ラジオ番組 > 1960年代

1980年代 1970年代 1960年代 ’60年代のラジオは、テレビの普及により家庭の中心的位置づけから「個人が楽しむメディア」へ性格を変えていった。トランジスタラジオの普及により若者が自室で一人聴く習慣が … 続きを読む

CM

1960年代は高度経済成長期とともにテレビが急速に普及し、CMは「新しい生活への期待」をストレートに表現するメディアだった。商品名や機能を連呼することで印象づける手法が多く、マーブルチョコレートや文明堂のカステラ、ミツワ … 続きを読む

ドラマ > 1960年代

1960年代はテレビの普及とともにテレビドラマも急速に発展。町の銭湯を舞台に庶民の日常生活を描いたホームドラマ『時間ですよ』や都会派アクションの『キイハンター』をはじめ、時代劇から青春ドラマ、刑事ものや特撮ものに至るまで多彩なジャンルが制作された。白黒放送からカラーテレビへの移行期で映像技術が発達する中、スポンサー企業との関りも強く、『東芝日曜劇場(’56年~)』『花王愛の劇場』など大手企業による一社提供型番組が続々と登場した。

─ 主な人気ドラマ(初回放送年を記載) ─

'69年4月-'82年9月(TBS)

『ケンちゃんシリーズ』

「チャコちゃんシリーズ」に続き、1960年代後半から’70年代にかけて放送された子供向けホームドラマ。幼児から小学生とその家族を主な視聴対象とし、自営業者の家庭を中心に、子供の日常を温かく描いた。東京近郊の住宅地を舞台にした実写ロケも特色で、TBSの子供番組の看板的存在として高い人気を博した。映画化も行われたが、視聴率の低下を受けてシリーズは終了した。

'69年4月-'76年3月(東京12チャンネル)

『プレイガール』

東京12チャンネルで放送された東映制作のアクションドラマで、レギュラーが全員女性という斬新な編成が特徴。ミニスカート姿の女性たちが活躍する痛快なアクションと当時としては大胆なお色気表現を前面に押し出し、女性アクションドラマの新境地を切り開いた。東映の路線をテレビ化した作品として同局の名物番組となる。ドラマのタイトルロゴは、集英社『週刊プレイボーイ』のロゴを流用したもの。出演は沢たまき、緑魔子、大信田礼子、ひし美ゆり子、五月みどりなど。

'68年10月-'69年3月(フジテレビ)

『男はつらいよ』

渥美清主演。テキ屋稼業の旅人「フーテンの寅」こと車寅次郎が、折に触れて故郷・柴又に戻り騒動を巻き起こす人情喜劇。旅先で出会う女性マドンナに恋をするが、毎回成就せず別れを選ぶ構図を日本各地の風景とともに描いた。渥美と山田洋次の雑談から物語が生まれ、テキ屋を主人公に据えた斬新さが話題となる。1968~’69年にフジテレビで放送され、当初は不振だったが終盤に人気が高まり、衝撃的な最終回への抗議を機に映画化へと発展した。

'68年4月-'73年4月(TBS)

『キイハンター』

千葉真一の本格スタントを軸にしたアクションドラマの代表作で5年間にわたり放送され、最盛期には視聴率30%超を記録した。舞台は大都会東京。警察では対処不能な事件に挑む国際警察特別室の極秘チーム「キイハンター」が、国際的陰謀や犯罪組織と戦う。アクションを核に刑事劇、諜報、コメディなど多彩な要素を融合し、外国人俳優も多用した国際色豊かなスケールが特色。レギュラーは丹波哲郎、野際陽子ほか。

'67年7月-12月/'78年6月-'79年9月(TBS)

『コメットさん』

宇宙から来た少女が地球で人々の悩みを魔法で解決するファンタジードラマで、TBS系「ブラザー劇場」枠で2期にわたり放送された。第1期は1967~’68年に九重佑三子主演で制作され、途中からカラー化された。第2期は’78~’79年に大場久美子主演で放送。バトンを使う魔法や住み込みのお手伝いという設定、歌を重視した構成が共通し、『メアリーポピンズ』の影響も指摘される。

'67年4月-9月(テレビ朝日)

『白い巨塔』

山崎豊子の同名小説を原作とする初のテレビドラマ化作品。浪速大学を舞台に、野心的な外科医・財前五郎と良心的な医師・里見脩二という対照的な人物像を通して、医局制度の矛盾や医学界の腐敗を鋭く描いた。テレビ版では佐藤慶が財前、根上淳が里見を演じ、社会派ドラマとして高い評価を受けた。本作以降も繰り返し映像化され、時代ごとの医療現実を反映して描写が変化している。

※1978年のドラマ化では財前を田宮二郎、里見を山本學が演じている。

'66年4月-'67年4月(NHK)

『おはなはん』

NHK連続テレビ小説第6作として放送された全310回の長編ドラマ。明治中期の愛媛県大洲市を舞台に、明るくお茶目な女性・はなが、軍人との結婚と死別を経て、女手一つで子どもを育てながら人生の荒波を乗り越えていく姿を描く。原作は林謙一が母の思い出を綴った随筆で、新人だった樫山文枝が10代から80代までを演じ切り高い評価を得た。平均視聴率45.8%を記録し、朝ドラの地位を不動のものとした。

'66年2月-9月(フジテレビ)

『若者たち』

フジテレビで放送された連続ドラマで、毎日新聞の特集記事「ある家庭」を基に制作された。千葉県の海辺の町で両親を亡くした五人兄弟が、友情や恋愛、葛藤を抱えながら懸命に生きる姿を描く。回を追うごとに支持を広げ、主題歌も大ヒットしたが、在日韓国人差別を扱った回が社会情勢の影響で放送中止となり番組自体も打ち切られた。第3回ギャラクシー賞受賞作。出演者は田中邦衛、橋本功など。

'66年1月-12月(NHK)

『源義経』

NHK第4作目の大河ドラマで、村上元三の歴史小説『源義経』を原作・脚本として、源平合戦における英雄・源義経の生涯を描いた。雪中の逃避行から衣川館での最期、頼朝による奥州征伐までを通し、悲劇的な運命を背負った武将像を神話的英雄として描写している。義経役の尾上菊之助は史上最年少主演として注目され、武蔵坊弁慶役には前作『太閤記』に続き緒形拳が起用された。歌舞伎・映画界のスターを配した重厚な配役と演出で話題を集め、安定した高視聴率を記録した。

'66年1月-4月(テレビ朝日)

『氷点』

朝日新聞で連載された三浦綾子の同名小説を原作とし、連載終了直後の’66年にNETテレビで全13話の連続ドラマとして放送された白黒作品。養女への憎悪と信仰、原罪を軸に、人間の愛と倫理の限界を描いた重厚な家庭劇で、新珠三千代が冷酷な養母・夏枝を演じ高い評価を得た。流行語も生み平均視聴率30%超、最終回42.7%を記録する大ヒットとなり、NETテレビ史上屈指の話題作となった。主演は新珠三千代、レギュラーに内藤洋子、岸田森、芦田伸介、市原悦子など。

'65年11月-'67年9月(TBS)

『サザエさん』

TBS系列で放送された実写ドラマ版。東京・世田谷区の一軒家を舞台に、磯野家の日常をテンポ良く描き、アニメ化以前は本作のイメージが広く定着していた。平均視聴率27.9%を記録する人気作となり、CMを途中に入れない演出など意欲的な試みも行われた。俳優のアドリブを多用した軽快な作風も特徴で、放送後は再放送もされたが、現在は映像の現存状況が不明とされている。サザエさん役は江利チエミ、マスオさん役は川崎敬三、ワカメ役はマーブルチョコレートのCMで人気だった上原ゆかりが務めた。

'65年7月-8月 '68年7月-9月(フジテレビ)

『愛染かつら』

1937年から’38年にかけて『婦人倶楽部』に連載された川口松太郎の小説を原作とするドラマで、’60~’70年代に繰り返しテレビドラマ化された。’65年版は昼メロの代表作として放送され、古典的で情念的な物語が高視聴率を記録し社会現象的な人気を得た。無名だった長内美那子の主演も話題となり、’68年には続編が制作された。以後も各局で帯や単発ドラマとして作られ続けた。

'65年6月-'80年1月(TBS)

『女と味噌汁』

平岩弓枝の同名小説を原作に、1965年からTBS「東芝日曜劇場」でシリーズ化された人気ドラマ。新宿弁天池界隈を舞台に、芸者のてまりが妹分とともに味噌汁とおにぎりの店を営みながら、小料理屋の夢を追う姿と花柳界の人間模様を描く。一話完結形式で、結婚や別れ、生と死といった女性の人生観を丁寧に描写し、15年にわたり安定した高視聴率を記録。主演は池内淳子で、池内の代表作の一つとなった。

'65年4月-'71年12月(TBS)

『ザ・ガードマン』

宇津井健が主役を務める全350話の長寿アクションドラマ。架空の警備会社「東京パトロール」を舞台に、背広姿の精鋭ガードマンたちが潜入捜査による大胆な行動で事件に立ち向かう姿を描いた。警備員を民間の特殊部隊として描いた斬新な設定が人気を博し、最盛期には視聴率40.5%を記録。昭和40年代アクションドラマブームの先駆けとなり、後続作品に大きな影響を与えた。KLMオランダ航空とのタイアップによる海外ロケの多さも特徴だった。レギュラー陣は藤巻潤、川津祐介、倉石功、稲葉義男、中条静夫、神山繁など。

'65年1月-12月(NHK)

『太閤記』

NHKで放送された第3作目の大河ドラマで、吉川英治の小説『新書太閤記』を原作に、豊臣秀吉の波瀾に満ちた生涯を描いた。主演の緒形拳は若さと猿のような風貌を重視して抜擢され、織田信長役の高橋幸治、石田三成役の石坂浩二ら若手中心の配役が話題を呼んだ。大規模ロケやヘリ空撮など新技術を積極的に導入し、史実解説を織り交ぜた演出は「社会科ドラマ」と評された。高視聴率を記録し、大河ドラマの表現と制作規模を大きく押し広げた。

'64年11月-'65年12月/'69年8月-'83年4月(TBS)

『水戸黄門』

江戸時代の水戸藩主・徳川光圀が諸国を漫遊し、悪を懲らし善を勧める姿を描いた勧善懲悪の時代劇。映画で定番化した後、テレビではTBSがドラマ化し、特に東野英治郎主演のナショナル劇場版が長寿番組となった。印籠を掲げ正体を明かす場面をはじめ、助・格や忍者が活躍する定型演出が確立され、2011年まで続いた国民的シリーズとして親しまれた。

