の女性党首となった。その後も子育て支援や行政改革などを政策の柱に、2025年現在は 立憲民主党 所属の参議院議員として活動している。

安藤和津(エッセイストほか)

1948年東京都生まれのエッセイスト・タレント。上智大学在学後イギリスに留学し、帰国後はニュースキャスターとしてデビュー。'79年に俳優の奥田瑛二と結婚し、娘には監督の安藤桃子、女優の安藤サクラがいる。多数のテレビ・ラジオ番組に出演し、主に女性の生き方、子育て、家庭、介護、食などをテーマにエッセイや講演活動を行ってきた。自身の介護経験を通じた著書もあり、幅広い世代に支持されている。

小沢遼子(評論家ほか)

1937年東京都生まれの社会評論家・元政治家。'71年から浦和市議を3期、続いて埼玉県議を1期務め、地方議会で活動。政界引退後は評論家としてテレビ出演や著作で社会問題を鋭く論じ、「辛口コメンテーター」として知られる。

南美希子(アナウンサーほか)

1956年東京都出身の元テレビ朝日アナウンサーで、'77年入社。'86年にフリーとなり、司会・コメンテーター・エッセイストとして活躍。美容・健康や女性の生き方をテーマに執筆や講演も行い、日本抗加齢協会アンバサダーとしても知られる。

檀ふみ(女優ほか)

1954年東京都練馬区生まれの女優でエッセイスト。父は作家 檀一雄 。'72年に女優デビューし映画やテレビで活躍する一方、エッセイでも高い評価を得た。'99年の共著『ああ言えばこう食う』で 講談社エッセイ賞 を受賞。演技・文筆の両面で長年にわたり幅広く活躍している。

神津カンナ(作家ほか)

1958年東京都生まれの作家・エッセイスト・コメンテーター。'77年に渡米し演劇を学んだ後、'80年の『親離れするとき読む本』で作家デビュー。以降『美人女優』など多数の著書を発表し執筆活動を続ける。テレビ・ラジオ出演や講演、公的機関での審議委員就任など多方面で活動し、2000年からは本名である「神津十月」と表記。現在も社会や家族論に関する論考で知られる。

丸川珠代(アナウンサーほか)

1971年兵庫県生まれ。'93年、テレビ朝日にアナウンサーとして入社。報道・情報番組などでキャスターを務め人気を得る。2007年に退社し、同年の参議院選挙(東京選挙区)で当選し政界入り。以後、参議院議員として複数回再選され、政務官や委員長、党女性局長などを歴任。2015年には安倍内閣で環境大臣に就任し、2016年・2021年には東京オリンピック・パラリンピック競技大会担当相も務めた。

田嶋陽子(大学教授ほか)

1941年岡山県生まれ。英文学・女性学の研究者として出発し、'76年に法政大学の教授に就任、社会における性差やジェンダーの問題に取り組んだ。 '90年代からはテレビ出演を通じてフェミニズムや社会問題を鋭く論じ、文化人・論客として広く知られるようになる。2001年には参議院議員に当選し、政治家としても活動。 2025年現在は歌手(シャンソン)、アート作家としても活動し、多面的な表現で社会と関わり続けている。

木元教子(ジャーナリストほか)

1932年北海道生まれの元テレビ報道キャスター、現ジャーナリスト・評論家。立教大学法学部卒業後、'56年にTBS(当時ラジオ東京)へ入社。ニュースキャスターや情報番組司会などを経てフリーへ。以降、エネルギー・環境政策、女性問題、教育、高齢社会、農業などをテーマに評論・執筆・講演など幅広く活動。政府関連の委員も務め、エネルギー政策論議に関与。「原子力の平和利用」を提唱する立場で知られる。

家田荘子(ノンフィクション作家ほか)

ノンフィクション作家であり、高野山真言宗の僧侶。'85年にデビューし、'91年に「大宅壮一ノンフィクション賞」を『私を抱いてそしてキスして ― エイズ患者と過ごした一年の壮絶記録』で受賞。代表作に『極道の妻たち』をはじめとして社会の裏側や弱者の声に光を当てた作品が多く、映像化されたものも多い。2007年に僧侶の資格を得て法話も行い、現在も作家・僧侶として多面的に活動している。

小池聡行(実業家)

1963年大阪府高槻市生まれのタレント・作家。桐朋学園短大の演劇専攻を経て'84年にテレビ朝日「ウイークエンドシアター」で映画解説者として芸能界デビューした。その後、バラエティや情報番組、コメンテーター、執筆など多方面で活動を続け、小説やエッセイ集を発表。'92年に一時期宗教団体に関与し表舞台から退いたが、その後脱会して復帰。現在は映画好きとしても知られ、評論や執筆活動を続けている。

小林克也(ラジオDJほか)

広島県福山市出身の日本のラジオDJ、ナレーター、タレント、俳優。1970年代からDJ界の第一人者として活躍し、『ベストヒットUSA』など多くの番組で洋楽紹介を行い“ミスター音楽”と呼ばれることもある。

吉田照美(タレントほか)

東京都葛飾区出身の日本のフリーアナウンサー・タレント。文化放送の人気パーソナリティーとして「やる気MANMAN!」など多数の番組を担当し、退社後はテレビ司会や俳優、アーティスト活動でも活躍している。2025年に体調不良で一時入院・療養した。

おすぎとピーコ(タレントほか)

1975年デビューの一卵性双生児の兄弟タレントで、弟のおすぎは映画評論家、兄のピーコは服飾評論家としてテレビやラジオで活躍。辛口トークと個性で人気を博し、日本のメディア文化に影響を与えた。ピーコは2024年に死去した。

稲川淳二(怪談家ほか)

東京都渋谷区出身の俳優・工業デザイナー・怪談家。ラジオやテレビで人気を博し、独特の怪談語りで知られ、全国ツアー「怪談ナイト」などで幅広く活動している。1996年にグッドデザイン賞受賞。

鬼沢慶一(芸能ジャーナリスト)

芸能ジャーナリスト・評論家で、テレビ・ラジオの芸能リポーターの草分け的存在。「モーニングジャンボ」などで活躍し辛口取材で「鬼の鬼澤」の異名を取り、2001年参院選に出馬したが落選、89歳で没した。

宮尾すすむ(レポーターほか)

旧満州生まれのタレント、司会者、レポーター。『スターどっきり(秘)報告』や『モーニングショー』の「宮尾すすむのああ日本の社長」で人気を博し、テレビやドラマ、映画でも活躍した。77歳没。

前田忠明(芸能リポーター)

北海道岩見沢市出身の日本の芸能リポーター。『おはよう!ナイスデイ』や『情報プレゼンター とくダネ!』などで長くフジテレビの情報番組に出演し、芸能界の話題を伝えて親しまれた。愛称は「前忠」。2020年まで活動し、81歳で没した。

井上公造(芸能リポーター/雑誌編集長)

福岡市出身の日本の元芸能リポーター、雑誌編集長、スポーツ新聞記者。1986年に芸能リポーターに転身し、長年ワイドショーで活躍、独立後はKOZOクリエイターズを設立、取材・番組出演で幅広く活動した。2022年にリポーターを引退した。

東海林のり子(芸能リポーターほか)

埼玉県浦和市出身の日本の芸能リポーター・フリーアナウンサー。1957年ニッポン放送入社後、フリーとしてフジテレビのワイドショーで事件リポーターとして活躍し「現場の東海林です」の名台詞で知られる。その後コメンテーターや講演活動も行い、長年メディアで活躍している。

生島ヒロシ(アナウンサーほか)

宮城県気仙沼市出身の日本のフリーアナウンサー、タレント、司会者、芸能プロモーター。TBSアナ出身でラジオ番組「生島ヒロシのおはよう定食/一直線」などで長年人気を博し、事務所「生島企画室」創業者としても活躍したが、2025年に活動を無期限自粛した。

福岡翼(芸能リポーター)

芸能リポーター・映画評論家。早稲田速記学校卒業後「女性セブン」編集を経て、ワイドショーでリポートやコメントを担当し、日刊スポーツ映画大賞選考委員も務めた。79歳没。

いとうせいこう(タレント・ラッパー・小説家・俳優)

東京都出身の作家・クリエイターで、小説『ノーライフキング』でデビューし、『ボタニカル・ライフ』『想像ラジオ』で文学賞を受賞。編集者、ラッパー、俳優としても多方面に活動し、日本語ラップ文化の先駆者の一人としても知られる。

俵万智(歌人)

大阪府出身の歌人。早稲田大卒、『サラダ記念日』で短歌を現代に蘇らせ大ベストセラーにし、角川短歌賞・現代歌人協会賞など受賞。翻訳・評論・エッセイでも活躍している。

吉本ばなな(小説家)

東京都出身の日本の小説家。1987年『キッチン』でデビューし、『ムーンライト・シャドウ』『TUGUMI』などで泉鏡花賞など多数受賞、現代日本文学を代表する作家として国内外で評価されている。

椎名誠(エッセイスト)

東京都世田谷区出身の作家・エッセイスト。1979年『さらば国分寺書店のオババ』でデビューし、紀行・エッセイ・小説・写真集など多数の著作を持ち、SF大賞や吉川英治文学新人賞受賞など多方面で評価される文筆家である。

竹村健一(評論家)

大阪市出身の日本のジャーナリスト・政治評論家。京都大学卒、米国留学後、新聞記者や大学助教授を経て評論家としてテレビ・ラジオで活躍し、保守的視点で時事を斬る言論活動を展開した。

俵孝太郎(ジャーナリスト)

東京都出身の日本のジャーナリスト、ニュースキャスター、政治評論家。産経新聞政治部記者、論説委員を経て文化放送・フジテレビのニュースキャスターとして活躍し、独立後はテレビ討論番組や評論活動で辛口論評を展開した。名物挨拶「こんばんは、俵孝太郎です」で親しまれた。

栗本慎一郎(経済学者ほか)

東京出身の経済人類学者・評論家・作家・政治家。明治大教授、衆議院議員を務め、独自の思想と著作で知られ、『パンツをはいたサル』など多くの著書を発表しテレビにも出演した文化人。

ピーター・バラカン(ブロードキャスターほか)

1951年ロンドン生まれのブロードキャスター・音楽評論家。'74年に来日後、音楽出版社を経てフリーに転じ、ラジオ番組「バラカン・ビート」「ウィークエンド・サンシャイン」などで洋楽やワールドミュージックを紹介。さらにテレビ番組や著書『ロックの英詞を読む〜世界を変える歌』『魂(ソウル)のゆくえ』などを通じて音楽の歴史や歌詞の深い意味を伝える活動も行っている。近年は自身がキュレーターを務める音楽フェスを主催し、世界中から良質なミュージシャンを招くなど「音楽の伝道師」としても知られている。

川崎徹(CMディレクター)

東京都出身の日本のCMディレクター。電通映画社などで広告制作に携わり、富士フイルム「それなりに」など多数のヒットCMや流行語を生んだほか、小説や演出活動も行う。妻は元フジテレビアナウンサーの桜井郁子。

ケント・デリカット(タレントほか)

1955年カナダ・アルバータ州レスブリッジ生まれの外国人タレント。'74年に宣教師として初来日後、'83年に再来日し、'84年に笑っていいとも!の「なるほど・だ・ニッポン」でデビュー。凸レンズの丸メガネを使ったユーモアあふれるキャラクターで一躍人気者となった。テレビ番組やCM出演のほか著書『パパになる!』などもあり、日本文化と外国人の視点を交えた発信で親しまれた。'90年代以降はアメリカ・ユタ州に拠点を移し、自身の制作会社を通じて映像制作や講演活動を行うなど、マルチに活躍を続けている。

泉麻人(コラムニストほか)

東京都出身の作家・コラムニスト・気象予報士。『週刊TVガイド』編集を経てフリーになり、東京や昭和文化を題材に多くのエッセー・著書を発表し、テレビ出演やコメンテーターとしても活躍している。

中谷彰宏(作家ほか)

1959年大阪府生まれの作家・講演者。博報堂でCMプランナーとして活動後'91年に独立し「中谷彰宏事務所」を設立。ビジネス書、自己啓発書、恋愛・人間関係論など多ジャンルの著作を多数執筆し、『面接の達人』などのベストセラーで知られる。さらに「中谷塾」を主宰し、全国で講演・ワークショップを行うなど、ビジネス・自己啓発分野の第一線で活動し続けている。

山本益博(料理評論家)

東京都出身の料理評論家・落語研究家。1982年『東京・味のグランプリ』で料理評論家の草分けとなり、著述・TV出演・講演で日本の食文化に影響を与え、フランス政府より農事功労勲章を受勲した。

相澤秀禎(サンミュージック創業者)

実業家・芸能プロモーターで、サンミュージックプロダクションを1968年に創設。松田聖子や桜田淳子など多くのスターを育て「アイドル発掘王」と称され、温かいマネジメントで業界に影響を残した。

ジャニー喜多川(ジャニーズ事務所創業者)

米ロサンゼルス生まれの日本の芸能プロモーター・実業家で、1962年にジャニーズ事務所を創設し、SMAPや嵐ら多数の男性アイドルを育成しJ-POP界に大きな影響を与えた人物。晩年には所属者への性的虐待疑惑が長年問題となった。

黒柳徹子(テレビ司会者ほか)

女優・タレント・司会者・エッセイスト。1953年からテレビ出演を続け、長寿番組『徹子の部屋』の司会でギネス記録を持ち、児童書『窓ぎわのトットちゃん』で世界的な人気を得るなど多方面で活躍し、ユニセフ親善大使も務める。

久米宏(テレビ司会者ほか)

埼玉県出身の日本のフリーアナウンサー、ニュースキャスター、ラジオパーソナリティ、タレント。TBS退社後『ザ・ベストテン』『ニュースステーション』の司会・メインキャスターを務め、報道や情報番組で長年活躍し、書籍・ネット番組でも活動する。

倉本聰(脚本家・演出家)

東京都渋谷区出身の日本の脚本家・劇作家・演出家。『前略おふくろ様』『北の国から』『優しい時間』など多くの名作ドラマを手がけ、富良野塾で後進を育成、紫綬褒章・旭日小綬章を受章した。

横澤彪(日本テレビプロデューサー)

テレビプロデューサー。フジテレビで『オレたちひょうきん族』『笑っていいとも!』『THE MANZAI』などを手掛け、お笑い番組の礎を築き、退社後は吉本興業の役員として東京進出を支えた。群馬県前橋市出身。

田邊昭知(元音楽家ほか)

東京都出身の芸能プロモーター・放送作家で、かつてグループ・サウンズ「田辺昭知とザ・スパイダース」のリーダー兼ドラマーとして活動。1973年に田辺エージェンシーを設立しタモリや研ナオコらを育て、芸能界の重鎮として長年影響力を持つ。2025年現在は同社会長も務める。

三谷幸喜(脚本家ほか)

東京都出身の劇作家・脚本家・映画監督・俳優。劇団「東京サンシャインボーイズ」主宰を経て、『古畑任三郎』『王様のレストラン』などの脚本、映画『ラヂオの時間』『THE 有頂天ホテル』などの監督作で人気を博し、コメディを中心に幅広く活躍する文化人。受賞多数。

秋元康(放送作家ほか)

東京都出身の作詞家・音楽プロデューサー・放送作家。1980年代に作詞家として成功し、後にAKB48や坂道シリーズを総合プロデュース。日本のアイドル文化を革新した存在で、ドラマ・映画・舞台企画など幅広く活動している。

小川宏(司会者)

1926年東京都生まれのアナウンサー・司会者。NHKでのニュースやクイズ番組『ジェスチャー』司会を経て'65年にフリーとなり『小川宏ショー』の司会に就任。以降17年間にわたり放送され、4451回の出演で“朝の顔”となった。ワイドショーの草分け的番組を牽引し、以後の日本のテレビ・報道番組のスタイルに大きな影響を与えた。

徳光和夫(司会者)

東京都出身のフリーアナウンサー・タレント。日本テレビのアナウンサーとしてニュース・バラエティを幅広く担当し、退社後も長年『ズームイン!!朝!』『世界まる見え!テレビ特捜部』などで人気を博した。親しみやすいキャラクターで多くの番組に出演している。

関口宏(司会者)

東京都出身の俳優・タレント・司会者・ニュースキャスター・作詞家。1963年に俳優としてデビューし、『クイズ100人に聞きました』『東京フレンドパーク』『サンデーモーニング』など多くの番組で司会を務め、長年テレビ界を牽引する人気MCとして活躍している。

草野仁(司会者)

福岡県出身のフリーアナウンサー・司会者。NHK記者・キャスターを経て独立し、『日立 世界・ふしぎ発見!』の司会を長年務め知名度を高めた。知的で安定感ある進行で幅広い世代に親しまれている。

古舘伊知郎(アナウンサーほか)

1954年東京都生まれのアナウンサー、司会者、キャスター。'77年に テレビ朝日 に入社し、プロレス実況で「古舘節」と呼ばれる独特の語り口を確立。'84年にフリーとなり、F1中継やバラエティ、歌番組など多ジャンルでMC/司会を担当。2004年から約12年間、報道番組 報道ステーション のメインキャスターを務め、ニュースキャスターとしても著名に。2025年現在はトークライブ「トーキングブルース」など“しゃべり手”として幅広く活動中。

逸見政孝(司会者)

大阪出身のフリーアナウンサー・テレビ司会者・タレント。元フジテレビの人気アナで『FNNスーパータイム』『たけし・逸見の平成教育委員会』など司会で活躍し、「いっつみい」の愛称で親しまれた。1993年胃癌により惜しまれつつ48歳で逝去した。

楠田枝里子(司会者)

三重県伊勢市出身のフリーアナウンサー・タレント・テレビ司会者・エッセイスト。元日本テレビアナウンサーで『おしゃれ』や『なるほど!ザ・ワールド』『世界まる見え!テレビ特捜部』などを司会し、科学・文化紹介や執筆でも活躍する。

鈴木清順(映画監督)

映画監督・俳優で、日活で独自の映像美を持つヤクザ映画など多数の作品を手掛け、「清順美学」と評される独特のスタイルでカルト的評価を得た。独立後も『ツィゴイネルワイゼン』などで高い評価を受け、国内外に影響を与えた。

大島渚(映画監督)

映画監督・脚本家で、戦後のニューウェーブ日本映画 を代表する一人。「感傷旅行」や「愛のコリーダ」など挑発的で実験的な作品で知られ、1978年にはカンヌ国際映画祭で監督賞も受賞した。

伊丹十三(映画監督)

京都出身の映画監督・俳優・脚本家・エッセイスト。本名は池内義弘。多才な表現者として商業デザインや執筆もこなし、1984年『お葬式』で監督デビューし、『タンポポ』『マルサの女』などの名作を生み出した。映画界に大きな影響を与えた。

大林宣彦(映画監督)

広島県尾道市出身の映画監督・脚本家で、1977年『HOUSE/ハウス』で劇場デビュー。『転校生』『時をかける少女』など“尾道三部作”で知られ、独自の映像美と平和へのメッセージを持つ作品を多数手掛けた。紫綬褒章・旭日小綬章受章の巨匠。

森田芳光(映画監督)

映画監督・脚本家。1981年『の・ようなもの』で注目され、『家族ゲーム』『それから』『失楽園』などで時代の空気を鋭く映し出した。娯楽性と実験性を併せ持つ演出で日本映画に新風を吹き込んだ。

蜷川幸雄(演出家)

埼玉県川口市出身の演出家・劇作家・映画監督で、日本を代表する舞台演出家としてシェイクスピアやギリシャ悲劇など多彩な作品を国内外で演出し、“世界のニナガワ”と称され、文化勲章など多数受章した。

すぎやまこういち(作曲家ほか)

東京都出身の作曲家・編曲家。CM音楽や歌謡曲で活躍後、テレビ番組『題名のない音楽会』司会で知られる。ゲーム『ドラゴンクエスト』シリーズの音楽を手がけ、日本のゲーム音楽文化を確立した人物として高く評価される。

服部克久(作曲家)

東京都出身の作曲家・編曲家。服部良一の長男。映画・テレビ・CM音楽から歌謡曲、交響作品まで幅広く手がけ、『料理の鉄人』の音楽でも知られる。クラシックとポピュラーを架橋した存在として日本の音楽界に大きな足跡を残した。

久石譲(作曲家)

長野県出身の作曲家・指揮者。本名は藤澤守。ミニマル音楽を基盤に独自の旋律美を築き、宮崎駿監督作品『風の谷のナウシカ』『となりのトトロ』などの音楽で国際的評価を得た。映画・舞台・交響作品まで幅広く活動している。

井上堯之(音楽家)

東京都出身の作曲家・編曲家・指揮者。1961年から'70年まで一世を風靡した老舗GSバンド、ザ・スパイダースのギター奏者で、解散後は短期間、沢田研二や萩原健一らとともにPYGに参加、その後井上堯之バンドを結成。沢田研二と活動するとともに、優れた音楽性で映画・テレビ・CM音楽まで幅広く活動し、ジャズやポップスの要素を取り入れた多彩な作品を手掛けた。日本の映像音楽界で幅広い影響力を持つ音楽家である。

大野克夫(音楽家ほか)

東京都出身の作曲家・編曲家で、元ザ・スパイダースのキーボード奏者。ジャズやロックを基調とした高い音楽性で、全盛期の沢田研二を支えた井上堯之バンドのキーボードと作曲家としても活動した。テレビアニメ『名探偵コナン』の音楽も長年担当し、映画・ドラマ・CMなど幅広い分野で活躍し、日本の映像音楽を代表する存在である。

筒美京平(作曲家)

東京都出身の作曲家・編曲家。1960年代から80年代にかけて数多くのヒット歌謡曲を手がけ、松田聖子やピンク・レディーなど人気歌手の楽曲で日本のポップス界に絶大な影響を与えた。

松本隆(作詞家)

東京都出身の作詞家。ピンク・レディー、松田聖子、中森明菜など多くのヒット曲を手がけ、1970~'80年代の日本ポップスを代表する存在。音楽ユニット「ファンキー・カミング・マスターズ」でも活動した。

売野雅勇(作詞家)

東京都出身の作詞家。チェッカーズ、中森明菜、小泉今日子など多くのヒット曲を手がけ、1980~'90年代の日本ポップスシーンで重要な役割を果たした。エモーショナルでメロディアスな詞作りで知られる。

コシノヒロコ(ファッションデザイナー)

京都府出身のファッションデザイナー。三姉妹デザイナーの長女で、1960年代からパリコレに参加。独創的かつ華やかなデザインで国内外のファッション界に影響を与え、日本のモードを世界に広めた先駆者である。

ワダ・エミ(衣装デザイナー)

東京都出身のファッションデザイナー。モード界で活動し、1970年代から日本のオートクチュールや舞台衣装、映画衣装の制作で活躍。独自の色彩感覚とデザインで国内外に影響を与えた先駆的デザイナー。

篠山紀信(写真家)

東京都出身の写真家。広告写真や雑誌撮影から芸能人ポートレートまで幅広く手掛け、被写体の個性を引き出す大胆で革新的な作風で知られる。日本の現代写真界を代表する写真家の一人である。

加納典明(写真家)

1942年愛知県名古屋市生まれの写真家。'60年代からフリーカメラマンとして活動を始め、'69年に雑誌『平凡パンチ』でのニューヨーク特集や個展「FUCK」で脚光を浴びた。その後も広告写真、雑誌、写真集などで精力的に作品を発表し、社会の風俗やヌード表現を通じて日本の写真界に強い影響を与えた。

浅葉克己(アートディレクター)

東京都出身のグラフィックデザイナー・アートディレクター。企業広告、パッケージデザイン、ポスターなど幅広く手がけ、独創的かつ遊び心あるデザインで日本のグラフィック界に影響を与えた。文化功労者・紫綬褒章受章者。

