ジュリー全盛期だった’70年代、筆者はジュリーのファンというわけではなかった。
というより、「ファンではないということにしよう」と、幼なごころに、そう決めていた。
筆者は彼よりちょうどひとまわり若く、ザ・タイガースが大人気だったころはまだ小学生で
ジュリーがソロとして活躍をはじめた時も、純朴な中学生。
そんな子供の私は、あまりにも圧倒的な彼の魅力に
「ジュリーはもう少し上の世代のお姉さんや、大人たちのもの」という
謙虚、かつビビりな思いに支配された。
心の中ではものすごく好きなのに、とうてい手の届かない遠い場所でさんぜんとかがやく星。
そういう意味でジュリーは文字通り、私の中で絶対的なスターで
「好き」と言うなんておこがましい。そう思わせる存在だった。
高校生になった頃、スターはますます輝きを増し、もう、宇宙人のように遠い存在になってしまった。
なので、焦がれる気持ちはそこでいったん封印し、彼の存在は忘れてしまうことにした。
好きになりすぎると辛い。そんな初めての感情に悩んだ挙句の
16歳の、その哀しい決心を覚えている。
そんな日々からうん十年が過ぎて、私が若き日のジュリーと「再会」したのは
YouTubeでたまたま見つけた昔の音楽番組「夜のヒットスタジオ」のDVD動画だった。
(公式からの投稿ではないので、現在は削除されています) ただその動画で
「勝手にしやがれ」「サムライ」「カサブランカ・ダンディ」など、
当時のヒット曲を独特のコスチュームで歌うジュリーのパフォーマンスに
毎週月曜の夜、欠かさず番組を観ていた当時の自分を重ねながら
心は一気に’70年代~’80年代前半まで巻き戻った。
多くのファンが度肝を抜かれ、「鳥肌モノ」「もっとも美しいジュリー」と今も話題になることがある
50畳の畳敷のセットで歌う「サムライ」は、50年近くが経った今見ても、まさに一瞬で鳥肌が立つ圧巻の迫力。
そしてあの魅力的なビジュアルはもとより、その歌声はまさに
長い間、海の底に埋もれていた伝説の財宝が突然見つかったかのように
ふたたび強烈な輝きを放ち始めた。
その動画をきっかけにそのままYouTubeで当時のジュリーを漁り続け
恐ろしいことに、気づけばあっという間に、不眠不休で一日近くの時間を費やしていた。
こわい。
まだ自分にそんなエネルギーがあったとは。
人間ってすごい。
そして深い眠りに落ちた。
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ひさしぶりにジュリーを見た感動とともに、たくさんの動画を見て初めて気づいたことがある。
それは、ジュリーの歌手としての魅力ではなく、ひとりの「人」としての人柄の魅力だ。
18歳で「ザ・タイガース」のボーカルとしてデビューした途端に絶大な人気を得て
時に世の中の良識に眉をひそめられながらも、若くから、蝶よ花よと扱われてきたひと。
そんな世界の中で生きてきた人なのに、絶頂期が続く中でも、有頂天さが感じられない。
いつも冷静で、謙虚さを保つ姿。
あの人が絶大な人気を保ち続けたのは、そういう、人としての在り方も魅力だったからだ。
だから私も、大好き、と感じたのだと思う。
比べて申し訳ないんだけども、今の時代、人気が出たからと言って調子に乗ったりおごったり、
自分が世界の中心だ、くらいの勘違いをしてしまう芸能人はたくさんいるように見える。だけど
そんな子たちが足元にも及ばないほど、長い間、高い山の上に立ち続けていた当時のジュリーに
そういうおごりや慢心は、まるで感じられない。
そりゃ人間だから、たまにはポっと出る、そういうのも。
ギャグやコントや面白トークも好きな人だから、芸風として調子をこく姿もたくさんある。
でも、それが許されるのも、この人がじつは常識や思いやり、誠実さや謙虚さを大切にしている人だと
ブラウン管を見つめるお茶の間の人たちに見抜かれていたからだ。
お茶の間はバカじゃない。楽しみながら、テレビの向こうで笑っている人が
もし自分の身近にいたらどんな人なんだろうと、恐ろしいくらいシビアに見てますもんね。
目を凝らして、本質こそを見極めようとするもの。
2018年の埼玉のドタキャン騒動の時も、何がすごいかって
会場に足を運んだファンがみな、そのジュリーの判断を許容したことだ。
「ジュリーがそこまでする以上、それなりの理由があるはず」と、みんなそう理解した。
昔からジュリーを知る人たちにとって、人間としてのジュリー、
人間としての沢田研二に対する信頼は絶対なのだ。
そしてジュリーは、その信頼を裏切ることの罪深さや、勘違いすることのおろかさをよく知っている。
だから、2023年のさいたまスーパーアリーナのリベンジ公演は、1万9千人動員の完売となり
毎年行われるツアー公演も、2026年現在も、私は何度申し込んでも
見切れ席でさえチケットが取れない人気が続いている。
彼が人としても魅力的なのは
生まれ持っての優しさや正義感もそうだろうし、
起こしてしまった暴力事件からの学びもあったろうし
ロカビリーやGSの先輩たちから受けた厳しい教育も、彼の人柄を形作ったのだと思う。
絶頂の人気を得ながらも、人としての正しい在り方にこだわり続ける男。
それがジュリーと呼ばれる、沢田研二という人なんだと思う。
※そう言うと「でも、結婚してたのに最初の奥さん裏切ったんでしょ」と言う人もいますよね。だけども
それも、誰も悪くないように私は思っている。
確かに誰もがいろんなものを失い、辛い出来事だっただろう。だけど、2人目の奥さんを
「ジュリーにとって、初めての恋」と言われたら
それはもう、辛い思いをした人たちの痛みを見ながらも、受け入れるしかない。
最初の奥さんも、その後はジュリーも、国民的スターとしての生き方を強いられた人たちの悲劇、
というとオーバーかも知れないけども、どんなにあがいても現実としてあらがえない環境の中で
誰も悪くなかったのだろう、という思いに私は至った。
そしてもう、生涯添い遂げようとしている夫妻が、いつまでも幸せであるように願っている。
とにかく、若かりし日のジュリーは強烈にまぶしい。
こんなにも魅力的で、ここまで圧倒的なスターは
彼が一線を退いてから何十年が過ぎた今も、まだひとりも現れていないと思っている人は
きっと少なくないんじゃないかと思う。
ジュリーこと、沢田研二というスターがいた時代。
私にとって「昭和」という文字には
好むと好まざるとにかかわらず、あの頃の彼の姿が、豊かで圧倒的な歌声が
見た人を一瞬でノックアウトしてしまう魔法のような、あの笑顔が
きらめくエフェクトとなってふりそそぐ。
かつて、デビアス社が販売戦略として伝播させたダイヤモンドのキャッチコピーではないけれど
ジュリーこそまさに、”永遠の輝き”だ。
そして今の私は、もうビビリではない。
だから、誰も見ていない部屋の中でYouTubeの中のジュリーに
ノリノリで黄色い歓声を送っている。
今、ビビるものがあるとすると、隣に住むおじいさんからの苦情だ。
だから今日は少し音量を下げて、あの頃のジュリーに
心ゆくまで埋もれたいと思う。