'63年6月-9月(TBS)

『図々しい奴』

TBSで放送された大映テレビ室制作の連続ドラマ。主演は大映の大部屋俳優だった丸井太郎で、本作をきっかけに一躍注目を集めた。厚かましくも憎めない主人公の生き様をユーモラスに描き、谷啓が歌う同名主題歌も話題となった。最高視聴率45.1%を記録する大ヒット作となり、後年には漫画化もされるなど幅広い人気を得た。

'62年10月-'69年3月(TBS)

『チャコちゃんシリーズ』

『パパの育児手帳』(’62年10月-’63年5月)、『チャコちゃん社長』(1964年7月-10月)、『チャコちゃんハーイ!』(’65年2月-’66年1月)、『チャコちゃん』(’66年2月-’67年3月)、『チャコねえちゃん』(’67年4月-’68年3月)、『チャコとケンちゃん』(’68年4月-’69年3月)までお茶の間で絶大な人気を得た児童向けのシリーズ。四方晴美演じるチャコの家族や友人の間で起きるトラブルを解決する一話完結物語で、ほのぼのした昭和の家族や家庭を等身大で描いた。四方は『チャコとケンちゃん』で降板するが番組の人気は衰えず、その後チャコの弟・ケンちゃん(宮脇康之)を主役とするケンちゃんシリーズに移行した。

'61年10月-'77年3月(テレビ朝日)

『特別機動捜査隊』

国内初の1時間テレビ映画として毎週放送された刑事ドラマで、事件発生から犯人逮捕までの初動捜査の過程を時系列で描く点が特色だった。刑事たちは物語進行役に徹し、事件や犯人像を中心に据えたリアルな構成が特徴。警視庁提供の実際の事件を基にした描写や、「警視三〇三、直ちに現場へ急行せよ」の決まり文句は強い印象を残した。高視聴率を記録し、全国に機動捜査隊設置が広がる契機ともなった。

'61年7月-'64年7月(TBS)

『月曜日の男』

TBS系列で放送された全159話のアクションドラマ。推理作家・持統院丈太郎、通称JJが主人公で、黒い帽子を被りスポーツカーを駆って難事件を解決する姿が描かれた。主演のニヒルなヒーロー像と水原弘の主題歌が人気を博し、最高視聴率は40%を超えた。生放送作品のため現存映像はなく、途中からはコルベットで国道を縦断する企画も展開され、当時としては斬新な演出が話題となった。

'61年4月-'64年12月(NHK)

『若い季節』

NHK総合で放送された、当時としては珍しいミュージカル風テレビドラマ。銀座に本社を置くライバル化粧品会社「プランタン」と「トレビアン」を舞台に、社員たちの騒動を歌と笑いで描いた。クレイジーキャッツをはじめ渡辺プロの人気タレントが多数出演し、高視聴率を記録した。生放送で制作され、台本が放送当日に届くこともあったという。映画化も2度され、終了後は同枠が大河ドラマの放送枠となった。

'64年1月-12月(NHK)

『赤穂浪士』

NHKで放送された2作目の大河ドラマで、大佛次郎の同名小説を原作とする。大石内蔵助に長谷川一夫を迎え、歌舞伎・新劇・歌謡界の豪華キャストが集結した。赤穂浪士が討ち入りを決意するまでの苦悩と人間模様を一年かけて描き、討ち入り後の切腹までを丁寧に放送した。討ち入り回は視聴率53%を記録し、大河史上最高記録となった。芥川也寸志のテーマ曲も強烈な印象を残した。

'58年4月-'66年3月(NHK)

『事件記者』

NHKで放送された長寿テレビドラマ。警視庁詰め新聞記者が集う「桜田クラブ」と居酒屋「ひさご」を舞台に、事件を追う記者たちの取材合戦と人間模様を描いた群像劇。原作・脚本の島田一男は元新聞記者で、自身の体験や実在の記者をモデルにリアルな筆致で描写した。新聞記者を主人公とした斬新さが支持され、大ヒット作として8年間放送され、後に映画化もされた。

ファッション

1980

\TOPICS/

個性的なデザイナーの感性を前面に出したDCブランドが若者の支持を集め、ブランド志向が一段と強まった。

大型ファッションビルの登場とともに流行の規模も拡大し、日本独自のファッション文化が成熟していった。

Embed from Getty Images
Embed from Getty Images
Embed from Getty Images

サーファーファッション

’70年代後半から始まったアメリカ西海岸文化への憧れがピークに達して登場したのがサーファーファッション。海に行かないのに格好だけを真似る「陸(おか)サーファー」という言葉が生まれるほど、当時の若者の間で圧倒的な支持を得た。 絶大な人気だった「POPEYE」、女性誌では赤文字系雑誌の「JJ」に新たに「CanCam」も加わると、女子大生の間では、エンジェル・フライトのパンタロンにプルメリアデザインのアクセサリーを合わせるきれいめサーファースタイルが空前のブームとなった。ファラ・フォーセット・メジャーズを手本とする、左右の髪に段をつけ(レイヤー)て後ろに流すサーファーカットも、この時代のトレンドだった。

竹の子族

’80年代初頭、独自の派手な衣装で踊る若者たちのグループ「竹の子族」が爆発的ブームとなる。当時の原宿竹下通りにあった「ブティック竹の子」で販売されていた服を着ていたことが名前の由来。アラビアの衣装を思わせるゆったりとしたシルエットのつなぎのような服がトレードマークで、赤、ピンク、紫、ターコイズブルーといった鮮やかな原色が好まれ、背中には漢字でグループ名や自分の名前が刺繍されていた。毎週日曜日、原宿・代々木公園横の歩行者天国にラジカセを持ち寄りディスコサウンドで踊る若者はピーク時は4,000人以上、ギャラリーは10万人/日に達したと言われる。

DCブランド

’70年代後半から’80年代に日本で流行した「デザイナーズ&キャラクターズ」の略称で、デザイナーの個性や独自の世界観を前面に出したファッションブランドの総称。既製服中心だった従来のアパレルに対し、少量生産と強いデザイン性で若者の支持を集めた。’80年代に最盛期を迎え、黒を基調とした装いの「カラス族」も登場した。代表的なデザイナーには三宅一生、川久保玲、山本耀司らがおり、渋谷や原宿のファッションビルを拠点に一大ブームを築いた。

スタジャン

’60年代、VAN Jacket(ヴァンヂャケット)がアイビー・トラッドスタイルとして広めた後、’80年代に大学のサークルなどでチームウェアとして作る文化が広がり人気が再燃した。DCブランドブームの中、メンズ・ビギ(MEN’S BIGI) のスタジャンは’84年〜’85年頃に「10万円近くする高級スタジャン」として若者にとって憧れのステータスアイテムとなり、’85年に誕生したブランド「セーラーズ 」の製品はマイケル・ジャクソンやおニャン子クラブの衣装にも採用されたことで社会現象となった。

ケミカルウォッシュジーンズ

漂白剤(次亜塩素酸ソーダ)を染み込ませた軽石をデニム生地と一緒に洗浄・脱色する加工技術によるケミカルウォッシュデニムが流行した。まだら模様や霜降り状の激しい色ムラが特徴で、ストーンウォッシュよりコントラストが強く、ヴィンテージ風や個性的なファッションスタイルを演出するアイテムして支持された。ジャケットやスカートも人気となった。

コンサバ

’70年代のニュートラ、ハマトラの系譜を継いで、保守的(コンサバティブ)な装いが、特に女子大生や若いOLの間で圧倒的な支持を得た。DCブランドや竹の子族のような個性的で尖ったファッションの対極として、誰からも好感を持たれる紺のブレザー(紺ブレ)や金ボタンのジャケット、キュロットスカート、パールのネックレスなどが定番だった。クレージュやピンキー&ダイアン、エルメスやヴィトンなどの高級バッグも必需品だった。女性誌「JJ」がコンサバ女子のバイブルで、コンサバファッションに身を包む読者モデルたちは「JJモデル」と呼ばれ、憧れの的となった。

プレッピー

アメリカの名門私立校やアイビーリーグの学生の服装を手本にした上品でカジュアルなスタイル。紺ブレザー、ボタンダウンシャツ、チノパン、カーディガン、ローファーなどを組み合わせ、知的で育ちの良さを感じさせる雰囲気を持つ。日本では’80年代に大きなブームとなり、「Tommy Hilfiger」「RALPH LAUREN」などのアイテムが人気となったを集めた。ニュートラやハマトラと並んで、若者の定番ファッションとして広まった。

ワンレン&ボディコン

バブル経済絶頂期を象徴する、最も華やかでパワフルなファッションスタイル。女性たちが「強く美しくセクシー」であることを楽しんだ時代の象徴で、ワンレングスの髪に体のラインを強調するワンピースを合わせたスタイルがトレンドとなる。ディスコ「マハラジャ」や’90年代になって「ジュリアナ東京」も加わると、フロアに設けられたお立ち台の上で派手な音楽に合わせて乱舞する女性たちが話題となった。髪型は前髪を作らないセクシーなワンレングスから、作った前髪を立ち上げてスプレーで固めてトサカ状にするスタイルへと派手に変化(進化?)していった。バブル時代の強い女性像を演出するファッションとしては、男性的なシルエットを作る「肩パッド入りの服」も大流行した。

渋カジ

’80年代後半から’90年代初頭にかけて、東京・渋谷の街に集まる若者(主に団塊ジュニア世代の高校生・大学生)の間で渋谷カジュアル「渋カジ」が爆発的に流行した。 特定のブランドやデザイナーが主導したものではなく、若者たちが既存のアイテムを独自の感性で組み合わせることで生まれた「ストリート発」のファッションである点が特徴。渋谷のチーマー(若者グループ)たちが自分たちの所属を示すアイコンとして特定のアイテムを着用し、それが流行を牽引た側面も持つ。

1970

\TOPICS/

若者文化の成熟とともにファッションは多様化し、トラッド中心の時代から個性を求める流れへ移った。

原宿や渋谷といった街が流行の発信地となった。

Embed from Getty Images
Embed from Getty Images
Embed from Getty Images

パンタロン

’60年代に続き、裾が広がるフレアパンツのパンタロンが脚長・細見え効果で大流行した。’72年にはスカートの生産量を抜き、男女問わずに支持されるユニセックスファッションの主流アイテムとなった。パンタロンにフリンジ付きのベストやタイダイ柄のシャツを合わせるヒッピースタイルを経て、’70年代後半はに女子大生に支持されるスタイルに変化した。