山本耀司(ファッションデザイナー)

京都府出身のファッションデザイナー。パリコレに参加し独自の黒を基調とした前衛的デザインで世界的に評価され、国内外でブランドを展開。日本のモード界を代表する先駆者として知られる。

川久保玲(ファッションデザイナー)

東京都出身のファッションデザイナー。1973年に「コム・デ・ギャルソン」を設立し、前衛的で構築的なデザインで世界的評価を獲得。パリコレ常連で、日本のモード界に革新をもたらした先駆者である。

坂東玉三郎 (5代目)

1957年に幼くして初舞台を踏み、'64年に「五代目 坂東玉三郎」を襲名。歌舞伎にとどまらず、映画・現代舞台・国際的な舞踊など多ジャンルで活躍。2012年に「重要無形文化財保持者(人間国宝)」に認定され、その芸は国内外で高く評価されている。

安西水丸(イラストレーター)

長野県出身のイラストレーター・漫画家・エッセイスト。広告・書籍・雑誌の挿絵で活躍し、柔らかくユーモラスな画風で知られる。水木しげるらと交流し、装丁や絵本制作でも高い評価を受けた。

ペーター佐藤(イラストレーター)

神奈川県横須賀市出身の日本を代表するイラストレーター。ミスタードーナツのパッケージやユニバーシアード神戸大会ポスター、ファッション誌表紙など多彩な仕事で知られ、1970年代はエアブラシ、'80年代以降はパステルによる温かみある人物画で人気を博した。'86年に原宿に「Pater’s Shop & Gallery」を開き、個展も海外で開催された。没後も作品は高い評価を受けている。

南伸坊(編集者ほか)

東京都出身のイラストレーター・漫画家・エッセイスト。独特のユーモラスで温かみのある作風で雑誌や書籍、広告など多方面で活躍。評論やエッセイ執筆も行い、日本のポップカルチャーに幅広く影響を与えた。

梨本勝(芸能リポーター)

法政大学卒。1968年に雑誌記者としてデビュー後、'76年にテレビの芸能リポーターに転身。「恐縮です!」の決めゼリフとともに突撃インタビューで数々のスクープを報じ、芸能リポーターという職業の草分け的存在となった。テレビ、ラジオ、雑誌など幅広く活躍し、芸能ニュース文化に大きな影響を与えた。2010年、肺がんで65歳で逝去。

Mr.マリック(マジシャン)

マジシャン、超魔術師。1988年、日本テレビ系『11PM』出演を機にテレビ界で注目を集める。翌年には『木曜スペシャル』で単独特番が放送され高視聴率を記録。「超魔術」「ハンドパワーです」「きてます!!」の決め台詞で一大ブームを巻き起こした。同年は『アメリカ横断ウルトラクイズ』やNHK紅白歌合戦にも出演し、海外番組や児童誌でも特集されるなど社会現象的な人気を博した。

宜保愛子(霊能者)

1932年神奈川県生まれの霊能者・タレント。'80年代後半から'90年代にかけて多数の心霊番組や雑誌で活躍し、著書も多数刊行して一大ブームを巻き起こした。代表作に『宜保愛子の死後の世界』などがあり、霊視による守護霊の存在や死後の世界論を広く一般に紹介した。しかし'90年代半ば以降、霊能力を巡る批判やメディアの変化で露出が減少。2003年、胃がんで71歳で亡くなった。

韮澤潤一郎(出版社経営)

1945年新潟県生まれの実業家で、出版社たま出版の社長・編集長。自身を「UFO・超常現象研究家」と称し、70年代から雑誌・テレビ・著作を通じてUFOや宇宙人、超常現象について発信を続けてきた。'95年には「UFO党」から比例代表で参議院選挙に立候補したが落選した。また著書に『宇宙人はなぜ地球に来たのか』などがあり、社会の主流からは異色とも言える視点で議論を続けている。

山本晋也(映画監督)

1939年東京・神田生まれの映画監督、タレント、俳優、リポーター。'65年に「狂い咲き」で監督デビューし、その後はピンク映画を中心に多数の作品を発表。'81年から出演したテレビ深夜番組トゥナイトシリーズでは、“すごいですねぇ”“ほとんどビョーキ”といった独特の語り口で人気を博し、以降も俳優やコメンテーターとして幅広く活躍した。映画監督だけでなく社会問題にも関心を持ち、'90年代以降はエイズやハンセン病、原発事故、震災などへの取材・啓発活動にも取り組んだ。

青木功(プロゴルファー)

熊本県出身のプロゴルファー。国内外で通算50勝以上を挙げ、日本ゴルフ界を代表する存在。特に1978年のアジア・パシフィック選手権や'83年のマスターズ参戦で注目され、技術と精神力で世界に通用する日本人プレーヤーとして評価された。引退後も指導者や解説者としてゴルフ界に貢献。

岡本綾子(プロゴルファー)

大阪府出身の女子プロゴルファー。1971年にプロ入りし、国内外で数多くの優勝を重ね、日本女子プロゴルフ界を牽引。'78年に全米女子オープンでアジア人初の優勝を達成し、海外メジャーでの活躍でも知られる。引退後は指導者や解説者としてゴルフ界に貢献し、女子ゴルフの発展に大きく寄与した。

ジャンボ鶴田(プロレスラー)

山梨県出身の日本のプロレスラー。中央大でレスリング選手として活躍後、1973年に全日本プロレスでデビューし、AWA世界ヘビー級王座を日本人で初めて獲得。'89年には三冠ヘビー級王者として頂点に立ち、長年にわたり日本プロレス界の中心選手として名勝負を重ねた。'99年に引退し、その後'90年代末に肝臓移植の合併症で49歳で没した。

長州力(プロレスラー)

山口県徳山(現・周南市)出身の元プロレスラーで日本のプロレス界を代表する存在。1974年に新日本プロレスでデビューし、'80〜'90年代に「革命戦士」の異名で人気を博したほか、IWGPヘビー級王座など主要タイトルを獲得。藤波辰巳との名勝負や独自の強烈な技で強さを示し、ジャパン・プロレスなど団体旗揚げにも関与。2019年に正式に引退した。

藤波辰爾(プロレスラー)

神奈川県横浜市出身のプロレスラー。1966年に日本プロレスでデビューし、新日本プロレス創設後は同団体を代表するスターとして活躍。華麗な空中技と闘志あふれるスタイルで人気を集め、長州力との名勝負やIWGPヘビー級王座獲得など多くの実績を残した。日本プロレス界の象徴的存在として、選手・指導者・解説者としても幅広く貢献した。

具志堅用高(プロボクサー)

沖縄県出身の元プロボクサー。1974年にプロデビューし、'77年にWBA世界ライトフライ級王座を獲得。防衛記録13度は当時世界最長で、世界王者として長期政権を築いた。引退後はタレント・解説者としてテレビ出演やスポーツ指導にも活躍し、日本ボクシング界の象徴的存在として広く知られている。

中野浩一(競輪選手)

東京都出身の元自転車競技選手。1977年にプロ転向し、'80年代にトラック競技スプリントで世界選手権10連覇を達成。'84年のロサンゼルス五輪でも活躍し、スプリント種目で日本の競輪界に革命をもたらした。引退後は競輪指導者や解説者として活動し、国内外で高い評価を受ける日本自転車界のレジェンド。

ガッツ石松(プロボクサー)

元プロボクサー、タレント、俳優。ヨネクラボクシングジム所属で、アジア人初のWBC世界ライト級王者となり、群雄割拠の同級で5度の防衛を果たした。1978年に新井容日戦を最後に引退。以後はタレントに転身し、独特のキャラクターで人気を博す。俳優としても『北の国から』『おしん』などに出演し、元ボクサータレントの草分け的存在となった。

千代の富士貢(大相撲力士)

北海道出身の大相撲力士。二子山部屋所属で、最盛期には「昭和の小さな巨人」と称され、史上最多タイの31回の幕内最高優勝を達成。スピードと力強さを兼ね備えた相撲で人気を博し、引退後は年寄・理事として相撲界に貢献。日本相撲史における伝説的存在として評価されている。

森末慎二(体操選手)

東京都出身の体操選手。1976年モントリオール五輪で団体銀・個人種目で銅メダルを獲得し、'84年ロサンゼルス五輪でも団体金メダルを達成。跳馬や平行棒を得意とし、日本体操界を代表する選手として活躍した。引退後は体操指導者や解説者としても活動し、国内外で日本体操の普及と発展に貢献した。

山下泰裕(柔道家)

兵庫県神戸市出身の柔道家。1984年ロサンゼルス五輪で柔道男子無差別級金メダルを獲得し、日本柔道界の象徴的存在となる。世界柔道選手権でも金メダルを複数回獲得し、全日本柔道連盟理事長として指導・普及活動にも尽力。技術と精神力に優れた選手として、国内外で高く評価され、日本柔道界の発展に貢献した。

川合俊一(バレーボール選手)

神奈川県出身の元バレーボール選手。日立(現・日立Astemo)で活躍し、1976年モントリオール五輪に日本代表として出場。引退後はスポーツ解説者、タレントとしてテレビ出演も多数。指導者としても活動し、バレーボールの普及に貢献。明るいキャラクターと的確な解説で、競技界外でも広く知られる存在となった。

王貞治(プロ野球選手・監督)

1958〜'74年に読売ジャイアンツ一筋で活躍した日本プロ野球界の名三塁手。打率.305、444本塁打、2471安打を記録し、「ミスタープロ野球」と称された。引退後は同球団の監督としても日本一を経験し、国民的英雄となった。

田淵幸一(プロ野球選手)

大阪府出身の元プロ野球選手(内野手)。南海ホークスで活躍し、特に強打の捕手として知られ、1970年代に本塁打王・打点王を複数回獲得。'73年の日本シリーズでは決定打を放ちチームを優勝に導いた。引退後は野球解説者や監督としても活動し、日本プロ野球史に残る名選手として評価されている。

山本浩二(プロ野球選手)

広島県出身の元プロ野球選手・監督。広島東洋カープで外野手として活躍し、「赤ヘルの魂」と称される強打者。1970年代に首位打者や本塁打王を獲得し、チームを日本シリーズ優勝に導いた。引退後は監督や解説者としても活動し、広島カープの黄金期を支えた功績から日本プロ野球界のレジェンドとして高く評価される。

江夏豊(プロ野球選手)

庫県尼崎市出身の元プロ野球選手(投手)、解説者。広島東洋カープで活躍し、プロ入りから抑え投手として通算317勝を挙げる。1979年の日本シリーズでの劇的な投球や「江夏の21球」で知られ、リリーフ投手として歴史的評価を受けた。引退後は野球解説者・評論家として活動し、野球界に長年影響を与え続けた。

村田兆治(プロ野球選手)

千葉県出身の元プロ野球選手(投手)、解説者。千葉ロッテマリーンズで活躍し、豪速球と多彩な変化球を武器に1970年代から'80年代にかけてチームを支えた。通算200勝を達成し、日本プロ野球史に名を残す名投手。引退後は野球解説者として活動し、後進の指導にも携わり、投手陣の育成や野球普及に貢献した。

星野仙一(プロ野球選手・監督)

愛知県豊橋市出身の元プロ野球選手(投手)・監督。中日ドラゴンズで投手として活躍後、阪神タイガース、日本ハムファイターズなどで監督を務め、熱血指導と戦略眼でチームを日本一に導いた。選手・監督として長年日本プロ野球界に影響を与え、名将として広く評価される。

落合博満(プロ野球選手)

神奈川県鎌倉市出身の元プロ野球選手・監督。ロッテオリオンズ、中日ドラゴンズなどで三冠王を3度獲得し、通算本塁打・打点・打率で高成績を残す強打者。引退後は中日ドラゴンズ監督としてチームをリーグ優勝に導き、戦略眼と選手育成で知られる。選手・監督両面で日本プロ野球界に大きな功績を残した。

中畑清(プロ野球選手)

神奈川県横浜市出身の元プロ野球選手・監督。読売ジャイアンツで主に外野手として活躍し、1980年代に打撃力と守備力でチームを支えた。引退後は横浜ベイスターズの監督を務め、選手育成やチーム改革に尽力。解説者やタレントとしても活動し、野球界における幅広い知名度と影響力を持つ存在となった。

掛布雅之(プロ野球選手)

兵庫県宝塚市出身の元プロ野球選手・監督。阪神タイガースで主に三塁手として活躍し、強打者としてチームの中心を担った。1985年のリーグ優勝・日本一に貢献し、引退後は阪神監督や野球解説者としても活動。長年にわたり球界で影響力を持ち、ファンからの支持も厚いレジェンドとして知られる。

江川卓(プロ野球選手)

福岡県久留米市出身の元プロ野球選手(投手)。PL学園高時代から注目され、プロ入り前の「江川事件」で話題となった。読売ジャイアンツで活躍し、速球と変化球を武器に通算169勝を挙げる。引退後は野球解説者として活動し、投手育成や解説を通じて日本プロ野球界に影響を与えた。

定岡正二(プロ野球選手)

福岡県出身の元プロ野球選手(内野手)。南海ホークスに入団し、俊足巧打の二塁手として活躍。1979年には新人王を受賞し、盗塁王も獲得するなどスピードを活かしたプレースタイルでチームに貢献。引退後は野球解説者や指導者としても活動し、若手選手の育成や野球普及に尽力した。

小林誠二(プロ野球選手)

東京都出身の元プロ野球選手(捕手)。読売ジャイアンツで活躍し、堅実な守備とリード力でチームを支えた。引退後は野球解説者として活動し、試合分析や選手の技術指導にも携わる。プロ野球界における捕手としての実績と知見を活かし、後進の育成や野球普及に貢献した。

原辰徳(プロ野球選手)

東京都出身の元プロ野球選手・監督。読売ジャイアンツで外野手として活躍し、打撃力と勝負強さでチームを牽引。引退後は巨人の監督としてリーグ優勝や日本シリーズ制覇に導き、戦略眼と選手育成で高く評価される。選手・監督両面で長年プロ野球界に影響を与え、日本を代表する名将の一人として知られる。

荒木大輔(プロ野球選手)

佐賀県出身の元プロ野球選手(投手)。ヤクルトスワローズで活躍し、力強い速球と変化球で1980年代後半から'90年代にかけてチームの先発の柱を担った。通算勝利数は200勝に迫る実績を誇り、'89年には最優秀防御率や最多勝を獲得。引退後は指導者や解説者として後進の育成に貢献し、日本プロ野球界に長く影響を与えた。

清原和博(プロ野球選手)

大阪府出身の元プロ野球選手(内野手・外野手)。PL学園高校からドラフト1位で西武ライオンズに入団し、強打のスラッガーとして活躍。読売ジャイアンツでもプレーし、通算本塁打476本を記録。日本プロ野球史上屈指のパワーヒッターとして知られる。引退後は野球解説やメディア出演も行い、野球界のレジェンドとして広く認知されている。

桑田真澄(プロ野球選手)

兵庫県出身の元プロ野球選手(投手)。PL学園高校時代から注目され、読売ジャイアンツに入団。巧みな変化球と制球力で長年先発投手として活躍し、通算勝利数は200勝以上。引退後は解説者や指導者として活動し、後進の育成や野球普及に尽力。日本プロ野球界における名投手の一人として評価されている。

植村直己(冒険家)

兵庫県出身の冒険家・登山家。世界初のマッキンリー冬季単独登頂や、エベレスト登頂など数々の偉業を成し遂げ、極地探検や冒険行為で国際的に高く評価された。1984年にカナダ北極圏で遭難死するまで、冒険精神と挑戦心を貫き、日本の登山・探検史における象徴的存在となった。

畑正憲(動物研究家)

大阪府出身の作家・動物学者・農学者。自然観察や生物研究を基に、野生動物や環境を題材とした著作を多数執筆。特に鳥類や昆虫の生態研究で知られ、科学的知見と文学的表現を融合させた作品で一般読者にも自然の魅力を伝える。教育活動や講演も行い、日本の自然保護や環境教育に貢献した。

やなせたかし(漫画家)

高知県出身の漫画家・絵本作家・詩人。戦後に漫画家として活動を開始し、アンパンマンを生み出したことで広く知られる。子ども向け作品を通じて「正義・思いやり・友情」の価値を伝え、日本の児童文化に大きな影響を与えた。絵本作家としての活動は国内外で高く評価され、多くの世代に愛され続けている。

水木しげる(漫画家)

鳥取県出身の漫画家。戦争体験を基にした作品や妖怪漫画で知られ、『ゲゲゲの鬼太郎』をはじめとする妖怪キャラクターを創出し、日本の漫画文化と妖怪文化の普及に大きく貢献。幅広いジャンルで執筆し、社会的・文化的影響力が高く、国内外で高い評価を受け続けた。

加藤芳郎(漫画家)

東京都出身の画家・イラストレーター。戦後、日本画や洋画の技法を融合させた作品を発表し、特に色彩表現と幻想的な作風で評価を得た。雑誌・書籍の挿絵や装丁画などでも活躍し、商業美術と芸術表現の両面で影響力を持つ。国内外の展覧会にも多数出品し、日本の近代美術界に貢献した。

手塚治虫(漫画家)

大阪府出身の漫画家・アニメーション作家。『鉄腕アトム』『ブラック・ジャック』など、多数の名作を生み出し、現代漫画の基礎を築いた。医師免許も持ち、科学・医学・倫理を題材にした作品で知られる。アニメ制作にも先駆的に取り組み、日本の漫画・アニメ文化の発展に絶大な影響を与え、「漫画の神様」と称される。

サトウサンペイ(漫画家)

東京都出身の漫画家。主に4コマ漫画で活動し、ユーモアあふれる日常描写と親しみやすい作風で人気を博す。代表作に『フジ三太郎』や『てなもんや三度笠』などがあり、テレビや新聞とも連動した作品を多数発表。戦後日本の漫画文化に貢献し、幅広い世代に親しまれる漫画家として知られる。

藤子・F・不二雄(漫画家)

富山県出身の漫画家。『ドラえもん』をはじめ、多くの児童向け漫画を手掛け、日本の漫画文化に絶大な影響を与えた。ユーモアと科学的アイデアを融合させた作風で子どもから大人まで幅広い層に支持され、アニメ化・映画化も多数。社会的・文化的影響力が高く、国民的漫画家として長く親しまれている。

藤子不二雄A(漫画家)

富山県出身の漫画家。藤子・F・不二雄と共に活動していた時期もあり、独立後は大人向けのブラックユーモア作品を中心に手掛けた。代表作に『笑ゥせぇるすまん』や『まんが道』などがあり、人間心理の滑稽さや社会風刺を描く作風で知られる。漫画界に独自の存在感を持ち、幅広い読者に影響を与え続けた。

横山光輝(漫画家)

兵庫県出身の漫画家。『鉄人28号』や『三国志』などの代表作で知られ、SFから歴史ものまで幅広いジャンルを手掛けた。緻密な作画とストーリーテリングで、子どもから大人まで幅広い読者層に支持され、日本漫画界に大きな影響を与えた。作品はアニメ化や映像化も多数行われ、国民的漫画家として長く親しまれている。

細川智栄子(漫画家)

1958年『くれないのばら』で「細川千栄子」としてデビュー。'68年に成人向け女性週刊誌で初のストーリー漫画「ああ♥初恋」を『女性セブン』で連載後、講談社『少女フレンド』や集英社『りぼん』など各誌で執筆し、'76年から40年以上続く大河連載『王家の紋章』を手がけた。'90年に『王家の紋章』で小学館漫画賞少女部門受賞。代表作はほかに『アテンションプリーズ』『伯爵令嬢』『あこがれ』。

園山俊二(漫画家)

早稲田大学在学中に毎日小学生新聞で『がんばれゴンベ』を連載しプロデビュー、35年間続く長期連載となった。トキワ荘の漫画家らと交流し、児童漫画や大人向け漫画を多数発表。代表作に『ギャートルズ』シリーズや『花の係長』があり、テレビアニメ化もされた。晩年は肝臓癌により入退院を繰り返し、1992年に死去。漫画一本で生きる姿勢で知られる。

赤塚不二夫(漫画家)

手塚治虫に影響を受け1956年に貸本漫画『嵐をこえて』でデビュー。トキワ荘で修業後、『おそ松くん』『ひみつのアッコちゃん』『天才バカボン』などを発表し一躍人気作家となる。ギャグ漫画の王として戦後漫画史を築き、『天才バカボン』などの作品はテレビアニメ化もされ、文藝春秋漫画賞受賞や長期連載で日本の漫画文化に大きな影響を与えた。

楳図かずお(漫画家)

1955年に貸本漫画でデビューし、『漂流教室』『まことちゃん』『わたしは真悟』などを発表。ホラー漫画の第一人者として知られ、幅広いジャンルでも活躍した。

梶原一騎(漫画家)

は日本の漫画原作者・小説家・映画プロデューサー。格闘技やスポーツを題材に男の闘う姿を豪快かつ繊細に描き、『巨人の星』『あしたのジョー』『タイガーマスク』などのヒット作で「スポ根もの」ジャンルを確立。空手五段・柔道二段の武道経験も活かし、型破りな生き方やスキャンダルでも注目を集めた。

さいとう・たかを(漫画家)

貸本時代に劇画の分野を確立し、『無用ノ介』や代表作『ゴルゴ13』など多くのヒット作を生む。『さいとう・プロダクション』を設立し、分業体制による制作方式を確立。『ゴルゴ13』は長寿連載作品としてギネス記録を樹立し、劇画界を代表する存在となった。

モンキー・パンチ(漫画家)

『ルパン三世』の作者で、青年漫画を中心に多数の作品を手掛けた。デジタル技術を漫画制作に積極的に導入し、デジタルマンガ協会初代会長を務める。『ルパン三世』をはじめ『復讐屋』『シンデレラボーイ』『MUSASHI -GUN道-』など多数作品がアニメ化され、『ルパン三世 DEAD OR ALIVE』では監督も担当。大学教授や漫画家協会理事として後進育成にも尽力した。

東海林さだお(漫画家)

1974年から2014年まで毎日新聞に13,749回連載した『アサッテ君』で全国紙連載漫画最多掲載記録を樹立した漫画家・エッセイスト。ユーモアエッセイの横綱的存在とされ、擬声語多用や独特の改行を特徴とする「昭和軽薄体」の文体で長年にわたり人気を博した。

石ノ森章太郎(漫画家)

SF漫画やギャグ、学習漫画まで幅広く手掛け、「漫画の王様」と称された漫画家。代表作に『サイボーグ009』『人造人間キカイダー』『009ノ1』『さるとびエッちゃん』などがあり、仮面ライダーシリーズなど特撮作品の原作者としても活躍。昭和30〜40年代に新しい漫画手法を開発し、SF的表現や画面効果で手塚治虫と並ぶ影響力を持った。

松本零士(漫画家)

福岡県出身の漫画家で、SF漫画を中心に『宇宙戦艦ヤマト』『銀河鉄道999』『男おいどん』などを手掛けた。幅広いジャンルの作品を描き、アニメ製作にも積極的に関与。松本アニメブームを牽引し、宝塚大学特任教授なども歴任。受賞歴には旭日小綬章や紫綬褒章があり、ペンネームは零歳児の感性を忘れない意志と午前零時まで働く士の意から由来する。

ちばてつや(漫画家)

東京都出身の漫画家で、『あしたのジョー』を高森朝雄(梶原一騎)と共作し社会現象を巻き起こした。ほか『ハリスの旋風』『あした天気になあれ』『のたり松太郎』『みそっかす』などを手掛ける。文星芸術大学教授・学長や日本漫画家協会会長を歴任。紫綬褒章・旭日小綬章受章、文化勲章受章、文化功労者、日本芸術院会員としても顕著な功績を残す。

宮崎駿(アニメ監督ほか)