フォークロア&エスニック

ヒッピーたちのエコロジー指向による素朴なファッションとして、ヨーロッパの農家の日常着や中南米の民族衣装風の要素を取り入れたフォークロアやエスニックスタイルが愛された。刺繍入りブラウス、ロングスカート、ベストなど、’60年代のヒッピースタイルに装飾的な要素が加わり、女性のファッションとして広がりを見せた。

マジソンバッグ

歴史的なスポーツアリーナ、ニューヨークの「マジソン・スクエア・ガーデン」の名を冠したボストン型のバッグが’68年の発売からが’70年代半ばにかけて日本中で大流行した。「MADISON SQUARE GARDEN」の文字がプリントされた紺色のポリ塩化ビニールのバッグはアメリカへの憧れを刺激し、中・高生の通学用バッグとして大人気を博した。あまりの人気に模造品も出回り、すべて含めると当時の日本の5人に1人が所有する計算となる2000万個を売り上げた。このバッグはマジソン・スクエア・ガーデンが販売したものではなく、日本のバッグメーカー、エース社によるものが”本物”だった。

ジーンズ

’60年代のヒッピー文化のムーブメントをベースに、自然体で安価なデニム素材が支持され、ベルボトムやブーツカットのパンツが大流行した。海外ブランドのLevi’s、Lee、Wrangler、国内の EDWIN、Big John、Bobsonのブルージーンズが人気となり、’70年代後半になると、Calvin KleinやRalph Laurenが洗練された高価なジーンズを提案するようになった。

ツナギ、サロペット

’60年代後半からのヒッピー文化の影響によるデニム素材の普及を背景に、’70年代の日本では、それまでの「作業着」という枠を超え、ツナギ(オールインワン/ジャンプスーツ)やサロペット(オーバーオール)が若者を中心にファッションアイテムとして大流行した。サロペットのインナーにカラフルなタイトTシャツやタートルネックを合わせるスタイルが定番で、子供から大人まで幅広い世代に普及した。

アーノルド・パーマー

’60年代後半から’70年代にかけて日本で爆発的な大ブームとなった。それまでのゴルフウェアのイメージを覆し、おしゃれなタウンカジュアルとして日本のファッションシーンに定着。胸元に4色傘のロゴが刺繍されたポロシャツやセーターが、日本における「ワンポイントマークブーム」の火付け役となった。

フィッシャーマンズセーター

「VOGUE」誌で紹介され、マリリン・モンローやグレース・ケリーなどのセレブリティも愛用したことで’50年代から’60年代にかけて世界中で大流行したフィッシャーマンズセーター(アランセーター)が、’70年代初め、トラッドの流行とともに日本でも広く普及した。元々はアイルランドやイギリスの漁師が着ていたワークウェア(仕事着)だが、保温性と防寒性の高さ、美しい縄編みの魅力で、その後もトレンドに左右されない定番の冬物アイテムとして定着した。

アメカジ

アイビーの流れを受け、よりラフでカジュカルにアレンジされたアメリカン・カジュアル、通称アメカジがファッションのジャンルとして確立した。マウンテンパーカーやバックパックなどのアウトドア要素を取り入れた「ヘビーデューティ(機能美)」スタイルが登場し、雑誌「POPEYE (ポパイ)」がアメリカ西海岸のライフスタイルや最新ファッションを伝えたことで、タイトなTシャツにショートパンツやホットパンツ、スニーカーという西海岸風ファッションも人気を集めた。この流れは、後の’80年代の”渋谷カジュアル(渋カジ)”へとつながって行った。

「JUN」ファッション

アメリカ東海岸の大学生風スタイルの「VAN」とは異なる都会的なファッションを提案したのが「JUN」で、’70年代になると”JUN MEN”や”JUN ROPE”などのラインで人気となる。クラシックエレガンスをブランドコンセプトとし、フランスやイタリアの雰囲気を取り入れた細身のシルエットが洒落たヨーロピアンスタイルとして若者の心を捉えた。’70年代後半にはパリ志向のブランド「Nicole」などと連携し、’80年代のDCブランドブームの土台を形成した。

サファリルック

探検隊の服のようなデザインで、サファリジャケットやウエストベルト付きのシャツなど、アースカラーやベージュ系の色が多かった。’70年代半ばに世界的に流行し、「anan (アンアン)」「non-no (ノンノ)」「MEN’S CLUB (メンズクラブ)」など日本の若者雑誌でもよく紹介された。もともとは貴族の狩猟服だったが、イヴ・サンローランなどのハイブランドがファッションとして昇華させ、世界的なトレンドとなった。

ニュートラ

トラディショナルがベースの正統派ブレザーやカーディガン、ワンピースに、エルメスやルイ・ヴィトン、グッチ、フェンディやセリーヌといった高級ブランドバッグをコーディネートするお嬢様スタイル。神戸・山手エリアに住む富裕層の女性たちが好むスタイルとして「an・an」「JJ」「non-no」などのファッション誌で頻繁に取り上げられ、女子大生を中心に一大ブームとなった。ニュートラディショナル略して”ニュートラ”という名称は「an・an」が名付け親とされる。

ハマトラ

神戸発のニュートラに対し、関東のトラディショナルスタイルとして、横浜・元町に本店を構えるブランドのワードローブでコーディネートする横浜発のトラディショナル”ハマトラ”が大流行した。異国的で洒落た港町のお嬢様学校フェリス女学院に通う女子大生をイメージした装いで、ミハマの靴とキタムラのバッグ、フクゾー洋品店のアイテムがハマトラファッションに欠かせない「三種の神器」となった。人気のファッション誌が特集を重ねたことによって、元町ブランドは全国的な知名度と人気を得た。

「BOAT HOUSE」のトレーナー

’79年、青山学院の前にできた小さな店に連日若者たちの行列ができ、ブランド名とボートクルーのロープがデザインされたブルーのトレーナーが飛ぶように売れ一躍社会現象となった。アイビーと海とトラッドをコンセプトとするファッションブランド「BOAT HOUSE」の製品は、加山雄三が映画で着用したことが人気の火付け役だったとされる。若大将と湘南といった爽快なマリンテイストが感度の高い層に支持され、「POPEYE」誌などのマスコミによって人気が過熱していった。

1960

\TOPICS/

高度経済成長の中で若者文化が広がり、アメリカ志向のトラッドが流行し、

後半にはアメリカのカウンターカルチャーの影響も入り、ジーンズやヒッピー風の自由な装いも若者の間に広がった。

Embed from Getty Images
Embed from Getty Images

ミニスカート

1959年にデザイナーのマリー・クワントが発表し世界中でブームとなったミニスカートは、’67年に来日したイギリス人モデルのツイッギーによって日本でも大流行した。同時に、ツイッギーの前髪を流したコンパクトなショートヘアも流行した。

モンドリアン・ルック

イヴ・サンローランがオランダの画家ピエト・モンドリアンの抽象画をモチーフにデザインした服で、原色(赤、青、黄)と非彩色(白、黒)のみを使った格子状デザインのAラインのミニワンピースが注目された。

アイビールック

1950年代、アメリカ東海岸の有名名門大学群「アイビー・リーグ」の学生たちが好んだトラディショナルファッションで、日本では男性ファッション誌の「MEN’S CLUB」とヴァンヂャケット創業者の石津謙介氏により大きな広がりを見せた。銀座のみゆき通りをアイビールックに身を包んだ若者たちが闊歩し、彼らは”みゆき族”と呼ばれた。

パンタロン

1964年、シャネルが膝下から裾にかけて釣鐘状に広がるシルエットのパンツが特徴のパンタロンスーツを発表。イヴ・サンローランもこれに続き、ウーマン・リブの台頭とともに女性もズボンを履く時代が本格的に訪れた。

モッズスタイル

ロンドンの若者たちが好んだイタリアンテイストの細身のスーツ(モッズスーツ)をスクーターの汚れから守るため、アメリカ軍放出品のモッズコート (M-51)を羽織るスタイルが定番化した。’60年代半ばのビートルの活躍により、日本を含む世界中で流行した。

ヒッピースタイル

ベトナム戦争下で愛と平和(ラブ&ピース)を掲げ、消費社会や既存の秩序に反発する自然回帰の精神を反映したスタイルで、長髪にヒゲを蓄え、ビーズのネックレスや木綿のバンダナを着用する男性、足元まであるマキシドレス姿の女性、丸いサングラスやバンダナ、ビーズのネックレスなどの小物が流行した。

サイケデリック&ポップ

ヒッピー文化やLSDの幻覚体験に由来する、極彩色・蛍光色・流動的な幾何学柄を用いた派手なスタイル。鮮やかな原色や蛍光カラーを多用し、ペイズリー柄やフラワーモチーフを主流に、ミニドレス、Tシャツ、ベルボトムパンツ、ペーパードレスなどが人気を集めた。

ツナギ、サロペット

ヒッピー文化の影響によるデニム素材の普及を背景に、’70年代の日本では、それまでの「作業着」という枠を超え、ツナギ(オールインワン/ジャンプスーツ)やサロペット(オーバーオール)が若者を中心にファッションアイテムとして大流行した。サロペットのインナーにカラフルなタイトTシャツやタートルネックを合わせるスタイルが定番で、子供から大人まで幅広い世代で普及した。

レナウン・ルック

服飾メーカーのレナウンによるブランドで、640通りのコーディネートができる「イエイエ(Ye-Ye)」シリーズを発表。ミニスカート、鮮やかなニットウエア、Aラインワンピース、カラフルなタイツなどが「イエイエスタイル」として若い女性たちの間で熱狂的な人気を集めた。明るくポップな「ワンサカ娘」のCMで明るく陽気な女性のイメージを打ち出し、ヤングカジュアルの代表格となった。

娯楽&レジャー

1980年代の主な娯楽とレジャー

’80年代後半はバブル経済に向かう高揚感の中で、娯楽が「家庭内」から「屋外・都市型」へと大きく広がったレジャー黄金時代。最新のテクノロジーを駆使した遊びから華やかな都市文化まで、現代に通じるレジャーの多くがこの時代に花開いた。

ディスコブーム

田中康夫の小説「なんとなく、クリスタル」が大ヒットした時代。’80年代前半は赤坂の「ムゲン」や「ビブロス」、後半は六本木「キサナドゥ」麻布十番「マハラジャ」が若者たちの遊び場として人気を集め、ワンレン・ボディコンの若い女性のファッションが社会現象となった。

貸しレコード

ラジカセの普及や’79年に発売されたSONY「ウォークマン」によって、音楽を手軽に楽しむライフスタイルが一般化する中、高価なレコードを購入しなくても好きな音楽が存分に楽しめる「黎紅堂」「友&愛」などの貸しレコード店が若者たちの間で人気となった。

スキーブーム

’87年に公開され大ヒットした映画「私をスキーに連れてって」(主演:原田知世、主題歌:松任谷由実)の影響でスキーが一大ブームに。それまで不人気だった万座温泉スキー場などのゲレンデも多くの若者で賑わうほど、大きな経済効果を生んだ。

東京ディズニーランド

’83年4月15日に千葉県・浦安沖の埋め立て地に誕生、オープン当時の目標集客数1,000万人をわずか1年未満で達成するほどの人気を博した。夢の世界に入り込んだような数々のアトラクションは子供はもちろん大人たちの心も強烈に掴み、2001年に開園した東京ディズニーシーとともに、2026年1月には累計9億人超えの来場者数を誇る最強のテーマパークとして君臨を続ける。

ゴルフブーム

’70年代に青木功やジャンボ尾崎の活躍によって注目され人気となったゴルフは、’80年代になると接待ゴルフとしてビジネスの場でも大きなブームとなった。ゴルフ場を優遇的に利用できるゴルフ会員権は株式のように時価で売買され、投資や投機商品として相場が高騰し取引されるも、バブル崩壊で資産価値は急落した。

ファミコンブーム

’83年に任天堂から手の届きやすい価格の家庭用ゲーム機「ファミコン」が発売され、子供たちの間に空前の大ブームを巻き起こす。’85年には伝説的な大ヒットソフトとなる”スーパーマリオブラザーズ”が登場し、’86年の”ドラゴンクエスト”も熱狂的なファミコン人気を支えた。

ルービックキューブ

ハンガリーの建築学者により考案された立体パズルゲームで世界で大流行した。日本では’80年にツクダオリジナルから発売されると、初年度だけで400万個を売り上げる大ヒットとなった。’81年には東京・帝国ホテルで第1回「全日本キュービスト大会」が開かれ、6歳から68歳まで約400名の参加者が最短記録に挑んだ。優勝は当時16歳の高校生で、優勝賞品として自動車が贈られた。

海外旅行ブーム

’78年の成田空港開港、’85年のプラザ合意を発端とする円高の影響も受け、’80年代は海外旅行の市場が大きな広がりを見せた。国際線の年間日本人旅客数は’87年が869万人、’88年は1082万人にまで拡大。ハワイ、アメリカ西海岸などのリゾートをはじめ、憧れの欧州観光が人気を集めた。本場の焼き肉を食べに、日帰りや一泊での韓国旅行も、”独身貴族”と呼ばれる人々のトレンドとなった。

ボジョレーブーム

’80年代後半のバブル景気の中で爆発的なブームを巻き起こしたのがフランス産ワインの「ボジョレー・ヌーヴォー」。’85年から「11月の第3木曜日」が解禁日となるが、日付変更線の関係で日本は産地・フランスより8時間早く解禁日を迎えることから”世界最速の解禁”として航空会社や百貨店が大々的にキャンペーンを打ち、大きな社会現象となった。’88年の昭和天皇の病状悪化により熱狂的なムードは沈静化するも、日本人が日常の食卓でワインを楽しむ習慣のきっかけとなった。

なめ猫ブーム

学ランにハチマキという暴走族風のコスチュームに身を包んだ「なめ猫」グッズが’80年に登場。自動車免許を模した”なめ猫免許証”は1,200万枚を売り上げ、ポスターも600万枚という一大ブームを巻き起こした。’82年までに約200社から文具やレコード、写真集なども発売され、売上げは570億円以上に及んだ。主役のツッパリキャラクターの又吉(またきち)は実際はメス猫で、ブームの後に4匹の子供を産んだ後に、16年間の生涯を閉じた。

カラオケブーム

’80年代前半のレーザーディスクの登場により、演奏のみだったカラオケが歌詞テロップのついた映像が流れるスタイルに変わった。これを機に’80年代中頃にカラオケボックスが誕生し、それまでスナックや宴会場など酒席の余興だったカラオケは老若男女を問わずに楽しめる娯楽となった。アイドルや歌謡曲が全盛期だった時代の中で、日々のストレス発散や趣味のひとつとして、カラオケは大きなブームとなっていった。

漫才・お笑いブーム

’80年代に入ると「花王名人劇場」や「THE MANZAI」を発端とする漫才ブームが到来。やすきよとともに若手のツービートや紳助・竜介らがテレビを賑わせ、’80年4月に放送開始の「お笑いスター誕生!!」からはB&B、おぼん・こぼんらが誕生、同年10月「笑ってる場合ですよ!」も始まり、ザ・ぼんち、太平サブロー・シロー、のりお・よしおなどのコンビや明石家さんま、山田邦子が人気を集め一大漫才ブーム・お笑いブームが訪れた。漫才師やお笑いタレントが社会的なステイタスを手に入れた時代だった。

1970年代の主な娯楽とレジャー

日本中が熱狂した大阪万博で幕を開けた1970年代は、より良い暮らしや楽しみを求める傾向が顕著になった時代で”一億総中流”という意識が人々の中に根付いた。海外旅行は庶民に手の届くものとなり、マイカーで出かけるレジャーも定着した。家族や仲間と楽しむボウリングは空前のブームとなり、「豊島園」「横浜ドリームランド」「よみうりランド」「東京サマーランド」などの大型レジャー施設は活況を呈した。’73年のオイルショックで節約を美徳とする側面を抱えながらも、明るい未来や暮らし、自由な生き方への期待も膨らみ続けた時代だった。

日本中が熱狂した大阪万博

’70年3月15日〜9月13日の183日間、吹田市千里丘陵で開催された「人類の進歩と調和」をテーマとする国際博覧会で77か国が参加、来場者数は史上最多の6,422万人を記録した昭和最大のイベント。岡本太郎による「太陽の塔」がシンボルとして大きな注目を集め、アポロ12号が地球に持ち帰った月の石の展示など、日本中を熱狂させる世界中のトピックスが一堂に会した。

空前のボウリングブーム

’70年頃から始まったブームは、中山律子や須田開代子などのスタープレイヤーの活躍やテレビ放送の影響で爆発的な人気を集め、’71年には約2,000万人がボウリングを楽しみ、’72年には全国に約3,700施設が存在する国民的レジャーとなった。爆発的なブームは’70年代半ば以降落ち着きを見せるが、以降は日本の代表的なレジャーのひとつとして定着した。

アマチュア無線ブーム

’70年代に若者を中心に広がり、その後「趣味の王様」として爆発的なブームを迎えた。’75年に日本のアマチュア無線局数は30万局を超え、米国を抜いて世界第1位となった。その後は’87年公開の映画「私をスキーに連れてって」の中でハンディ機が最先端の連絡ツールとして描かれたことをきっかけに若者の間で再びブームとなり、’95年、国内のアマチュア局数は過去最高の約136万局となった。

ゴーゴー喫茶

ディスコの前身となるゴーゴー喫茶が’60年代後半から’70年代前半にかけて若者の間で流行した。エレキバンドによる生演奏、ディスクジョッキーによる音楽に合せて踊る非日常的な時間と空間は、当時日本列島を揺るがすほどの人気だったグループサウンズブームと相まって、若者たちの心を強烈に捉えた。

ラジオの深夜放送

’67年に放送開始した「オールナイトニッポン(ニッポン放送)」「パックインミュージック(TBSラジオ)」、’69年「セイヤング(文化放送)」により、’70年代は深夜放送の黄金時代を迎えた。受験勉強などで自室で一人で過ごす若者にとって、ラジオのパーソナリティは友人のように近い距離感で若者の心を捉えた。リスナー参加型のハガキ文化も盛り上がりを見せ、多くの流行のフォークソングやニューミュージックもこの場から生まれた。

変身ヒーローブーム

’66年からの第一次怪獣ブームではウルトラマンや怪獣たちが脚光を浴びたが、’71年の第二次怪獣ブームは、変身ヒーローとして登場した「仮面ライダー(藤岡弘による本郷猛)」が「帰ってきたウルトラマン」の視聴率を上回る変身ヒーローの時代となった。バンダイから発売された「光る!回る!変身ベルト」は子供たちを熱狂させ、大ヒット商品となった。

コックリさんブーム

西洋の占いの一種「テーブル・ターニング」を起源とする降霊術で、キツネの霊とコミュニケーションが取れるとして小・中学生の間でブームとなった。鳥居と五十音表、数字を書いた紙の上に十円玉を置き、皆の人差し指をその上に添え、霊を呼んで質問してゆくもの。霊が来れば10円玉が動き出すとされたことから10円玉の動きに子供たちは興奮したが、その場を盛り上げるために誰かがわざと動かしているのでは、という疑心もつきもののゲームだった。

アンノン族

’70年創刊のファッション誌「an・an」、’71年創刊の同じく「non-no」による旅行特集により、独身女性の間で国内各地への旅行がブームとなった。有名観光地ではなく、当時はまだ知られていなかったスポットが取り上げられることが多く、軽井沢や清里高原、那須高原、京都の嵯峨野や大原などの新しい観光地に雑誌を持った多数の女性グループが訪れ、この女性たちがアンノン族と呼ばれた。

パンダブーム

’72年、日中国交の正常化を記念して中国から「カンカン・ランラン」の二頭のジャイアントパンダが贈呈されると、連日、老若男女が上野動物園に押し寄せる大フィーバーが巻き起こった。約2kmに及ぶ観覧の行列に2時間並んでもパンダが見られるのはたった30秒という爆発的な人気が続き、後の日中パンダ外交の礎となるムーブメントとなった。

超能力・オカルトブーム

’73年「ノストラダムスの大予言」がベストセラーとなり、’74年、映画「エクソシスト」の日本公開とスプーン曲げのユリ・ゲラーの来日により日本は空前の超能力・オカルトブームを迎えた。テレビの生放送では、スタジオのユリがブラウン管を通して送る念で視聴者の家の壊れた時計が動きだすなど、子供たちが興奮する特番が度々作られた。ほかにもテレビディレクターでUFO研究家の矢追 純一氏など、超能力界隈の人々がスポットライトを浴びた時代だった。