アニメ監督・アニメーターで、スタジオジブリ取締役名誉会長。1963年東映動画入社後、'78年『未来少年コナン』で演出家デビュー、'79年『ルパン三世 カリオストロの城』で劇場映画監督初挑戦。『風の谷のナウシカ』成功後、'85年スタジオジブリを設立し、『天空の城ラピュタ』『となりのトトロ』『魔女の宅急便』などを発表。世界的に影響力が大きく、『千と千尋の神隠し』と『君たちはどう生きるか』でアカデミー長編アニメ映画賞受賞。

ジョージ秋山(漫画家)

1966年『ガイコツくん』でデビューし、『銭ゲバ』『アシュラ』といった過激なテーマの作品で注目を集めた。1973年から2017年まで『浮浪雲』を連載、1978年小学館漫画賞を受賞。2020年に77歳で逝去。

わたせせいぞう(イラストレーターほか)

1974年、『新漫画昆虫記』で小学館ビッグコミック賞を受賞し漫画家デビュー。'83年から『ハートカクテル』を『モーニング』で連載し、アニメ化・ドラマ化もされる。長年会社員と漫画家の二足の草鞋を履き、退社後は作家活動に専念。'87年には『私立探偵フィリップ』で文藝春秋漫画賞を受賞し、2010~2018年には神奈川大学で特任教授も務めた。

本宮ひろ志(漫画家)

1947年千葉県生まれ。'65年にデビューし、'68年の『男一匹ガキ大将』で一躍人気作家となる。以降『俺の空』『硬派銀次郎』『サラリーマン金太郎』など多くのヒット作を生み出し、不良・サラリーマンものなど幅広いジャンルで活躍した。

弘兼憲史(漫画家)

松下電器に3年間勤務後、漫画家に転身。代表作に『課長島耕作』シリーズ、『人間交差点』『黄昏流星群』があり、サラリーマン経験を生かして現代社会の大人の生活や葛藤を描く。1983年に『課長島耕作』を『モーニング』で連載開始。30年以上続く長期連載となり、団塊世代の代弁者としての地位を確立した。

山岸凉子(漫画家)

1947年北海道生まれの少女漫画家。「アラベスク」でバレエ漫画を革新しブレイクし、'83年に「日出処の天子」で少女漫画賞を受賞。神話・歴史・ホラーなど多彩なテーマを描き、「24年組」を代表する存在となった。

蛭子能収(漫画家)

熊本県天草市生まれの漫画家・俳優。1973年『月刊漫画ガロ』でデビュー後、官能劇画や不条理漫画を中心に精力的に執筆し、元祖ヘタウマ漫画家として評価される。'81年に独立して単行本『地獄に堕ちた教師ども』を発表。'80年代後半からは芸能活動にも進出し、テレビ番組やドラマに出演。前衛的で狂気を帯びた作風で、日本漫画に新たな表現の地平を開いた。

山上たつひこ(漫画家)

徳島県生まれ、大阪府育ちの漫画家・小説家。代表作はギャグ漫画『がきデカ』やディストピア漫画『光る風』。1974年に『がきデカ』を連載開始し社会現象を巻き起こす。'80年代以降は日常生活の不条理を描くギャグ漫画や前衛的作品も発表。'90年に一度漫画執筆を休止し小説家に転向したが、2004年には『中春こまわり君』で漫画活動に復帰した。

池田理代子(漫画家)

1947年生まれの漫画家・劇画家で、'67年にデビュー。代表作『ベルサイユのばら』で少女漫画の枠を超え一大ブームを巻き起こした。'80年『オルフェウスの窓』で日本漫画家協会賞を受賞。'95年以降は声楽家としても活躍し、多彩な才能を発揮している。

里中満智子(漫画家)

1948年大阪生まれの漫画家・評論家。高校時代にデビューし、以降50年以上で500点近くの作品を発表。その代表作に「アリエスの乙女たち」「天上の虹」などがあり、'74年と'82年に大きな漫画賞を受賞。現在も大学教授や漫画団体の要職を務め、漫画界を牽引する存在。

もりたじゅん(漫画家)

1948年生まれの日本の漫画家。'68年にデビューし、『りぼん』などでラブコメからリアルな男女物語まで幅広く描く。代表作に『キャー!先生』『うみどり』などがあり、後年はレディースコミックでも活躍した。

柳沢きみお(漫画家)

1948年新潟県五泉市生まれの漫画家。'70年にデビューし、'78年の『翔んだカップル』で講談社漫画賞を受賞。ラブコメや青年漫画を中心に多数の作品を発表し、『特命係長 只野仁』などヒット作も。今なお現役で精力的に創作活動を続けるベテラン漫画家。

萩尾望都(漫画家)

1949年山口県生まれの少女漫画家。'70年代から世界観と心理描写に優れた作品を発表し、『ポーの一族』『11人いる!』などで高い評価を得る。SF・ファンタジー・耽美など多ジャンルに挑み、「少女漫画の革新者」と呼ばれる存在。

一条ゆかり(漫画家)

1949年岡山県生まれの少女マンガ家。'68年に『雪のセレナーデ』で漫画家デビュー。『デザイナー』『砂の城』『有閑倶楽部』『プライド』などで人気を博し、'86年に少女部門の講談社漫画賞、2007年に文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞を受賞。恋愛や人生を鋭く描くその作風で長きにわたり支持されてきた。

弓月光(漫画家)

1949年生まれの漫画家。'68年に「りぼん新人漫画賞」でデビューし、少女漫画/少年漫画/青年漫画と幅広く活躍。『みんなあげちゃう♡』『甘い生活』などのラブコメ作品で知られ、長寿連載を続けるベテランである。

竹宮惠子(漫画家)

1950年徳島県生まれの漫画家。'68年にデビューし、'70年代〜'80年代に『風と木の詩』やSF漫画『地球へ...』などで少女漫画の枠を大きく広げた。'79年小学館漫画賞、2012年日本漫画家協会賞文部科学大臣賞、2025年文化功労者受賞と、その功績は高く評価されている。

あだち充(漫画家)

1970年に『消えた爆音』でデビューし、当初は劇画調少年漫画を中心に活動。'75年以降ソフトタッチな作風に転向し、'78年の『ナイン』で初の原作なし連載を開始。続く『みゆき』『タッチ』が大ヒットし、ラブコメ漫画の代表作家として『週刊少年サンデー』を牽引。野球漫画を主軸に長年活躍し、コミックス累計2億部を突破するなど日本を代表する漫画家となった。

美内すずえ(漫画家)

1951年大阪生まれの漫画家。'67年に高校2年でデビューし、'76年から連載を始めたガラスの仮面は累計5,000万部超の大ヒット作。少女漫画のみならずホラーやサスペンスも手がけ、'82年に講談社漫画賞、'95年に日本漫画家協会賞を受賞した。

いしいひさいち(漫画家)

1951年生まれの漫画家で、新聞連載や4コマ漫画を中心に活動。代表作は『がんばれ!!タブチくん!!』で、『ののちゃん』は最長期連載作品。プロ野球や政治、庶民生活など幅広い題材を扱い、過激な皮肉やナンセンスを特徴とする独自の作風で知られる。文藝春秋漫画賞や手塚治虫文化賞など多数受賞し、作品の一部はアニメ化もされている。

陸奥A子(漫画家)

1954年福岡県生まれの少女漫画家。'72年に「獅子座うまれのあなたさま」でデビューし、'70〜'80年代に雑誌『りぼん』で「おとめチック」路線を牽引。等身大の少女の恋愛や日常を軽やかに描き、多くの読者に支持された。代表作に『こんぺい荘のフランソワ』など。

鳥山明(漫画家)

1978年に『ワンダーアイランド』でデビュー、『Dr.スランプ』と『ドラゴンボール』を代表作とする。両作はいずれもアニメ化され、長期にわたり放映されたほか、累計発行部数は『ドラゴンボール』が2億6,000万部を超える。漫画活動の傍らゲームやマスコットのキャラクターデザインも手掛け、『ドラゴンクエスト』などに貢献。日本漫画の世界的普及に大きく寄与した影響力の高い漫画家である。

くらもちふさこ(漫画家)

1955年生まれの少女漫画家。'72年『メガネちゃんのひとりごと』でデビューし、『いつもポケットにショパン』『天然コケッコー』など多くの名作を発表。'96年に講談社漫画賞、『花に染む』で2017年に手塚治虫文化賞マンガ大賞を受賞するなど、半世紀にわたり少女漫画界を牽引してきた。

江口寿史(漫画家)

1956年熊本県生まれの漫画家・イラストレーター。'77年に『すすめ!!パイレーツ』でデビューし、『ストップ!!ひばりくん!』などでブレイク。'80年代以降はポップな線画で女性キャラを描くイラストでも高く評価され、近年も個展や広告・CDジャケットなど多方面で活躍している。

槇村さとる(漫画家)

高校在学中の1973年『別冊マーガレット』掲載の「白い追憶」でデビュー。高校卒業後会社員となるが、出版社の原稿料が給料を上回り専業作家となる。'78年以降、フィギュアスケートやジャズダンス、アイスダンスを題材にした作品を発表し、代表作には『愛のアランフェス』『ダンシング・ゼネレーション』『白のファルーカ』がある。『イマジン』『おいしい関係』『Real Clothes』はテレビドラマ化され、大人向け漫画でも活躍した。

柴門ふみ(漫画家)

徳島県出身の漫画家・エッセイストで、恋愛漫画やエッセイで人気を博し「恋愛の巨匠」と称された。バブル期には『東京ラブストーリー』『あすなろ白書』『同・級・生』など、多くの作品がトレンディドラマ化された。ペンネームはポール・サイモンに由来。夫は漫画家の弘兼憲史で、1男1女がおり、子どもたちも漫画・イラストの道で活動している。

高橋留美子(漫画家)

1978年に『うる星やつら』で連載デビューし、'80年から『めぞん一刻』も並行して連載。少年誌と青年誌の両方で活躍し、ギャグや恋愛、コメディから格闘技ものまで幅広い作風で人気を確立した。'87年以降は『らんま1/2』『1ポンドの福音』なども発表し、長期にわたり多くのヒット作を生み出した日本を代表する漫画家。

みうらじゅん(漫画家)

1980年に『ガロ』でデビューした漫画家・イラストレーター。関西ネタや怪獣ネタを中心にエッセイやイラストを多数執筆し、雑誌やテレビ・ラジオでも活動。'82年に『週刊ヤングマガジン』のちばてつや賞で佳作を受賞。多彩なメディア活動を展開し、'89年には「大島渚」というバンドを結成し、人気番組『いかすバンド天国』に出場するなど音楽活動も行った。

やくみつる(漫画家)

1981年に『まんがタイムオリジナル』でデビューした漫画家で、初期は『がんばれエガワくん』が人気となった。横浜ベイスターズを題材にした野球漫画を得意とし、現実的な描写とユーモアを融合させた作風で知られる。選手への辛辣なネタや風刺を盛り込みつつ、荒唐無稽なエピソードも描き、漫画・エッセイ界で独自の地位を築いた。

湯村輝彦(漫画家)

イラストレーター、デザイナー、漫画家、音楽評論家で、ヘタウマ漫画の先駆者として知られる。1976年に糸井重里と広告や絵本を手がけ、漫画雑誌『ガロ』で『ペンギンごはん』シリーズを発表。'80年代のヘタウマブームを牽引した。フラミンゴ・スタジオを主宰し、イラストから漫画、広告、音楽関連まで幅広く活動しており、クレイジーケンバンドのCDジャケット制作でも知られる。

とりいかずよし(漫画家)

1968年に『くちなし犬』でデビュー後、『週刊少年ジャンプ』で人情ギャグ漫画『トイレット博士』を連載し、単行本1000万部のヒット作となる。赤塚不二夫の指導でスカトロ要素を取り入れ、後半は「メタクソ団」登場で人気爆発。'77年に連載終了後はギャグ漫画からストーリー漫画へ転向し、『トップはオレだ!!』などを発表。テレビドラマの脚本や番組タイトル画も手がけるなど幅広く活躍。

大島弓子(漫画家)

「24年組」の代表格で、1968年に『ポーラの涙』でデビュー。独特の感性と幻想性で『綿の国星』『ミモザ館でつかまえて』などを発表し、'73年に日本漫画家協会賞、'79年に講談社漫画賞を受賞。晩年も『グーグーだって猫である』などで活躍し、2021年に文化功労者に選ばれた。

内田春菊(漫画家)

1984年、『シーラカンスぶれいん』でデビュー。性的表現をストレートに描く「女の子エッチ漫画家」として岡崎京子や桜沢エリカとともに人気を集める。エッセイや漫画エッセイも手がけ、社会通念への異議を作品に反映。'85年から『ガロ』に作品を発表し、'86~'87年連載の『南くんの恋人』は4度テレビドラマ化されるなど幅広く活躍。

桜沢エリカ(漫画家)

東京都出身、19歳で漫画家デビュー。岡崎京子や内田春菊とともに性的表現を描く「女の子エッチ漫画家」として知られる。1985年に『ウーくんのソフト屋さん Special』で初単行本を刊行し、思春期少女を題材とした『かわいいもの』『フールズ・パラダイス』『チェリーにおまかせ!』を発表。'91~'93年の『メイキン・ハッピィ』で人気を確立した。

さくらももこ(漫画家)

『ちびまる子ちゃん』で知られる漫画家・エッセイスト。自身の少女時代をモデルにした同作は累計3000万部を超えるヒットとなり、1989年に講談社漫画賞少女部門を受賞。エッセイ集『もものかんづめ』『さるのこしかけ』『たいのおかしら』もミリオンセラー。'90年の『ちびまる子ちゃん』アニメ化により国民的知名度を得、主題歌『おどるポンポコリン』作詞も手掛けるなど幅広く活躍した。

お笑い・タレント > 1950・60年代

1960年代になるとテレビが家庭に入り込み、『シャボン玉ホリデー』『夢であいましょう』など歌とコントを組み合わせた音楽バラエティや演芸番組が全盛期を迎えた。ハナ肇とクレージーキャッツなどが音楽的な実力とナンセンスな笑いを両立させてお茶の間のスターとなり、漫才は現代的な「ボケ・ツッコミ」の型を確立して人気となった。後半に登場したコント55号(萩本欽一・坂上二郎)は動きの激しいアクションコントで爆発的なブームを巻き起こし、後続のザ・ドリフターズらによる黄金時代へと続くテレビバラエティの原点を築き上げた。

─ 主なお笑いタレント (順不同) ─

1950

榎本 健一

浅草から全国へ人気が広がった日本を代表する喜劇俳優・歌手で、「日本の喜劇王」と称された。戦前・戦後を通じて国民的な人気を誇り、全盛期には「エノケソ」「土ノケン」といった偽物が各地に現れるほどの影響力を持った。

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古今亭志ん生

戦後を代表する落語家で落語協会4代目会長。孫は女優の池波志乃。

桂文楽

戦後に活躍した落語の名人。ラジオ東京(現TBS)開局時から専属となる。

桂小文治

大正から昭和にかけて活躍。大阪落語に始まり東京落語界でも幹部となる。

林家彦六

『笑点』で活躍した林家木久扇、三遊亭好楽の師匠にあたる。

古今亭今輔

「お婆さん落語」で知られる。落語芸術協会の2代目会長を務めた。

春風亭柳橋

日本芸術協会の創設者。44年間にわたり会長を務め、東京と上方落語の発展に努めた。

三遊亭圓生

大阪出身だが江戸落語の落語家として活動。演目数は落語史上最多とも言われた。

三代目・桂三木助

美しい夫婦愛を描いた名作落語「芝浜」の作者で、”芝浜の三木助”として知られた。

三代目・江戸家猫八

“江戸猫”の愛称で親しまれた物真似師・俳優。NHK『お笑い三人組』に11年間出演した。

一龍齋貞鳳

講談師で政治家。NHK『お笑い三人組』で人気を得、クイズ番組などの司会も務めた。

四代目 三遊亭金馬

日本演芸家連合の五代目会長。国立演芸場の開設に尽力した功労者でもある。

由利徹(脱線トリオ)

南利明と八波むと志と「脱線トリオ」を結成し人気となる。解散後は喜劇俳優として活躍。

コロムビア・トップ(青空トップ・ライト)

漫才コンビ「青空トップ・ライト」でお茶の間の人気を博す。漫才師、漫談家、声優として広く活躍した後に参議院議員となる。

三木のり平

俳優、演出家、コメディアンとして活躍した。日本喜劇人協会の5代目会長も務めた。

コロムビア・ライト(青空トップ・ライト)

コロムビア・トップと漫才コンビ「青空トップ・ライト」結成、社会風刺の辛口漫才で活躍した。

大村崑

大阪梅田の『北野劇場』の専属コメディアンを皮切りに喜劇俳優としてTVでも大活躍した。

正司歌江(かしまし娘)

実の姉妹で結成された漫才トリオ「かしまし娘」の長女。三味線担当、「♪ウチら陽気なかしまし娘」で人気を博す。

内海好江(かしまし娘)

14歳で女性漫才コンビ「内海桂子・好江」を結成し、毒舌キャラとしてテレビで活躍した。

柳家金語楼

東京都出身の落語家・喜劇人で、6歳で初舞台を踏んだ天才少年として知られる。エノケン・ロッパと並ぶ三大喜劇人の一人で、落語に加えレコード、ラジオ、映画、テレビなど多様なメディアで活躍。1953年のテレビクイズ番組『ジェスチャー』では男性チームのキャプテンを務め、徳川夢声との『こんにゃく談義』でも人気を博した。

1960

六代目 笑福亭松鶴

6代目笑福亭松鶴(竹内日出男)は大阪出身の落語家で、上方落語協会の2代目会長を務めた。出囃子は「舟行き」。父は5代目笑福亭松鶴、息子は5代目笑福亭枝鶴で、甥の和多田勝(のちの笑福亭小つる)も若い頃に共に修行するなど、落語一家として知られた。

春風亭柳昇

飄々とした語り口と名文句で親しまれた新作落語の名手。古典では芽が出ず新作落語へ転じ、「カラオケ病院」「日照権」など日常を題材にした作品を発表した。軍隊体験を描く「与太郎戦記」は映画化され大ヒット。多才な人物で、著作や短歌、トロンボーン演奏でも知られた。

鳳啓助(唄子・啓助)

1956年に京唄子と漫才コンビ「唄子・啓助」を結成し、「ポテチン」などの名ギャグで人気を得た。結婚と離婚を経てもコンビ活動を続け、「唄啓劇団」を旗揚げ。俳優として映画にも出演し、脚本家としても活動した。『唄子・啓助のおもろい夫婦』での唄子との掛け合いは番組の名物となった。

京唄子(唄子・啓助)

鳳啓助との夫婦漫才で一世を風靡し、ドラマや舞台でも活躍した芸道一筋の喜劇人。京都生まれで貧しい家庭に育ちながら芸への情熱を貫き、劇団巡りの末に啓助と出会い結婚。離婚後もコンビを続け、大げんか漫才で独自の魅力を築いた。平成20年に上方演芸の殿堂入りを果たした。

東けんじ(Wけんじ)

宮城けんじと「Wけんじ」を組んだ栃木県出身の漫才師で、1960年代に一世を風靡した。ロイド眼鏡のとぼけたボケとテンポの速い語りで人気を集め、「やんなっ!」「バカだなぁ〜」などの流行ギャグを生んだ。普段は内向的で無口だが舞台では爆発的な魅力を発揮し、ヘリ移動で舞台を掛け持ちするほどの人気を誇った。

宮城けんじ(Wけんじ)

東けんじと「Wけんじ」を組んだ漫才師で、司会者・俳優としても活躍した。宮城県出身で読書家だが、大の博打好きでも知られる。座右の銘は「努力ある所に自信あり」。浅草松竹演芸場や東宝名人会の常連として実力を示し、晩年はマセキ芸能社に所属した。

夢路いとし(夢路いとし・喜味こいし)

神奈川県出身の生粋の芸人で、弟・喜味こいしと組む「いとこい」コンビで66年間活躍した上方漫才の重鎮である。『生活笑百科』などで幅広い人気を得て、俳優として朝ドラにも出演。コンビは大阪市の指定無形文化財に選ばれた。

四代目 桂米丸

「お婆さんの今輔」と呼ばれた師匠・今輔に入門し、新作落語一筋で活躍してきた落語家である。1962年には圓右、柳昇、三平らと「創作落語会」を結成し、毎月新作を披露する勉強会を行うなど、新作落語の発展に尽力した。

笑福亭松之助

兵庫県出身の上方落語家で、五代目笑福亭松鶴に入門し古典から新作まで幅広く演じた。ペンネーム「明石光司」で新作も手がけ、上方落語の普及に尽力。明石家さんまの師匠としても知られ、映画や朝ドラなど俳優としての活動も多彩だった。

三代目 桂米朝

大連生まれの上方落語家で、四代目桂米團治に入門し、米團治没後は落語に専念した。軽妙な話術と温かな人柄でテレビでも人気を博し、衰退していた上方落語を復興させた功績から「上方落語四天王」「中興の祖」と称えられる。NHK出演も多く、人間国宝として後進の育成にも尽力した。

初代 林家三平

七代目小三治の長男として生まれた東京出身の落語家で、「どうもすいません」のギャグで人気を博したテレビ界のスターである。父の死後に一度前座からやり直しつつ昇進し、1955年『新人落語会』の司会で三平ブームを巻き起こした。1958年に真打昇進。多くのギャグと明るい芸風で全国的人気を得、晩年まで落語協会理事を務めた。

藤山寛美

大阪出身の喜劇俳優で、子役から芸歴を始め、戦後は松竹新喜劇の大スターとして「あほの寛ちゃん」の愛称で圧倒的な人気を得た。244か月連続無休公演という伝説的記録を持ち、テレビでも活躍。名優・花柳章太郎に名付けられ、60歳で早逝した。

五代目 春風亭柳朝

1960年代にテレビやラジオで活躍し、談志・志ん朝・圓楽と並び「落語若手四天王」と称された実力派である。’72年には落語協会の専務理事となり、のちに常任理事として運営の中心を担った。’80年、弟子の春風亭小朝が異例の抜擢で真打昇進したことで名実ともに大御所としての地位を確立した。

三代目 桂春団治

1959年に3代目を襲名し、初代春団治を描いた映画公開の追い風を受けて大きな後押しを得た。襲名に際しては初代ゆかりの朱塗りの人力車と赤一色の装いで挨拶回りを行うなど話題性を高め、同年10月には東京寄席に出演して襲名披露を兼ね、上方落語の関東普及に早くから努めた。

五代目 桂文枝

1957年の上方落語協会結成時に幹事を務め、「上方落語五人男」の一人として活躍した落語家である。後に同メンバーのうち四人で「上方落語の四天王」と称され、上方落語の中心的存在として知られた。

ハナ肇(ハナ肇とクレイジーキャッツ)

東京都出身のコメディアン・俳優で、1957年に「ハナ肇とクレイジーキャッツ」を結成し、リーダー兼ドラマーとして『シャボン玉ホリデー』などの番組で人気を博した。「アッと驚く為五郎」のギャグもお茶の間で流行。俳優としても時代劇から喜劇、サスペンスまで幅広く活躍し、NHKドラマなどにも出演した。

三波伸介(てんぷくトリオ)

1960~’70年代に活躍したお笑いグループ「てんぷくトリオ」のメンバーで、グループでの活動を通じてコメディアンとして人気を得た。’70年、日テレ『笑点』にて前田武彦の代役として司会を務めた際にその手腕が評価され、同年12月に3代目司会者に正式就任した。落語に詳しく、大勢の落語家を相手に大喜利を巧みに取り仕切る能力で番組を支え、以降も長く視聴者に愛される司会者として活躍した。

谷 啓(ハナ肇とクレイジーキャッツ)