オセロブーム

ボードゲーム「オセロ」が’73年に日本で発売されると、初年度だけで30万個、3年間で約250万個を売り上げる大ブームとなった。白と黒の円状の石の数で勝敗が決まるシンプルなゲームながら、勝つためには囲碁のような知恵と戦略が必要で、子供たちのみならず大人たちまでもが夢中になって遊んだ。その後オセロゲームは世界中に普及し、2015年の時点で世界の競技人口は約6億人に達したと言われる。

女子プロレスブーム

’70年代中盤から、マッハ文朱、ミミ萩原、ビューティー・ペアなどの選手の登場により女子プロレスブームが到来。いずれもレコードデビューや映画、ドラマ出演も果たすなど、アイドル的な人気を誇った。ジャッキー佐藤とマキ上田によるビューティー・ペアは女子高生の間で大人気となり、デビュー曲「かけめぐる青春」は80万枚のビッグヒットとなった。

テレビ黄金時代

テレビの録画機が普及する前の’70年代は、観たい番組が始まるまでに急いで帰宅するのが当たり前の時代。テレビは日々の娯楽の中心であり、ドラマから音楽まで人々を夢中にさせる番組が多数作られた。水前寺清子主演の「ありがとう」や銭湯を舞台にした「時間ですよ」、「俺たちの旅」、「傷だらけの天使」「Gメン’75」、山口百恵の赤いシリーズなどの人気ドラマや、新御三家、新三人娘、花の中三トリオが出演する歌番組を観るために人々は家路を急いだ。

大型レジャー施設

「よみうりランド」(’64年開園)、「東京サマーランド」(’67年同)などの大型レジャー施設は、’70年代から’80年代にかけて全盛期を迎えた。’60年代後半から始まったマイカーの普及は、人々のレジャー先を「鉄道で行けるところ」から「車で自由に行ける郊外」へと劇的に広げ、「家族で車で行ける場所」として、大規模駐車場も備える郊外のレジャー施設が大人気となった。

スペースインベーダー

タイトーが’78年に発表したシューティングゲームで、飲食店やゲーム施設に広く設置され全国的なブームとなった。喫茶店のテーブルはこのゲームが組み込まれた筐体に変わり、多くの若者たちが熱中、ゲームをプレイするための100円玉が日本中から消えたと言われるほどの社会現象となった。しかし過熱するブームは国会で「青少年の非行につながる」と問題視されマスコミもこれに同調、ブームは徐々に終息した。

1960年代の主な娯楽とレジャー

高度経済成長真っ只中にあった’60年代は、それまで庶民の大きな楽しみだった映画に代わり、急速なテレビの普及によってテレビ番組が娯楽の中心となって行った。お茶の間を出れば、大型遊園地や自由化された海外旅行、ゴルフやボウリングといったレジャー要素の強いスポーツが大衆の楽しみとして広がり始めた。音楽シーンでは’50年代にエルヴィス・プレスリーの影響を受けて流行した平尾昌晃、ミッキー・カーチス、内田裕也らによるロカビリーが、’60年代半ばのベンチャーズやビートルズの来日を機に続々と誕生したグループサウンズに主役の座を明け渡し、日本列島が熱狂の渦に包まれるグループサウンズの時代が訪れた。

映画ブーム

黒澤明、溝口健二、小津安二郎監督らによる映画作品が大衆の娯楽として支持され、’58年、映画館の観客来場者数はのべ11億人を突破する映画黄金時代を迎えた。石原裕次郎や吉永小百合をはじめ銀幕のスターたちは国民的人気を誇り、植木等やクレイジーキャッツによる娯楽映画もブームとなった。東京五輪(’64年)を機に普及し始めたテレビの影響により’68年には観客数は約3億人に減少するも、戦後の娯楽施設として映画館は大きな存在だった。

フラフープ旋風

’58年、アメリカでフラフープが大流行したことを受けて東京のデパートでも販売されると、一ヶ月で80万本を売り上げる爆発的なブームとなった。美容と健康に良いとされたことで子供だけでなく大人たちもフラフープに興じるも、発売からほどなく、腸ねん転や内臓障害の事例が発生し、むしろ健康に悪影響を及ぼすとして児童に禁止令を出す小学校も現れた。日本中を沸かせたブームは、わずか40日ほどで急速に終焉した。

NHK紅白歌合戦

テレビの急速な普及に伴い、NHKの「紅白歌合戦」が国民的行事として不動の地位を確立。’60年(第11回)からカラー生放送となり、国民的歌手の美空ひばり、坂本九、ザ・ピーナッツ、橋 幸夫らが絢爛豪華なステージで一年を締めくくった。’63年の第14回では史上最高視聴率となる81.4%、約8,000万人が視聴するという驚異の数字を記録。この回は翌年に控えた東京オリンピックを意識し、渥美清が聖火ランナーとして入場し、「こんにちは赤ちゃん」が大ヒットした梓 みちよが初出場した。

素人のど自慢ブーム

’60年代、日本のテレビでは「素人のど自慢」番組が爆発的な人気を集めた。戦後すぐに始まったラジオ版の成功を受け、テレビの普及とともに一般人を主役とするオーディション形式で放送された。この時代、のど自慢は単なるレクリエーションではなくプロの歌手を輩出する役割も持ち、高校時代に函館で「NHKのど自慢」に出場し、宮田輝氏に見初められたことで歌手を志した北島三郎など、歌謡史に刻まれる存在でもあった。

ロカビリーブーム

’60年代初めは’50年代後半から続いたロカビリー旋風の余韻の中、平尾昌晃、山下敬二郎、ミッキー・カーチスら「ロカビリー三人男」が活躍した。ジャズ喫茶や日劇ウェスタン・カーニバルが熱狂の拠点となり、後に坂本九や内田裕也らも登場、独自の和製ポップスで音楽シーンを盛り上げた。ロカビリーは洋楽のカバーから和製ロックへの橋渡し役となり、その後のGSブームへとつながって行った。

ダッコちゃん人形

’60年4月、タカラ(現:タカラトミー)から発売された空気ビニール人形の「ダッコちゃん」が若者を中心に爆発的な人気を呼んだ。街にはダッコちゃんを腕やバッグに付けた若い女性や子供たちが続出し社会現象となった。初夏から夏にかけて最盛期を迎えるも、秋になると徐々にブームは終息。しかし当時、同じく大流行したフラフープを上回る勢いで、発売からわずか半年で推定240万個を売上げるブームとなった。

道ばた遊び

住宅街の道路の舗装が始まった’60年代、子供たちの主な遊び場は家の近くの道ばたや空き地だった。縄跳び、竹とんぼ、ベーゴマ、メンコ、おはじき、缶蹴り、ゴム跳び、けん玉、竹馬、だるまさんが転んだなどが定番で、舗装されたばかりの道路に近所の子供たちが集まり、日が暮れるまで遊びに興じた。また、自転車の荷台に舞台となる木箱を載せて街を回る「紙芝居屋さん」が存在し、子供たちを集めて黄金バットや月光仮面などの紙芝居を見せながら駄菓子を売るのも日常的な光景だった。

デパートの大食堂と屋上遊園地

観覧車やゴーカートで遊べるデパートの屋上遊園地は子供たちにとって「夢の国」だった。メリーゴーランドで遊んだ後、大食堂でお子様ランチを食べる休日は子供たちの最大の娯楽であり、買い物と食事、遊びがまとめて楽しめるデパートは家族にとってもテーマパークのような存在だった。夏場の屋上はビアガーデンとしてサラリーマンで賑わい、デパートの屋上は大人たちにとっても大事な憩いの空間だった。

国内旅行ブーム

’60年に昭和天皇の五女・貴子さまが新婚旅行で青島を訪れ、その2年後に当時の皇太子ご夫妻も訪れたことで、宮崎がロイヤルウェディングの象徴として大人気となった。これによって宮崎行きの新婚旅行専用列車も登場、南国・宮崎への新婚旅行がブームとなった。また、東京五輪の開催や’70年の大阪万博を控えて社会インフラの整備も本格化し、新幹線や東名・名神高速道路という鉄道・道路の二大幹線が開業。東京タワーを目指す修学旅行や国内の団体旅行、社員旅行も活発となった。

テレビアニメブーム

’63年の「鉄腕アトム」の放送を皮切りに、日本は第一次アニメブームを迎えた。同年の「エイトマン」「鉄人28号」も子供たちを夢中にさせ、鉄腕アトムは最高視聴率40%という数字を叩き出した。「ジャングル大帝」「オバケのQ太郎」(’65年)、「魔法使いサリー」「おそ松くん」(’66年)、「巨人の星」「ゲゲゲの鬼太郎」「サイボーグ009」「妖怪人間ベム」(’68年)と人気作が続々と生まれ、テレビのカラー放送が進む中で、アニメブームは加速して行った。

ジャズ喫茶、名曲喫茶

高価なレコードや高品質な音響設備で音楽が楽しめるジャズ喫茶や名曲喫茶が、若者や文化人が最新の海外文化を享受できる場所として人気を集めた。新宿の「DUG(ダグ)」や「ACB(アシベ)」をはじめ日本全国に広がり、ジャズファンやミュージシャンの溜まり場となるとともに、寺山修司や村上春樹などの作家や文化人が集い交流するサロンとしての役割も担った。

グループサウンズブーム

エルヴィス・プレスリーの影響から人気となったロカビリーに代わり、’60年代になるとベンチャーズやビートルズに影響を受けたグループサウンズが大流行した。ザ・スパイダース、ザ・タイガース、ザ・テンプターズをはじめ、若い女性たちを熱狂させるグループが続々と登場しヒット曲を連発した。失神騒動まで起きる熱狂ぶりから”不良の音楽”としてNHK紅白歌合戦はほとんどのグループの出場を許さなかったものの、’70年代に入るまで驚異的な人気は続いた。

マイカーブーム

’66年、日産サニーとトヨタカローラが登場し、1000ccクラスの大衆車時代が幕を開けた。この年はマイカー元年と呼ばれ、’65年には約59万台だった乗用車の保有台数は、’70年には237万台へ激増した。自家用車の普及によって家族でのドライブや旅行といった新しいレジャー様式が定着し、急速なモータリゼーションとともに、東名高速道路の開通や大駐車場を備える郊外の大型レジャー施設の隆盛など、日本人の余暇の形が大きく広がっていった。

第一次怪獣ブーム

円谷英二による「ウルトラQ」(’66年)がテレビで怪獣ブームを巻き起こし、続く「ウルトラマン」が巨大ヒーローの決定版として最大30%を超える視聴率を記録。映画の技術がテレビに投入され、同年の「マグマ大使」は日本初のカラー特撮番組として放送された。等身大ヒーローでは「仮面の忍者 赤影」(’67)も人気を博した。「快獣ブースカ」「ジャイアントロボ」、映画「大怪獣ガメラ」も子供たちを熱狂させ、特撮ヒーローを含む第一次怪獣ブームが訪れた。

ミニスカート大流行

ロンドンのファッションデザイナー、マリー・クワントが発表し世界中で流行したミニスカートは、’67年に来日したイギリス人モデルのツイッギーによって日本でも大旋風を巻き起こした。吉永小百合など銀幕のスターや国民的歌手の美空ひばりがミニスカート姿を披露し、日本航空や全日空の客室乗務員の制服にもミニスカートが取り入れられた。従来の保守的な服装から女性たちを解放し、女性の自由と自立を象徴するファッションとして支持され、一般にも広く浸透して行った。

ヒット商品 > 1980年代

1980年代は経済成長が再び加速し、生活の中に「豊かさ」だけでなく「華やかさ」や「遊び」が求められるようになった。家電は高性能化・多機能化が進み、ビデオデッキやステレオが一般家庭に普及し、個人が好きな映像や音楽を選んで楽しむ環境が整った。ファッションや音楽ではアイドル文化やシティポップが隆盛し、テレビや雑誌がライフスタイルの指標として強い影響力を持つ。後半にはバブル経済へと向かい、消費は自己表現やステータスと結びつき、海外旅行やブランド志向も拡大した。’80年代は「憧れ」や「夢」を消費することで、自分の生き方を演出する感覚が社会全体に広がった時代だった。

 ─ 各年発売の主なヒット商品 ※古い年順(作成途中) ─ 

1980年代
高度成長期に形成された「標準的な家庭生活」を土台に、消費は家族単位から個人単位へと静かに軸足を移して行った。家電は一家に一台の時代を越え、用途別・個人別に細分化される。デジタル技術の導入とAV機器の進化により、娯楽は外出型から室内型へ、共有から選択へと変化し、昭和後半の生活像がほぼ完成形に近づいた時期。
1980年

・初代「レパード」(日産)
・初代「カムリ」(トヨタ)
・初代「クレスタ」(トヨタ)
ポータブルカセットテーププレーヤー
「ウォークマン」大ヒット(SONY)
・初代「ウォシュレット」(TOTO)
・雑誌「BRUTUS」創刊(マガジンハウス)
プラスチックモデル「ガンダム」大ブーム(バンダイ)
ルービックキューブ発売、'81年にかけて大ブームに
(ツクダオリジナル[現:メガハウス])
・「ホッカイロ」ヒット(白元)
・「ポカリスエット」(大塚製薬)
・マルちゃん「緑のたぬき」(東洋水産)
・「日清ソース焼そばU.F.O.」※リニューアル(日清食品)

1981年

・初代「ソアラ」(トヨタ)
・初代「シティ」(ホンダ)
「IBM Personal Computer 5150」大ヒット(IBM)
「雪見だいふく」大ヒット(ロッテ)

1982年

・初代「マーチ」(日産)
・「カローラ2」(トヨタ)
・初代「ビスタ」(トヨタ)
・初代「スプリンターカリブ」(トヨタ)
・PC「98シリーズ」(NEC)
・PC「FMシリーズ」(富士通)
・ウォシュレットキャンペーン
「おしりだって、洗ってほしい。」で業界シェア58%に(TOTO)
和製「タカラ・バービー人形」ヒット
(タカラ[現:タカラトミー])

1983年

・7代目「クラウン」宣伝文句"いつかはクラウン"で人気に
(トヨタ)
・省エネタイプの「インバーターエアコン」が主流に
・ひとびとのヒットビット「MSX」(SONY)
デジタルシンセサイザー「DX7」大ヒット(ヤマハ)
・ファミリーコンピューター(任天堂)
・入浴剤「バブ」(花王)
カプセルトイ「キン肉マン」大ヒット(バンダイ)
・「カロリーメイト」(大塚製薬)

1984年

・「Macintosh128K」(アップル)
・VHS-Cビデオムービー「GR-C1」(日本ビクター)
プラスチックモデル「ガンダム」シリーズ1億個突破
(バンダイ)
・「カントリーマアム」(不二家)
・「ハーゲンダッツ」青山1号店オープン

プラザ合意以降の円高を背景に、輸入品・海外文化に対する心理的距離が一気に縮まった。家電や日用品は高性能化・高付加価値化が進み、生活はすでに完成形に達していながら、さらに上を目指す「余剰の消費」へ向かう。昭和的生活様式が最も華やかに演出された時期であり、同時に次の時代への移行を内包していた。
1985年

プラザ合意を起点とするバブル経済の到来
・初代「カリーナED」(トヨタ)
・初代「トゥデイ」(ホンダ)
・初代「ハンディカム(CCD-V8)」(SONY)
AF一眼レフ「ミノルタα-7000」大ヒット(コニカミノルタ)
・携帯電話「ショルダーホン100型」(NTT)
ファミコンソフト「スーパーマリオブラザーズ」大ヒット
(任天堂)
ファミコンソフト「キン肉マンマッスルタッグマッチ」ヒット
(バンダイ)
・「ビックリマンチョコ悪魔vs天使シリーズ」大ヒット(ロッテ)

1986年

ラップトップPC「T-3100GX」大ヒット(東芝)
・手のひらサイズに再生機能がついた8ミリビデオカメラ
「CCD-V30」(SONY)
・VHS-Cビデオムービー「GR-C7/GR-C9」(日本ビクター)
ダブルステンレスボトル「サハラスリム」大ヒット
(タイガー)
・使い捨てカメラ「写ルンです」(富士フィルム)
・「リゲイン」(第一三共ヘルスケア)
・「サントリーモルツ」(サントリー)
・「ビックリマン」大流行(ロッテ)
スティックパック「ハイチュウ」爆発的ヒット(森永)
・DCブランドブーム最盛期

1987年

・高画質・多機能8ミリカメラ一体型ビデオ「CCD-V90」(SONY)
・片手で持てる携帯電話「TZ-802型」(NTT)
電子システム手帳「PA-7000」大ヒット(シャープ)
・ポケットベル急速に普及へ
・「聖闘士星矢」関連商品ヒット(バンダイ)
・マウスウォッシュ「モンダミン」(アース製薬)
「アサヒスーパードライ」爆発的ヒット(アサヒビール)
 →ビール市場は「ドライ戦争」へ

1988年

リクルート事件発生の年
・初代「セフィーロ」(日産)
・ニッサン セドリック「シーマ FPY31型」(日産)
・14型TFTカラー 液晶ディスプレイ(シャープ)
・ロゴ・タイトル編集機能がついた2代目ハンディカム
「CCD-F300」(SONY)
・空気清浄機能搭載エアコン「エオリア」
(松下電器産業[現:パナソニック])
・DDIセルラー、日本移動通信が携帯電話サービスを開始[現:KDDI/au]
「コアラのマーチ」大流行 ※1984発売(ロッテ)
・「果汁グミ」(明治)
・情報誌「Hanako」創刊(マガジンハウス)

ヒット商品 > 1970年代

1970年代は高度経済成長の終焉とともに、量的拡大から質的充足へと価値観が移行した時代だった。’70年の大阪万博は未来志向と技術立国の象徴として人々を熱狂させた一方、’73年のオイルショックは大量消費社会にブレーキをかけ、節約や合理性が生活に入り込んだ。カラーテレビは完全に定着し、クーラーや冷蔵庫は生活必需品として当たり前化する。若者文化ではフォークソングやニューミュージックが台頭し、個人の内面や等身大の感情を歌う表現が支持を集めた。豊かさの意味を問い直しながら、「便利さ」と「自分らしさ」を同時に求め始めた時代でもあった。

 ─ 各年発売の主なヒット商品 ※古い年順(作成途中) ─ 

1970年代
1970年の大阪万博を頂点に、日本の消費社会は「未来」「便利」「豊かさ」を前向きに享受する段階へ到達した。家電や日用品は生活必需を超え、暮らしを演出する存在へと変化する。一方で'73年のオイルショックはその流れに急ブレーキをかけ、生活者の意識を「拡大」から「見直し」に転換させた。5年間の中に、夢と不安の両方が凝縮された時期である。
1970年

大阪万博開催の年
・初代「ジムニー」(スズキ)
・初代「セリカ」(トヨタ)
・初代「カリーナ」(トヨタ)
電子ジャー「炊きたて」爆発的ヒット(タイガー)
・ファッション誌「anan」創刊(マガジンハウス)
"水に溶ける紙"などの「スパイシリーズ」がヒット
(サンスター文具)
・和風調味料「ほんだし」(味の素)
・マーガリン「マリーナ」(味の素)
・「ケンタッキーフライドチキン」1号店が名古屋にオープン
'71年にかけて空前のボウリングブーム到来