東京都出身の俳優・コメディアンで、大学時代からトロンボーン奏者として活動し、コミカルな演奏で人気を集めた。その後、フランキー堺や植木等と共に「ハナ肇とクレイジーキャッツ」のメンバーとして活躍し、「ガチョ~ン」のギャグで一世を風靡。映画やドラマ出演も多く、晩年はNHK『美の壺』でも好評を博した。

三代目 三遊亭圓歌

歯切れの良い語り口と自らの経験を生かした新作落語で人気を博した落語家である。三遊亭歌奴として林家三平との軽妙な掛け合いで昭和の黄金期を支えたが、昭和60年に出家し落語家と僧侶の二足の草鞋を履く異端の存在となる。高齢化社会を風刺した「中澤家の人々」などの作品で圓歌落語の集大成を示し、88年の生涯を閉じた。

植木等(ハナ肇とクレイジーキャッツ)

愛知県出身の俳優・歌手・コメディアンで、昭和を代表するエンターテイナーである。ハナ肇とクレイジーキャッツのメンバーとして『シャボン玉ホリデー』で「お呼びでない?」のギャグや「スーダラ節」で人気を博し、歌番組出演やコントで培った演技力を生かして『大往生』『甘辛しゃん』などの映画でも活躍した。

青島幸男

京都出身の放送作家・作詞家・俳優で、昭和を代表するマルチタレントである。『シャボン玉ホリデー』でハナ肇とクレイジーキャッツと共演し「スーダラ節」をヒットさせ、テレビドラマ『意地悪ばあさん』で人気を博した。エッセイなどの著作や政治活動(都知事など)でも知られ、NHKドラマ『ケンチとすみれ』など幅広く活躍した。

藤田まこと

東京都出身の俳優で、無声映画スター藤間林太郎の子として生まれ、父の一座の雑用係から芸能界に入った。1962年『てなもんや三度笠』でブレイクし人気を博した後、不遇期を経て時代劇『必殺』シリーズの中村主水役で復活。その後も『はぐれ刑事純情派』やNHK大河ドラマに出演するなど幅広く活躍した。

財津一郎

熊本県出身の俳優・コメディアン・歌手で、1964年に吉本新喜劇で頭角を現した。1966年『てなもんや三度笠』で甲高い声と独特のギャグで人気を得て以降、多彩な活動を展開。NHK大河ドラマ『秀吉』や連続テレビ小説『天花』などでも存在感を示し、89歳で生涯を閉じた。

犬塚弘(ハナ肇とクレイジーキャッツ)

東京都出身の俳優・ベーシストで、伝説的ジャズコミックバンド「ハナ肇とクレイジーキャッツ」のメンバーとして昭和から令和まで活躍した。『シャボン玉ホリデー』や喜劇映画で人気を博し、俳優としても宇野重吉の指導を受け、NHK連続テレビ小説やドラマ新銀河など多彩な作品に出演した。

坂上二郎(コント55号)

鹿児島県出身のコメディアンで、萩本欽一とのコンビ「コント55号」で国民的人気を博した。舞台を駆け回る勢いあるコントと「飛びます飛びます」のギャグで一世を風靡し、俳優や歌手としても活躍。NHKドラマ『タクシー・サンバ』『ハイカラさん』『腕におぼえあり』など多数の代表作を残した。

白木みのる

島根県出身の俳優・コメディアンで、1961年『スチャラカ社員』の事務員役で注目され、1962年『てなもんや三度笠』の珍念役で人気を博した。『素浪人 花山大吉』『TRICK2』や映画『てなもんや三度笠』シリーズ、『テルマエ・ロマエⅡ』など幅広く出演し、NHK連続テレビ小説『てるてる家族』『恋するハエ女』にも登場した。

立川談志

東京都出身の落語家で、1952年に五代目柳家小さんに入門し、27歳で五代目立川談志を襲名。古典落語の限界を感じ、落語立川流を創設して家元となった“落語界の反逆児”。破天荒な言動と毒舌で知られつつ、「落語は人間の業の肯定」という哲学を掲げ、人間の弱さや愚かさを描く理想の高座を追求した。参議院議員も務め、NHKでは演芸・教養番組に多数出演した。

毒蝮三太夫

1936年大阪府生まれで、東京都品川で育った俳優・ラジオDJである。戦後、浅草で育ち、中学生で舞台デビューし、児童劇団やNHKラジオで活動。テレビでは『笑点』『ウルトラマン』『ウルトラセブン』などに出演し、NHKドラマ『鳴門秘帖』『タクシー・サンバ』などにも登場。ラジオDJとしても中高年層から熱い支持を得た。

東八郎

浅草フランス座で活躍した俳優・コメディアン。浅草の丁稚トリオやトリオ・スカイラインでコントに出演し人気を博した後、単独でNHK『お笑いオンステージ』に出演し全国的に知られるようになった。東八郎劇団を結成して後進の育成にも力を注ぎ、『志村けんのバカ殿様』や「ヨード卵光」のCMでも広く親しまれた。

古今亭志ん朝

古典落語の第一人者で、粋で上品な江戸弁と小気味よい語り口で人気を博した。テレビドラマや舞台でも活躍したが、終生こだわったのは古典落語で、あえて昔の言葉を使い観客を古き良き時代に誘った天才落語家である。

萩本欽一(コント55号)

東京都出身のコメディアンで、1966年に坂上二郎とコント55号を結成し、“欽ちゃん”の愛称で人気を博した。コンビ解散後も自ら構成・演出・出演する「欽ちゃん」シリーズで多数のタレントを育成し、NHKでは『ひまわり』ナレーションや『欽ちゃんのアドリブで笑』などに出演した。

桜井センリ(ハナ肇とクレイジーキャッツ)

ロンドン出身のジャズピアニスト・俳優で、1960年に植木等の紹介で「ハナ肇とクレイジーキャッツ」に参加。『シャボン玉ホリデー』でのコントで人気を博し、俳優としても山田洋次監督作品やNHKドラマスペシャル『父の詫び状』、大河ドラマ『獅子の時代』などに出演した。

横山ノック(漫画トリオ)

1960年に小林龍太郎(後の上岡龍太郎)と轟盛次を誘い、革新的な「漫画トリオ」を結成した。メンバーに横山フック、横山パンチという芸名を付けさせ、ニュース漫才やしゃべくり中心のトリオ漫才で人気を獲得。立川談志と兄弟分になるなど、独自の人脈と行動力で活躍の場を広げた。

なべおさみ

東京都出身のコメディアン・俳優・タレント・ラジオパーソナリティーで、ハナ肇の付き人から下積みを経て『シャボン玉ホリデー』で人気を博した。『ルックルックこんにちは』の「女ののど自慢」司会で朝の顔となり、俳優としても活躍。NHKでは連続テレビ小説『てるてる家族』などに出演した。

お笑い・タレント > 1970年代

1970年代はテレビがお茶の間の中心となる中、舞台からテレビへ活動の場を移した芸人たちが大活躍し、独自の笑いを確立した。『8時だヨ!全員集合』のドリフターズによる身体を張ったコントは数々の流行語を生み出し、やすし・きよしなどの名人による上方漫才や、コント55号による人間味あふれる笑いがお茶の間を席巻した。さらには「オールナイトニッポン」など深夜放送からも新たな感性の笑いが芽吹き、多様なエネルギーが混ざり合いながら、後の’80年代の漫才ブームへつながる巨大な土壌が形成されていった。

─ 主なお笑いタレント (順不同) ─

1970

六代目 三遊亭圓生

大阪生まれの落語家で、義太夫から落語に転向し、20歳で真打昇進。笑いと涙を交えた人情話を得意とし、志ん生や文楽と共に昭和の落語界を牽引。満州での困難な経験を経て芸を磨き、「昭和の大名人」と称された。平成31年の大河ドラマ『いだてん』では中村七之助が演じた。

五代目 三遊亭圓楽

東京都出身の落語家で、1955年に六代目三遊亭圓生に入門。1962年に29歳で真打昇進し、五代目円楽を襲名。古典落語を得意とし、ゆったりした語り口とスケールの大きい高座で人気を博した。テレビ演芸番組の司会でも知られ、柔和な人柄と豪快な笑い声で親しまれた。長年の功績により文化庁芸術祭賞や旭日小綬章を受賞。2007年に引退し、弟子の楽太郎が六代目円楽を襲名した。

荒井注(ザ・ドリフターズ)

東京都出身のコメディアンで、大学卒業後に「ザ・ドリフターズ」に加入。演奏よりも「なんだ、バカヤロー」などのギャグで子どもたちに人気を博した。1974年に脱退後はクイズ番組の解答者や俳優として活動し、NHKの大河ドラマ『草燃える』や土曜ドラマ『松本清張シリーズ 遠い接近』などにも出演した。

いかりや長介(ザ・ドリフターズ)

東京都出身のコメディアンで、「ザ・ドリフターズ」のリーダーとして1964年から活躍。『8時だョ!全員集合』や『ドリフ大爆笑』でメンバーと息の合ったコントを披露し国民的人気を得た。晩年は渋みのある演技でドラマや映画にも出演し、『踊る大捜査線』やNHK『おんなは度胸』などで存在感を示した。

加藤茶(ザ・ドリフターズ)

東京都出身のコメディアンで、「ザ・ドリフターズ」のメンバーとしてテレビや映画に多数出演。1960年代後半から’70年代前半にかけて子どもたちに人気を博し、『8時だョ!全員集合』で一発芸を次々にヒットさせカリスマ的存在となった。愛称は「カトちゃん」「ヒデ坊」「チャー坊」で、活動縮小後も加トケンやこぶ茶バンドなどで活躍。

仲本工事(ザ・ドリフターズ)

東京都日本橋出身のコメディアン・ミュージシャンで、「ザ・ドリフターズ」のメンバー。バンドではボーカルとギターを担当し、ドリフから派生したこぶ茶バンドでも活動。1965年に高木ブーの誘いで加入し、リーダーいかりや長介の説得もあって芸能界入りした。

高木ブー(ザ・ドリフターズ)

中央大学経済学部卒業後、東京ガスの内定を蹴ってプロのミュージシャンの道を選んだ。学生時代からハワイアンバンドで活動し国内外のツアー経験も豊富。ジェリー藤尾のバンドや「ロジェ滋野とシャドーズ」を経て、仲本工事と共に「ザ・ドリフターズ」に加入し、音楽とコメディの両面で活躍した。

三波伸介(てんぷくトリオ)

1960~’70年代に活躍したお笑いグループ「てんぷくトリオ」のメンバーで、グループでの活動を通じてコメディアンとして人気を得た。’70年、日テレ『笑点』にて前田武彦の代役として司会を務めた際にその手腕が評価され、同年12月に3代目司会者に正式就任した。落語に詳しく、大勢の落語家を相手に大喜利を巧みに取り仕切る能力で番組を支え、以降も長く視聴者に愛される司会者として活躍した。

伊東四朗(てんぷくトリオ)

三波伸介・戸塚睦夫とともに「てんぷくトリオ」として活動の後、喜劇役者として人気を得た。1977年のTBSドラマ『ムー』で演技力が注目され、’83年のNHK朝ドラ『おしん』で父親役を演じて俳優としての評価を確立した。

坂上二郎(コント55号)

鹿児島県出身のコメディアンで、萩本欽一とのコンビ「コント55号」で国民的人気を博した。舞台を駆け回る勢いあるコントと「飛びます飛びます」のギャグで一世を風靡し、俳優や歌手としても活躍。NHKドラマ『タクシー・サンバ』『ハイカラさん』『腕におぼえあり』など多数の代表作を残した。

萩本欽一(コント55号)

東京都出身のコメディアンで、1966年に坂上二郎とコント55号を結成し、“欽ちゃん”の愛称で人気を博した。コンビ解散後も自ら構成・演出・出演する「欽ちゃん」シリーズで多数のタレントを育成し、NHKでは『ひまわり』ナレーションや『欽ちゃんのアドリブで笑』などに出演した。

笑福亭仁鶴

大阪府出身の落語家で、六代目笑福亭松鶴に入門し「仁鶴」の名を授かる。吉本興業所属後、ラジオや『ヤングおー!おー!』などのバラエティ番組で全国的に人気を獲得。寄席や落語会、テレビCMでも活躍し、『バラエティ生活笑百科』の相談室長や連続ドラマ出演など、多方面で活躍した。

月亭可朝

三代目林家染丸に入門後、桂米朝門下で小米朝を経て1968年に可朝を襲名。落語家として古典落語も演じつつ、’69年の「嘆きのボイン」で歌手・タレントとしても人気を博した。常識破りの行動と独特の丸メガネ・チョビ髭・カンカン帽の風貌が特徴で、『ヤングおー!おー!』や『11PM』などテレビ番組で活躍した。

坂田利夫(コメディNo.1)

1967年に前田邦弘と漫才コンビ「コメディNo.1」を結成し、『アホの坂田』の愛称で親しまれる喜劇俳優。西川きよしの勧めで漫才に転向し、松竹新喜劇でアホ役を極める。藤山寛美からの助言を胸に、「アホは優しく生きる」という信条でキャラクターを確立した。

小松政夫

福岡県出身のコメディアン。植木等の付き人を経て『シャボン玉ホリデー』でデビューし、1960年代以降、バラエティ番組で活躍。伊東四朗とのコンビ芸で’70年代のギャグ界を代表。2011年には日本喜劇人協会10代目会長に就任。NHKでも時代劇やドラマに出演した。

ザ・ドリフターズ

欽ドン!

やすし・きよし

志村けん

上岡龍太郎(漫画トリオ)

大阪出身のコメディアン・司会者。1959年に「横山パンチ」として漫画トリオでデビュー。トリオ解散後はピンでラジオ・テレビに出演し、’80年代には『鶴瓶上岡パペポTV』や『探偵!ナイトスクープ』で司会者として人気を博す。’90年代には東京進出も果たし、『上岡龍太郎にはダマされないぞ!』などで活躍。2000年に自身の公言通り芸能界を引退した。

前田五郎(コメディNo.1)

大阪市出身の喜劇俳優。1963年に吉本新喜劇に入団し、脇役として活躍。’67年に坂田利夫と漫才コンビ「コメディNo.1」を結成し、ツッコミ担当として主になんばグランド花月などの舞台で活動。また、朝日放送テレビ『あっちこっち丁稚』ではカステラ店の主人役として出演した。

桂三枝 (六代目 桂文枝)

大阪府出身の上方落語家で、桂小文枝に入門。ラジオ『歌え!ヤングタウン』で若者に支持され、テレビにも進出。『新婚さんいらっしゃい!』など多数の番組で司会を務め、2012年に6代目桂文枝を襲名。NHKでは落語番組のほか、大河ドラマ『真田丸』や連続テレビ小説『わろてんか』など俳優としても活躍。

桂歌丸

横浜出身の落語家で、子ども時代から落語に親しみ、中学卒業前に落語の世界へ入る。古典落語、特に人情ばなしの名手として知られ、演芸番組『笑点』には初回放送から50年間出演。昭和49年から始めた独演会で古典落語の復興に努め、平成16年には落語芸術協会会長に就任。晩年も酸素吸入をしながら高座に上がるなど、生涯現役を貫いた。

横山やすし(やすし・きよし)

1966年に西川きよしと「やすしきよし」を結成し、革新的な「どつき漫才」を確立した大阪出身の漫才師。舞台中央のマイクから離れて動き回るデフォルメ演技や、ボケ・ツッコミが交互に入れ替わる型破り漫才で人気を博す。稽古嫌いながらもきよしと共にネタ合わせを行い、結成1年足らずで上方漫才大賞新人賞、5年目に大賞を受賞。テレビ出演も果たし、全国的に知られる存在となった。

西川きよし(やすし・きよし)

高知県出身。1966年に横山やすしと漫才コンビ「横山やすし・西川きよし」を結成し、「やすきよ」として国民的人気を獲得。漫才だけでなくテレビ司会でも活躍し、『パンチDEデート』『プロポーズ大作戦』などで人気を博す。1986年には参議院議員に当選し国政にも進出。芸能生活50周年を迎えた現在も劇場出演やレギュラー番組で活躍し、NHKでは『マッサン』や『ごごナマ』『おいしい金曜日』などに出演。

レツゴー三匹

正児・じゅん・一修が劇団解散を機に結成した漫才トリオ。名古屋の焼き鳥店「三匹」に由来し、「レツゴー」は意図的な表記。1969年に松竹芸能へ移籍し、’70年代に漫才で数々の賞を受賞。歌謡曲「新地ワルツ」もヒットし、80年代にはテレビ出演で全国的知名度を得た。

轟二郎

静岡県三島市出身のタレント・俳優。高校卒業後に殺陣師・スタントマンとして芸能界入りし、日本テレビ系バラエティ『びっくり日本新記録』で体を張る“チャレンジボーイ”として人気を得たほか、ドラマ『翔んだカップル』や映画『セーラー服と機関銃』などにも出演。闘病の末大腸がんで65歳で死去した。

なべおさみ

東京都出身のコメディアン・俳優・タレント・放送作家。1964年『シャボン玉ホリデー』でコント出演により人気を得て、’68年には山田洋次監督作で映画主演も経験。’78年から『ルックルックこんにちは』内コーナー司会で注目され、その後もテレビ・映画・舞台で幅広く活躍したベテラン芸能人。

せんだみつお

東京都出身。子役を経て’70年代にラジオやテレビ司会で人気を博し、「ナハナハ」のギャグと軽妙なトークで親しまれたマルチタレント。『ぎんざNOW!』『うわさのチャンネル』などに出演し、俳優としても時代劇やサスペンスドラマで活躍。NHKでは大河ドラマ『おんな太閤記』『春の波涛』『春日局』『毛利元就』や連続テレビ小説『おんなは度胸』『だんだん』に出演。

ケーシー高峰

山形県出身。医師家系に生まれ一度は医学部に進むも、芸能界への憧れから芸人に転身。14年間の下積みを経て、白衣姿での「医事漫談」でブレイクし人気を博す。テレビドラマや映画にも出演し、個性派俳優としても活躍。晩年は福島県に移住し、東日本大震災被災者支援にも尽力。生涯現役を貫き、独自の話芸を追求した。

四代目 林家小染

大阪市出身。高校時代から落語に親しみ、同級生の笑福亭鶴光とともに二人だけの落語研究会を結成し一席演じるなどしていた。1972年、毎日放送の番組『ヤングおー!おー!』で結成された若手落語家ユニット「ザ・パンダ」(月亭八方、桂きん枝=4代目小文枝、桂文珍と共に)の一員となり、愛嬌ある個性を生かして数々のレギュラー番組に出演。親しみやすい語り口でお茶の間の人気を集めた。

笑福亭鶴光

大阪府出身。1967年に六代目笑福亭松鶴に入門。ラジオ「笑福亭鶴光のオールナイトニッポン」「鶴光の噂のゴールデンアワー」のパーソナリティを長年務め、独特の軽妙な語り口で人気を博した。上方落語家としては初めて落語芸術協会上方真打に昇進し、現在も東京の寄席でトリを務めるなど、上方落語を代表する存在として活躍している。

月亭八方

大阪府出身。1968年に月亭可朝に弟子入りし、落語家としての道を歩む。軽妙なトークと明るいキャラクターでテレビ番組『ヤングおー!おー!』に出演し人気を獲得。東京進出を経て上方落語家の第一人者となり、上方落語協会の顧問も務める。上方お笑い大賞をはじめ多数の受賞歴を持ち、現在もレギュラー出演で活躍。俳優としてもNHKドラマスペシャルなどに出演している。

桂文珍

兵庫県出身。五代目桂文枝に入門し落語家となる。1981年に「上方お笑い大賞」金賞、’83年には同賞大賞を受賞するなど、多数の受賞歴を持つ。古典落語から新作落語まで幅広く得意とし、絶妙なトークセンスでテレビバラエティ番組でも活躍。NHKでは『クイズ 日本人の質問』や『世界ふれあい街歩き』、正月時代劇『桜ほうさら』など俳優としても出演している。

間寛平

高知県出身。長い下積みを経て吉本新喜劇に入り、1974年に座長となって関西で圧倒的な人気を得た。’89年に東京進出し、温厚な人柄と奇抜なギャグで全国的な人気者に。のちにすべてのレギュラー番組を降板し、マラソンとヨットで世界一周に挑む「アースマラソン」で独自の道を切り開いた。俳優としてもNHK連続テレビ小説『やんちゃくれ』などで好演した。

海原千里・万里

実姉妹の漫才コンビで、1970年代に人気を博した。幼少期から素人コンクールに出演し、’71年に海原お浜・小浜に入門。姉妹コンビとしてデビューした。初期は「海原なると・わかめ」と名乗る。『スター漫才選手権』出演時にロイ・ジェームスから将来性を高く評価され、以後テレビでの活躍が増加。ドラマ・映画にも出演し、多彩な芸風で人気を確立した。

志村けん(ザ・ドリフターズ)

東京都出身。厳格な教育者の父のもとで育った反動から笑いの道を志し、高校三年でザ・ドリフターズの付き人となる。1974年、荒井注の脱退に伴い正式メンバーとなり、「東村山音頭」「ヒゲダンス」などで子どもたちのカリスマ的人気を獲得。以後も「バカ殿」「変なおじさん」など独創的なキャラクターを次々生み出し、40年以上にわたり日本のお笑い界の最前線を走り続けた。

青空球児・好児

1965年結成の漫才コンビ。’73年に第21回NHK新人漫才コンクール優勝、’79年に漫才協団真打昇進。故郷紹介ネタ「ぼくの故郷」の「ゲロゲ~ロ」や逆さ漫才、国定忠治などで知られ、センターマイクを使わない独自のスタイルを貫く。「最後のお笑い第一世代」と称され、現役最古参の漫才師。好児は東京都三鷹市出身のツッコミで、漫才協会専務理事や世田谷区議会議員も務める。

桜金造(ザ・ハンダース)

1975年に清水アキラや中本賢らとザ・ハンダースを結成し、『笑って!笑って!!60分』でブレイクした。解散後はアゴ勇とのコンビ「アゴ&キンゾー」で『お笑いスター誕生!!』第7代チャンピオンとなり、「小山ゆ〜えんちぃ〜」のギャグで人気を博した。その後俳優に転身し、伊丹十三監督『タンポポ』『マルサの女』で存在感を示し、俳優としての地位を確立。バラエティ出演や怪談の語り手としても活動した。

清水アキラ(ザ・ハンダース)

『ぎんざNOW!』出演を機に頭角を現し、コメディアン道場のチャンピオン仲間とザ・ハンダースを結成。『想い出の渚』のリメイクで日本有線放送大賞新人賞を受賞した。解散後は清水国明に師事し、『ものまね王座決定戦』でブレイク。ものまね四天王の一人として最多優勝5回を誇る。顔にセロハンテープを貼る独自の芸や、研ナオコ、谷村新司、村田英雄の物真似で高い評価を得た。

あご勇(ザ・ハンダース)

1974年『ぎんざNOW!』素人コメディアン道場で7代目チャンピオンとなり、翌年清水アキラらとザ・ハンダースを結成。『笑って!笑って!!60分』などで人気を博し、コミックソング『ハンダースの想い出の渚』はヒットを記録した。’80年にグループ離脱後、佐藤金造と漫才コンビを組み『お笑いスター誕生』で活躍するが病気療養で活動休止。その後はピン芸人として活動し近年は添乗員としても活動。

アパッチけん(ザ・ハンダース)

のちに本名の中本賢で活動するタレント・俳優。1974年、TBS『ぎんざNOW!』の「素人コメディアン道場」で注目を集め、翌’75年に清水アキラ、佐藤金造らとザ・ハンダースを結成し人気を博した。グループ解散後は俳優業へ転向し、ドラマや映画、バラエティで個性派として活躍。環境問題への関心も高く自然体験やエコロジーをテーマにした活動や発信も行う。