1971年 「ボウリングゲーム」大ヒット
・仮面ライダー1号変身ベルト「タイフーン」ヒット
(現:プレックス)
「アメリカン・クラッカー」流行
・ファッション誌「non-no」創刊(集英社)
・キャンデー「チェルシー」(明治)
・チョコレート「小枝」(森永)
・「ソフトエクレア」(不二家)
・サンキスト炭酸ドリンク缶(森永)
・カップヌードル(日清食品)
・「ククレカレー」(ハウス)
ニコちゃんマークの文具・グッズがブーム
・マクドナルド1号店「銀座・三越百貨店1階」オープン
1971~1974年 第2次ベビーブーム
1972年 沖縄返還の年
グアム残留日本兵、横井庄一さん帰還
ジャイアントパンダ「カンカン・ランラン」一大ブームに
4代目「スカイライン(C110型)」のCMで"ケンメリ"ブーム到来
・ホンダ「シビック」(ホンダ)
・初代「スプリンタートレノ」(トヨタ)
・「カローラレビン」(トヨタ)
・業界初の壁掛冷・暖房エアコン(松下電器産業[現:パナソニック])
ハイビスカス柄マインポット(NM型)歴史的ヒット(タイガー)
・「ソックタッチ」(白元)
・プッチンプリン(江崎グリコ)
1973年 ・初代「スターレット(パプリカスターレット)」(トヨタ)
・初代「ランサー」(三菱)
・野菜室付き3ドア冷凍冷蔵庫 「ニューアラスカ(SJ-3300X)」(シャープ)
ビニール製「スポーツカイト(凧)」ヒット
・'74年にかけて「オセロ」ゲーム大ヒット
(ツクダ)
・「シュガーカット」(浅田飴)
・「明治ブルガリアヨーグルト」(明治)
・「クノールカップスープ」(味の素)
・「ごはんですよ!」(桃屋)
「ノストラダムスの大予言」ヒット(祥伝社)
第1次オイルショックによるトイレットペーパー買占め騒動、商業施設の時短営業、ナイター開始時間の繰り上げ、深夜放送休止など
1974年 ユリ・ゲラー来日の年 → 超能力ブーム起きる
フィリピンルパング島残留日本兵、小野田寛郎さん帰還
「超合金マジンガーZ」大ヒット(バンダイ)
ジグゾーパズル流行
オイルショック後の混乱が落ち着き、日本の消費社会は「節約一辺倒」から「必要な楽しみを取り戻す」方向へと舵を切った時期。生活防衛意識を土台にしながらも、家庭内で完結する娯楽や快適性への需要が再び高まった。高価だが憧れの存在だった家電や設備が、少しずつ現実的な目標として意識され始める。
1975年 ・初代「ピッカリコニカ」(小西六写真工業[現:コニカミノルタ])
多機能デジタル腕時計「0634」大ヒット(セイコー)
「黒ひげ危機一発」ヒット(タカラトミー)
・「サッポロ一番 カップスター」(サンヨー食品)
・チョコスナック「きのこの山」(明治)
・箱入り「ハイチュウ」(森永)
・'70年代中頃から「ニュートラ(ニュートラディショナル)」流行
1976年

ロッキード事件発生の年
ホンダ「ロードパル」ヒット(ホンダ)
一眼レフカメラ「キヤノンAE-1」ヒット(キャノン)
・雑誌「POPEYE」創刊(マガジンハウス)
「およげ!たいやき君」と関連商品大流行
「パックマンゲーム」ヒット
・「日清焼そばU.F.O.」 (日清食品)
・「日清のどん兵衛きつね」(日清食品)

1977年 ・初代「チェイサー」(トヨタ)
パーソナルテレビ「サイテーション(KV-1375)」爆発的ヒット
(SONY)
ヤマハパッソル「S50」爆発的ヒット(ヤマハ発動機)
・布団乾燥機「AD-600」(三菱電機)
・VHS方式ビデオテープレコーダ「マックロード」(パナソニック)
・世界初オートフォーカスカメラ「コニカC35AF(ジャスピンコニカ)」
(小西六写真工業[現:コニカミノルタ])
・蛍光灯「パルック」(パナソニック)
・「スーパーカー」玩具、文具ブーム
・カプセル玩具の自動販売機登場
・「エンゼルパイ」2個紙箱入り(森永)
・「ビックリマンチョコ」(ロッテ)
・「日清のどん兵衛 きつねそば(赤)」(日清食品)
1978年 初代「プレリュード」デートカーとして若者中心に大ヒット
(ホンダ)
・「マツダサバンナRX-7」(マツダ)
・「ターセル」「コルサ」(トヨタ)
・初代「スープラ」(トヨタ)
・2画面のテレビ・イン・テレビ「CT-1804X」(シャープ)
ルームエアコン「RAS-2201WSL」ヒット(日立)
・「バービー人形」日本で発売開始
「モグラたたきゲーム」大ヒット(バンダイ)
「スライム」大流行(ツクダオリジナル[現:メガハウス])
・「ボンカレーゴールド」(大塚食品)
・「とんがりコーン」(ハウス)
1979年 ・第2次オイルショック
初代「アルト」大ヒット(スズキ)
フロントローディングVTR 「マイビデオV3(VC-6080)」大ヒット
(シャープ)
パーソナルコンピュータ「PC-8001」大ヒット(NEC)
・日本語ワープロ「書院」<WD-3000>(シャープ)
・ミニステレオカセットレコーダ「MR-U4」 ヒット(三洋電機)
・センサーオーブンレンジ(シャープ)
「キヤノンAF35M(キヤノンオートボーイ)」大ヒット(キャノン)
・ポータブルカセットテーププレーヤー初代「ウォークマン」(SONY)
 ※「ウォークマン」1号機
・セイコードレスクォーツ「Cal.1320」(セイコー)
「インベーダーゲーム」大流行
「ウルトラマン人形」大ヒット
「キャンディ・キャンディかんごふさんバッグ」大ヒット(バンダイ)
・「日清のどん兵衛 天ぷらうどん」(日清食品)
・「パイの実」(ロッテ)
・「うまい棒」(リスカ)
・'70年代末~'80年代初期「ハマトラ(横浜トラディショナル)」流行

ヒット商品 > 1960年代

1955年以降は「欲しかった家電」が「買える家電」になり、それが当たり前化に向かった。’60年代に入ると洋風の感覚が日常に入り込み、後半には「日本誕生以来の好景気」とされるいざなぎ景気が到来。’64年の東京オリンピックを契機とするカラーテレビの普及とともに、マイカーを含む3C(カラーテレビ・クーラー・カー)が一般家庭に浸透し始めた。海外旅行も自由化され、’66年は「マイカー元年」として家族でドライブを楽しむ習慣が生まれた。ベンチャーズやビートルズの来日により日本でも華やかなグループサウンズが続々と誕生し、人々は経済成長、若者人口の増加、メディアの拡張という時代背景の中で、人生を彩るさまざまな楽しみと豊かさを享受していった。

 ─ 各年発売の主なヒット商品 ※古い年順(作成途中) ─

1960年以前
1924年 ・ラジオ(芝浦製作所[現:東芝])
・電気釜
1925年 ・「ケロリン」(内外薬品)
・日本初のマヨネーズ「キューピーマヨネーズ」
(食品工業[現:キューピー])
・「北海道バター」(雪印)
1926年 ・「ミルクチョコレート」(明治)
・「明治ココア」(明治)
1930年 ・日本初の電気洗濯機「ソーラー」(芝浦製作所[現:東芝])
 ※洗濯機は後の三種の神器
・日本初の電気冷蔵庫(1930年、芝浦製作所[現:東芝])
 ※冷蔵庫は後の三種の神器
・電気蓄音機
・芳香浴剤「バスクリン」(津村順天堂[現:ツムラ])
「江戸むらさき」ヒット(桃屋)
1931年 ・日本初の電気掃除機「VC-A型」(芝浦製作所[現:東芝])
・電気ミシン
1932年 ・黒電話「3号卓上電話機」(住友ベークライト)
・チューブ入りチョコレート「ソフトチョコレート」(森永)
1933年 「ヨーヨー」大流行
・酵母を使った栄養菓子「ビスコ」(江崎グリコ)
1934年 ・「北海道チーズ」(雪印)
1935年 ・「ハートチョコレート」(不二家)
1936年 ・扇風機「MURZ」(松下電器産業[現:パナソニック])
1937年 ・ラジオエレクトロラ「RE-48(ヨンパチ)」大ヒット (日本ビクター)
1940年 ・日本初の蛍光ランプ「FL20D-DL」(東芝ライテック)
1946年 「ラビットスクーター S-1型」爆発的ブーム(富士重工業)
1947年 ・家庭用ミシン第1号機トヨタミシン「HA-1」(アイシンコムセンター)
1947~1949年 第1次ベビーブーム
1949年 ・戦後の標準黒電話機 「4号電話機」(NTT)
1950年 ・電気毛布
・トースター
・ドライヤー
・カメラブームを牽引する「リコーフレックスⅢ」発売
(理研光学工業[現:リコー])
・テープレコーダー(東京通信工業[現:SONY])
・6型・婦人用手巻機械式腕時計(セイコー)
「きいちのぬり絵」ベストセラー
・国産プラスチック玩具
・「リズムボール」(バンダイ)
・キャラクター「ペコちゃん」(不二家)
・明治ハネーヨーグルト(明治)
・「赤缶カレー粉」(S&B食品)
1951年 ・大型フリクションの「B-29」玩具(タカラ[現:タカラトミー])
・「ロゼット洗顔パスタ」(ロゼット)
・「花王粉せんたく」(花王)
・「バヤリース」(朝日麦酒[現:アサヒ])
・「味の素」30g食卓瓶(味の素)
・明治コナミルク(明治)
・「ミルキー」(不二家)
1952年 ・音の静かな三菱扇風機「 D-10B」(三菱電機)
・「ホンダ カブF型」(ホンダ)
「風船ガム」流行
・電動玩具第一号「セダン型自動車」「上飛び飛行機」
1953年

・「日野・ルノー4CV」(日野自動車)
・日本初のウインド形エアコン「東芝ルームクーラー」
(芝浦製作所[現:東芝])
・テレビ放送受信用・八木式アンテナ「 VY1-0001」型
(八木アンテナ)
・白黒テレビ「TV3-14T」普及モデル(シャープ)
・白黒テレビ「17T-2」(富士通)
※白黒テレビは後の三種の神器
・「A型ヘルスメータ」(大和製衡)
・「オロナイン軟膏」(大塚製薬)
・マジックインキ大型「ML-T」(寺西化学工業)
・紙玩具「巻鳥」「カレイドスコープ」「音の出る絵本」

1954年

「マリリン・モンロー」来日の年
ミシン「320型」大ヒット(ジャノメミシン)
電動玩具流行
国産「ミルク飲み」人形流行
・「6Pチーズ」大量生産化(雪印)
・「スペアミントガム」(ロッテ)
・「パラソルチョコレート」(不二家)

1955年 ・初代「クラウン」誕生(トヨタ)
・「ヤマハ 125  YA-1」(ヤマハ発動機)
・トランジスタラジオ「TR-55」(東京通信工業[現:SONY])
日本初の自動式電気炊飯器「ER-4」大ヒット(東芝)
・環形蛍光ランプ「サークライン」 FCL30(東芝ライテック)
・電気こたつ(東芝)
・ナショナル電気カミソリ「MSIO」(松下電工)
・ラジオ・コントロール・バス
・「花王フェザーシャンプー」(花王)
・1粒で2度おいしい「アーモンドグリコ」(江崎グリコ)
1956年 バネ式遊具「ホッピング」大流行
・「でん六豆」(でん六)
1957年 ・初代「スカイライン(プリンス・スカイライン)」(プリンス自動車)
・「ダイハツ ミゼット DKA」(ダイハツ工業)
白黒テレビ「 T-14R1」普及価格で爆発的ヒット
(松下電器産業[現:パナソニック])
・三段階高さ調節式扇風機「キリン」(三洋電機)
66版カメラ「フジペット」大ヒット
(富士写真フイルム[現:富士フイルム])
・やぐらこたつ(東芝)
・日本初の飲料用自動販売機(ホシザキ)
「ジュース自動販売機」爆発的ヒット(ホシザキ電機)
・女性週刊誌「週刊女性」創刊(河出書房→主婦と生活社)
赤銅鈴之助「赤ザヤの刀」流行
髪型をアレンジできる「カール」人形人気
・「ホットケーキミックス」(森永)
・お口のエチケット「グリーンガム」(ロッテ)
1958年