吉村明宏

1975年『ぎんざNOW!』の素人コメディアン道場で和田アキ子のモノマネなどで勝ち抜きデビューし、「浜っ子吉村」として活動。司会業やバラエティ出演を経て人気を獲得し、『アッコにおまかせ!』『歌のトップテン』『ものまね王座決定戦』など多数のテレビ番組で活躍した。妻は元ミス日本の飯村いづみ。

お笑い・タレント > 1980年代

1980年代初頭、フジテレビ『THE MANZAI』などをきっかけに若者を中心に爆発的な漫才ブームが到来し、日本のエンターテインメントにおいてテレビバラエティ革命が起きた。それまでの歌中心の番組から、お笑い芸人を主役とする『オレたちひょうきん族』などの番組が娯楽の主流となり、日本中のお茶の間を沸かせた。タモリ、ビートたけし、明石家さんまがお笑い第二世代のBIG3としての地位を確立し、ダウンタウン、とんねるず、ウッチャンナンチャンなど師匠を持たない若者たちが、お笑い第三世代として熱狂的な人気となった。

─ 主なお笑いタレント (順不同) ─

1980

いかりや長介(ザ・ドリフターズ)

東京都出身のコメディアンで、「ザ・ドリフターズ」のリーダーとして1964年から活躍。『8時だョ!全員集合』や『ドリフ大爆笑』でメンバーと息の合ったコントを披露し国民的人気を得た。晩年は渋みのある演技でドラマや映画にも出演し、『踊る大捜査線』やNHK『おんなは度胸』などで存在感を示した。

加藤茶(ザ・ドリフターズ)

東京都出身のコメディアンで、「ザ・ドリフターズ」のメンバーとしてテレビや映画に多数出演。1960年代後半から’70年代前半にかけて子どもたちに人気を博し、『8時だョ!全員集合』で一発芸を次々にヒットさせカリスマ的存在となった。愛称は「カトちゃん」「ヒデ坊」「チャー坊」で、活動縮小後も加トケンやこぶ茶バンドなどで活躍。

高木ブー(ザ・ドリフターズ)

中央大学経済学部卒業後、東京ガスの内定を蹴ってプロのミュージシャンの道を選んだ。学生時代からハワイアンバンドで活動し国内外のツアー経験も豊富。ジェリー藤尾のバンドや「ロジェ滋野とシャドーズ」を経て、仲本工事と共に「ザ・ドリフターズ」に加入し、音楽とコメディの両面で活躍した。

仲本工事(ザ・ドリフターズ)

東京都日本橋出身のコメディアン・ミュージシャンで、「ザ・ドリフターズ」のメンバー。バンドではボーカルとギターを担当し、ドリフから派生したこぶ茶バンドでも活動。1965年に高木ブーの誘いで加入し、リーダーいかりや長介の説得もあって芸能界入りした。

志村けん(ザ・ドリフターズ)

東京都出身。厳格な教育者の父のもとで育った反動から笑いの道を志し、高校三年でザ・ドリフターズの付き人となる。1974年、荒井注の脱退に伴い正式メンバーとなり、「東村山音頭」「ヒゲダンス」などで子どもたちのカリスマ的人気を獲得。以後も「バカ殿」「変なおじさん」など独創的なキャラクターを次々生み出し、40年以上にわたり日本のお笑い界の最前線を走り続けた。

萩本欽一(コント55号)

東京都出身のコメディアンで、1966年に坂上二郎とコント55号を結成し、“欽ちゃん”の愛称で人気を博した。コンビ解散後も自ら構成・演出・出演する「欽ちゃん」シリーズで多数のタレントを育成し、NHKでは『ひまわり』ナレーションや『欽ちゃんのアドリブで笑』などに出演した。

坂上二郎(コント55号)

鹿児島県出身のコメディアンで、萩本欽一とのコンビ「コント55号」で国民的人気を博した。舞台を駆け回る勢いあるコントと「飛びます飛びます」のギャグで一世を風靡し、俳優や歌手としても活躍。NHKドラマ『タクシー・サンバ』『ハイカラさん』『腕におぼえあり』など多数の代表作を残した。

坂田利夫(コメディNo.1)

1967年に前田邦弘と漫才コンビ「コメディNo.1」を結成し、『アホの坂田』の愛称で親しまれる喜劇俳優。西川きよしの勧めで漫才に転向し、松竹新喜劇でアホ役を極める。藤山寛美からの助言を胸に、「アホは優しく生きる」という信条でキャラクターを確立した。

上岡龍太郎(漫画トリオ)

1959年に「横山パンチ」として漫画トリオでデビューし、軽妙な話術で頭角を現した。トリオ解消後はピンに転じ、’70年代からラジオ・テレビで活躍。’80年代には『鶴瓶上岡パペポTV』や『探偵!ナイトスクープ』の司会で人気を確立した。全国進出の意志は当初なかったが、パペポでのトークが評価され’90年代に東京にも進出し、『上岡龍太郎にはダマされないぞ!』などで存在感を示した。

タモリ

福岡県出身。山下洋輔や赤塚不二夫との縁から芸能界入りし、独特の笑いと博識、多才さで唯一無二の存在となった。『笑っていいとも!』『今夜は最高!』をはじめ多数の番組で長く司会を務め、NHKでも科学・歴史番組など幅広く活躍。2008年開始の『ブラタモリ』でも知的好奇心あふれる語り口で人気を集めている。

ビートたけし(ツービート)

東京都出身。’80年代の漫才ブームをツービートとして牽引し、『オレたちひょうきん族』などでお笑い界に革新をもたらした。さらに映画監督として『その男、凶暴につき』『キッズ・リターン』『HANA-BI』を発表し国際的評価を獲得。俳優としても大河ドラマなど多彩な作品に出演し、芸人・映画作家・俳優の三領域で独自の地位を確立した。

高田純次

東京都出身。自由劇場や東京乾電池で舞台経験を積み、『笑点』でテレビデビュー後、俳優・タレントとして活躍。飄々としたキャラクターと“テキトー男”の芸風で人気を博し、『笑っていいとも!』『元気が出るテレビ!!』『じゅん散歩』など多くのバラエティに出演。ドラマやNHK番組にも幅広く登場し、独自の軽妙さで長く親しまれている。

明石家さんま

和歌山県出身。もとは落語家を志し、二代目笑福亭松之助に弟子入りしたが、師の助言でタレントに転向。その後、「ヤングおー!おー! 」「オレたちひょうきん族」「笑っていいとも!」「さんまのSUPERからくりTV」を始めとする様々なテレビ番組で日本を代表するお笑い芸人として不動の人気を確立。軽快なトークと即興力に優れ、バラエティ番組でお笑い怪獣としての絶大な存在感を示す一方、「男女7人夏物語」などドラマや映画でも演技力を発揮し、俳優としても高く評価されている。

佐藤B作

福島県出身の俳優。早稲田大学商学部に進学後中退し、薄田研二主宰の演技研究所を経て演劇の道に入る。方言の壁から役者として苦戦しつつ自由劇場で裏方経験を積み、1973年に劇団東京ヴォードヴィルショーを結成、座長を務める。映画・ドラマ出演も多い俳優でありながら’82年開始のバラエティ番組、萩本欽一司会の「週刊欽曜日」にレギュラー出演し、個性的なコントで全国的な人気を獲得した。2014年~「ナイナイのお見合い大作戦!」のお見合い世話役まで活動は幅広い。

ヨネスケ

『笑点』の座布団運びでテレビに登場し、歌丸の推薦で出演が実現した落語家。後年も真打昇進披露や代役出演など番組との縁が続き、51年ぶりに大喜利に登場したことでも話題となった。また、『ルックルックこんにちは』の名物コーナー「突撃!隣の晩ごはん」で全国の家庭に突然訪問する姿でお茶の間に広く知られ、「日本一の不法侵入者」を自称するほどのキャラクターで人気を確立した。

きたろう(シティボーイズ)

コントグループ「シティボーイズ」のメンバーで、大学時代に劇団「俳優小劇場」に入団。1971年の劇団解散後は同期の大竹まこと、斉木しげる、風間杜夫と共に「表現劇場」を結成した。芸名は『ゲゲゲの鬼太郎』の主人公に似ていたことに由来し、水木しげる公認で使用。後に同作の主題歌もカバーするなど、多才な活動を展開している。

大竹まこと(シティボーイズ)

東京都出身で、1979年に斉木しげる、きたろうと共にコントグループ「シティボーイズ」を結成。『お笑いスター誕生‼』でグランプリを獲得し人気を博す。ソロでも毒舌キャラと洒脱な人柄で支持を集め、『大竹まこと ゴールデンラジオ!』など長寿番組を担当。俳優としても活躍し、NHKの土曜ドラマ『流通戦争』などに出演。『チコちゃんに叱られる!』では好敵手としても知られる。

斉木しげる(シティボーイズ)

静岡県出身で、コントグループ「シティボーイズ」のメンバー。1971年、仲間と共に劇団「表現劇場」を結成。映画『遥かなる甲子園』『3月のライオン』、ドラマ『奇妙な出来事』『101回目のプロポーズ』『オー・マイ・ジャンプ!』などで活躍。NHKでは大河ドラマ『元禄繚乱』『篤姫』『龍馬伝』や連続テレビ小説『エール』などに出演している。

間寛平

高知県出身で、長い下積みを経て吉本新喜劇に入団。1974年に座長に任命され、関西で絶大な人気を得る。’89年に東京進出し、温厚な人柄と奇想天外なギャグで幅広い人気を獲得。その後、レギュラー番組を降板し、マラソンやヨットで世界一周する「アースマラソン」に挑戦するなど、独自の活動を展開。俳優としてもNHK連続テレビ小説『やんちゃくれ』などに出演している。

ビートきよし(ツービート)

漫才コンビ「ツービート」のツッコミ役として活動。たけしの毒舌に「よしなさい!」と返す独特のツッコミは流行語になる。1980年代のMANZAIブーム期には『笑ってる場合ですよ!』『オレたちひょうきん族』などの人気番組で活躍し、うなずきトリオとしてレコードもリリースするなど、幅広くお笑い界で活躍している。

島田洋七(B&B)

大阪出身で、1971年に島田洋之介のもとに弟子入りし、漫才師として活動を開始。’72年には桂三枝の紹介で団順一とB&Bを結成し、’80年代の漫才ブームで人気を博す。月収1億円を得る時期もあったが、その後人気は変動。現在はベストセラー作家としても知られ、ビートたけしの親友としても名を馳せる。

島田洋八(B&B)

岡山県出身で、漫才コンビB&Bのツッコミ担当。1970年代後半に島田洋七と新生B&Bを結成し、’80年代の漫才ブームで人気を博す。ボケ担当の洋七のマシンガントークに対応しつつ、時にいじられ役にも回る。’81年からは『オレたちひょうきん族』でビートきよしや松本竜助と「うなずきトリオ」を組み、大衆に親しまれた。

三宅裕司

東京都出身で、コメディアン、俳優、タレントとして幅広く活躍。1979年に小倉久寛らと劇団スーパー・エキセントリック・シアターを旗揚げし座長を務め、若者を中心に支持を集める。テレビでも『愉快にオンステージ』など番組ホストとして活躍し、俳優としては連続テレビ小説『ひまわり』やドラマ『どんまい!』で名わき役として存在感を示す。

オレたちひょうきん族

明石家さんま

やっぱり猫が好き

笑っていいとも!

モト冬樹(ビジーフォー)

東京都出身で、音楽活動を高校時代から開始。1978年にコミックバンド「ビジーフォー」を結成して人気を得る。ギタリスト・歌手として活動するほか、タレントとしてバラエティ番組にも多数出演。俳優としてはドラマ『M 愛すべき人がいて』『にじいろカルテ』やNHK連続テレビ小説『こころ』『梅ちゃん先生』などに出演している。

西川のりお(のりお・よしお)

奈良県生まれ、大阪市育ち。高校卒業後に漫才師・西川きよしに入門し、上方よしおとコンビ「のりお・よしお」を結成、1975年にデビュー。『オレたちひょうきん族』などで活躍し、「ツクツクボーシ!」「ホーホケキョ!」などのギャグで人気を博す。’82年に上方お笑い大賞、’84年に日本放送演芸大賞敢闘賞を受賞。

オール巨人(オール阪神・巨人)

漫才コンビ「オール阪神・巨人」のボケ担当。相方はオール阪神。酒豪で嫌煙家であり、若いころは酒が飲めなかったが弟子入り先で鍛えられ克服。一時期禁酒も経験。若手時代には横山やすしの横暴を一喝して鎮め、その結果やすしから尊敬を受けるエピソードでも知られる。

笑福亭鶴瓶

大阪府出身の落語家、司会者、俳優。近畿放送『丸物ワイワイカーニバル』で頭角を現し、関西・中京圏を中心に活躍。『ぬかるみの世界』『突然ガバチョ!』で人気を高め司会者としても注目される。東京進出では苦戦を重ねたが1987年に『笑っていいとも!』のレギュラーに起用され全国的な知名度を獲得。以後は落語家にとどまらず俳優・司会者としても活躍し、’90年代以降のテレビ界を代表する存在となった。

グッチ裕三(ビジーフォー)

東京都出身のシンガー・タレント。1978年にビジーフォーを結成し、笑いを交えた音楽センスで独自のスタイルを確立。ものまねブームの立役者の一人でもあり、テレビでも幅広く活躍。『THE夜もヒッパレ』で13年間レギュラー出演し、NHKの子ども向け番組や『きよしとこの夜』でも長く出演している。

ウガンダ・トラ(ビジーフォー)

元ビジーフォーのメンバーで、本名はトラ佐藤。1977年に『いそがしバンド』でドラムとボーカルを担当し、後にビジーフォーに改名。童謡コーナーや『オレたちひょうきん族』などで軽快なダンスやユーモアを披露。’83年にバンドを脱退後、ピン芸人としてテレビ番組に出演するなど幅広く活躍した。

ハイヒール

1982年結成の女性お笑いコンビで吉本興業所属。NSC大阪校1期生として活動を開始し、’83年になんば花月で初舞台を踏んだ。メンバーは大阪府出身のモモコとリンゴ。デビュー時のキャッチは「女子大生と元スケバン」で漫才のネタとしても用いられた。全盛期はモモコのヤンキーネタや世相風刺を中心に人気を博す。リンゴは経済分野にも通じ、2015年に大阪学院大学大学院から名誉博士号を授与された。関西を拠点に長く活躍し、2022年に結成40周年を迎えた。

竹中直人

横浜出身の俳優・映画監督・声優・コメディアン・歌手・タレント。1983年にテレビでコメディアンとしてデビューし、その後映画やドラマで活躍。監督作『無能の人』で国際的評価を受けるほか、『シコふんじゃった。』『Shall we ダンス?』などで日本アカデミー賞最優秀助演男優賞を受賞し演技派としても高く評価される。声優や歌手活動、客員教授として教育活動も行い、多彩な才能を発揮している。

コロッケ

日本テレビ『お笑いスター誕生!!』で女装姿による形態模写を披露し注目を集め、6週勝ち抜きで銀賞を獲得。ちあきなおみ、松田聖子、美川憲一らのものまねで人気を確立し、1985年『ものまね王座決定戦』出演を機に大ブレイク。「ものまね四天王」の一人として一時代を築くが、番組方針との軋轢からフジテレビを離れる。志村けんの番組出演を転機に再評価され、舞台やテレビで幅広く活躍を続ける。

出川哲朗

日本映画大学卒業後、内村光良らと劇団SHA・LA・LAを結成し座長を務めた。1980年代後半から映画『男はつらいよ』シリーズなどに端役出演し「エキストラの帝王」と呼ばれる。’90年代以降、『ウッチャン・ナンチャン with SHA.LA.LA.』や『ビートたけしのお笑いウルトラクイズ』で体を張ったロケと大きなリアクションが注目され、汚れ役・イジられキャラとして独自の地位を確立。近年は司会や俳優としても幅広く活躍している。

稲川淳二

俳優・工業デザイナー。桑沢デザイン研究所卒。舞台俳優を経て、1980年代に貧乏・不健康キャラでバラエティに進出し、『ひょうきん族』『スーパージョッキー』などで体当たりのリアクション芸人として活躍。深夜ラジオで語った怪談が評判となり、以後は怪談の語り手としても確固たる地位を築く。’86年以降の怪談音源や、毎年開催される「怪談ナイト」は長寿人気を誇り、怪談の現代的エンターテインメント化に大きく貢献した。

九十九一

日本のお笑い芸人、俳優、脚本家、演出家。ピン芸人として漫談やひとりコントで活動を始め、1979年上京。’81年に『お笑いスター誕生!!』でグランプリを獲得しブレイク。その後、俳優として喜劇中心に活動するほか、放送作家としても番組制作に携わるなど幅広く活躍している。

上方よしお(のりお・よしお)

お笑いコンビ『のりお・よしお』のツッコミ担当。吉本興業大阪本部所属で、上方柳次・柳太の弟子。かりあげとオールバック風の髪型が特徴。1970年代に『B&B』の2代目メンバーとして島田洋七とコンビを組むも方向性の違いで解消。’75年に西川のりおと『西川のりお・上方よしお』を結成し、’80年代前半の漫才ブームで人気を博した。

ザ・ぼんち

おさむとまさとによるお笑いコンビ。1972年結成、’73年になんば花月で初舞台を踏む。大阪・興國高校の同級生で、タイヘイトリオに師事した。’70年代後半に頭角を現し、’80年の『THE MANZAI』などを契機に漫才ブームの中心的存在として全国的人気を獲得。’81年には「恋のぼんちシート」が約80万枚の大ヒットとなり、日本武道館公演を成功させた初の漫才師となる。活動休止を経て2000年代に再始動した。

Mr.オクレ

吉本新喜劇の座員で、ピン芸人としても活動する。元ザ・パンチャーズのベーシストで、1970年代から芸能活動を開始。「オレたちひょうきん族」の「何人トリオ」で全国的にブレイクした。独特のキャラクターと親しみやすい芸風で知られる。

関根勤

東京都出身。1974年、TBS『ぎんざNOW!』の「しろうとコメディアン道場」で5週連続勝ち抜き初代チャンピオンとなり、浅井企画の浅井良二に見出され芸能界デビュー。お笑いタレントとして人気を博すとともに、俳優、歌手、司会者としても幅広く活動。舞台や映画、ドラマに幅広く出演し、NHKの連続テレビ小説『なつぞら』や教育番組『ピタゴラスイッチ』などでも活躍する。

清水アキラ(ザ・ハンダース)

東京都出身。『ぎんざNOW!』の「コメディアン道場」で5週連続チャンピオンとなり、ザ・ハンダースを結成して音楽活動でもヒットを生む。ハンダース解散後、清水国明に弟子入りし、あのねのね事務所所属で『ものまね王座決定戦』などで活躍。ものまね四天王の一人として最多優勝5回を誇り、「セロテープ芸」をはじめ研ナオコや谷村新司など多彩なレパートリーで知られる。

片岡鶴太郎

東京都出身。1980年代にお笑いタレントとして人気を集め、俳優としても活躍。その後プロボクシングライセンスを取得し、墨彩画や書などのアートでも才能を発揮する。NHKの連続テレビ小説や大河ドラマに多数出演し、『梅ちゃん先生』『とと姉ちゃん』『篤姫』『軍師官兵衛』などで印象的な役を演じている。

所ジョージ

埼玉県出身。1977年にシンガーソングライターとしてデビューし、演奏とトークを組み合わせた独自のスタイルでタレント・コメディアンとして人気を博す。長年『1億人の大質問⁉笑ってコラえて!』などで司会を務め、MCとして高い評価を得ている。俳優としてもNHKの大河ドラマ『峠の群像』や連続テレビ小説『青春家族』に出演し、『所さん!大変ですよ』などで司会も担当。

島崎俊郎(ヒップアップ)

京都出身。1973年にクレージーキャッツの付き人となり、’78年にコントグループ「サンズンズ」、’79年にトリオ「ヒップアップ」を結成。’80年『笑ってる場合ですよ』で人気を得て、翌年には『オレたちひょうきん族』レギュラー出演。’85年に「マネー島崎」として登場し、後の人気キャラクター「アダモちゃん」の基盤を作った。

上沼恵美子(海原千里・万里)

兵庫県出身。姉妹漫才「海原千里・万里」の海原千里としてデビューし、歌唱力を生かして「大阪ラプソディー」などのヒット曲を発表。結婚後は家庭に専念したが、タレントとして復帰し、切れ味のあるトークでNHK『バラエティー生活笑百科』などに出演。その後も多数の看板番組を持ち、『紅白歌合戦』紅組司会を2年連続で務め、日本を代表する司会者として活躍。

村上ショージ

1977年に吉本入りを志願し、大阪で滝あきらに弟子入り。初舞台ではドジョウを丸ごと飲む過激な芸で注目される。『オレたちひょうきん族』では何人トリオとしてレギュラー出演し、「ドゥーン」「何を言う・早見優」などのギャグで人気を博す。近年は明石家さんまの相方的存在として多数の番組で共演し、ギャグ芸と独特のツッコミで長年活躍する。

ラサール石井(コント赤信号)

早稲田大学ミュージカル研究会出身で、劇団テアトル・エコーを経て、一期下の渡辺正行・小宮孝泰らとコント赤信号を結成。渋谷の道頓堀劇場でコメディアンとして活動し、暴走族コントや『オレたちひょうきん族』などのテレビ出演で人気を獲得。舞台・テレビ・コントのほか、放送作家としても活躍し、俳優・演出家としても幅広い活動を展開している。

小堺一機

千葉県出身。1977年『ぎんざNOW!』の素人コメディアン道場でチャンピオンとなり芸能界入り。お笑いタレント、司会者、俳優として幅広く活躍し、『ライオンのごきげんよう』などのバラエティや映画・ドラマ・舞台に出演。NHKの大河ドラマ『八重の桜』や『初恋芸人』などでも存在感を示すなど、多才なキャリアを持つ。

渡辺正行(コント赤信号)

大学在学中の1977年に劇団テアトル・エコー養成所に入所し、ラサール石井や小宮孝泰と共にコントグループ「コント赤信号」を結成。リーダーとして活躍し、’80年『花王名人劇場』でテレビデビュー。暴走族コントで人気を博し、明石家さんまや島田紳助らから「ナベ」と呼ばれる。’88〜’96年には『クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!』でサブ司会者を務め、場を盛り上げる司会ぶりで「芸能界のスーパーサブ」と称される。

大平サブロー(太平サブロー・シロー)

高校卒業後に役者を経験したのち、1976年に大平シローと共に松竹芸能所属の漫才コンビ「太平サブロー・シロー」としてデビュー。厳しい相方との関係で一時解散や失踪も経験するが、後にコンビを復活。吉本興業へ移籍し、’80年代の漫才ブームに乗って人気漫才コンビとして地位を確立した。

大平シロー(太平サブロー・シロー)

子役としてアカデミー児童劇団に所属し、映画や在阪局のドラマに多数出演。中学の同級生であるオール阪神と知り合い、松竹芸能の養成所を経て、1976年に大平サブローと漫才コンビ「太平サブロー・シロー」としてデビュー。’80年代の漫才ブームに乗り人気を確立し、’88年には吉本から独立して東京での活動を開始した。

小宮孝泰(コント赤信号)

1979年に渡辺正行やラサール石井とともにコントトリオ「コント赤信号」を結成。声優としても『宇宙戦艦ヤマト』シリーズや『こちら葛飾区亀有公園前派出所』などに出演。’91年には「MCコミヤ」として音楽活動も行った。’84年の「赤信号劇団」旗揚げ以降は俳優活動に力を入れ、舞台や独り舞台、プロデュース、英語劇に取り組み、その後ITI国際演劇協会の会員にも就任している。

島田紳助(紳助・竜介)

1977年に松本竜介と漫才コンビ「紳助・竜介」を結成。徹底的に過去の漫才を研究し、若者向けの「ツッパリ漫才」を考案して’80年代の漫才ブームで全国的な人気を獲得した。’85年のコンビ解散後は、総合司会やプロデューサーとして数多くの番組で活躍。吉本興業所属として’74年から2011年の芸能界引退まで活動したが、暴力団関係者との交際発覚により2011年に引退した。

松本竜助(紳助・竜介)

1977年に島田紳助と漫才コンビ「紳助・竜介」を結成。西川のりお命名の芸名で、紳助が信頼できる相方として迎えられた。漫才ブームで吉本興業の看板芸人として人気を博すが、’85年にコンビ解散。以降、「竜助・モンタ」を結成するも短期間で解散し、吉本興業を退所した。

ガダルカナル・タカ(たけし軍団)

ビートたけし率いるたけし軍団の一員で、日本テレビ系『お笑いスター誕生』などで活躍。軍団入り後はタップダンスを習得し、映画やテレビで披露。1986年のフライデー襲撃事件で逮捕されるも復帰。以降、たけし軍団の大番頭的存在として出演しつつ、ローカル番組や在阪準キー局でのMCなどで幅広く活動。話術が巧みで「スーパーサブ」としても評価される。

ジミー大西

高校在学中から吉本にアルバイトとして入り、その後、正式に吉本の芸人として入社し、ぼんちおさむに弟子入りした。明石家さんまに才能を見出され付き人として面倒を見られながら、一発ギャグや天然ボケ芸を習得。「ジミーちゃんやってる?」「やってるやってる!」などの返しギャグで人気を博し、全国的に知られる天然ボケ芸人となった。ユーモアあふれる人柄が特徴。

そのまんま東(たけし軍団)

専修大学卒業後、1980年に『笑ってる場合ですよ!』のオーディションでデビューし、同番組でビートたけしの弟子第1号となった。デビュー当初は東英夫名義で活動したが、’82年前後から「そのまんま東」として活動。相方とのコンビ解散後、短期間の「ツーツーレロレロ」を経て、’83年にたけし軍団に加入。以来、軍団やピン芸人・タレントとして活躍した後、宮崎県知事として政治家に転身した。

栗田貫一

1983年に素人として『発表!日本ものまね大賞』で優勝し、郷ひろみや桑田佳祐などのモノマネで注目を集めた。’84年にプロ入りし、六本木のショーパブで活動。’87年には「オールスターものまね王座決定戦」で初優勝し、清水アキラ、コロッケ、ビジーフォーと並ぶ「ものまね四天王」と称される。’95年からは『ルパン三世』の声優も務める。

つまみ枝豆(たけし軍団)

ビートたけし率いるたけし軍団の一員で、地元の幼なじみガダルカナル・タカと共にコンビ「カージナルス」を結成。芸名は宴席での2択から決まり、軍団加入後はたけしの付き人・運転手を務めた。フライデー襲撃事件では不参加だったが、留守部隊として活動。たけしの指導でタップダンスを習得し、『座頭市』やテレビ番組で披露するなど、多方面で活躍している。

久本雅美

大阪出身。短大卒業後、劇団東京ヴォードヴィルショーの公演に感銘を受け上京し入団。その後、柴田理恵らとともにWAHAHA本舗を旗揚げし、過激な下ネタや型破りなスケッチで女性お笑い芸人として頭角を現す。’85年に『今夜は最高!』出演を機にテレビ進出し、トーク力を生かして人気に。’93~2010年まで『笑っていいとも!』に17年半出演し、タモリの片腕として存在感を示した。

グレート義太夫(たけし軍団)

もともとビートたけしのラジオリスナーで弟子入り志願し、特技のドラムを活かしてバックバンド『シークレット・ポリス』に参加。たけし軍団に正式加入し、『オレたちひょうきん族』など黄金期バラエティにも出演した。風貌から「グレート義太夫」と命名され、フライデー襲撃事件にも参加。近年は蜷川幸雄作品などで道化役を務め、コメディ・リリーフとして重宝される。

ダンカン(たけし軍団)

埼玉県出身で、元は立川流の落語家「立川談かん」として活動していた。ビートたけし率いるたけし軍団に加入後は、お笑いタレント、俳優、放送作家、映画監督として幅広く活躍。阪神タイガースの熱狂的ファンでもあり、スポーツ新聞への寄稿も行う。俳優としては北野武作品のみならずテレビドラマやNHK作品でも存在感を示している。

大森うたえもん(たけし軍団)

法政大学卒業後、教員試験不合格をきっかけにお笑い芸人を志す。テレビ局でADを務めつつ前説や拍手の練習を行い、のちにそのまんま東に見出され、コンビ「ツーツーレロレロ」に加入。たけし軍団の2番弟子となり、パロディや替え歌を中心とした芸風で「軍団の良心」と呼ばれ、野球やバラエティでも活躍。役者を志し独立する際にたけし軍団とオフィス北野を離れた。

井手らっきょ(たけし軍団)

スキンヘッドと裸芸がトレードマークのたけし軍団団員。学生時代に西城秀樹や水谷豊のものまねで注目され、久留米大学中退後に太田プロでデビュー。『笑っていいとも!』初期レギュラーも務め、映画や舞台でも俳優として活躍。たけし軍団入り後は裸芸を主体としたネタで人気を得た。

清水ミチコ

岐阜県出身のものまねタレントで、ピアノ弾き語りによる芸能人の緻密なパロディで高く評価される。1987年に新人発掘番組で注目を集め、『笑っていいとも!』出演を機に全国的な人気を獲得。ナレーター、俳優、ラジオパーソナリティーとしても活動し、三谷幸喜作品での出演など演技力にも定評がある。NHKでのナレーションやドラマへの出演など、多方面でその多才ぶりを発揮している。

コロッケ

1985年の『ものまね王座決定戦』で人気を獲得し、「ものまね四天王」の一人として活躍。その後、美川憲一のものまねで大ブレイクし、本人の再ブレイクにも貢献。「恩人」と感謝されるほどの関係を築き、共演も多い。豊富なレパートリーと強烈なデフォルメ表現で、日本を代表するものまね芸人として知られている。

山田邦子

東京都出身で1980年代の漫才ブームを背景に女性タレントとして芸能界に独自の地位を築いた。『ひょうきん族』『スーパーJOCKEY』『元気が出るテレビ』など人気番組で活躍し、『やまだかつてないテレビ』をはじめ自身がMCを務める番組も多数手がけた。俳優として朝ドラ『ノンちゃんの夢』にも出演し、乳がん公表後はチャリティー活動にも力を注いでいる。

石橋貴明(とんねるず)

高校時代に同級生の木梨憲武とコンビを組み、1980年「貴明&憲武(後のとんねるず)」を結成。素人参加番組『お笑いスター誕生』などで腕を磨き、’82年に同番組で10週勝ち抜きグランプリを獲得してプロデビュー。数年の下積みを経て’85年頃から人気を得る。尊敬する美空ひばりの「売れた年から芸歴を数える」という教えを守り、自身の芸歴は’85年を起点としている。

もたいまさこ

1978年に渡辺えり子らと劇団2○○を結成し、その特異なキャラクターと演技で注目を集める。’86年の退団後、金鳥「ゴン」のCMで放った「亭主元気で留守がいい」が話題となり流行語大賞銅賞を受賞して全国的に知られる存在となった。’88年には『やっぱり猫が好き』で室井滋・小林聡美と三姉妹役を演じ、飄々とした演技と独特の間で人気を確立。以後も小林聡美との共演が続き、多方面で活躍した。

柴田理恵

大学卒業後に劇団東京ヴォードヴィルショーへ入団し、1984年に久本雅美らとWAHAHA本舗を旗揚げ。看板女優として舞台に立ち続け、濃いキャラクターと確かな演技で評価を得た。『今夜は最高!』出演を機にバラエティへも進出し、幅広い層に親しまれるタレント性を示す。映画やドラマにも出演し、後年はハリウッド作品『ワイルド・スピードX3』で高校教師役を演じるなど活動の幅を拡大した。地方自治体の大使や副市長など公的分野でも活躍している。

室井滋

大学在学中の1981年、『風の歌を聴け』で映画デビューし、その後も村上春樹原作作品や自主映画で独自の存在感を示した。’88年には小林聡美・もたいまさこと共演した『やっぱり猫が好き』がヒットし、飾らない演技と独特のユーモアで一躍人気者となった。’80年代後半には映画・テレビ・音楽と活動領域を広げ、自由闊達なキャラクターと高い演技力で注目される存在となった。

木梨憲武(とんねるず)

高校時代に『TVジョッキー』の「ザ・チャレンジ」で多彩なものまねを披露し、5代目チャンピオンとなった。石橋貴明とは同番組での共演がきっかけでコンビを組み、1980年に「貴明&憲武」として活動開始、のちに「とんねるず」と改名する。『お笑いスター誕生!!』で10週勝ち抜きグランプリを獲得しプロデビュー後、『オールナイトフジ』出演から注目を集め、『夕やけニャンニャン』で一気にブレイク。歯に衣着せぬ言動と軽妙なキャラクターで人気を確立した。

野沢直子

高校卒業後に劇団の養成所を経て吉本興業入りし、1983年にデビュー。’85年『お昼だドン!』でテレビに登場し、突飛な話術やコミカルで奇抜なキャラクターが注目を集めた。『夢で逢えたら』『笑っていいとも!』『クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!』などの人気番組で活躍し、’88年にはパンク風コミックソング「おーわだばく」を収録したアルバム『はなぢ』を発表して話題に。後年は「女芸人のフォーマットを作った」とも評される存在となった。

松尾伴内(たけし軍団)

ビートたけしに憧れて出待ちを続け、1982年に念願の弟子入りを果たしたたけし軍団のメンバー。内弟子時代に芸名を現在のものに改め、「刑事ヨロシク」で俳優デビュー。たけしの元を離れた外部修行で明石家さんまの付き人を務め、小堺一機の舞台にも長年出演するなど幅広く活動。近年はさんまや小堺との仕事が多いが、騒動時にも軍団に残るなど義理堅い性格で、「まだ若手ですから」という台詞が持ちネタとなっている。

松尾貴史 (旧 キッチュ)

兵庫県出身で、大阪芸術大学デザイン学科を卒業した多才な俳優・タレント。ナレーター、コラムニスト、折り紙作家としても活動し、舞台やドラマで幅広い役柄をこなす。『マイ・フェア・レディ』などの舞台、ドラマ『獣になれない私たち』『インハンド』など出演作も多彩で、著書『違和感のススメ』では独自の視点を発信している。

ラッシャー板前(たけし軍団)

憧れのビートたけしに弟子入りするため何度も自宅を訪ね、長時間の張り込みの末に志願を果たした行動派の芸人。たけし軍団入り当初は力道川の名で活動し、のちにプロレスラー・ラッシャー木村にちなむ現在の芸名を名乗る。板前修行の経験があったことから料理も任され、芸人としての修行と並行して研鑽を積む。付き人時代は明石家さんまのサポートも務め、たけし軍団の中でも根気と行動力で存在感を示した。

松本人志(ダウンタウン)

小・中学校の同級生である浜田雅功とコンビを組み、1982年にNSC大阪校1期生として入学。’83年に「ダウンタウン」を正式結成し、関西での活動を経て’88年に『夢で逢えたら』で東京進出を果たした。島田紳助を強く敬愛し、紳助・竜介の漫才から大きな影響を受けたと語る。2024年から文藝春秋側との裁判に専念するため活動を休止していたが、2025年11月、配信サービス「DOWNTOWN+」の生配信で約1年10か月ぶりに芸能活動を再開した。

浜田雅功(ダウンタウン)

小・中学校時代に親しかった松本人志とともに吉本総合芸能学院(NSC)大阪校1期生として入学。松本とコンビを組み、当初の名前を経て「ダウンタウン」として活動。1987年の『4時ですよーだ』で関西で人気を獲得し、’88年の『夢で逢えたら』で東京進出。『ガキの使いやあらへんで!!』『ごっつええ感じ』『HEY!HEY!HEY! MUSIC CHAMP』などで全国的に知られる人気タレントとなった。

内村光良(ウッチャンナンチャン)

熊本県出身で、南原清隆とお笑いコンビ「ウッチャンナンチャン」を結成。『お笑いスター誕生‼』を経てショートコントの第一人者として活躍し、1988年の『夢で逢えたら』で人気が爆発。『ウッチャンナンチャンのやるならやらねば‼』など多数の看板番組を持ち、ソロでも『LIFE!~人生に捧げるコント』などで活躍。コントで培った演技力を生かし、俳優や『NHK紅白歌合戦』の司会としても高く評価されている。

山田邦子

1979年に川村短期大学へ進学し、早稲田大学寄席演芸研究会で学生漫才師として活動した。落語家を志し「可愛家マッハ」を名乗るが、漫談で才能を開花させ素人参加番組の常連として注目を集める。『笑ってる場合ですよ!』のオーディションを機に頭角を現し、’81年にバスガイドネタのレコード『邦子のかわい子ぶりっ子』でデビュー。「ぶりっ子」の流行語化とともに、お笑いブームの中で若手有望株として脚光を浴びた。

南原清隆(ウッチャンナンチャン)

香川県出身で、1985年に内村光良とお笑いコンビ「ウッチャンナンチャン」を結成。バラエティ番組出演のほか、スポーツキャスター、俳優、記者としても活躍。’92年の映画『七人のおたく』で日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞。2011年からは日本テレビ『ヒルナンデス!』の総合司会を務め、映画やNHK大河ドラマ『義経』などにも出演している。

伊集院光

東京都出身で、落語家として六代目三遊亭円楽に弟子入りし三遊亭楽大を名乗る。1988年より「伊集院光」としてラジオ出演を開始。トーク力と雑学に長け、タレント・ラジオパーソナリティーとして幅広く活躍。主な出演はラジオ『伊集院光のオールナイトニッポン』『伊集院光 深夜の馬鹿力』、テレビ『クイズプレゼンバラエティーQさま!!』『雑学王』、NHK番組『100分de名著』『有吉のお金発見 突撃!カネオくん』など。

イッセー尾形

一人芝居を核に独自の笑いを追求してきた俳優・コメディアン。1981年『お笑いスター誕生!!』で金賞を獲得し注目され、『意地悪ばあさん』の早野巡査役で人気を確立。爆笑型が主流の中で地味ながらも繊細な人物観察を活かした芸風が支持された。海外巡業も行い、「アトムおじさん」など一人芝居の代表作を持つほか、映画・ドラマ・CM・司会・執筆・絵画まで活動は多岐にわたる。

肥後克広(ダチョウ倶楽部)

太田プロ所属のお笑いトリオ・ダチョウ倶楽部のリーダー。計算されたリアクション芸や「ヤー!」「聞いてないよォ」などの定番ギャグで一世を風靡し、体を張った笑いで支持を集めた。高校卒業後に上京し商業デザイナーを経て芸人を志し、浅草で修業。1985年に寺門ジモン、上島竜兵らとダチョウ倶楽部を結成し、南部虎弾脱退後は最年少ながら座長としてグループを率いた。

寺門ジモン(ダチョウ倶楽部)

ダチョウ倶楽部のメンバーで、説教役やダメ出し担当として独特の存在感を放つ。もともとは役者志望でテアトル・エコー附属養成所に在籍していたが、将来への不安からお笑い芸人に転身。同郷・同期でコンビを組んでいた上島竜兵と共に渡辺正行を訪ね、肥後克広、南部虎弾と合流してダチョウ倶楽部を結成した。近年は無類のグルメとしても知られ、飲食店を紹介する番組でMCを務めている。

上島竜兵(ダチョウ倶楽部)

ダチョウ倶楽部の大ボケ担当のお笑いタレント・俳優。俳優志望で青年座研究所、テアトル・エコー附属養成所に在籍し、同郷で同期の寺門ジモンに誘われ渡辺正行の下を訪ねたことからお笑いの道へ進む。寺門とのコンビを経て、南部虎弾、肥後克広と合流しダチョウ倶楽部を結成。体を張ったリアクション芸で国民的存在となり、「人をさげすんだ笑いは嫌」という信条を持った。2022年に61歳で死去。

俳優・女優 > 1980年代

─ 主な俳優・女優 (順不同) ─

1980

伊東四朗

三波伸介・戸塚睦夫とともに「てんぷくトリオ」として活動の後、喜劇役者として人気を得た。1977年のTBSドラマ『ムー』で演技力が注目され、’83年のNHK朝ドラ『おしん』で父親役を演じて俳優としての評価を確立。以後はコメディとシリアスの双方で活躍した。’92年から2015年にかけて『十津川警部シリーズ』で亀井刑事を好演し、渡瀬恒彦との名コンビで親しまれた。司会業でも『伊東家の食卓』などで人気を保ち、『白子のり』や『ヤクルト』のCMでも知られる。

渡瀬恒彦

1970年、『殺し屋人別帳』で主演デビュー。東映のアクションスターとして頭角を現す。’71年『現代やくざ 血桜三兄弟』などで注目され、激しいアクションで人気を得たが、’77年の事故を機に性格俳優へ転身。『事件』(’78年)で各映画賞を受賞し演技派として地位を確立。以後『おしん』『セーラー服と機関銃』などで幅広く活躍し、90年代以降は『十津川警部シリーズ』『おみやさん』『警視庁捜査一課9係』などテレビドラマで円熟の存在感を示した。

伊吹吾郎

1965年に日本映画テレビ演劇学院に入所し、翌年東宝ニューフェイス第7期生となる。’68年にフリーとなり『さむらい』でデビュー。’69年『無用ノ介』で主役に抜擢され、その劇画的な風貌で注目を集めた。東映と専属契約後、『五人の賞金稼ぎ』『仁義なき戦い』シリーズなどに出演。’83年から『水戸黄門』で渥美格之進役を17年間務め、全国的な人気を得た。近年は真面目な人柄とユーモアを併せ持つ俳優として幅広く活動している。

寺尾聰

劇団民藝創設者・宇野重吉の長男として生まれるが、俳優の道に反発し音楽へ傾倒。1965年にフォークグループ「ザ・サベージ」に参加し、「いつまでもいつまでも」「この手のひらに愛を」がヒットする。’68年、映画『黒部の太陽』で俳優デビューし石原裕次郎に師事、『大都会』『西部警察』など石原プロ作品で刑事役として人気を得た。’81年、「ルビーの指環」が大ヒットし日本レコード大賞を受賞。俳優・音楽両面で昭和を代表する存在となった。

森山周一郎

俳優、声優、ナレーター。日本大学藝術学部映画学科中退後、劇団東芸などを経て活動を開始し、1954年の舞台『長女』主演で初舞台を踏んだ。テレビではNHK連続ドラマ『夢見る白鳥』でデビューし、『特別機動捜査隊』などに出演。’70〜’90年代は時代劇やアクションで重厚な悪役を多く演じた。声優としては低く渋い声で吹き替えの草創期から活躍し、ジャン・ギャバンらを担当。アニメでは『紅の豚』のポルコ・ロッソ役で知られる。

大和田伸也

1968年に劇団四季へ入団し、舞台俳優として活動を始める。’72年、NHK連続テレビ小説『藍より青く』でヒロインの夫役を演じて注目を集め、以後『水戸黄門』で二代目渥美格之進役を務めて人気を確立した。映画『犬神の悪霊』で初主演し、中国映画『炎の女・秋瑾』にも出演。蜷川幸雄演出の『王女メディア』では北大路欣也と共演し海外公演も果たした。俳優業のほか『恐竜を掘ろう』で監督デビューし、声優やオペラにも挑戦するなど多彩に活躍している。

大和田獏

大学卒業後テレビ局への就職を志し、CBC訪問時にドラマ出演を勧められたことをきっかけに俳優の道へ進む。1973年『こんまい女』でデビューし、脚本家・花登筺から「夢を食べて夢のある大きな役者になれ」として「獏」の芸名を与えられる。橋田壽賀子・石井ふく子作品への出演が多く、幅広い役柄で親しまれた。’83年に岡江久美子と結婚。’98年から11年間『ワイド!スクランブル』の司会を務めたに。コロナでの岡江の死後は娘の勧めでSNSも開始している。

西田敏行

1968年に青年座俳優養成所に入り、’70年に卒業して青年座に入団。舞台『情痴』で注目を集め、’76年『いごこち満点』『三男三女婿一匹』で人気を得る。『池中玄太80キロ』『西遊記』などで国民的俳優となり、’81年に歌った「もしもピアノが弾けたなら」は大ヒットした。紅白歌合戦では司会・歌手・審査員など全ての形で出演経験を持つ。’86年『植村直己物語』で主演し俳優として高い評価を得た。以後『釣りバカ日誌』シリーズで国民的人気を確立した。

武田鉄矢

1973年の「母に捧げるバラード」で歌手デビューしヒットを得るが、一時期人気低迷を経験。’77年映画『幸福の黄色いハンカチ』で俳優として評価され、’79年ドラマ『3年B組金八先生』で主演し、主題歌「贈る言葉」も大ヒットした。’82年の海援隊解散後は漫画原作や脚本も手掛け、『お〜い!竜馬』『プロゴルファー織部金次郎』『幕末青春グラフィティ』シリーズに関与。2019年には「マルちゃん赤いきつねうどん」のCM出演がギネス世界記録に認定された。

風間杜夫

8歳から売れっ子子役として活躍したが、13歳で退団。その後早稲田大学で再び演劇活動を開始。斉木しげる、きたろう、大竹まことらと劇団「表現劇場」を結成。1972年に日活ロマンポルノで映画デビューし約20本に出演。’74年『勝海舟』でテレビ初出演、’77年からつかこうへい作品の常連となる。映画『蒲田行進曲』で注目を集め、『スチュワーデス物語』の村沢教官役で国民的人気を獲得。声優としても活動し、幅広いジャンルで存在感を示した。

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西田敏行

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武田鉄矢

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風間杜夫

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奥田瑛二

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火野正平

12歳で劇団こまどりに入り、1962年『少年探偵団』でデビュー。子役として人気を得る。’73年、「火野正平」と改名し、大河ドラマ『国盗り物語』の羽柴秀吉役で注目される。’70年代以降は『新・必殺仕置人』『服部半蔵・影の軍団』『長七郎江戸日記』など時代劇を中心に幅広く活躍。2011年から『にっぽん縦断 こころ旅』で自転車旅の姿が人気を博す。海外作品にも出演し、2021年『罪の声』で日本映画批評家大賞ゴールデン・グローリー賞を受賞した。

奥田瑛二

深夜スナックで働いていた頃、客の勧めでモデルを始め、CM出演などを経て俳優を志す。1976年『円盤戦争バンキッド』で主演デビューするが不遇時代が続き、公園で寝泊まりするほど生活が困窮した。’79年、日活作品で実力を認められ『宮本武蔵』や『男女7人夏物語』などの出演で人気を獲得。映画志向が強く、’86年『海と毒薬』で初主演し各賞を受賞、熊井啓監督作品で国際的評価を得る。以後も幅広い役柄をこなして50本以上の映画に出演した。

舘ひろし

原宿拠点の硬派バイクチーム「クールス」を率い、キャロルの親衛隊として名を広める。1975年、選抜メンバーによるロックバンド「クールス」のボーカルとしてデビューし、’77年にはソロデビューも果たす。東映社長・岡田茂の誘いで俳優活動も開始し、’76年『暴力教室』で映画デビュー、同年『男組 少年刑務所』で初主演。『皮ジャン反抗族』『薔薇の標的』など主演作が続き、テレビでは『西部警察』の巽総太郎役で人気を得た。