・大衆車「スバル360」人気(富士重工業[現:SUBARU])
・初代 「スーパーカブ」(本田技研)
・ステレオ・レコード再生装置「STL-1S」(日本ビクター)
・ルームエアコン「ナショナル・ホームクーラー」
(松下電器産業[現:パナソニック])
・電子オルガン「EO-4420」(日本ビクター)
・初の国産たばこ販売機「TH-1型」(グローリー工業)
・女性週刊誌「女性自身」創刊(主婦と生活社)
・キッチンスケール(大和製衡)
・初代「野球盤」(エポック)
・日本初のプラモデル玩具「ノーチラス号」
「フラフープ」大流行
・ポリボトル容器の「キューピーマヨネーズ」(キューピー)
・「チキンラーメン」(日清食品)
・「アーモンドチョコレート」(江崎グリコ)

1959年 皇太子ご成婚の年
・初代「ブルーバード(ダットサン・ブルーバード)」(日産)
・日本初のトランジスタ式テレビ(東芝)
・日本初のカラーテレビ(東芝)
・日本初の電子レンジ(東芝)
ハーフ版カメラ「オリンパスペン」ヒット
(オリンパス光学工業[現:オリンパス])
・トランジスタ電子計算機「HITAC 301」(日立)
・人型ロボット「ロビイ」「スカイピンポン」
・プラモデル玩具「ノーチラス号」
・国産ミニチュアカー「世界の自動車シリーズ」(バンダイ)
ぬいぐるみ「モデルペット」人気
米国で「バービー」人形発売、爆発的ヒット(マテル社)
1960年~
家電はまだ贅沢品の延長線上にありつつも、分割払いの普及などによって一般家庭への浸透が進行。都市生活を中心に、食と娯楽の簡便化・大量化も始まった。1964年の東京オリンピックは、消費とメディア意識を一段階引き上げる決定的な契機となった。1960年代前半は「家電=家族の中心」「お菓子=テレビと結びついた消費」という構図がはっきり立ち上がった時期だった。
1960年 ・1960年代~アマチュア無線が「キングオブホビー」と呼ばれる黄金期へ
・初代「セドリック」(日産)
14型白黒テレビ「14-SB」“Xライン”(富士通ゼネラル)爆発的ヒット
→東芝・日立・松下も白黒テレビ発売、白黒テレビ普及率が50%に到達
・日本初の二槽式脱水乾燥洗濯機 「SW-400」(三洋電機)
 →電気洗濯機が都市部を中心に普及へ向かう
・衣料用洗剤「ザブ」(花王)
・「ポラロイド120」「ポラロイド160」カメラ日本発売(ポラロイド/ヤシカ)
西部劇の流行によるガン・ブーム
・「ごっこ遊び」シリーズ
ビニール人形「ダッコちゃん」大流行
(タカラビニール[現:タカラトミー])
・「ワンタッチカレー」(江崎グリコ)
・森永などの板チョコが国民的菓子として安定消費される段階へ
・「のりたま」(丸美屋)
・「ムーンライトクッキー」(森永)
・「クールミントガム」(ロッテ)
1961年

・電気冷蔵庫の普及→買いだめ・まとめ買いの生活様式広がる
・世界初家庭用壁掛け式エアコン「CLU-71」(芝浦製作所[現:東芝])
・かくはん式全自動洗濯機「スキャット」(日立)洗濯の電化
→セットで花王・ライオンなどの粉末洗剤も売れる
坂本九「上を向いて歩こう」爆発的ヒット
・プラレール「ハイウェーセット」(トミー[現:タカラトミー])
国産プラスチック玩具人気
・玩具輸出総額が輸出玩具産業面で世界第一位となる(286億円)
・森永・グリコなどのキャラメルが子どもの日常菓子として定着
・「エンゼルパイ」(森永)
・「マーブルチョコレート」(明治)
・「アイスクリームデラックス」(森永)

1962年

・初代「ミニカ」(三菱)
・初代「ファミリア」(マツダ)
・世界初のセパレート型ステレオ「PSC-5A」発売(パイオニア)
・SONYなどのトランジスタラジオ普及へ
・車で観るマイクロテレビ「TV5-303」(SONY)
・魔法瓶が家庭・職場で普及→保温が日常化
・日本初の量産電子レンジ「R-10」(シャープ)
全自動ハーフ版カメラ「リコー オートハーフ」ヒット(リコー)
・女性週刊誌「女性セブン」創刊(小学館)
・女性週刊誌「ヤングレディ」創刊(講談社)
・解熱鎮痛剤「バファリン」(ライオン)
・冷蔵庫用脱臭剤「ノンスメル」(白元)
・衣料用洗剤「ニュービーズ」ヒット(花王)
・ばね状玩具「スリンキー(トムボーイ)」
(三光発条[現:サンコースプリング])
第1次プラスチック・モデル・ブーム
(ゼロ戦・隼・戦艦大和・鉄人28号など)
・「着せ替え人形」
ドリンク剤「リポビタンD」空前のヒット(大塚製薬)
・「マルシンハンバーグ」(マルシンフーズ)
・「雪印カマンベールチーズ」「雪印スライスチーズ」(雪印)
・ハードキャンディ「コーヒータップ缶入」(森永)
・「ルック」チョコレート(不二家)

1963年 ・テープレコーダ「マイソニック」(松下)
・電気蚊取り器「ベープ」(フマキラー)
・「レーシングカー」
・「バービー人形」
・「バーモントカレー」(ハウス)
・「日清焼そば」(日清食品)
・「コーンフレーク」「コーンフロスト」(ケロッグ)
・「ナボナ」(亀屋万年堂)
1964年 東京オリンピック開催の年
・「東洋の魔女」金メダル獲得で空前のバレーボールブーム
 →「アタックNo.1」や「サインはV」制作される
・男性向け週刊誌「平凡パンチ」創刊
(平凡出版[現:マガジンハウス])
アイビールック流行
「ハンドルリモコン自動車」大ヒット(バンダイ)
・「タミーちゃん」
・「お話ミコちゃん」(トミー)
・「スーパーボール」(Wham-O社)
・入浴剤「バスロマン」(アース製薬)
・ロッテ初のチョコレート「ガーナミルクチョコレート」(ロッテ)
・「ハイクラウンチョコレート」(森永)
・「かっぱえびせん」(カルビー)
・「ネクター」(不二家)
・「クノールスープ」(味の素)
高度経済成長が最盛期に入り、耐久消費財は「持っているかどうか」から「より新しい・より便利なものへ更新するか」という段階へ移行した。家電は家庭内にほぼ行き渡り始め、関心は性能・デザイン・快適性へと向かう。一方で、個人消費・若者消費が急拡大し、音楽・ファッション・菓子といった分野で“流行を楽しむ”感覚が強まった。この5年間は、「家電=更新」「菓子=流行」「消費=楽しみ」がはっきり分かれて見え始める時期となる。
1965年 ザ・ベンチャーズ」来日の年
・初代「シルビア」(日産)
・初代「プレジデント」(日産)
「レーシングカーセット」大ブーム(バンダイ)
「オロナミンC ドリンク」大ヒット(大塚製薬)
・洗濯用洗剤「ブルーダイヤ」(ライオン)
・「エメロン」シャンプー(ライオン)
・「チョコレートボール」(森永)
1966年 「ザ・ビートルズ」来日の年
・初代「サニー」(日産)
・初代「カローラ」(トヨタ)
・日本初のターンテーブル式家庭用電子レンジ「R-600」(シャープ)
「クレイジー・フォーム」流行(バンダイ)
「オバケのQ太郎」大流行
第1次怪獣ブーム起きる
・食器・野菜用洗剤「ママレモン」(ライオン)
・チューブ入りケチャップ(カゴメ)
・「サッポロ一番(しょうゆ味)」(サンヨー食品)
・「明星チャルメラ」(明星食品)
・「ゴールデンカレー」(S&B食品)
・世界初の棒状チョコレート「ポッキー」(江崎グリコ)
1967年 GS(グループ・サウンズ)ブーム到来
ツィッギー来日、ミニスカート旋風巻き起こる
・「ホンダ・N360」(ホンダ)
・ドライタイプルームエアコン(日立)
・ルームエアコン「霧ヶ峰」(三菱電機)
「ツイスターゲーム」流行(任天堂)
「ウルトラハンド」大ヒット(任天堂)
象がふんでもこわれない「アーム筆入れ」大流行(サンスター文具)
・着せ替え人形・初代「リカちゃん」(タカラ[現:タカラトミー])
・「チョコボール」「チョコフレーク」「エールチョコレート」(森永)
1968年 ・初代「スプリンター(カローラスプリンター)」(トヨタ)
・初代「ローレル」(日産)
・「コロナマーク2」(トヨタ)
・トリニトロン方式カラーテレビ第1号「KV-1310」(SONY)
「わんぱくフリッパー」大ヒット(バンダイ)
・輸入ミニカー普及
「人生ゲーム」大ヒット(タカラトミー)
「マジソン・バッグ」発売、以降大ブームへ(エース)
・世界初の市販用レトルト食品「ボンカレー」(大塚食品)
・「ジャワカレー」(ハウス)
・インスタントラーメン「出前一丁」(日清食品)
・「サッポロ一番 みそラーメン」(サンヨー食品)
・「雪印ネオ マーガリンソフト」(現「ネオソフト」)(雪印)
・日本初のスナック菓子「カール」(明治)
・「ノースキャロライナ」(不二家)
三億円事件発生の年
1969年 ・初代「フェアレディZ」(日産)
・壁掛けクーラー「樹氷」(松下電器産業[現:パナソニック])
・「ママレンジ」(アサヒ玩具)
・「アポロ」チョコレート(明治)
・「ハイソフト」ミルクキャラメル(森永)