神田正輝

1973年、レストランで石原裕次郎に声を掛けられ日活見学に同行し、誘われるまま端役でドラマに出演して石原プロ入りした。’76年『大都会』シリーズで記者・刑事役を務め、松田優作らと激しいアクションもこなす。’80年から『太陽にほえろ!』のドック刑事として出演。その中心として後半期を支えた。’85年、松田聖子と結婚し「聖輝の結婚」と話題に。長女・沙也加をもうけるが’97年に離婚。同年から『旅サラダ』の総合司会として長く番組を牽引した。

室田日出男

1957年に東映ニューフェイス第4期として入社。二枚目の容姿ながら酒癖と気性の荒さ、組合活動への傾倒が災いし“干されの室田”と呼ばれるほど長い下積みを強いられた。深作欣二に見いだされて起用が増えるが、トラブル続きで東映を一度契約解除される。’75年に再契約し、『前略おふくろ様』などで存在感を示す。’78年に逮捕され謹慎するが、復帰後は『影武者』『魔界転生』などで独特の凄味を放ち、’92年にブルーリボン賞助演男優賞を受賞した。

柄本明

NHK大道具のアルバイトを経て1974年に自由劇場へ参加するが作風が合わず、’76年に退団しベンガル、綾田俊樹と劇団東京乾電池を結成する。特異な容貌と圧倒的な存在感で舞台・映画・テレビへ活動を広げ、下北沢を拠点に本多劇場などで重要な役割を果たす。’98年『カンゾー先生』で日本アカデミー賞最優秀主演男優賞、2004年に毎日映画コンクール助演賞を受賞。紫綬褒章、旭日小綬章も受章し、日本演劇界を代表する名優として位置づけられている。

阿藤 海

大学卒業後に俳優座の舞台部へ入り、原田芳雄の薫陶と中村敦夫の誘いで俳優を志す。原田作品への出演が多く、高倉健との共演も重ねた。俳優座造反組とともに退座後は長く悪役・端役を務めたが、’88年『教師びんびん物語』の教頭・御前崎マキオ役で人気を獲得し、お茶の間に知られる存在となる。以後は俳優業に加え、旅・グルメ番組の名リポーターとして活躍し、「なんだかなー」の口癖でも広く親しまれた。2001年に芸名を阿藤快へ改めている。

鹿賀丈史

1972年に劇団四季へ入団。『ジーザス・クライスト・スーパースター』でジーザス役を務め注目され、『ヴェニスの商人』などで幅広い役柄をこなす。’80年に退団後は映画・テレビに進出し、『野獣死すべし』『悪霊島』『疑惑』などで助演・主演を重ね、日本アカデミー賞助演男優賞を複数受賞。’93年から『料理の鉄人』で美食アカデミー主宰として人気を博し「私の記憶が確かならば」の名台詞で広く知られる存在となった。

柴田恭兵

サラリーマンを経て1975年に東京キッドブラザースに入団し、ミュージカル『十月は黄昏の国』で舞台デビュー。’77年『大都会 PARTII』でテレビ初出演し、’78年『大追跡』で連続ドラマ初レギュラー、’79年『赤い嵐』で連ドラ初主演。『俺たちは天使だ!』で人気を確立し、’86年『あぶない刑事』で舘ひろしとコンビ主演し爆発的ヒットを記録、その後も『はみだし刑事情熱系』など主演作を重ね、連ドラ主演は20本以上の人気俳優となった。

小林薫

1971年から’80年まで唐十郎主宰の状況劇場に在籍し、退団時には唐が説得に包丁持参で訪れるエピソードが残る。舞台のみならずテレビドラマ『ふぞろいの林檎たち』『深夜食堂シリーズ』やNHK大河・銀河テレビ小説に多数出演し、映画やアニメでは『もののけ姫』『ゲド戦記』で声優も務めた。私生活では’84年に中村久美と結婚するも’95年に離婚、2009年に小梅と再婚。糸井重里とは30年来の友人関係にある。

山下真司

1975年に文学座附属研究所に入所、卒業後は劇団NLTに所属した。’79年、『太陽にほえろ!』でスニーカー刑事・五代潤役に抜擢され注目を集めた。’84年放送の『スクール☆ウォーズ』では熱血教師役を演じ、最高視聴率20%超のヒットとなり「俺はこれからお前たちを殴る」の台詞で広く知られる。以後、料理紀行番組『くいしん坊!万才』では9代目くいしん坊として全国各地を歩き、4年間の担当期間は歴代トップとなった。

三浦友和

20歳でTBS『シークレット部隊』でデビュー。1970年代には山口百恵との共演で「百恵友和コンビ」と呼ばれ絶大な人気を誇った。’80年に山口と結婚後は映画・舞台で着実に役柄を広げ、NHK大河『独眼竜政宗』では伊達成実を演じた。以降、日本アカデミー賞やブルーリボン賞の助演男優賞を多数受賞。2012年に紫綬褒章、2023年に旭日小綬章を受章し、硬軟自在の実力派俳優として活躍を続ける。

舘ひろし

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柄本明

(C)文部科学省ホームページ

山下真司

(C)江戸村のとくぞう

三浦友和

(C)Dick Thomas Johnson from Tokyo, Japan

松平健

1974年に勝プロダクションに入り、’75年『座頭市物語』でデビュー。’76年に昼ドラ『人間の條件』で初主演を務めた。’78年、テレビ朝日『暴れん坊将軍』の主役・徳川吉宗に抜擢され、長寿時代劇スターとして認知される。NHK大河ドラマでは北条義時や武蔵坊弁慶、平清盛など歴史上の人物を多数演じ、刑事ドラマ『走れ!熱血刑事』でも主演。2004年には舞台パフォーマンスをもとに「マツケンサンバII」が全国発売され大ヒットした。

石田純一

大学在学中に演劇を学ぶため渡米し、帰国後の1978年に「演劇集団 円」の研究生となる。’79年NHK『あめりか物語』で俳優デビューし、’85~’89年にクイズ番組『TVプレイバック』でレギュラー出演して知名度を上げた。’88年のフジテレビ『抱きしめたい!』出演を機にトレンディドラマで活躍し、バブル期を代表する俳優に。’88年に松原千明と再婚し、’90年長女すみれ誕生。’91年には隠し子として長男・壱成の存在が報じられ、後に親子で共演も果たした。

渡辺裕之

1980年にコカ・コーラのCMで芸能活動を開始。’82年に大正製薬「リポビタンD」のCMキャラクターに抜擢され、端整な顔立ちと鍛えられた肉体で人気を博す。俳優としては映画『オン・ザ・ロード』でデビューし、テレビドラマ『愛の嵐』シリーズで二枚目俳優として注目され、高木美保とのコンビはゴールデンコンビと称された。2009年には短編映画『雪の花』で妻・原と初めて夫婦役で共演。2022年5月、自宅で死去。66歳没で、自死と報じられた。

榎木孝明

武蔵野美術大学在学中に芝居に没頭し、父の急死を機に1978年に劇団四季の研究生となり大学を中退。’84年、連続テレビ小説『ロマンス』でテレビデビューして以来、舞台・テレビ・映画・ラジオなど幅広く活躍する。’95年からはフジテレビ系『浅見光彦シリーズ』で主役の浅見光彦を演じ、原作者・内田康夫からも高く評価された。水彩画家としても知られ、作品は切手や絵葉書の図案にも採用されるなど芸術活動も精力的に行っている。

西岡德馬

1970年、大学卒業後に文学座に入団し杉村春子に指導を受けながら10年間活動。’79年に退団し芸名を本名の西岡德美から西岡德馬に改めた。その後、テレビ・映画で活躍し、『極道の妻たち』シリーズやヤクザ映画で幹部役を多く演じコワモテ俳優の印象を確立。NHK大河ドラマ『武田信玄』『風林火山』では同じ上杉家家臣役を演じ、『東京ラブストーリー』では部長役に抜擢され視聴者に強い印象を残した。戯曲『幕末純情伝』での演技がきっかけで同ドラマ出演が決まった。

長谷川初範

1975年に横浜放送映画専門学院演劇科に入学し、在学中にテレビ番組『みごろ!たべごろ!笑いごろ!』で俳優デビュー。’80年『ウルトラマン80』で矢的猛役として初主演を果たす。1981年、橋本忍に抜擢され『幻の湖』で映画デビュー。’80年代後半に喘息で活動を制限した時期があったが、独自の方法で克服。その後もテレビ・映画で活躍し、芸名を一時「長谷川ショパン」に変更したが再び本名に戻している。

国広富之

1976年に松浦竹夫演劇研究所入所後、TBSドラマ『岸辺のアルバム』でデビューし、ゴールデン・アロー賞放送新人賞を受賞。八重歯を特徴とした甘いルックスでアイドル的人気を得る。『赤い絆』や『噂の刑事トミーとマツ』など人気ドラマで活躍し、’80年代の大映ドラマ常連となる。内田康夫原作『浅見光彦シリーズ』で初代浅見光彦役を務め、以降も多数のドラマに出演。趣味はスキューバダイビングと絵画で、画集出版など画家としても活動している。

伊武雅刀

1967年、NHK名古屋制作のテレビドラマ『高校生時代』で俳優デビュー。その後小劇場養成所や仲間と旗揚げした劇団で演技を続ける。’70年代に声の良さを活かしラジオやCMナレーション、声優業にも取り組み、『宇宙戦艦ヤマト』のデスラー総統役で注目を集めた。’76年、ラジオ『スネークマンショー』で過激なコントが話題となり知名度を拡大。2002年から2009年には『JET STREAM』の機長役としてラジオでも人気を博す。

益岡 徹

早稲田大学在学中に演劇に傾倒し、1980年に卒業後、仲代達矢主宰の無名塾に入団。初舞台『ソルネス』以降、『マクベス』『ハムレット』などで実力を磨きつつ映画にも進出。特異な役柄を経て、’88年『マルサの女2』で国税局査察官を好演し注目を集めた。長身で無表情の中にユーモアを滲ませる演技が持ち味。その後は『夜逃げ屋本舗』シリーズなどで名脇役として活躍し、コメディ演技にも定評がある。舞台も継続しており、重厚な役から人間味ある役まで幅広い表現を見せ続けている。

古尾谷雅人

20歳で劇団ひまわりに入り演劇活動を始め、初期は本名・古尾谷康雅で日活ロマンポルノに出演。1979年のドラマ『二人だけの儀式』で一般作に進出し、’80年の映画『ヒポクラテスたち』で演技が高く評価される。’83年の『若草学園物語』で主演し、主題歌で歌手デビューも果たす。映画やドラマで幅広い役柄を演じ、名脇役としての評価を確立した。職人気質でバラエティ出演は少なく、真摯に役へ向き合い続けたが、2003年に45歳で自死した。

時任三郎

1980年に舞台『ヘアー』で俳優デビューし、’81年にシングル「川の流れを抱いて眠りたい」で歌手デビュー。’83年のドラマ『ふぞろいの林檎たち』で注目を集め、以降多数のテレビドラマや映画に出演。’89年の栄養ドリンクCM「リゲイン」の牛若丸三郎太役で人気を獲得。子煩悩で’99年に家族とニュージーランドに移住、2003年に帰国。長身で医者やパイロット役など憧れられる職業を演じ、若い女性たちに人気が高かった。

陣内孝則

福岡出身で、高校時代からバンド『ザ・ロッカーズ』でボーカルを務め、1980年に上野義美にスカウトされメジャーデビュー。バンド解散後に俳優へ転身し、石井聰互監督『爆裂都市 BURST CITY』で映画デビュー。その後、トレンディドラマや映画に多数出演。’87年の映画『ちょうちん』で主演を務め、ブルーリボン賞と報知映画賞主演男優賞を受賞。コミカルから重厚まで幅広い役柄を演じ、バラエティ番組にも積極的に出演しひょうきんな性格で知られる。

渡辺謙

1982年に演劇集団 円の劇団員となり、テレビ『未知なる反乱』でデビュー、映画『瀬戸内少年野球団』『タンポポ』などに準主役級で出演。’87年のNHK大河『独眼竜政宗』で主役を演じ一躍人気となるも、’89年に急性骨髄性白血病を発症。闘病を経て’93年『炎立つ』で復帰、その後『御家人斬九郎』などで活躍し、2003年米映画『ラスト サムライ』出演で世界的評価を獲得し、『バットマン ビギンズ』など海外作品にも出演した。

真田広之

1965年、5歳で劇団ひまわりに入団。翌年、千葉真一主演作『浪曲子守唄』でデビューし、幼少期から千葉の作品で活躍。’73年にジャパンアクションクラブ(JAC)に入団し本格的に芸能活動を再開、真田広之の芸名を名乗り、スタントや空手を駆使したアクションで注目を集める。’82年『龍の忍者』で海外進出し、デューク真田として国際的に活躍。『麻雀放浪記』や『必殺4 恨みはらします』では主演や悪役に挑戦し、キネマ旬報賞など多数の主演男優賞を受賞した。

渡辺徹

1980年に高校卒業後、文学座附属演劇研究所本科に入所。’81年、テレビドラマ『太陽にほえろ!』の新人刑事役で俳優デビューし人気を獲得。’82年に歌手デビュー、’83年には映画『夜明けのランナー』でスクリーンデビューした。’85年に正式に文学座座員となり、舞台・テレビ・映画で活躍。’87年に榊原郁恵と結婚。司会者やナレーター、ラジオパーソナリティとしても活動し、後進育成や大学教授として教育にも携わった。

松平健

(C)Dick Thomas Johnson from Tokyo, Japan

渡辺謙

(C)首相官邸 (PMO)

真田広之

(C)Embassy of the United States in Japan

吉岡秀隆

(C)Dick Thomas Johnson from Tokyo, Japan

中井貴一

成蹊大学在学中の1981年、映画『連合艦隊』で俳優デビュー。’83年『ふぞろいの林檎たち』で知名度を急上昇させた。’88年NHK大河ドラマ『武田信玄』で主役を務め、高視聴率を記録。以後、時代劇や仁侠映画、コメディまで幅広く活躍。2003年『壬生義士伝』で主演男優賞を受賞。2004年には中国映画『天地英雄』で海外進出。2008年『風のガーデン』では減量を敢行して役作りに臨むなど、映画・テレビ・舞台で着実にキャリアを重ねる実力派俳優となる。

柳沢慎吾

1978年『ぎんざNOW!』の素人コメディアン道場で優勝し芸能界デビュー。お笑いコンビ「てっちゃんしんちゃん」を経て、’79年に柳沢順吾名義で『3年B組金八先生』のヤンキー生徒役でテレビドラマデビューし、俳優としての地位を確立した。以降、『ふぞろいの林檎たち』『翔んだカップル』などで活躍する一方、バラエティ番組では落ち着きのないキャラクターを披露。「あばよ!」の決めゼリフが大ブレイクし、俳優・タレント双方で人気を獲得した。

三上博史

1984年のTBS系ドラマ『無邪気な関係』で端役ながら注目を集め、’87年の映画『私をスキーに連れてって』でブレイク。以降、『君の瞳をタイホする!』などトレンディドラマで女性人気を獲得した後、『ウルトラマンをつくった男たち』や『ロマンの果てII・汚れっちまった悲しみに』などクセのある役に挑戦。『あなただけ見えない』では三重人格の主人公を演じ狂気も表現し、トレンディ俳優のイメージを払拭した。

佐藤B作

福島県出身の俳優。早稲田大学商学部に進学後中退し、薄田研二主宰の演技研究所を経て演劇の道に入る。方言の壁から役者として苦戦しつつ自由劇場で裏方経験を積み、1973年に劇団東京ヴォードヴィルショーを結成し座長を務める。’82年開始の萩本欽一司会『週刊欽曜日』にレギュラー出演し、個性的なコントで全国的な人気を獲得した。

仲村トオル

修大学在学中の1985年、『ビー・バップ・ハイスクール』映画化の主演オーディションに合格しデビュー。同作で日本アカデミー賞新人賞などを受賞した。’86年にはドラマ『あぶない刑事』に出演し、シリーズ全作品を通じて人気を獲得。以降、『ラブ・ストーリーを君に』や『チーム・バチスタの栄光』など多数の映画・ドラマに出演し、韓国映画『ロスト・メモリーズ』で大鐘賞助演男優賞も受賞した。妻は女優の鷲尾いさ子。

吉岡秀隆

4歳で劇団若草に入団し、5歳でテレビ時代劇『大江戸捜査網』で子役デビュー。1977年『八つ墓村』で映画初出演し、’81年『男はつらいよ 浪花の恋の寅次郎』から第50作まで諏訪満男役でレギュラー出演。’81年より『北の国から』黒板純役として名子役として知られる。山田洋次監督作品や黒澤明作品に多数出演し、繊細で等身大の青年役や冷静な人物像を得意とする。

1980

赤木春恵

1940年に松竹ニューフェイスとして映画『二本松少年隊』でデビュー。当初の芸名は赤木春生で、戦時中の困難な状況下で生計を立てながら演技活動を続けた。帰国後に芸名を赤木春恵に改め、’48年に東映へ移籍。その後フリーとなり森繁劇団に参加。’70年代以降、橋田壽賀子や石井ふく子作品で活躍し、’79年から『3年B組金八先生』の女性校長役で当たり役を得る。’90年代には『渡る世間は鬼ばかり』でキミ役を演じ人気を博した。

小山内美江子

1951年に高校卒業後、女性では困難とされた映画監督を志し、スクリプターとして10年間現場で経験を積む。助監督の深作欣二らと交流を持ち、結婚・出産後に離婚し脚本家に転向。’62年『残りの幸福』で脚本デビューし、『3年B組金八先生』や誤算シリーズなど教育や子育てをテーマにした作品で知られる。円谷プロ初期の『ウルトラQ』にも関わった。’90年代から国際協力活動に取り組み、脚本家・社会活動家として活躍し、各種団体の理事も務める。

市原悦子

高校卒業後、銀行就職を控えていたが演劇への思いから劇団俳優座養成所6期生として入所。1957年『りこうなお嫁さん』でデビューし、新劇演劇賞やゴールデン・アロー賞新人賞を受賞。’72年に番衆プロを設立、’87年にはワンダー・プロダクションも設立。’75年より『まんが日本昔ばなし』で全登場人物の声を演じ、同年『赤い殺意』で高視聴率を獲得。’83年からは『家政婦は見た!』に主演し、四半世紀以上演じ続ける当たり役となった。

宮本信子

1963年に高校卒業後、文学座附属演劇研究所に入所。’64年に劇団青俳に参加後フリーとなる。’69年、NHKドラマで共演した伊丹十三と結婚。’84年、伊丹監督作『お葬式』で主演しブレイクし、その後すべての伊丹作品に出演して多彩な役を演じ、国内の映画賞を多数受賞。’97年の夫の死後、2007年に『眉山』で10年ぶりに映画復帰。2014年紫綬褒章、2022年『メタモルフォーゼの縁側』でダイヤモンド大賞受賞、同年旭日小綬章を受章した。

三田佳子

中学3年で児童劇団「ちどり」に入り、在学中からテレビ・ラジオに出演。高校卒業後の1960年、第二東映に入社し『殺られてたまるか』で18歳で女優デビュー。当初から主役級で起用され、東映の看板女優として多数の作品に出演。’67年にフリーとなり、テレビ・舞台を中心に活動。’74年にNHK制作部副部長・高橋康夫と結婚。’84年『Wの悲劇』や’86年『いのち』で高評価を受け、各映画賞を獲得し、国民的女優としての地位を確立した。

根岸明美

高校中退後の1948年に日劇ダンシングチームに入団し、’53年に『アナタハン』で主演デビュー。母は宝塚歌劇団出身で、幼少期から舞踊に親しむ。166cmの長身で豊満な肢体を生かしつつ、「肉体派女優」と見られることを嫌い演技力を磨き『赤ひげ』『どですかでん』など映画に出演。妖艶かつ演技派の魅力で人気を博し、本多猪四郎作品にも起用された。テレビでは『時間ですよ』『3年B組金八先生』などに出演。2008年、卵巣癌で73歳で死去した。

泉ピン子

1966年に三門マリ子名義で歌謡漫談家としてデビュー。’75年、『テレビ三面記事 ウィークエンダー』でリポーターに起用され、芸名を泉ピン子に改名。同年、東映映画『神戸国際ギャング』やテレビドラマ『花吹雪はしご一家』に出演し女優業に本格進出。’80年にドラマ『手ごろな女』で主演。’83年の連続テレビ小説『おしん』で母親役を演じ評価され、橋田壽賀子作品への出演が増加。’90年開始の『渡る世間は鬼ばかり』で代表作を築き、安定した演技で橋田ファミリーの旗頭となる。2014年に初の紅白出場、2019年に文化庁長官表彰と旭日小綬章を受章。

小川知子

バレエを習いながら東宝児童劇団に入り小学5年でドラマデビュー。子役として活躍しつつ、中学時代にはバラエティ番組の司会も務めた。1965年に東映へ入り映画に多数出演するが、18歳で同社と契約を解消。’68年「ゆうべの秘密」で歌手デビューし大ヒットを記録、紅白にも3年連続で出場した。その後は映画やドラマで大人の女性像を確立。’80年代には不倫ドラマで存在感を示し、後年は宗教団体の活動を巡って世間の注目を集めた。

松尾嘉代

16歳で今村昌平監督『にあんちゃん』でデビュー、清純派として注目を集める。日活退社後はTBSでホームドラマに多数出演し、’70年代には映画・テレビで性格俳優として地位を固める。結核の闘病後に復帰し、悪女や濃厚な演技を武器に活躍。’70年代末から’90年代前半には2時間ドラマの常連となり「サスペンスの女王」「元祖2時間ドラマの女王」と称された。『女たちの華麗な闘い』シリーズなどで強烈な悪女像を演じ、その存在感で作品を牽引した。

市原悦子

(C)朝日新聞社『文芸朝日』第3巻第4号(1964)

宮本信子

(C)Gorup de Besanez

三田佳子

(C)キネマ旬報社 - 『キネマ旬報』1962年9月下旬号

泉ピン子

(C)文部科学省ホームページ

いしだあゆみ

幼少期より児童劇団で活動。1961年に初舞台を踏み、1964年に芸名をいしだあゆみに改名し歌手としてデビュー。’68年の「ブルー・ライト・ヨコハマ」でミリオンセラーを記録し、紅白歌合戦に通算10回出場した。’73年『日本沈没』で演技力が評価され女優業にシフト。『青春の門 自立篇』『火宅の人』などで多数の映画賞を受賞し、テレビドラマ『北の国から』『金曜日の妻たちへ』などにも出演。歌手・女優双方で長年にわたり高い評価を受けた。

島田陽子

中学1年で劇団若草に入団。1970年のテレビドラマ『おさな妻』でデビューし、翌年『続・氷点』で辻口陽子役を演じて高視聴率を記録し人気女優となる。’74年『われら青春!』でヒロインを務め清純派女優として注目され、’80年の米テレビドラマ『将軍 SHŌGUN』でヒロインを演じゴールデングローブ賞主演女優賞を受賞し国際女優としても活躍。’92年に写真集『Kir Royal』を発売しベストセラーとなる。2022年、大腸がんによる多臓器不全で69歳で死去。

佐藤友美

名古屋の高級料亭に生まれ、日本舞踊「名古屋西川流」の名取。俳優座養成所第13期生卒業後、劇団三期会に籍を置き松竹と専属契約。1969年から『テレビナイトショー』のホステスを務めた。脱ぎっぷりの良さとハスキーボイス、大人びた美貌で「ヴァンプ女優」と称され、スクリーンで存在感を放つ。テレビドラマでは『金曜日の妻たちへ』『男たちによろしく』などに出演し、多方面で活躍した。

篠ひろ子

東北学院大学在学中にスカウトされ、東北放送『ホリデイ・イン・仙台』でローカルデビュー。歌手としても活動したが大ヒットはなく、その後女優に転身。1973年の『時間ですよ』で小料理屋の女将・お涼役を演じ、耐える女性像で知られる。一時期は篠ヒロコ名義で活動。’97年以降は夫の伊集院静と仙台に移住し女優業を休止。クリスチャンで洗礼名はテレジア。愛犬と共に暮らす家庭人でもあり、2023年に夫と死別した。

丘みつ子

高校卒業後モデルとして活動し、「ミス人魚コンテスト」準優勝を経て日活入り。映画『ある少女の告白 禁断の果実』で主演デビューし、その後沖雅也と共演。1980年代以降は多くの母親役を演じ「日本のお母さん」と称される。健康志向で水泳やマラソン、トライアスロンに挑戦し「マラソン女優」とも呼ばれたが、拒食症を経験。その後、陶芸に打ち込みアトリエを構える。箱根で自家農園や養蜂も行い、現在は小田原市に居住し、多彩な活動を続けている。

佳那晃子

トキワ松学園女子短大在学中に応募したミス『水滸伝』コンテストで二位となり芸能界入り。審査員の中村敦夫に見出され、彼の事務所から17歳で大関優子として映画デビュー。事務所解散後は新たな環境で役柄の幅に悩むが、『ザ・ウーマン』に挑む決意を固め、芸名を佳那晃子に改めた。くっきりした容貌と妖艶さで人気を博し、『魔界転生』では代役で抜擢される。ネフローゼ症候群での闘病を経て2009年に朗読劇で復帰した。

石田えり

高校入学後、東京音楽学院で演技・ダンスを学び、1976年『スターチャレンジ!!』のアシスタントでデビューする。’78年に映画『翼は心につけて』でスクリーンデビューし、青春ドラマや『ウルトラマン80』などで活躍。’81年『遠雷』で大胆な演技を見せ、日本アカデミー賞主演女優賞・新人俳優賞を受賞し実力派として認められる。『金曜日の妻たちへ』『昨日、悲別で』などで印象深い役を重ね、’88年からは『釣りバカ日誌』でみち子役を担当した。

大地真央

中学在学中に舞台に触れ、宝塚歌劇団への進学を志す。1971年に宝塚音楽学校に入学し、’73年に59期生として入団。星組で初舞台を踏み、翌年月組に配属され新進男役スターとして注目される。’82年に月組トップスターに就任し、黒木瞳らと共演。’85年に退団後は舞台女優として活動し、ミュージカル『風と共に去りぬ』のスカーレット役や『マイ・フェア・レディ』のイライザ役で高く評価され、主演公演は600回を超える実績を誇る。

夏目雅子

1976年に短大進学と同時に芸能界入りし、テレビドラマ『愛が見えますか…』で女優デビュー。’77年にカネボウ化粧品のキャンペーンガールとなり芸名を夏目雅子に改名、映画『トラック野郎・男一匹桃次郎』で映画デビューを果たす。’78年の『西遊記』で三蔵法師役を演じ注目を集め、その後もドラマ・映画で本格的な女優業を中心に活動。’84年に伊集院静と結婚するも、その後急性骨髄性白血病と診断され、闘病の末、’85年9月11日に27歳で死去。

松尾嘉代

(C)国際情報社 - 『映画情報』1965年3月号

いしだあゆみ

(C)国際情報社 - 『映画情報』1965年6月号

岸本加世子

(C)Dick Thomas Johnson from Tokyo, Japan

竹下景子

(C)内閣府ホームページ

樋口可南子

20歳でポーラテレビ小説『こおろぎ橋』に主演して女優デビュー。1980年に映画『戒厳令の夜』で映画初出演かつ初ヌードを披露し、ゴールデン・アロー賞新人賞を受賞。その後『北斎漫画』『もどり川』『卍』などで話題作に出演し、テレビドラマにも出演。’91年の写真集『Water Fruit 不測の事態』はベストセラーとなり、日本でヘアヌード解禁の契機となった。’93年に糸井重里と結婚、2000年代以降も多数の映画出演やCMで母親役などで活動。

浅野ゆう子

小学6年生ででスカウトされ、1974年に13歳でアイドル歌手としてデビュー。「恋はダン・ダン」で日本レコード大賞新人賞を受賞。テレビドラマ『太陽にほえろ!』や東宝映画に中学生ながら出演。その後、歌手活動よりもモデルやCMで注目され、’79年のカネボウ水着CMで大胆な姿を披露して話題となる。’80年代以降は企業広告やドラマ出演で活躍し、『抱きしめたい!』でブレイク。トレンディドラマの女王として女性からも高い支持を得た。

浅野温子

15歳で映画『エデンの海』に出演しデビュー。1977年にテレビ小説『文子とはつ』に合格し、翌年『高校大パニック』に出演。’80年代は角川映画『スローなブギにしてくれ』『汚れた英雄』で注目され、’83年『陽暉楼』で日本アカデミー賞最優秀助演女優賞を受賞。’88年のドラマ『抱きしめたい!』で浅野ゆう子と「W浅野」と呼ばれ人気を博し、’91年『101回目のプロポーズ』でも高視聴率を記録した。

岡本麗

俳優を志して上京し、俳優小劇場付属養成所に入所。1971年の劇団解散後は劇団暫や現代制作舎、のちにつかこうへい事務所の舞台に出演。’72年に日活ロマンポルノで映画初出演し、’75年に本格デビュー。以降ロマンポルノの常連となり、’77年の『不連続殺人事件』出演を契機に一般映画にも進出。’82年以降は一般作品への出演機会が増え、『蒲田行進曲』などに出演。’88年開始の『はぐれ刑事純情派』では田崎晴子刑事役で人気を得る。

渡辺えり子

1978年、もたいまさこと共に「劇団2○○」を結成し、’80年に「劇団3○○」と改名。舞台で脚本・演出・出演の三役を担い、’83年NHK連続テレビ小説『おしん』に出演して活動の場を広げた。同年『ゲゲゲのげ』で岸田國士戯曲賞を受賞し劇作家としても認められる。’97年劇団解散後、2001年に企画集団「宇宙堂」(後のオフィス3○○)を設立。2006年には関東学院大学客員教授に就任、現代芸術論を担当。2007年に芸名を「渡辺えり」に変更した。

岸本加世子

高校在学中に西城秀樹のコンサートでスカウトされ、1977年TBS連続ドラマ『ムー』でデビュー。久世光彦演出作品や向田邦子シリーズで頭角を現し、当初はアイドル女優としてドラマ・映画・歌手活動に幅広く活躍。’80年代以降は富士フイルムやトヨタなどのCMで人気を博し「それなりに写ります」が流行語となる。’98年の北野武監督『HANA-BI』をきっかけに北野作品の常連となり、『菊次郎の夏』で日本アカデミー賞最優秀助演女優賞を受賞。

竹下景子

高校時代にラジオ番組経由でNHK『中学生群像』に出演しデビュー。大学進学後に上京し三船プロ所属で女優活動を本格化、1973年『波の塔』で本格デビュー。’76年『クイズダービー』の回答者として人気を獲得。「お嫁さんにしたい女優No.1」とも称され、’70〜’80年代に多忙な女優として活躍。映画『犬笛』『ブルークリスマス』や『男はつらいよ 口笛を吹く寅次郎』、テレビ『北の国から』などで評価され、現在もCMを含め多方面で活躍を続ける。

多岐川裕美

1974年、東京駅近くでアルバイト中の美しい女子大生として東映プロデューサーに発見され芸能界入りした。『聖獣学園』で22歳にして主演デビューし、東映ポルノ末期を飾る新人として注目を集める。’75年の『続・愛と誠』などで鮮烈な存在感を示し、のちにテレビへ活動の軸を移し、清純派スターとしてドラマ、CM、歌まで幅広く活躍。『俺たちは天使だ!』のユーコ役も代表的。歌ではカビ目のCMソング「酸っぱい経験」などがヒットした。

岡江久美子

1975年、TBSドラマ『お美津』で主演デビュー。’78年から『連想ゲーム』紅組レギュラーとして人気を得た。’83年に大和田獏と結婚。’90年代には『天までとどけ』で母親役を務め、国民的人気を確立。’96年から17年半にわたり『はなまるマーケット』の総合司会を務め、朝の顔として親しまれた。吹き替えや2時間ドラマでも活躍し、全薬工業のCMには約45年間出演した。2020年、新型コロナウイルスによる肺炎で逝去した。

沢田亜矢子

高輪プリンスホテル内のナイトスポットでピアノ弾き語りのアルバイト中にスカウトされ、1973年に岡田嘉子作詞のシングル「アザミの花」で歌手デビュー。同年に同曲を収録したファーストアルバムを発表した。’79年には日本テレビ『ルックルックこんにちは』の司会を務め、幅広い層に知られる存在となる。’84年以降は女優業に軸足を移し、テレビドラマや映画で活躍、特に『火曜サスペンス劇場』の常連として知られた。

池上季実子

1974年、中学2年でNHK少年ドラマシリーズ『まぼろしのペンフレンド』でデビュー。同年『純愛山河 愛と誠』で知名度を高める。憂いを帯びた表情と大人びた色気で愛憎劇を得意とし『草燃える』など時代劇ヒロインを務めた。’84年『陽暉楼』で日本アカデミー賞優秀主演女優賞、’89年『華の乱』で優秀助演女優賞を受賞し絶頂期を迎え、’90年代以降は2時間ドラマを中心に活動した。

片平なぎさ

1974年『スター誕生!』で合格し、翌年「純愛」でアイドル歌手としてデビュー、「美しい契り」で新人賞を受賞した。同年『青い山脈』で女優デビューし、やがて歌手活動を休止して演技に軸足を移す。『スチュワーデス物語』での悪女役が大きな話題となり、一方で役柄の影響に苦悩も抱えた。平成期以降は清楚で聡明、あるいは強い正義感を持つ女性像を多く演じ、数々の2時間ドラマシリーズで主演し「2時間ドラマの女王」と称された。

名取裕子

大学在学中に応募したカネボウ「ミス・サラダガール・コンテスト」で準優勝し芸能界入り。1976年に『星と嵐』で映画初出演し、翌年のTBS『おゆき』で本格デビュー。『3年B組金八先生』で人気を高める。映画『序の舞』『吉原炎上』では大胆な演技を見せ注目を集めた。松本清張作品には映画・ドラマ合わせて17本出演し「清張女優」と呼ばれ、’82年の主演作、松本清張の『指』は火曜サスペンス史上最高視聴率を記録した。

薬師丸ひろ子

中学1年で映画『野性の証明』でデビュー。1980年『翔んだカップル』で初主演し、’81年『セーラー服と機関銃』で主題歌もヒット。以降、『探偵物語』『里見八犬伝』『Wの悲劇』など主演映画が続き、’84年には『Wの悲劇』でブルーリボン賞主演女優賞を受賞。歌手としても活動し、シングル累計396万枚、アルバム189万枚を売り上げる。’91年結婚後、一時活動を控えるが’97年よりドラマ復帰。2000年代以降も活躍し、2024年には田中絹代賞を受賞した。

沢口靖子

1984年、第1回「東宝シンデレラ」グランプリに選ばれ、映画『刑事物語3 潮騒の詩』で女優デビュー。『ゴジラ』で日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞し、同作の挿入歌も歌唱。’85年、NHK連続テレビ小説『澪つくし』でヒロインを務め知名度を確立。’99年より『科捜研の女』で法医学研究員・榊マリコを演じ、シリーズ長寿化に貢献。2015年に橋田賞やクラリーノ美脚大賞特別賞を受賞、京都府警から感謝状も贈られるなど多方面で評価されている。

黒木瞳

(C)娛樂星聞

紺野美沙子

(C)文部科学省ホームページ

後藤久美子

(C)Dick Thomas Johnson from Tokyo, Japan

宮沢りえ

(C)Dick Thomas Johnson

石原 真理子

高校2年でスカウトされ、1980年に映画『翔んだカップル』でデビュー。テレビドラマ『ふぞろいの林檎たち』などで清純派女優として人気を得る一方、「ぷっつん女優」とも称される破天荒な言動でも注目された。’89年に渡米し’93年に石原真理絵に改名。2004年に帰国後、テレビ番組出演や語学披露を経て、2006年に石原真理子に芸名を戻し本格復帰。2009年に玉置浩二と短期間復縁するも破局し、現在は再び石原真理子として活動している。

手塚理美

小学生時代からジュニアモデルとして活動し、中学1年でユニチカマスコットガールに選ばれ芸能界デビュー。高校卒業後、雑誌グラビアで人気を博し、アイドル歌手としても活動。1981年にヌード写真集『少女だった』を発表し女優へ転身、翌年NHK連続テレビ小説『ハイカラさん』でヒロインを務め本名に改名。その後『ふぞろいの林檎たち』シリーズや映画『ア・ホーマンス』などで活躍。1990年に真田広之と結婚、2児をもうけるも1997年に離婚した。

高橋ひとみ

17歳で寺山修司演出の舞台『バルトークの青ひげ公の城』に合格し女優デビュー。1980年に映画デビュー。’83年、テレビドラマ『ふぞろいの林檎たち』で注目を集め、伊吹夏恵役を演じ出世作となった。’85年には『スケバン刑事』で海槌麗巳役を担当。’91年には歌手デビューし、シングル「X’mas Kissしてね」を発表。2000年代以降は連ドラの母親役や2時間ドラマの主婦・犯人役など幅広く出演し、女優として安定した活動を続けている。

秋野暢子

1974年、NHK銀河テレビ小説『おおさか・三月・三年』でデビューし、翌年には朝ドラ『おはようさん』のヒロインに18歳で抜擢されて注目を集める。『赤い運命』では山口百恵の相手役をいじめる吉野いづみ役で演技の幅を広げた。’86年『片翼だけの天使』でキネマ旬報主演女優賞を受賞し、以後は演技派としてドラマ、バラエティ、ワイドショーなど多方面で活躍。ダイエット関連の講演や出版も行う。2022年から食道がん治療のため活動を休止している。

黒木瞳

1979年に宝塚音楽学校入学、’81年に宝塚歌劇団入団。月組娘役として入団2年目でトップ娘役に就任し、『情熱のバルセロナ』などで活躍。’85年に退団後、翌年、映画『化身』で主演デビューし新人俳優賞を受賞。NHK連続テレビ小説『都の風』で人気を得た後、’97年の映画『失楽園』で主演女優賞を受賞し、一躍国民的女優となる。その後も『うたかた』『無影燈』など渡辺淳一原作作品で存在感を示す。

山口智子

青山学院女子短期大学家政学科卒業後、雑誌『ViVi』のモデルとして活動。1988年、NHK連続テレビ小説『純ちゃんの応援歌』のヒロイン・小野純子役で女優デビュー。’90年代にはトレンディードラマや火曜サスペンス劇場の主演を務め「連ドラクイーン」と称される。’95年に唐沢寿明と結婚後は女優業を縮小し、主婦業やセレクトショップ経営に注力。2012年以降はドラマ復帰も果たし、『ゴーイング マイ ホーム』などに出演。

田中裕子

明治大学文学部演劇学専攻卒業後、1978年に文学座に入団し女優活動を開始。’79年のNHKテレビ小説『マー姉ちゃん』でデビュー、’83年の『おしん』で主役を務め、国内外で高い評価を得る。映画『天城越え』でモントリオール世界映画祭主演女優賞受賞。セリフに情念を込める演技が特徴で、映画・ドラマ・舞台で多数受賞歴を持つ。歌手や司会活動も経験。’85年文学座退団後も活躍を続け、’89年に沢田研二と結婚。2010年に紫綬褒章を受章した。

森下愛子

高校1年生でスカウトされモデルとしてデビュー。1977年に『地獄の天使 紅い爆音』で映画デビューし、’78年『サード』で注目を浴びる。’86年に吉田拓郎と結婚したが、’88年に体調不良で芸能活動を一時休止。’99年に『美しい人』で復帰し、2000年代以降は宮藤官九郎脚本作品に常連出演。2021年に吉田のラジオ番組でリタイアを発表し、芸能活動を終えている。

安田成美

中学在学中にスカウトされ、1981年に花王「ビオレ」のCMでデビュー。『風の谷のナウシカ』イメージガールのオーディションで約7500人からグランプリを獲得し、翌年シングル「風の谷のナウシカ」で歌手デビュー。’89年『同・級・生』以降トレンディードラマで主演作が相次ぎ、’92年『素顔のままで』で最高視聴率31.9%を記録。’94年に木梨憲武と結婚し出産・休業。2000年に『リミット もしも、わが子が…』で復帰した。夫と共にカフェ経営も行う。

原田知世

1982年、中学3年生で「角川映画大型新人募集」に応募し特別賞を受賞、14歳で芸能界入り。翌年『時をかける少女』でスクリーンデビューし新人賞を受賞、角川三人娘の末っ娘としてアイドル的人気を得る。高校在学中も主演映画を続け、歌手としても映画主題歌を担当。’86年に角川春樹事務所から独立後、『私をスキーに連れてって』『彼女が水着にきがえたら』などでトレンディ映画のヒロインを務める。透明感のある清廉なイメージで幅広く活躍した。

小林聡美

1979年に『3年B組金八先生』でデビュー。’82年の大林宣彦監督作『転校生』で主演に抜擢され、日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞した。’88年には『やっぱり猫が好き』のきみえ役で個性派女優として人気を確立する。2014年『紙の月』でブルーリボン賞助演女優賞を受賞するなど演技力も高く評価され、多くのエッセイを出版する著述家としての顔も持つ。私生活では脚本家・三谷幸喜と結婚し、その後離婚している。

後藤久美子

1987年、NHK大河ドラマ『独眼竜政宗』で愛姫の少女時代役として子役デビューし「ゴクミブーム」を巻き起こす。以降、『男はつらいよ』シリーズなどの映画に出演。’96年にフランス人F1レーサー・ジャン・アレジと渡仏し、事実婚で3人の子をもうけ、妻・母として生活を優先。年に1〜2本のCMやファッション誌での活動を続けつつ、2018年に23年ぶりに女優復帰を発表。2019年公開『男はつらいよ お帰り 寅さん』でスクリーン復帰した。

宮沢りえ

11歳でモデルとしてデビューし、1985年に明星食品「チャルメラ」CMで芸能活動を開始。’88年、映画『ぼくらの七日間戦争』で女優デビューし新人賞を受賞。’91年の写真集『Santa Fe』は150万部のベストセラーとなる。’90年代以降、映画『父と暮らせば』などで主演女優賞を受賞し本格派女優として評価を確立。CMや舞台、テレビでも活躍し、2018年に森田剛と結婚。2021年には34年ぶりに三井のリハウスCMに出演するなど長期的に活動を続けている。

田中美佐子

東洋女子短期大学在学中に劇団ひまわりに入り、1981年ドラマ『想い出づくり。』でデビュー。’82年映画『ダイアモンドは傷つかない』で主演を務め、第6回日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞する。以後、ドラマ・映画・舞台で確かな演技力を発揮し活躍。’95年にお笑い芸人の深沢邦之と結婚し2002年に女児を出産するが、2023年に離婚。育児休業後、2005年『ブラザー☆ビート』で復帰し、以降も精力的に女優活動を続ける。

紺野美沙子

児童劇団出身で、1979年に3代目ユニチカマスコットガール、’80年にNHK連続テレビ小説『虹を織る』でヒロインを務めて注目される。慶應義塾大学文学部国文学専攻を卒業し、学位は文学士。’92年に篠田伸二と結婚し1子をもうける。’98年より国連開発計画親善大使として国際協力に携わり、2010年から朗読座を主宰。岐阜県図書館名誉館長や横綱審議委員会委員も務め、好角家として「元祖スー女」として知られる。2025年3月に親善大使を退任。

川上麻衣子

1979年に児童劇団ピノキオでレッスンを始め、’80年のNHKドラマ『絆』でデビュー。『3年B組金八先生』第2シリーズで優等生・迫田八重子を演じ一躍注目を浴びる。高校退学を機に一時芸能界を離れるが、市川崑監督作品『幸福』で復帰。篠山紀信撮影の写真集で10代にしてヌードも披露した。’88年『うれしはずかし物語』で映画初主演し、’96年『でべそ』で日本映画プロフェッショナル大賞主演女優賞を受賞。女優としての幅と艶やかなイメージで独自の存在感を示した。

若村麻由美

高校卒業後、仲代達矢主宰の俳優養成所「無名塾」に入塾。養成期間中の1987年、NHK連続テレビ小説『はっさい先生』で723名の中からヒロインに選ばれデビュー。以降、映画・テレビで幅広く活躍し、エランドール賞やギャラクシー賞個人賞を受賞。松本清張作品でも印象的な演技を残す。2003年に宗教団体代表の小野兼弘と結婚、2007年に夫が肝不全で死去以降、本格的に芸能活動を再開している。

鷲尾いさ子

新潟県新潟市出身、新潟清心女子高校卒業。高校在学中の1983年から『装苑』専属モデルとして表紙を24か月連続で飾り注目を集める。’85年に全日空水着キャンペーンガールに選ばれ、’86年公開の映画『野ゆき山ゆき海べゆき』でヌードを披露し女優として本格的に活動開始。’87年にはパリコレに出演し、’89年には「鉄骨飲料」CMでブレイク。’95年に俳優・仲村トオルと結婚し、二児の母となる。近年は芸能活動からは離れている。

賀来千香子

女子美大短大で生活デザインを学び、在学中に原宿でスカウトされ『JJ』モデルとしてデビューした。165cmの長身と股下83cmのスタイルで注目され、銀行や石油会社の広告にも起用される。1982年にTBS『白き牡丹に』で女優デビューし、『男女7人夏物語』などのヒット作に出演して人気を確立。’92年『ずっとあなたが好きだった』で“冬彦さん”の妻役を演じ大ブレイクし、続く『誰にも言えない』でも主演して高視聴率を記録した。

鈴木保奈美

1986年に女優デビュー。カネボウ化粧品のCMや「パパはニュースキャスター」「ノンちゃんの夢」などを経てトレンディドラマで注目を集める。その後、平成に入り’91年の月9ドラマ『東京ラブストーリー』で赤名リカを演じ大ブレイクし、社会現象を巻き起こす。その後もフジテレビの人気枠で主役に抜擢され、’90年代を代表する女優としての地位を確立した。

牧瀬里穂

昭和から平成に入った1989年「ミスビタミンCハイシーガールコンテスト」でグランプリを獲得してデビュー。同年のJR東海「クリスマス・エクスプレス」のCMの鮮烈な印象で一気にトップスターとなる。その後清純派としてCM出演も多く、契約社数は10社超に及んだ。’90年代は宮沢りえ、観月ありさと並び“3M”と呼ばれたが、本人は先輩に対する遠慮から実感は薄かったと語っている。

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FOOD & DRINK 昭和のフード&ドリンク 1980年代 1970年代 1960年代 ─ 主なフード&ドリンク ─ 1980年代 ─ グルメブームとバブルの味 ─ バブル経済の影響でイタリア … 続きを読む

海外ドラマ

1980年代 1970年代 1960年代 1980年代 主な海外ドラマ ※ 記載は日本での放送開始年 ※ ジェシカおばさんの事件簿 (’88)NHK 出演: アンジェラ・ランズベリー/ウィリアム・ウィンダム/ … 続きを読む

邦画&洋画

─ 配給収入ランキング ─ ※興行収入とは異なります。 1980年代 配給収入ランキング ’70年代> ’60年代> 【参考】’80年代の東京の邦画・洋画封切館料金(大人):1,300 … 続きを読む

漫画&雑誌

1980年代 1970年代 1960年代 – 各年に創刊された主な漫画雑誌・その他の雑誌 – 漫画 雑誌 1988Publications ・ AERA (朝日新聞出版) ・ SPA! (扶桑社) … 続きを読む